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 家の前まで駆け上がってきた俺は、期待を込めて玄関を見た。

 期待は無言で外れた。優華はやっぱり、そこにはいない。

 そんな都合よく行くもんか、と理性が嘲笑う。あの剣幕で出ていったのだ。もしかしたらもう当分、優華は帰っては来ないのかもしれない。


 非情な現実を、俺は受け入れたくなかった。まだ、まだだ。優華はスマホを持って出ている。電話して居場所を聞き出して、探しに行こう。

 すぐに電話番号を探し、発信する。

 しかし、十秒後に返ってきたのは、優華のスマホに電源が入っていないことを淡々と伝える自動音声だった。



 無理だ。

 優華は本当に、迷子になってしまったんだろう。あるいは完全に、帰る気をなくしたんだろう。そうなると俺でも、探しようがない。

 どうしていいのか分からなくなって、俺は頭を抱えた。

 取り返しのつかないことをしてしまった。優華が風邪を引くくらいで済めばいい方だ。もしかしたらもう二度と、優華は俺のことを愛してくれないんじゃないか。根拠も可能性もあるそんな恐れが、胸の奥でどろどろと渦を巻いていた。


 思えば結婚して半年、何かイベントがあったかと問われれば何もなかったとしか答えられない。大抵いつも俺が忙しくて、二人だけで旅行にすらも行けてない。まともな家族サービスの一つさえ、俺はできてない。

 俺はそれでも楽しかった。隙間時間を見つけては優華と戯れるのが心底幸せだったし、それさえあればがんばれた。でも、優華にとってそれだけで満足なのかどうか、俺は一度も気を払っていなかったんだ。

 嫌われても仕方ないよな、そんなの……。



 玄関を開けることなく、俺はそのままふらりとそこを離れた。

 仕事なんかどうでもよくなってきた。優華に会いたい。会えれば、それでいい。

 嫌われても構わない。自業自得だ。でもせめて、説明の、釈明の、弁解の時間がほしかった。

 凍えるような夜風の中を、俺は宛もなく歩き続けた。





 優華は、気持ちを隠すことのない人だ。

 好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。その境目がはっきりしている訳ではなかったけど、優華はそういう自分の気持ちは素直に伝えてくれた。何もしてなくても、好きだよって言ってしがみついて甘えてきた。

 お金がなくても俺たちは幸せだった。ただ、そこに場所と時間があればよかった。二人隣にいるだけで、それは十二分に幸せな時間に変わった。ちょっとしたことで笑って、泣いて、気持ちを伝えあった。足りないという思いはあっても、日常はそれだけで何とか回っていた。

 その何より大切な時間を奪ったのは、誰でもなく俺なんだ。

 優華が不満なのに気づけなかった。怒りを募らせてるのに、振り返りもしなかったからだ。



 忙しい日々の中で、優華がいつも気にしていたことがある。

 それは、記念日だった。いつか、カレンダーを壁から取った優華に、『何でもいいから覚えてる記念日書いて』って命ぜられたのを覚えてる。言われるがままに俺がいくつか書き込むと、優華は満足げに微笑んで、これからは一緒にお祝いしようねって言ったんだ。

 日付なんて気にできない忙しなさであっても、そのくらいの喜びは確保したい。優華なりの工夫というか、信念のようなものだったのだろう。

 そして、その目線に立てば今日が特別であることはすぐに分かる。今日は結婚記念日から、ちょうど半年に当たる日なんだ。


 きっと今日くらい、楽しく過ごしたいって思ってただろうにな……。






 俺、謝る。

 俺から謝る。何度だって謝るよ。強い言葉で優華を傷つけたこと、謝る。


 だから優華、もう一度戻ってきてくれよ……。






 そんなこと、いくら思っても仕方ないわけで。

 優華の姿はどこにもない。



 もう、諦めようか。今夜帰ってこなくても、きっと明日には帰ってくる。その時、迎えてやればいいんじゃないか。そう片方が言えば。

 悠長なことを言いながら待っているうちに、優華の身体は冷えていくんだぞ。冬の戸外に妻を放置して探しにもいかないなんて、お前はそんな鬼になれるのか。そう、もう片方が言うんだ。



 その時、俺は思い出した。

 かつて結婚してすぐの時分、優華と二人で何度か行った眺めのいい公園がある。ここから、すぐ近くの丘の上に。

 町田の街をまだよく知らなかった優華に色々見せてやりたくて、俺があちこち連れて行った頃のことだ。町田の全てを見渡すことはできないけど、こんな所なんだよって見せてやりたかったんだ。町田(ここ)は東京の市街地から切り離されてる分、市内でけっこう何でもできるようになっている。賑やかな場所も、落ち着いた場所もあるんだよって。

 優華はまだ、覚えているだろうか。可能性は半々だと思ったけど、たとえ一パーセントでもいいから信じたかった。藁をもすがる思いで、俺は道を探した。

 走っているうちは、寒さを忘れられた。脇に抱えた優華のコートの温もりを感じながら、俺は坂を登りきった。




 狭い公園のブランコに、座っている人がいる。


 見るからに薄着そうな、ブラウスにミニスカート。ああ、それは俺が好みだと言ってからずっと、仕事やお出掛けのたびに優華が着ていた格好だ。

 と言うことは、あれは────。


 俺は息を吸い込んだ。








「──優華!」







次回更新は本日午後八時です。

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