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二人の秘密

 日曜日の朝早く、(まなぶ)は母親にたたき起こされた。英治(えいじ)から電話だと言うので、パジャマ姿のまま二階の自分の部屋から降りてリビングへ向かう。学を起こした母はソファーへ戻り、放映中の戦隊ヒーロー番組を鑑賞中だった。父の姿はない。恐らく、昼過ぎまで惰眠をむさぼると言う、学が果たせなかった作戦を遂行中なのだろう。羨ましい限りだ。

 保留中の受話器を取ると、英治は用件も告げず五分で家へ来いと言う。学は、すぐに察しがついた。昨夜は遅くまで、英治の家でRPG(ロープレ)をしていたから、その続きをしたくて早朝から学を呼び出したのだろう。と言っても、学はプレイヤーではない。右手が使えない英治に代わって、彼の操作を手伝うだけだ。端からは、英治にこき使われているように見えるかも知れないが、学にしてみれば小難しい謎解きや作戦を丸投げにしてストーリーに集中できるので、むしろ都合がよかった。彼は「すぐに行くよ」と言って受話器を置き、リビングを後にした。

 英治の家に向かった学を出迎えたのは、含み笑いをする英治の母親だった。子供の学から見ても美人だとわかるくらいきれいな女性だが、英治よりも子供っぽいところがある人で、その彼女がひどく面白がっているわけだから、英治の身に見逃せない何かが起こっているのは確かだろう。学は二階の自室にいる友人に気付かれないよう、小声で「お邪魔します」と彼女に告げて上がり込んだ。

 足音を忍ばせて階段を昇り、英治の部屋の前に立つと覚えのある声が聞こえてきた。驚いて扉を開けると、テレビの前に夏海(なつみ)理美(さとみ)が陣取っていた。部屋の真ん中には折りたたみ式のテーブルが広げてあって、その上にはグラスが三つと、大皿に盛られたサンドイッチが置いてある。そう言えばと、学は朝食がまだだったことを思い出した。

「遅い」

 と、ベッドの上に座った英治。

「おはよー、学くん」

 ゲーム機のコントローラーを握った夏海が陽気に手を振る。理美はこくりと会釈する。

「なんで、二人が?」

「知らん。朝飯前に押しかけてきて、この有様だ。おかげで、俺のキャラがひどいことになった」

 学が「ちょっと見せて」と夏海からコントローラを奪い取り、ステータス画面を表示すると、主人公のパラメータが勝手に書き換えられて、全てのポイントが攻撃力に振り込まれていた。ゲーム中に一個だけ手に入る、能力再設定用の特殊なアイテムを使ってしまったのだろう。

「最強だよ!」

 夏海は鼻の穴を広げて言うと、学からコントローラを奪い返した。

「けど、魔法一発で死ぬ」

 英治が苦々しく言った。

「強さの代償って、かっこいいよね」

 理美は言って、にこりと笑った。学は、ため息しか出なかった。これは、もはや天災と言うほかない。

 部屋のドアがノックされた。英治が「どうぞ」と言うと、彼の母親が学の飲み物を持って入ってくる。学が礼を言うと彼女は笑みを返し、それから夏海と理美と仏頂面の息子を順繰りに見て、くすくす笑いながら部屋を出て行ったった。

「英治くんって、お母さん似なんだね」

 夏海が口を開いた。言われて学も、なるほどと思う。愛想の欠片も無い英治の三白眼も、彼の母親のような美人の顔に付けば切れ長の目となり、凛とした印象に変るのだから遺伝子とは不思議なものだ。英治はそれについて特にコメントせず、「遊んでないで用件に入れ」と言った。夏海は素直にコントローラを置いて、ゲーム機とテレビの電源を切った。

「昨日、理美ちゃんと話し合ったの。いっぺんに色んなことが起こり過ぎて、何か見落としてるんじゃないかって」

 学は、もっともな事だと同意した。今まで何が起こって何が問題になったのか、きちんと整理する必要があるだろう。すると英治は机から大学ノートと筆箱を引っ張りだし、テーブルの上のグラスとサンドイッチを押しのけて、それを広げた。四人はテーブルを囲んで頭を突き合わせた。

「今まで起こったことを順番に挙げるぞ。愛野(あいの)、頼む」

 英治は筆箱から取り出した鉛筆を理美に渡し、六つの項目を挙げた。理美は自由帳の紛失、最初の事故、怪物の噂、二番目の事故、赤い光、先生と委員長の密会と、整った字でノートに箇条書きする。

「英治くん、順番違うよ。わたしの机から自由帳が無くなったのは、英治くんの事故の後」

 夏海が指摘する。

「トンネルのオバケを描いた日じゃないのか?」

 英治が聞くと、夏海は首を振った。

「理美ちゃんから自由帳を預かって、机の中に入れっぱなしにしてたら学くんに返すのをすっかり忘れてて、次の日の五限の休み時間に思い出したから、もういっぺんだけ絵を見てから返そうと思って、机の上に広げたところでトイレに行きたくなったから、理美ちゃんを誘ってトイレに行って、戻ったらなくなってた」

 指折り数えながら話す夏海をまじまじと見てから、英治は口を開いた。

「お前、どれだけ行き当たりばったりで生きてるんだ」

「いやあ」

 夏海はなぜか照れた。

 ともかく、それで二つの項目は順番を入れ替えられた。

「まず俺たちは、二つの事故が同じ原因で起こったと考えた」

 理美は、英治と古部由緒(ふるべゆい)の事故を線で結び、その脇に「同じ原因?」と書き込んだ。

「僕たちの推理だと、みんなの下校より早い時間を狙って通学路を通る車があって、そのせいでおばけトンネルに危険な時間帯が出来たんじゃないかって話だったよね」

 学が言うと、理美は「同じ原因?」の下に「下校時間」と書き込んだ。

「それから先生は、渋滞を避けようとした車のせいだと言ったけど、長洲(ながす)さんに聞いた下校時間だと、しっくりこないことがわかったんだ」

 さらに理美は「渋滞」と書き、その上に大きく×を乗せた。

「俺の事故の後、トンネルにはオバケがいると噂が立ち、古部の事故の後には、長洲が赤い光を見たなんて言い出した。これのせいでオバケ見物の野次馬が増えて、また事故が起こるんじゃないかって考えた俺たちは、手を打って先生に立ち番を頼んだ」

 英治は言った。理美は「赤い光」と「先生と委員長の密会」の間から線を引っ張りだし、「先生が立ち番する」と書いた。

「そうしたら、なぜか先生と委員長がトンネルの前で抱き合ってたんだよね」

 学は「先生と委員長の密会」と書かれた項目を指した。

「確かに、あれにはぎょっとさせられたけど、見た以上のことは何も無いからな。今は何もできないし、本人を問い詰めるなり、証拠写真でも撮って通報するなりしたいなら、明日になってからだ」

 学と女子たちは頷いた。

「事故については、ひとまず解決ってことになる。俺たちが考える原因と、先生が考える原因に食い違いはあるけど、先生が立ち番していてくれる限り、もう事故は起こらないからな」

「なんか、モヤモヤするけどね」

 夏海は不満そうに言った。

「何もかもってわけには行かないさ。噂について考えてみよう」

 英治は項目を指して言った。

「噂のオバケは自由帳の怪物をモデルに作られた可能性が高い。だから、自由帳を盗んだ犯人と噂を流している犯人は同じだと俺たちは考えた」

 理美は「同一犯」と書いて、「噂」と「自由帳の紛失」から引っ張り出した線と繋いだ。

「そして、その犯人が千和(ちわ)ちゃんなんだよね」

 夏海は言ってから、思い出したように付け加えた。

「証拠はないけど」

 理美は「同一犯」から矢印を引いて委員長を指し、その横に疑問符を書いた。

 英治は、動機を考えるのは無駄だと言ったが、それでも学は「なぜ、そんなことを」と言う疑問を捨てきれずにいた。ふと彼は、江浦(えうら)に子供らしい表情を向ける千和を思い出して、それが答えになるかもしれないことに気付いた。

「ひょっとして委員長は、先生と二人っきりで会う場所が欲しかったんじゃないかな。だから、怖い噂を流してトンネルに人が寄り付かないようにした?」

森山(もりやま)みたいなのが増えるだけで、逆効果じゃないか?」

 英治は疑わしげに言った。

「わたしみたいってなによ!」

 夏海は憤慨する。どうにも野次馬扱いだけは気に入らないらしい。

「間違ってないかも」

 と、理美。

「理美ちゃん……」

 ショックを受ける夏海の頭を撫でながら、「そうじゃないの」と理美は言った。

神代(かみしろ)くんの考え、間違ってないかも知れない。噂だと、トンネルのオバケはすごく危険だって、委員長が言ってたから」

「それにしたって、なんでおばけトンネルなんだ。先生といちゃいちゃするなら、もっとマシな場所があるだろう?」

「動機は考えるだけ無駄」

 理美はにっこり笑って言った。

「そうだったな」

 英治は苦笑した。彼はそれをすぐに引っ込め、続けた。

「そうなると、俺たちにケンカをふっかけたのも、委員長の作戦だった気がしてくるな」

「どう言うこと?」

 学は聞いた。

「委員長は、俺たちがトンネルについてかぎ回る理由を、ああ言って取り上げたのさ。実際、うまくいってたんだ。それで俺たちは、先生に事件を預けて全部解決したと思い込んでたからな。学が下校時間なんて、変なことを気にするまでは」

 学たちは噂話の蚊帳の外で、しかもトンネルの危険性についてあれこれと論じ合っていた。トンネルから人を遠ざけたい委員長は、ひどく煙たく思っていたに違いない。

「一つ、分からないの」

 と、理美。

「トンネルから人を遠ざけても、先生が立ち番してくれるとは限らない」

「でも、結局そうなったよね?」

 夏海が口を挿む。

「そうなったのは、実際に事故に遭った俺たちが、三回目の事故が起こるかも知れないって騒いでたからだ。何もしないでいて本当に三回目が起きたりしたら、先生としちゃまずいことになるからな。けど、噂が流れ始めたのは二回目の事故より前だ。委員長がこれを計画してたんなら、先生をトンネルの前におびき出す作戦を、別に考えてなきゃおかしい」

 英治は解説して見せるが、夏海はまだ納得がいかない様子だった。

「その時になって、わたしたちを口実にした方が、うまくいきそうだって思ったんじゃない?」

「お前じゃあるまいし、あの委員長が、そんな行き当たりばったりなことはしないだろう」

 英治は口元に指を当てて、しばらく考え込んでからふと顔を上げた。

「そうか。先生の立ち番だけじゃない、噂も運任せに見えるんだ。二回目の事故が起こるまでは、みんな面白半分だったのに、事故の後からトンネルが恐い場所ってことになった。事故が無かったら、委員長の計画はうまく行くかどうか、わからなかった」

「事故が、事故じゃなかったら?」

 理美が言った。

「委員長が事故に見せかけて、古部を襲ったって言いたいのか。女子が同じ歳の子供に大怪我させるなんて、簡単にはできないぞ?」

 理美は首を振って、英治の考えを否定した。

「先生が共犯だとしたら?」

 理美を除く全員が息を飲んだ。

「まっさかー。理美ちゃん、考えすぎだよ」

 引きつった笑いを浮かべて夏海は言った。

「いや。それなら立ち番の話も、運任せじゃなくなる。それに、なんと言っても先生は車を運転できるから、事故に見せかけて古部を襲うことだって難しくない」

 英治は険しい表情で言った。

 学はトンネルの前で見た二人の姿を思い出し、そして気付いた。あれは決して、千和の一方的な片思いで成り立つ関係ではない。つまり、江浦には千和と同じ動機があると言うことだ。彼が共犯であると言う話は、じゅうぶん頷けるものだった。

「それがホントなら、二人を止めないと!」

 夏海が両手をテーブルに突いて腰を浮かせた。テーブルの上のグラスがガチャンと鳴った。

「だめだ」

 英治は首を振る。

「どうしてよ!」

「今言ったことは、俺たちが勝手に思い付いたことで、証拠も何も無いからだ。それに、もし俺たちが考えた通りのことを二人がしていて、俺たちがそのことに気付いたと知ったら、向こうは何をしてくるかわからないぞ」

「だからって、ほっとけるわけないでしょ!」

 学は険悪な雰囲気の二人をどうにかしようと、この事態を引き起こした元凶の理美に目を向けた。しかし彼女は、のん気にジュースを飲んでいた。学は腹を決めた。自分がやるしかない。

「森山さん」

 学が声を掛けると、夏海はじろりと彼をにらんできた。くじけそうになる気持ちを奮い立たせ、学は続けた。

「証拠がないってことは、警察とかもあてにできないってことだよ。なんの助けもなしに不用意なことをしたら、誰かが古部さんみたいになるかも知れないんだ。両手がギプスになった英治とか、考えてもみてよ。めんどくさくて仕方ない」

「なんで俺が怪我する前提なんだ」

 英治はむっつりと言った。

「もう怪我しちゃってるし、(たとえ)としてわかりやすいかなあと思って」

「身をもって体験するのも大事だぞ」

「遠慮しとくよ」

 もちろん、それは学の作戦だった。夏海が英治のことを好きなら、彼が怪我する可能性をほのめかせば、彼女も考えを改めるだろう。

「ごめん、ちょっと考えなしだった」

 夏海はしょんぼりと謝った。

「ほんのちょっとな」

 英治は言った。それで丸く収まった。理美が手を伸ばして学の頭を撫でた。学はちょっとだけ嬉しくなった。

 落ち着いたところで、学はなおざりになっている問題を思い出した。たった今発見した、江浦に共犯の可能性があると言う点を加味すれば、それも解決するかもしれない。

「ひょっとして、長洲さんが見た赤い光って、先生が運転する車のテールランプだったのかな?」

「長洲は色々言ってたけど、意外にそんなオチかも知れないな」

 学の考えに、英治も同意した。

「明日から、どうしよう。わたし、先生や千和ちゃんの顔をまともに見れないよ」

 そう言って、夏海はテーブルに突っ伏した。理美は「よしよし」と言って、その頭を撫でる。

「今までの話は全部、俺たちの憶測だってことを忘れるな。はっきりわかってるのは、学の自由帳が無くなったことと、委員長と先生がトンネルの前でいちゃいちゃしてたってことだけだ。変に意識して、二人にあれこれ勘ぐられるようなことはするなよ」

「やってみる」

 夏海は自信なさげに言った。


   ◆


 月曜日の朝になって、学がいつものように英治を迎えに行くと、彼は先に学校へ行けなどと無体なことを言いだした。恐ろしい犯罪に手を染めた疑いのある千和や江浦と、彼抜きで対面しろと言うのか。ぶつぶつと文句を言う学に英治は言った。

「母さんが、ヒビ程度でギプスをするような治療は、聞いたことがないって、友だちに言われたらしい。これから病院へ乗り込んでギプスを外してもらう事になった。午前中には登校するから、それまで森山たちが余計なことをしないように、気を付けてくれ」

「わかった」

 学は渋々承知した。

 一人で通学路を歩いて間もなく、夏海と理美が合流した。英治が遅刻する旨を伝えると、彼女たちはひどく落胆した。

「千和ちゃんや先生に、何か言われたらどうしよう」

 夏海は不安そうに言った。

「向こうは僕たちが秘密に気付いてるって知らないんだから、何かしてくるなんてあり得ないよ」

「そっか、それもそうだね」

 学が指摘すると、夏海はちょっとだけ元気を取り戻した。しかし、実は学も、彼女と同じ心配を抱えていた。こちらが秘密を知っていることに、千和や江浦が感付いていない保証はどこにもないのだ。その場合、夏海の心配はあり得ないことではなくなる。

 重苦しい気分を抱えたまま、学は二限の後の中休みをむかえた。これまでのところ、千和と江浦に変わった様子は見られない。先週の出来事が、まるで嘘か幻のように思えた。

 学は後悔した。嘘か幻のままにしておけばよかったのだ。三組の女子の下校時間など気にしなければ、こんな嫌な気分を味わうことなどなかった。そして事件は先週末に解決し、英治のゲームキャラは今も健在だったに違いない。

 学は空っぽの英治の席に目をやった。彼は今になって、友人の奇妙な態度に気が付いた。面倒くさがりの彼がなぜ、おばけトンネルの事件に対しては、これほど熱心に取り組むのだろう。それこそ適当な話をでっち上げて、学たちが納得するような結論をひねり出すことだって出来たはずだ。

「神代くん」

 声を掛けられ、学は考えを中断した。理美だった。

「夏海ちゃん、委員長と一緒に出て行った」

「いつ?」

 学が勢いよく立ち上がったので、椅子が後ろの机にぶつかり、ひどい音を立てた。

「ついさっき。資料室に行くって」

 それは、空き教室を半分に仕切って作られた狭い部屋のことで、中には郷土にまつわる様々な資料が展示してある。子供たちが自分たちの住む町について知る機会を作ろう――と言う先生たちの思惑で作られた施設だが、あまりにも人気が無いせいで、今は体育館裏と並ぶ有名告白スポットと化していた。要は人の出入りがほとんど無い、密談にもってこいの場所なのだ。

「わかった、追い掛けよう」

 彼女が余計なことをしないよう、気を付けろと英治に言われていたのに、これでは何を言われるか知れたものではない。教室を駆け出して廊下を見ると、資料室へ入ろうとする二人の姿が見えた。扉が閉じられようとする寸前で、学と理美は中に駆け込んだ。

「あなたたち……まあ、いいわ」

 千和はため息をついて、扉を閉めた。

「英治に言われたこと忘れたの?」

「ごめん、我慢できなかった」

 小声で言う学に、夏海はそう答えた。

 千和が咳払いした。

「トンネルの前で、私と先生を見たって話しだけど?」

「そう、それ。パパなんて言ってた!」

 夏海が言うと、千和はさっと頬を赤らめた。

「盗み聞きまでしたのね」

「いやあ。なんか、聞こえちゃって」

 夏海は頭を掻きながら笑って言った。

 委員長は目を逸らしたまま、しばらく口をつぐんでいた。そして、ようやく心の整理がついたのか、学たちを真っ直ぐに見て、挑みかかるように言った。

「だって、本当にパパなんだから仕方ないでしょ」

 三人はぽかんとして千和を見た。

「ええと。それって、千和ちゃんの、お父さんってこと?」

 ようやく立ち直った夏海が言った。

「そうよ。それ以外にどんな意味が……」

 千和は言いかけて、顔を真っ赤に染めた。

「そっちのパパじゃないからね!」

 つまり、彼女の言うパパとは、父親と言う本来の意味でのパパだったようだ。禁断の恋だと決めて掛かっていた学は、その可能性があることを、完全に失念していた。

「だったら、なんでこそこそ会ってたの?」

 学が聞いた。

「パパ……じゃなくて、先生とママは六年前に離婚したの。うちが旧家なんて言われてるのは知ってる?」

 学は頷いた。

「その頃、跡継ぎになるはずだった伯父さんが急に亡くなって、分家から養子を迎えようってことになったの。それで長女だったママは先生と離婚させられて、代わりに分家の叔父さんと結婚させられたってわけ」

 そこまでするかと学は驚いた。橘とは、それほど偉い家柄なのだろうか。ふと、資料を保管するキャビネットを見れば、橘家に関する本が何冊も収められていた。壁の高い場所にも、橘某(たちばなにがし)と名札の付いた白黒写真が、ずらりと並ぶ。

「パパは橘に嫌われてて、私とママは二度とパパには会うなって、きつく言われたの。でも、去年の春に赴任してきた先生を見て驚いたわ。もっとも先生の方は、トンネルの前で会う昨日まで、私が自分の娘だって気付いてなかったそうよ」

 学たちは顔を見合わせた。二人の関係が恋人ではなく、生き別れの父娘(おやこ)だった点は、まあ良しとしよう。それでも江浦には、千和と二人っきりで会いたいと言う、動機が残るからだ。しかし、江浦が千和との関係に気付いていなかったとしたら、わざわざ彼女のために犯罪に手を染める理由が無くなってしまう。

「キレイになってて、私だってわからなかったんだって」

 締まりのない笑みを浮かべながら、頬に両手を当てて照れる千和を見て、学は父娘と言うよりバカップルじゃないかと、密かにあきれた。

「教えて」

 理美が言った。

「オバケの噂を流したのは、委員長?」

 千和は弛んでいた口元を引き締めた。彼女は理美をじっと見つめてから、小さくこくりと頷いた。理美は、さらに質問を重ねた。

「神代くんの自由帳も、盗んだ?」

 しかし千和は、今度は怪訝そうに首を傾げた。

「私が盗んだ……のは、森山さんの自由帳よ。ごめんね、森山さん」

「あれね、ホントは学くんに借りてたヤツなんだ」

 夏海はきまりの悪い笑みを浮かべて言った。

「そうなの?」

 ぎょっとして目を向けてきた千和に、学は「気にしないで」と言った。

「先生と二人っきりで会う場所を作るためにために、トンネルの怖い噂を流したんだね。自由帳の怪物をモデルにして?」

 学が問うと、千和は素直に頷いた。学は、さらに続けた。

「でも、うまく行かなかった。みんな、怖がるどころか面白がってたからね」

 千和はもう一度頷いた。

 そろそろ核心に触れるべきだ。学は一呼吸おいてから、再び口を開いた。

「でも、三組の古部さんの事故が起こってから、風向きが変わった。委員長は、なにか心当たりがあるんじゃないかな。事故の原因について?」

 初めは怪訝な顔をしていた千和だったが、学の質問の意図に気付いたのか、彼女の顔はみるみる蒼ざめていった。

「あなたたち――私が、古部さんの事故を起こしたと思ってるの?」

「そうよ」

 ぞっとするほど平板な声で理美が言った。

「そんな、馬鹿なこと……」

「都合が良すぎるの」

 理美は委員長の言葉をさえぎった。

「あの事故がなかったら、トンネルは野次馬だらけで、先生が立ち番をすることもなかった。違う?」

「そうだけど、でも私は……」

 千和はかすれた声で言うと、力が抜けたように扉に寄りかかった。自分の行動や今までの出来事が、まさにそう見えてしまうことに思い至ったのだろう。

 理美は、容赦なく追い撃ちを掛けた。

「最初は、先生が共犯だと思ってた。でも、あなたは言ったの。先生は、昨日まで、あなたが自分の娘だと気付いていなかったって。だから、あなた以外に古部さんを襲う理由がない」

 千和は救いを求めるように学と夏海を見て、それから小さく首を振った。

「私、そんなことしてない。信じて!」

「無理よ」

 理美は冷たく言い放った。しかし学は、彼女の身体の横に置かれた拳が、小さく震えているのを見逃さなかった。夏海も腕組みをして精一杯怖い顔をして見せているが、あまりうまく行っているようには見えなかった。千和は、今にも泣きだしそうだった。

「わかった、信じるよ」

 学は言った。千和は驚いた様子で学を見た。束の間そうしてから腰が抜けたように、その場へ座り込んだ。

「美人割り引き?」

 理美が険しい目つきで学に言った。

「違うよ」

 理美の発想がおかしくて、学は思わず笑って答えた。つられて理美も、ふっと笑みを浮かべた。夏海は大きなため息を吐いて、安堵を隠さなかった。

「なんだか、もう嫌になったんだ。先生やクラスメートを疑うのが。それに、英治も言ってたしね。女子が自分と同じ歳の子供に大怪我させるのは難しいって。あと、そんなことをしておいて、自分のお父さんに、あんな風に笑って話し掛けられるなんて、僕にはそっちの方が信じられないよ」

 学は、千和に手を差し出して言った。

「そろそろ中休みも終わるよ。教室へ戻らなきゃ」

 千和は素直に学の手を取り、立ち上がった。彼女の小さな手は、すっかり冷え切っていた。傷害犯に仕立て上げられそうになって、よっぽど怖かったに違いない。立ち上がった後も、彼女は学の手をぎゅっと握って、なかなか放さなかった。


 教室へ戻ると英治がいた。首尾よくギプスを外してもらったようで、今は腕組みをしている。彼は、千和と連れ立って教室へ入ってきた学たちに、渋い顔をしてみせた。四人が英治の机の側に集まると、彼は言った。

「俺が言ったことを、忘れてたみたいだな」

「ごめん」

 学は早々に謝った。

 英治はため息を吐き、探るような目つきで千和を見つめた。

「先生に話を聞きたい。放課後、あの場所まで、俺たちもついて行く。いいな?」

 千和はこくりと頷いた。

 予鈴が鳴って、女子たちはそれぞれの席へ戻り、学も自分の席に着いた。英治は身体を捻って後ろを向くと、声をひそめて学に言った。

「先生の車を調べた」

「余計なことをするなって言っといて、自分は何やってるのさ?」

 学はむっとして言った。

「俺が学校に着いたときは、まだ授業中で、みんなは教室にいたんだ。もちろん先生も。そんなチャンス、逃さない手はないだろ?」

 英治は悪びれもせず言った。

「それで、どうだったの?」

「キズもへこみも見つからなかった」

 江浦が事故に見せかけて車で由緒をはねたのだとしたら、何かしらの痕跡が残るはずで、英治がそれを見つけられなかったのなら、江浦は由緒の事故に関わりが無いと言うことになる。そもそも事故があった当時、江浦は千和を一生徒としか見ていなかったのだから、彼が凶行に及ぶ理由も必要もない。だとしたら由緒は、なぜ怪我をしたのだろう。

「他の車を使ったのかも知れないな。赤い光がテールランプだとするなら、だけど」

 英治は江浦に動機が無いことを知らない。しかし、学がその事を説明する前に、三限の開始を知らせるチャイムが鳴った。英治が前を向き、江浦が教室へ入ってくる。

 学は教壇に立つ江浦の顔を、無意識に探っていた。相変わらずぱっとしない容貌で、彼が美人の千和の父親だとは思えなかった。しかし、学はあることに気付き、こっそり笑みを浮かべた。千和と江浦の眉毛は、そっくり同じ形だった。

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