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蜘蛛の目

 (まなぶ)のクラスの担任は 江浦(えうら) と言って、眼鏡と白衣を身につけている以外に、これと言った特徴のない男だった。学には、ただの冴えない三十路男にしか見えないのだが、なぜか女子には人気があり、クラスの男子の多くはそのことに首を傾げていた。以前に英治(えいじ)は、学校で最も若い未婚の男性教諭と言う点が、女子には容姿よりも魅力的に思えるのだろう分析して見せたが、学には全く理解しがたい理屈だった。

 帰りのホームルームが終わってすぐ、その江浦が 英治(えいじ) を呼びつけた。おそらく委員長に頼んだおばけトンネルの件だろう。英治は、彼の呼びかけに応じて素直に教壇へ向かい、学も後に続いた。

「話は委員長から聞いたよ。通学路のトンネルに危険な時間帯があるって事だけど、その原因が見つかったかも知れないぞ」

 学と英治は顔を見合わせた。

多比良(たいら)が事故に遭った日から、近所で道路工事が始まったようなんだ。工事の時間は四時から七時までの短いものなんだけど、渋滞も起こってたみたいでね。それを避けようとして、あのトンネルを抜け道に使った車も、少なからずあったんじゃないかと先生は考えてる」

 江浦は、立て続けに起こった事故を、道路工事による一過性のものと考えているようだ。本当に、そうなのだろうか。違和感を覚えた学は英治を見るが、彼は江浦の話を黙って聞いていた。

「工事はまだ続いているそうだから、多比良が心配した通りになってもおかしくないし、今日は僕がトンネルの前に立って、誰かが面白半分で通らないように見張りをするよ。その後のことは来週の職員会議で決めてもらおう。先生たちが持ち回りで立ち番をしていもいいし、保護者に協力してもらう手もあると思う。ともかく、この件については先生たちに任せておいてくれ」

「わかりました、先生」

 英治が言った。それで終わりだった。教師たちが立ち番をするとなれば、通学路を無謀なスピードで走る車も減るだろう。もちろん、怖いもの見たさでトンネルに入る子供たちもいなくなるわけだから、もう事故など起こりようがない。しかし、教室を出ていく江浦を見送りながら、学は釈然としない思いを抱えていた。

 夏海(なつみ)理美(さとみ)が二人の側にやってくる。

「どうだった?」

 と、夏海。

「今日は先生が、おばけトンネルで立ち番をしてくれるそうだ。まあ、これで解決ってところだな。事故が起こらなくなれば、つまらない噂も自然に無くなるだろう」

 英治は言った。夏海と理美は、「よかった」と言って笑顔を見合わせる。

「ホントに、そうなの?」

 学が言うと、彼を除く三人は怪訝な目を向けた。

「昨日は五限授業だったんだよ」

 理美が「あっ」と声をあげた。

「私たちが事故に遭った日、授業は六限だった」

 学は頷いて見せた。

「三組の時間割はもちろん僕たちの時間割とは違うけど、その日が五限授業か六限授業かは学年で一緒だよね。僕たちの時と違うのに、なんで三組の子の事故も僕たちの事故と同じ原因だって言えるの?」

「お前、昨日のことなのに、もう忘れたのか?」

 英治はため息混じりに言った。

「俺たちは放課後になってすぐ、トンネルの向こうのコンビニに行っただろう。そこで三〇分くらい遊んで、俺と学はトンネルを通って家に帰った。けど、トンネルの中でも出入り口でも、俺たちは誰にも会わなかったし、倒れてる女子も見掛けなかった。つまり三組の女子は、それよりも後で事故に遭ったってことだ」

 学は、英治が言わんとすることを理解した。三組の女子は、学が考えているほど早くには下校しておらず、それは英治が事故に遭った時刻と、差ほど変わらなかった可能性もあると言うことだ。

「だったら、三組の女子にちゃんと聞いてみようよ」

「昨日の下校時間をか?」

 学は頷く。

「変なことにこだわるな。まあ、お前はそう言うやつか。おばけトンネルの名前の由来なんて、つまらないことをやたら気にするくらいだし」

「でも、せっかくみんなの推理でトンネルのオバケの正体を突き止めたんだから、ちゃんと確かめたいよね?」

 学は食い下がった。

「推理なんて、大げさなものじゃないだろ」

 英治は眉をひそめるが、結局折れた。

「わかった。とにかく聞くだけ聞いてみるか」


 帰り支度をすませた四人が、真っ先に向かったのは三組の教室で、彼らはそこで彼女が陸上部に所属していることを聞き出した。陸上部は今、校庭のトラックを使った練習の真っ最中だ。そして、件の少女はすぐに見つかった。彼女は、はた目にもわかるほど厳しいメニューを、他の部員から離れて黙々とこなしていた。

「おーい、佐恵(さえ)ちゃーん」

 夏海が声を掛けると、彼女は練習の手を止めて顔を上げた。

「あ、夏海ちゃん」

 佐恵は笑顔で夏海を迎えた。彼女は夏海より背が高く、髪は男子のように短いが、体操服の胸元は同じ学年の女子に比べて、かなりボリュームがあった。

「佐恵ちゃん、おつかれー」

「おつかれー、お昼ぶりー」

 二人はハイタッチした。トイレでちょっと話をしただけなのに、なんでこんなに親しげなんだと学は面喰う。

「この子は英治くん。理美ちゃんは知ってるよね。あと、学くん。みんな二組の友だちだよ」

 夏海はざっと全員を紹介した。

「森山、紹介するなら名字付きにしろ」

 英治は抗議した。口に出さなかったが学も同意する。見知らぬ女子のファーストネームをちゃん付けで呼ぶなど、まっとうな男子なら抵抗を感じないはずがない。

「別にサエちゃんでも構わないんだけどなあ。まあ、長洲(ながす)でいいよ」

 佐恵は真っ白い歯を見せて笑ってから、英治をじろじろと見た。

「英治くんって言ったよね。ひょっとして、おばけトンネルの犠牲者一号って?」

「ああ、俺のことだ」

「噂の英治くんとは、ぜんぜん違うね。オバケと戦うなんて言うから、もっとバイオレンスな感じだと思ってた。本物はなんて言うか」

 佐恵は何かを言い掛け、頬を染めて口をつぐんだ。

「噂の俺は、一体、どうなってるんだ?」

 英治は渋い顔で言った。学の頭の中にはマンガに登場するような、隆々とした筋肉をまとう覇王の姿が浮かんでいた。

「まあ、それはいいや。聞きたいことは、他にあるんだ」

 と、英治。

「赤い光の話?」

「いや、昨日の下校時間を教えてくれ」

 英治の言葉に佐恵はきょとんとするが、素直に話し始めた。

「えーと……クラブが終わってすぐだから、三時半くらいかな」

 それは、ちょうど六限が終わる時間だった。学は素早く英治を見た。英治は学を横目で見て頷く。佐恵の話は、まだ続いていた。

由緒(ゆい)ちゃん――事故に遭った子が用事があるって言うから、早めに帰ったんだ。いつもは校庭で遊んでから帰るんだけど」

 そう言って佐恵は、校庭の隅にある遊具に目配せした。うんていやジャングルジム、滑り台にブランコなどなど、公園に置いてありそうなものが一通り揃っており、今も多くの子供たちがそこで遊んでいる。竹馬や一輪車に興じる子供たちもいた。授業が五限でも六限でも、彼らは雨でも降らない限り、学校が下校を促す五時ちょっと過ぎまで、こうやってしっかり遊んでから帰るのが日課なのだ。

「ユイ?」

 英治が驚いた様子で聞き返した。

「ひょっとして、古部由緒(ふるべゆい)か。陸上の地区大会で、県の小学生記録を更新した?」

 ちょっと前の全校集会で、校長先生が興奮気味にその話していたので、彼女の名前は学も知っていた。

「うん、その由緒ちゃんだよ」

「次の県大会に、うちの学校の代表で出るって聞いてたけど、怪我は大丈夫なのか?」

 佐恵は首を振った。

「足にヒビが入ってるから、走るのはしばらく無理なんだって」

「なるほど。それで、長洲が代わりに出場するってわけか」

 英治は何気ない調子で言った。

「えっ」

 佐恵は目を丸くする。

「なんでわかったの。まだ部の中でしか決まってない話なのに?」

「そりゃあ、他の連中と別メニューの練習をしてるみたいだからな。それも、かなりハードなやつだろ?」

「うん、なかなかしんどい」

 そう言って、佐恵は苦笑する。

「でも、由緒ちゃんの代わりって言うのが一番しんどいよ。みんながみんな、私に由緒ちゃんみたいな記録を出せって、プレッシャーかけてくるんだもの」

「災難だな」

 佐恵は頭を掻いただけで、 英治の言葉を否定も肯定もしなかった。

「光の話はいいの?」

 佐恵は話したくて仕方がない様子だった。

「そうだな。せっかくだし聞いておくか」

 英治が言うと、佐恵は頷いて話し始めた。

「由緒ちゃんがトンネルに入って行くと、天井あたりに赤い光の玉がたくさん浮かんだの。数までは分からないけど、四つ以上はあったかな。なんだか虫の目玉みたいだった。その時は車のテールランプか何かだと思ったんだけど、思い返してみたらぜんぜん位置がおかしいと思って」

「虫?」

 学は反射的に口を挿んだ。

「蜘蛛じゃなくて?」

「言われてみれば、並び方が蜘蛛っぽかったかな。単眼って言うんだっけ?」

 佐恵は考えつつ言った。

「なるほど」

 そう呟いてから、英治は何事かを考えるように黙り込む。

「英治くん?」

 佐恵に呼ばれて、英治ははっと顔を上げた。

「長洲。その話を初めてしたのは、いつだ?」

「昼休みだよ。夏海ちゃんに話しかけられたときだけど、それがどうかした?」

「いや、なんでもない。ありがとう、話を聞けてよかったよ」

「よくわからないけど、何かの役に立てたのかな?」

「ああ、長洲のおかげで助かった」

 英治が頷くと、佐恵は晴れやかな笑みを返した。

「じゃあね、佐恵ちゃん。練習がんばってね」

「うん、ありがとう。がんばるよ」

 夏海が手を挙げ、佐恵がハイタッチを返す。

 そうして四人は、佐恵に背を向けて校庭を後にした。


   ◆


「ねえ、英治」

 校門を出たところで、学は口を開いた。

「わかってる」

 学がみなまで言う前に英治は応えるが、歩を進めるばかりで、その先を口に出さない。

「どうかしたの?」

 と、夏海。

「長州さんと古部さん、ちょうど六限が終わった時間に帰ってるんだ」

 学が答える。

「それじゃあ、わたしたちと同じ時間の事故だったんだね」

「いや、違う」

 英治は首を振った。

「ホームルーム?」

 と、理美。英治は頷き「そうだ」と言った。

「もう、みんなで勝手に納得してないで、ちゃんと教えてよ!」

 夏海はイライラした様子で足を踏み鳴らした。

「僕たちが事故に遭った日は、六限が終わってすぐに帰ったわけじゃないんだ。だって、その前にホームルームがあったよね?」

 学が言うと夏海は合点が入ったように、ぽんと手を打ち鳴らした。

「そっか。ホームルームって、二〇分くらいあるもんね。それじゃあ由緒ちゃんは、わたしたちが事故に遭った時間より、ちょっと早くトンネルを通ってる?」

「そうなるな」

 と、英治。

「でも、たった二〇分だよ?」

 夏海は疑わしげに眉をひそめる。

「先生が言ったことを覚えてないのか。工事が始まったのは四時だぞ。学校から、おばけトンネルまでは十五分くらいだから、俺たちがトンネルを通ったのは工事が始まった後だけど、古部たちはどう頑張っても前だ。もし、工事の渋滞から逃げようとして、おばけトンネルを通った車にはねられたんなら、辻褄が合わないだろ?」

「それじゃあ、先生の推理が見当違いだってこと?」

「俺の事故はともかく、古部の事故についてはそうなるな」

「だったら、どうして由緒ちゃんは怪我したんだろう」

「さあな。車にはねられたのか、オバケに襲われたのか。代表の座を狙った長洲の仕業なんてことも考えられるぞ。どれがいい?」

 英治はむっつりと言った。

「佐恵ちゃんが、そんなことするわけないでしょ」

 夏海はむっとして言い返す。

「ただの例えさ」

 英治は悪びれる様子も無く言った。

 全てはふり出しに戻った。江浦が持ち出した渋滞説は、英治と由緒の事故にピタリと嵌るピースではなかったのだ。そうなると、おばけトンネルには危険な時間帯があると言う、最初の推理が正しかったのだろうか。しかし、二つの事故の状況は、すっかり同じと言うわけではない。由緒がおばけトンネルを通った時間は学が考えていたよりもずっと後で、彼らが事故にあった時間とほぼ同じだが、異なる点が一つあった。

「蜘蛛の目」

 学はぽつりと言った。

「なんだって?」

 英治が聞き返す。

「長洲さんが見たって言う、赤い光のことだよ。僕たちの事故の時、誰もそんなものは見なかったよね。結局、何だったんだろう。長洲さんは、本当に見たんだよね?」

「見間違いって言うには具体的だったし、注目されたくて嘘を吐いてるようにも見えなかったな。けど、見てもいないものを、あれこれ考えても仕方ないだろ?」

「委員長の話は?」

 学は急いで付け加えた。

「わかってる」

 夏海と理美が不満げにこちらを見ていることに気付いて、学はあわてて説明した。

「長洲さんは、赤い光の事を虫の目って言ったよね。でも、委員長は蜘蛛の目って言ったんだ」

「蜘蛛だって虫じゃない」

 夏海は唇をとがらせて反論する。

「そうだね。でも、虫は色んな種類があるのに、どうして委員長は蜘蛛だって決めつけたのかな。実際に光を見た長洲さんが、蜘蛛かどうか、ついさっきまでわからなかったのに?」

「長洲が赤い光について初めて話したのは、昼休みって言ってたな」

 と、英治。

「委員長が、それを蜘蛛だと言ったのも昼休みだ。赤い光を蜘蛛の目と言ったヤツは、委員長以外に誰かいたか?」

 夏海は首を振る。

「なんだって委員長は、蜘蛛の目だなんて決めつけたんだ。見てもいないのに?」

 英治はつぶやき、何かを思い付いたようにふと顔を上げた。

「噂に出てくるトンネルのオバケって、毒蜘蛛と吸血コウモリだったよな?」

 言われて学は、この二、三日のことを思い返してみた。確かに、漏れ聞く噂に出てくる怪物は、その二種類だ。

「愛野の描いた怪物とそっくり同じなのは、どう言うわけだ?」

 英治を除く全員が、はっと息を飲んだ。

「まあ、どっちもトンネルにいそうな生き物だから偶然ってこともあるけど、偶然じゃないとしたら何が考えられる?」

「私の絵を見た誰かが、わざと噂を流している?」

 理美がぽつりと言った。

「俺も同じ考えだ。学、お前の自由帳、俺たち以外の誰かに見せてないか?」

 学は首を振った。

「わからないんだ。自由帳、なくなっちゃったから」

「なんだって?」

 英治が聞き返す。

「みんなでオバケの絵を書いた後、机の上から無くなってたんだ」

 学が言うと、理美は夏海に目を向けた。

「まだ返してなかったの?」

「あー、うん。ちょっと色々あって」

 夏海はきまりの悪い笑みを浮かべた。

「どう言うことだ?」

 英治が聞く。

「ごめんなさい。神代くんの自由帳、私が持って行ったの」

「愛野さんが?」

「わたしのだと間違えたんだって。理美ちゃんにしては、うっかりさんだよね」

 夏海は、理美の頭を撫でながら言った。

「それで、わたしから返すよって理美ちゃんから受け取ったんだけど、なんか机に置きっぱなしにしてトイレに行って、戻ったら無くなってたのよ」

「結局、なくしたのは森山か」

 あきれた様子で英治が言う。

「いやあ、面目ない」

 へらへら笑う夏海に、反省の様子は見られなかった。

「それじゃあ、森山さんの机から自由帳を持って行った人が、噂を流している犯人ってこと?」

「それはわからないけど、この噂は愛野の絵を見た誰かが、わざと広めてるのは間違いないだろう。最初はあやふやだったオバケの姿が、あっと言う間に毒蜘蛛と吸血コウモリに固まったんだ。なにかモデルでもないと、そうはならないさ」

 一呼吸置いて、英治は付け加えた。

「そして、その誰かは、たぶん委員長だ」

「ええっ、千和ちゃんが?」

 夏海だけが驚いた。彼女は自分以外が訳知り顔で頷いているのを見て、また口を尖らせた。

「なんでみんな教えてくれないの。わたしばっかり!」

「いや、流れでなんとなくわかるだろ」

 と、英治。

「わかんないよ!」

「愛野、説明」

 英治は丸投げした。

「早すぎるの」

 理美はざっくりと言った。

「理美ちゃん。ぜんぜんわかんない」

 夏海は理美の両肩に手を置き、彼女の目を真っ直ぐに見て言った。

 理美は人差し指を頬に当てる、お決まりのポーズで続けた。

「長洲さんが赤い光について話をしたのは昼休み。委員長が、それを蜘蛛の目って決めつけたのも昼休み。まだ誰も、二つをくっつけた噂を話していないのに、委員長だけがそれをできた。だから、委員長が噂の出所じゃないかって、みんな疑ってるの」

「もちろん証拠はない」

 英治が引き継ぐ。

「それに、委員長と仲がいい誰かが真犯人で、そいつが委員長に余計なことを吹き込んだってことも考えられるけどな。そう言や、あいつって友達いたか?」

 夏海と理美がそうであるように、休み時間の女子はいつも仲の良い友人と連れ立ってトイレへ行くのだが、学が覚えている限り千和はいつも一人だった。もちろん、クラスメートから疎まれたり嫌われたりしているわけではない。ただ、ちょっとだけ近寄りがたい雰囲気があるのは確かだ。そのせいか、夏海を除けば彼女を名前で呼ぶクラスメートは一人もいなかった。

 学は、ふと思い出した。千和との距離感を考えない人間が、夏海以外にも一人いるではないか。

「英治って、委員長と仲悪いよね」

「突っかかってくるのは向こうだ」

 言われてみれば昼休みの時も、絡んできたのは千和の方だった。

 英治はじろりと学を睨んだ。

「俺は、あいつの友達について聞いたんだぞ?」

「そんなの知らないよ。森山さんは心当たりない?」

「わたし!」

 夏海がすかさず胸を張って答える。

「夏海ちゃん。それだと噂を流した真犯人、夏海ちゃんになる」

 理美が気付かせる。

 自称友達の夏海を除けば、クラスメートに千和の友人は見当たらなかった。いや、待てよと学は思い直す。

「先生とは仲良いよね」

「優等生だからな」

 英治はふんと鼻を鳴らした。

「良い子ぶってるわけじゃないと思うよ。なんだか、先生と一緒にいるのが嬉しいって感じかな。先生も委員長と一緒に何かしている時は、よく笑ってる気がする」

「先生、女子に好かれてるからね。きっと千和ちゃんも同じなんだよ」

 夏海は腕を組んで、うんうん頷きながら一人で納得する。

「委員長って美人だから、先生も悪い気しないのかも」

「美人かあ。千和ちゃんって、お嬢様って感じだもんね」

「感じじゃなくて、あいつは本当にお嬢様だぞ。橘は、この辺りじゃ有名な旧家だからな」

 学と夏海の会話に英治が割り込む。

「そうなの?」

 夏海が素っ頓狂な声を上げる。

「なんでウチみたいな公立の学校に通ってるんだか、不思議なくらいにはお嬢様だな」

「そうなんだ、知らなかった」

 夏海はつぶやいて、何事か考え込んだ。そして、ふと顔を上げ、

「キュウケってなに?」

「愛野、頼む」

 理美は旧家について夏海にざっくりと説明してから、学に目を向けた。

「神代くんは、先生が真犯人だと思ってるの?」

 理美に言われて、学は首を振った。彼は犯人捜しをしていたわけではなく、千和と仲の良い人間を挙げただけのつもりだった。

「それにしても、噂なんか流して何がしたいんだろう」

「動機なんて、考えるだけ無駄だぞ。本人に聞かない限りどんなことでも考えられるからな。なんなら、面白そうなヤツを二、三個でっち上げてやろうか?」

「それはいいや」

 学は遠慮した。

「そんなことより、トンネル覗いて帰らない?」

「赤い光を見に行くのか?」

 英治の言葉を聞いて、夏海がいち早く「賛成!」と手を挙げた。

「それも気になるけど、先生がちゃんと見張っててくれてるか確かめたいって思ってさ」

 江浦を疑っているわけではないが、大抵の大人がそうであるように、学たちが考えているほど事態を深刻に受け止めていない可能性もある。

「悪くない考えだな。どっちにしても、おばけトンネルはすぐそこだ」

 英治が指さす先には丁字路があった。真っ直ぐ進めば、学や英治の家がある住宅街へと続き、左に折れて少し歩けば、おばけトンネルだ。ただし、そこまでの道はゆるいカーブを描いていて、入り口の目前に来るまでトンネルの姿を見ることはできない。だから、先頭を行く英治が足を止めて、後に続く三人を制止した時、学は何事かと訝しんだ。

 英治は電柱の影に身を隠すと、後ろの三人に目を向け、あごをしゃくって見せた。四人はトーテムポールのように頭を並べ、トンネルの方をうかがった。

 トンネルの前には、江浦と千和の姿があった。彼らは二人で何やら楽しげに談笑している。

「なんで、委員長がいるの?」

 学は聞いた。英治は唇の前に人差し指を立てた。江浦と千和の、たわいのない会話が聞こえてくる。それは迂闊に口を開けば、その声も向こうへ届くと言うことだ。

「……って、私のことを笑ったの。ひどいと思わない?」

 千和が頬を膨らませて言う。教室では絶対に見ない顔だった。

「そうだね」

 江浦は目を細めて言った。

「もう。まじめに聞いてよ、パパ!」

「パパ?」

 学の頭の上で夏海が声をひそめて言う。

 江浦と千和の会話が、ふと途切れた。二人はしばらく見つめ合い、そして千和が江浦の腰に抱きついた。江浦は千和の肩に手を置き、彼女の頭を優しく撫でる。学の耳に、夏海の生唾を飲みこむ音が聞こえた。

「千和、そろそろ時間だよ」

 そう言って、江浦は千和の身体をそっと押しやった。潤んだ瞳で、千和は江浦を見上げる。江浦は少し困った様子で思案し、ポケットから鍵の束を取り出した。

「向こうに車を停めてあるんだ。続きは、その中でしようか?」

 江浦が言うと千和はぱっと笑みを浮かべ、彼の腕にしがみついた。そして二人は歩き出し、トンネルの中に姿を消した。

 束の間、それを呆然と見守っていた四人だが、我に返るなり夏海が電柱の陰から飛び出した。

「許さんぞー!」

「落ち着け、森山。まだ、そうと決まった訳じゃない」

 英治は、いきり立ってトンネルへ飛び込もうとする夏海の前に立ちはだかって言った。

「でも、あれは、どう見てもあれじゃない。とっ捕まえてこらしめてやる!」

 夏海は英治を押しのけて進もうとするが、英治はギプスをしていない方の手を夏海の腰に回して彼女を引き留める。学は夏海が何に対して憤っているのか理解できず、ただおろおろしていた。

「委員長と先生が、恋人同士じゃないかって森山は疑ってるんだ」

 英治が歯を食いしばって説明する。その間にも、夏海は英治を引きずったまま、トンネルへ向かってずんずん歩いていた。

「でも、委員長は子供で……えーっ?」

 学もようやく合点がいった。

「驚いてないで手を貸せ」

 英治に言われて、学も慌てて夏海に飛びついた。もみ合う三人を尻目に、理美が落ち着いた様子で携帯電話を取り出す。

「通報する?」

 学は彼女の眉間に、かすかなシワが寄っていることに気付いた。理美も夏海に負けず劣らず怒っているようだ。

 英治が、夏海の腰に回していた手を、不意に放す。バランスが崩れ、学と夏海は絡み合って地面に転がった。英治は理美に歩み寄り、その手から携帯電話を奪い取った。

「ちょっと落ち着いて考えろ。相手は先生と、お嬢様で優等生の委員長だ。二人が口をそろえて違うって言ったら、それまでだぞ。学校だって不祥事は無いことにしたいだろうから、俺たちが言う本当よりも、嘘の方を信じるに決まってる。通報したいなら、ちゃんと証拠を押さえてからにするんだ」

 英治は、渋々と言った様子で頷く理美の手を取り、その中に携帯電話を戻した。そして、地面に転がる学と夏海に目を向ける。

「お前たち、いつまで抱き合ってるんだ?」

 抱き合っているのではなく、潰されていると言った方がしっくりくる状況だったから、学としては反論の一つも返したいところだった。しかし、夏海に圧し掛かられている状態では、声を上げることすらままならない。

「ごめん、学くん。重かったよね?」

 先に起き上がった夏海が学に手を貸す。学は「ぜんぜん、平気」と分別ある答えを返した。

「今日はもう帰ろう。明日は土曜日だから、どうにかするとしたら来週だな」

 英治は疲れた様子で言った。誰にも否やは無かった。四人は重い足取りでトンネルを後にした。学が目を向けると、英治は苦笑を返した。

「赤い光なんかより衝撃的だったな」

 学は振り返り、おばけトンネルを見た。トンネルの坑口は黒々と闇をたたえているだけで、赤い光は見えなかった。

(8/21)一部内容修正

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