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第二の事件

 英治(えいじ)は事故の翌々日に登校してきた。ギプス姿の彼を見て、クラスメートたちが彼の席を取り囲み、怪我の具合や事故のことを聞いてくるのは、もちろん彼の怪我を気に掛けてのことではない。事故という非日常を経験した彼に、ひどく好奇心を刺激されたからだろう。もちろん、そんなことに気付かない英治ではないから、不機嫌そうな表情と「大したことじゃない」と言う一言で、野次馬たちを手際よく追っ払った。

 しかし、数人の男子がその場に残った。英治に何かを言うなり聞くなりしたい様子だが、ちらちらと英治の顔色を窺いながら、互いに肘を付き合うばかりで、一向に用件を切り出そうとしない。

「まだ、何かあるのか?」

 イライラした口調で英治が言った。よく舌打ちしなかったな、と学は心の中で彼を褒めた。

「あのさ……トンネルのオバケに襲われたって、ホントか?」

「なんだって?」

 英治は思わずと言った様子で聞き返した。

「今朝、ちょっと噂で聞いたんだ」

 別の男子が言った。

 英治は少しばかり考え込み、そして答えた。

「いや、ただの事故だ」

「そっか、ごめんな。変なこと聞いて」

 それで彼らは、ようやく立ち去った。

「なんだありゃ?」

 なんだと聞かれても、(まなぶ)にもさっぱりわからない。心当たりがあるとすれば、昨日のホームルームで担任が英治の事故を報告した際、誰かが「トンネルのオバケに襲われたのかな?」などと、ふざけて言ってるのを耳にした程度だ。もちろん、それを真に受けるようなクラスメートはいなかったし、その後も教室の中で交わされる会話に、オバケのおの字も聞こえてこなかったから、学も今の今まで、そんなことがあったことすら忘れていた。

「それが今日になって、あれか。まさか、おまえが変なこと言ったんじゃないだろうな?」

 英治は学に疑いの目を向けた。

「何も言ってないよ。だって、誰も事故のことなんて聞いてこなかったし」

 すると英治は、学をまじまじと見て言った。

「おまえ、事故の現場にいたよな?」

「どうしたの、英治。ホントは、あの事故で頭もぶつけてた?」

 英治はそれを聞き流した。

「おまえも事故の当事者なんだから、普通はさっきみたいに、あれこれ聞かれるもんだろ?」

「みんな僕が現場にいたって知らないんだよ」

「いつも俺と下校してるんだから、よっぽどのバカじゃなけりゃ、おまえが現場にいなかっただなんて思わないぞ」

 そして英治は何かを思い付いたように、「ああ、そうか」と呟いた。

「おまえ、RPG(ロープレ)で挨拶しかしないキャラと同じ扱いなんだろう。きっと、面白そうな情報は何も聞けないぞってオーラが出てるんだ」

「おはよう、ここは五年二組だよ!」

「それ」

「ちぇ、どうせ僕はNPC(エヌピーシー)だよ」

 ふて腐れる学を見て英治は意地悪そうに笑うが、その笑みはすぐに消えた。

「けど、面倒なことになりそうだな」

「何が?」

 学が聞くのとほぼ同時に、朝のホームルームを知らせるチャイムが鳴って、教室の前の扉から担任が入ってきた。日直があげる起立の号令に紛れて、英治が彼の問いに答える。

「あれが最後じゃないってことだ」


 英治の予言は当たった。

 昼休み。早々に給食を平らげた学は、目の前で苦心しながらコーンサラダと対決する英治を見守っていた。給食の時間は、仲の良い生徒同士で机をくっつけて食事をするのが普通だったし、英治は右手を使えないと言うハンデがあったから、そうなってしまうのは当然の成り行きだった。それなのに英治は、「じろじろ見るな」などと憎まれ口を叩く。

「他にやることないんだから、しょうがないじゃないか。それとも、あーんってしてあげようか?」

 学が言うと、英治は露骨に嫌な顔をした。

「よせ、気持ち悪い」

「うん。僕も嫌だ」

 それからしばらくして、給食を食べ終えた担任が教室を出て行くと、クラスメートたちが、また英治と学の机の周りに集まりだした。

「なあ、多比良。その腕、トンネルのオバケに咬まれたんだよな?」

 一人の男子が、そんなことを聞いてくる。それを皮切りに、他のクラスメートたちも矢継ぎ早に質問を繰り出した。

「どんなオバケだった?」

「一メートルくらいある吸血コウモリなんだろ?」

「違うよね。でっかい毒蜘蛛だよね?」

 しばらくはそれらを無視していた英治だったが、堪忍袋の緒が切れたのかいらだたしげに言った。

「見てわからないようだから言うけどな、右手が使えないからすごく大変なんだ。それとも誰か手伝ってくれるのか?」

「多比良くんがそうして欲しいなら……」

 女子の一人が口走った。周囲に沈黙が降り、その女子は顔を真っ赤にしてうつむいた。英治は頭を掻いて小さくため息を吐いてから言った。

「遠慮しておくよ。でも、ありがとう」

 それで野次馬たちは気を殺がれたのか、三々五々と去っていった。それと入れ替わりに、夏海(なつみ)理美(さとみ)がやってくる。

「なんか、大騒ぎになってるね」

 去って行く野次馬たちの背中を見ながら、夏海が言った。

「これをオバケのせいにしたの、森山(もりやま)じゃないだろうな?」

 英治はギプスを叩きながら言った。

「ええっ、そんなことしないよ!」

 英治に疑いの目を向けられ、夏海は両手を振って否定した。

「それじゃ、事故の事は誰にも話してないのか?」

「その逆よ。昨日のホームルームの後で、女子のみんなから質問責めにあったんだから 」

 夏海はげんなりした様子で続けた。

「一緒に下校するところを誰かに見られてたみたいなのよね」

 それを聞いて「ほら、な?」と言う英治を、学は無視した。そんなことよりも、気になることがあったのだ。ついさっき、英治を取り囲んでいたクラスメートたちの中には、女子の姿もあった。しかし夏海の話が本当なら、英治の怪我がオバケなんかのせいではないことを、女子全員が知っているはずである。その事を指摘すると、「学のくせに鋭い」などと英治が失礼な感心の仕方をした。

「自分が知ってる本当よりも、みんなが言ってる嘘の方が、本当っぽく見えることもあるよ」

 理美が言った。

「ホントのことよりも面白そうな嘘なら、もっとそうなるよね」

 夏海も同意する。

「けど、ちょっと引っ掛かるな」

「お茶もらってこようか?」

 学が気を利かせる。

「いや、そうじゃない。今朝、ホームルームの前に囲まれた時のこと、覚えてるか? あの時はまだ、俺の怪我の原因がオバケだって決まってなかったんだ。それなのに、さっきは腕を咬まれたなんて、ずいぶん具体的な話になってた。噂に尾ひれが付くのはしょうがないにしても、それにしちゃあ、ちょっと早すぎる気がする」

 英治が言うことは、もっともだと学は思う。ウィルスが人から人へ感染するたびに突然変異を起こすように、噂も口々に交わされることで変化するものだ。しかし、教室の中の四時間足らずで、ここまで変るものだろうか。

「甘いね、英治くん」

 夏海が芝居がかった調子で指を振りながら言った。

「噂は教室で作られるんじゃない。女子トイレで作られるんだ!」

「言いたいことはわかるけど、食事中にトイレとか言うな」

 英治は抗議した。

「あ、ごめん。でもね、休み時間の度にトイレで聞く噂が、どんどん進化してるのはホントよ。放課後くらいに、英治くんがわたしと理美ちゃんを護ってオバケと戦ったことになってるかもね」

「勘弁してくれ」

 英治は苦々しい面持ちで呟いてから、パンに齧りついた。

「ねえ、英治。放課後は急いで帰った方がいいんじゃないかな。また、みんなから囲まれる前に?」

 学は提案した。

「森山の話が本当なら、そうした方が良さそうだな。オバケに何発パンチを叩き込んだのかとか、聞かれても困る。森山と愛野も一緒に帰るか?」

「いいの?」

 夏海が目を輝かせて言った。

「ああ。チキンおごってもらう約束、思い出した」

「えー」

 夏海は見るからにしょんぼりした。

 学が理美を見ると、彼女は苦笑を浮かべた唇に人差し指を立てて見せた。学としては、おせっかいの一つも焼きたいところだったが、彼女との約束の手前、口をつぐんで見守ることにした。

 事件が起こったのは、その翌日だった。


   ◆


 朝、家を出た(まなぶ)が真っ先に向かうのは英治(えいじ)の家だった。それは学の通学路の途中にあるので、登校時の待ち合わせをするには合理的な場所と言える。もちろん、彼らの家は隣同士なので、英治の方が学を迎えに来たとしても影響はほとんど無いのだが、彼がそんな真似をすることは滅多にないので、友人を出迎えるのは決まって学の役目だった。しかし、その日は滅多にないことが起こった。玄関を出ると、家の前に英治が立っていたのだ。

「おはよう、英治」

 学は珍しいねと言う言葉を飲みこむ。

「よお」

 短く挨拶を返した英治の表情は冴えない。学校を向けて歩き出してからも、彼は気難しげに黙して何事かを考えている様子だった。単に機嫌が悪いのか、それとも怪我の加減が良くないのか。学が友人の思いを推し量っていると、英治はようやく口を開いた。

「おばけトンネルで、また事故があった」

「ええっ?」

「三組の女子が昨日の帰り、トンネルの前で友だちと別れてから連絡が取れなくなって、探しに来た家族が中で倒れてるところを見つけたらしい。家を出るちょっと前に、母さんの友だちから電話があった」

 トンネルにオバケなどいないと――不本意ながら――知っていた学でも、立て続けに事故が起こったとなれば、やはりあそこには不吉な何かが潜んでいるのではないかと考えてしまう。きっと、さすがの英治も気になって、学を迎えに来るなどと言う、らしくない行動に出てしまったのだろう。何より、夏海(なつみ)理美(さとみ)の事もある。彼女たちは通学路として、おばけトンネルを使っている。彼らの新しい友人を案ずる気持ちは、きっと英治も同じであるに違いない――と、学は単純にそう考えた。

森山(もりやま)さんたち、心配だね」

 学がつぶやくと、英治はぎょっとした様子で彼の顔を見た。

「心配、だよね?」

 友人の予想外の反応に、学は思わず聞き直した。

「なんで俺が、あいつの心配なんか」

 英治はそう言って、ぷいと前を向いて足を早めた。学は慌てて友人を追いかけ、肩を並べて歩く。自分は何か、まずいことを言ってしまったのだろうか。考えてみても、さっぱりわからない。

「おまえは鈍いのか鋭いのか、時々わからなくなるな」

 しばらく歩いて、英治が言った。彼の口元には苦笑が浮かんでいた。

「なんだよ、それ」

「いや、なんでもない。それより、あれって森山と愛野(あいの)じゃないか?」

 そう言って英治が指さした先には三叉路があり、そこを曲がって学校へ向かう、二人連れの女子の姿が目に入った。

「おはよう、森山さん」

「おはよー!」

 学が声を掛けて駆け寄ると、夏海は元気いっぱいの挨拶を返してきた。

「愛野さんも、おはよう。でも、なんでこんなところにいるの?」

「昨日の夜に学校から電話があって、今日はトンネルを通らないように言われたの」

 理美は首を傾げて続けた。

神代(かみしろ)くんの家には、電話無かった?」

 学は頷いた。

「トンネルの向こう側に住んでる子だけじゃないかな。うちには電話あったもん」

 夏海が会話に割り込む。

「それにしたって、急に通るなだなんてひどいよね。すごい遠回りなんだよ。いっぺん学校と反対側に歩かなきゃいけないから、余計にムカつく」

 憤懣やるかたないと言った様子の夏海。

「おまえなら、ちょっとくらい通学の距離が伸びたって平気だろ」

 と、英治。

「学校まで一〇分は余計に掛かるのに平気なわけ無いじゃない」

 夏海は反論する。

「けど、春の鍛錬遠足で二時間以上歩かされたのに、到着してすぐ休憩もしないで、愛野とバドミントンしてたのは誰だっけ?」

 英治は言い返した。

 そう言えば、そんなこともあったなと思い出した学だが、その夏海に付いて行ける理美も、実はかなりタフなのではないかと気付いた。学が見ると、理美は表情を変えずに小さくVサインをして見せた。

 それはそれとして、

「やっぱり、事故のせいかな?」

 学が言うと、女子二人は互いに怪訝な顔を見合わせた。学校からの電話は、朝からトンネルを通行止めにするから、登校時に通るなと言う指示だけだったらしい。そこで学は英治から聞いた内容を、そっくりそのまま二人に話して聞かせる。

「その子、無事だったの?」

 夏海が心配そうに言った。

「さあな。どうせ全校集会で説明があるだろう」

 英治が言うとおり、学校へ着くと彼らはすぐに体育館へ追い立てられた。校長が演壇に立ち、トンネルで女子児童が巻き込まれる事故が起こったことと、彼女が大けがを負ったものの命に別状がない旨を告げた。さらに校長は英治の事故も踏まえ、市や警察に車両の通行を禁止するよう働きかけるつもりでいることを明かし、それが終わるまで当面は危険なトンネルの使用を控えるようにと言い渡した。そうして、全校集会はあわただしく終わった。教室へ戻る道すがら、学は別のクラスの子供たちが、トンネルのオバケについて話していることに気付いた。噂は彼のクラスを飛び出して、学年中に広がっているようだった。


「ああ、いやだ。今日からずっと遠回りで通わなきゃ」

 昼休みになって、夏海はやってくるなり学の机に突っ伏し、そう嘆いた。「よしよし」と言って、理美がその頭を撫でる。

「なんで昼休みの度にこっちへ来るんだ。おまえら?」

 まだギプスの取れない英治は、相変わらず給食に苦戦していた。

「みんな、オバケの噂ばっかりでついていけないから寂しいのよ。話に混ざろうとしたら、なんかさりげなく無視されるし」

 夏海は仏頂面で答えた。

「そりゃあ、事故なんてリアルな話を知ってるおまえが混ざったんじゃ、せっかくのオバケの噂も嘘くさくなるからな」

 英治はチーズのアルミ包装と格闘しながら言った。

「そう言えばオバケの話以外だったら、普通に輪の中に入れてもらえたっけ」

 夏海は英治の手からチーズを取り上げると、きれいに包装を剥がして「あーん」と言いながら彼の口の前に運んだ。英治は無言でそれをひったくり、自分の手で口の中へ放り込んだ。

「でもオバケの話に混ざれないんじゃ、森山さん的にはつまらないよね」

 と、学。

「そうそう、欲求不満。でも、さっきトイレに行ったら面白い話が聞けたよ」

 またメシ時にトイレの話かと抗議する英治を無視して、学は先を促した。

「事故に遭った三組の女の子と、トンネルの前で別れたって言う友だちの話。事故に遭った子がトンネルに入ると、天井のあたりで赤い光がいくつも光ってたんだって」

「もちろん、又聞きなんだろうな」

 英治は疑わしげに言うが、夏海は首を振った。

「本人だよ。三組の子たちに囲まれて話してたの」

「愛野?」

 英治は理美に確認を求めた。

「間違いないと思う。夏海ちゃんが突撃して、確認してたから」

 目を輝かせながら人の輪に割り込んで行く夏海の姿が、学にはありありと見えた。

「よく聞き出せたな。オバケの話には、混ぜてもらえないんじゃなかったか?」

 呆れ顔で英治が言った。

「三組の子は、わたしが 英治くんの事故現場にいたって知らないからね。そんなことより、すごいと思わない?」

「みんなに注目されて、ちょっと面白いことを言ってみただろう。真に受けるなよ」

 英治は釘を刺した。

「それじゃ、やっぱりオバケはいないってこと?」

 夏海はしょげた。

「暴走車はいたけど、オバケはいなかったな」

「そうじゃなくて、噂が怪物を作り出したって話、知ってる?」

「おまえの大好きなオカルト話か?」

「コンビニで買った未解決事件って本に載ってた話だから、そうなるのかなあ? ……あ、待って、とりあえず聞いて」

 一気に興味を失った英治を見て、夏海は慌てて話を続けた。

「ある町で橋の下に怪物がいるって噂が広まって、それから実際に子供がそこで何人も怪我をしたり、死んだりする原因不明の事故が立て続けに起こったんだって。わたしたちが小学校に入る前のことだけど、新聞にもちゃんと載ってたよ」

「調べたのか?」

 英治が驚いて言った。

「うん、図書館でね。最初に、子供たちの間で怪物の噂が広がってるって小さな記事があって、それから一週間くらい事故のニュースが続くの。でも、その後は何も無くって事件を追っかけられなくなっちゃった。本の話だと噂が下火になってから、ぴたっと事故も止まったそうだよ」

 単に怖い話を聞いて騒ぐだけでなく、その裏付けまで調べる夏海の行動力に学は感心した。彼女の言うオカルト好きを、少しばかり見くびっていたのかもしれない。

「でも、おばけトンネルと違って、事故よりも噂のほうが先なの。本には、噂することで子供たちの集団意識が怪物が生み出して、その怪物が子供を襲ったんじゃないかって書いてあったけど」

「なるほど」

 英治は給食の手を止めて、何事か考え始めた。

「ところで森山。もし、その噂をおまえが聞いたら、どうする?」

「橋まで見に行く!」

 夏海は即答した。

「あ。でも、やっぱり怖いからやめとこうかな。うーん、でも……」

「結局、森山は怪物を見に行くとして」

 悩む夏海を放置して、英治は決めつけた。

「その橋が、実は噂が広まる前から危険な場所だとしたら?」

「ひょっとして」

 理美が口を開いた。彼女は、何かを考える時にお決まりの、頬に人差し指を当てるポーズをしていた。

「橋は元から危ない場所だったけど、噂が広まる前は誰も近寄らなくて、それまで滅多に事故なんて起こらなかったのに、噂のせいで夏海ちゃんみたいな子が増えて、事故がいっぱい起こるようになった?」

 英治が無言で頷き、彼女の解釈を肯定した。

「わたしみたいな子ってなによ」

「ちょっと、おばけトンネルと似てると思わないか?」

 英治は夏美の抗議を無視して続けた。

「怪我をしたのが森山じゃなくて、俺だとしても」

 学は思わず「あっ」と声をあげた。

「そっか。別にオバケを見に行ったわけじゃないけど、元々は僕がおばけトンネルの話をしたから、みんなであそこを通ることになったんだっけ。そんな話をしてなかったら、英治が怪我することもなかったのかな」

 そして森山さんや愛野さんと、こんな風に仲良くなることも、なかったかもしれない――と、学は心の中で付け加えた。

「でも、おばけトンネルは通学路だよ。わたしたちが事故に遭う前にだって、たくさん人が通ってるじゃない」

 夏海が反論する。

「人が多かったから逆に安全だったんだ」

 英治は言って、さらに続けた。

「普通は、学校の生徒の半分くらいの子供がぞろぞろ歩いてる狭い道を、わざわざ車で通ろうなんて思わないだろ。でも、あの日の俺たちは、いつもの下校時間より早くにトンネルを通った。他に下校する子供がいない時間にな」

「三組の子も同じ。最後にその子を見たのは、光を見たって言う友だちだけだから」

 理美が言った。

「もちろん三組のふたりが、本当に俺たちと同じ時間に下校してたのかはわからないけど、おばけトンネルには危険になる時間帯があると考えた方がいいかも知れないな」

「それ、みんなに教えた方がいいよね?」

 と、夏海。

「どうかな。オバケが確実に出る時間ってことにされて、余計に野次馬が増えるんじゃないか?」

 英治は難しい顔をして言った。

「それなら心配しなくてもいいと思うわ」

 学の背後から、そんな声が聞こえた。振り向いてみれば、声の主は学級委員長の橘千和(たちばなちわ)だった。千和は四人を見渡して続けた。

「全校集会で校長先生も言ったでしょ。おばけトンネルは当面、通行禁止だって」

「そんなことで野次馬がいなくなるって、本気で思ってるのか?」

 英治が言い返す。

「噂じゃ、トンネルのオバケがすごく危険だってことになってるわ。好き好んで近付こうなんて人はいないんじゃないかしら?」

 千和は頬に掛かった長い髪をかき上げながら言った。真っ白なうなじが見えて、学は思わずどきっとした。背丈は学とさほど変わらないというのに、彼女はずいぶんと大人っぽく見える。

「あのな、委員長。トンネルで光を見たなんて噂もあるんだ」

 と、英治。

「光って、蜘蛛の目が見えたって話?」

 蜘蛛と言われて学は背筋に粟立つものを感じた。

「クモかカニかは知らないけど、そんな噂があるんじゃ、自分も見てみたいってヤツがいてもおかしくないだろ。それも、自分が危険な目に遭うなんて、ちっとも考えないようなヤツらだ」

「それで?」

 千和は嘲るように口元をゆがめて言った。

「あなたたちに何ができるの?」

 それに対して、英治も不敵な笑みを返す。

「俺たちに、何かして欲しいのか?」

 英治と千和は睨み合った。先に折れたのは千和だった。彼女はため息を一つ吐いてから、「わかった」と言った。

「私から先生に話をしてみるわ」

「うまい話をでっち上げろよ。そのまま話しても、まともに取り合ってくれないぞ」

 と、英治。

「私に指図しないで。どうすればいいかは、ちゃんとわかってるわ」

 大人が子供のことを、何でも針小棒大に捉える生き物だと思いこんでいることは、学もよく知っていた。だから、重大事が差し迫っていることを子供の口から彼らに伝えるのは、ひどく難しいことなのだ。それを買って出てくれた委員長を、学は単純にすごいと思ったし、素直に感謝した。

「ありがとう、委員長」

 学が礼を言うと、千和は面食らった様子で彼をまじまじと見た。そして、くすくすと笑い出した英治を、きっと睨む。

「なによ?」

「いや、なんでもない。ありがたくって、抱きついてほっぺにキスしたいなって思っただけさ」

「バカ言わないで」

 千和は微かに頬を染める。

「とにかく、職員室へ行って先生に話をしてくるわ」

 そう言い捨てて、慌ただしく教室を出ていった

「なあ、学。お前、わかってないだろ?」

 英治はにやにや笑いながら言った。

「なにが?」

「あのね。委員長は、私たちが何もできないだろうって馬鹿にしてたの」

 理美が説明した。

「そうなの?」

「そうなんだよ」

 と、英治。

「まあ、委員長に言われるのはしゃくだったけど、実際、俺たちだけじゃ大したことはできないからな。でも、これで学校も何か手を打ってくれるだろう」

「ほっぺにキス……」

 夏海が小声で呟いた。

「えっ、なんだって?」

 英治が聞き返す。

「知らーん!」

 そう言って夏海は足音を鳴らして立ち去った。

「どう言うことだ?」

 英治は助け船を求めるが、学は無視することにした。

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