第1話『start』
誰かに創られた世界。その世界の海には巨大な大陸があった。
地名を「ジルバング大陸」。中心に海があるリング状のこの大陸には三つの国が表上だけの平和を続けていた。民主制度によって治安を維持する海を隔てた東と西の国――、東西合併国「ライドアンド」。古き良き掟と風習を守り続ける厳格な国――、北国「ガラカンタード」。独自の文化と宗教により外と隔離された異色の国――、南国「ラメリア」。元々は一つの国だったが、気候も人種も文化も違う地域は戦争により四つの国となり、西国が東国に吸収されたことを機会にジルバングという国は大陸となり、三つの国はそれぞれの統括者の話し合いで恒久的な平和を宣言した。
しかし、何時の時代も平和というのは長続きしないものである。一つであった国が四つに分かれたのだから、今更恒久的な平和など無意味だと考える者も、ここ穏やかな治安である「東部ライドアンド」でも酒屋等を見渡せば沢山いた。
そんな中でその恒久的平和を願い続ける男がいた。男の名前は「ルーカー・ガレット」。職業は十七歳という若さでなんと軍人である。ある事件を経験し、幼い頃から軍人になろうと考えた彼は努力と恵まれた師によって東部軍中尉まで昇進し、小隊長として胸を晴れるほどにもなった。
部下を持つと人は調子に乗って自惚れ始めるというが、ルーカーは決してそんな人物ではなかった。むしろこれまで以上に民のため、仲間のためと本気で言い、剣の鍛錬を惜しまない様になった。この一見すると馬鹿だけども、真っ直ぐで誠実な精神を持ったルーカーだからこそ、彼はここまで昇進できたのだろう。
ただ彼が昇進したのはそれだけが理由ではない。彼が上から認められたもう一つの理由。それは単に頼まれた仕事をキッチリこなす事だ。一件簡単そうだが、彼ほど仕事に手を抜かない人間は早々いない。
そして今日も、上官から頼まれた仕事の資料を歩きながら隅々まで目を通しているところだった。
「ふむ……、『詐欺宗教団体連続壊滅事件』か……」
調書の束を一枚一枚捲って一連の事件を確認してみる。それは宗教団体がここ数週間で五件も死傷者を出して壊滅させられているという事件だった。ただの宗教団体壊滅ならば、過剰な宗教による他宗教による弾圧なのだが、壊滅した宗教団体全てが「本当」の宗教団体ではなく、全て神という言葉で善良な人々を釣る人身売買、麻薬販売、そして不当な額を信者に請求する詐欺団体であったのだ。
ここまでわかるとこの事件は不思議だ。この壊滅事件の犯人は「宗教団体を装っている詐欺団体だけを確実に狙っている」のだ。
しかも、事情聴取に応じた詐欺団体達はその犯人の事を見ていないと証言している。一度だけ事情聴取に参加したルーカーはこの点が非常に不自然に思えた。資料の調書には「見ていないと証言」と書いているだけなのだが、ルーカーが見た証言者は何かに怯えていたのを印象的に覚えていた。
震える身体を自分の腕で抱きしめ、カチカチと歯をならし、扉があけて誰か来るたびに過剰に反応していた。そして男は頑なに擦れた声で「知らない」「見てない」を繰り返した。
――あんな状態の人間が何も見てないはずが無い。ルーカーは犯人が証言者に強迫観念を植え付けるほどの恐怖を与えたのだと考えていた。
それなら、五件の詐欺団体を壊滅させ、ここまでの恐怖を植えつけた犯人とは一体どんな人物なのか――、ルーカーは一瞬想像して背筋に悪寒のようなものを感じた。
しかし、怯えている場合ではない。それだけ恐ろしい人物ならこの国に野放しにしておくわけにはいかない。
民のため、仲間のため、そして自らの信念のため、ルーカーはこの壊滅事件の犯人を捕まえることを誓った。
――この少年の決意が、彼の運命を左右する出会いの始まりになるとは、誰も、少年すら、ましてやその犯人すらわからなかった。
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同日、月が紺色の夜空に浮かび町を照らす時。
人々は自分の住む場所へと戻り、温かい家庭や落ち着く自宅で静まり返る時間、その店だけは賑やかな人の笑い声や罵声などが飛び交い、仕事に疲れた人々や行き場の無い流れ者が酒を酌み交わしていた。
その酒場は東ライドアンドの町でも酒が美味いと評判な店だ。しかし、評判のいい店に来るのは必ずしもいい人間とは限らない。この酒場にはその酒の美味さに釣られて来た社会の「裏」と呼ばれる人間たちがチラホラ一般人に混じって酒を楽しんでいる。
「性がでるねえ、あとお金も出るねぇ」
受け取った麻袋の中の金貨を数えながら男は隣の「客人」相手ににんまりと笑う。男は深く帽子を被っており、顔の部分は鼻下しかわからない。しかも全身を蒸し栗色と言った地味でゆったりとした服装で包み、これと言って掴み所も特徴も見当たらない男である。
「こんなお金一体どこから手に入れたのかねえ? 先生がこんなに出してくれるわけないしねえ」
「どこだっていいだろうが、ホラさっさと出せ」
「おや、ここでは言えないようなことなのかねえ?」
つり気味の鋭い目がぎろりと男を睨んだ。直感的にこれ以上は聞かないほうが得策だと感じとった男はそっと袖口から数枚の紙束を取り出して「客人」へ渡した。
「でもそろそろ休憩にしとかないと、東部軍も君のやってることを探ろうとし始めてる。私もあまり表で騒ぎ立てられるのは嫌いだからねえ、巻き込まないでくれよ?」
「そう思うならさっさと消えろ、ここでアタシと話してたらヤバイんじゃねえの?」
「そんなそんな……、私みたいなおじさんが君みたいなお嬢さんと話す機会なんて早々ないんだから、ねえ?」
そっと傍らにある「客人」の手に触れようとする――。「客人」は男の言うとおり女性である。しかも、「お嬢さん」という言葉が似合う小柄な愛らしい少女だった。艶やかな黒く長い髪を頭の高いところで二つに結んだ髪型は別の国の文化ではツインテールというらしい。ジルバングでは個性的なその髪型のほかに、少女に目を引くのはそのつり目気味でぱっちりと開かれた黄金の大きな瞳だった。
黒い髪に金の瞳、さらに全身を黒と基調として、袖の広い特殊な上着と細い足を露にする短いスカートを身に着けている。これだけでもかなり異様なのに、彼女の傍らのカウンターには両手サイズの白いクマのぬいぐるみのようなものが倒れていた。酒場と言う大人が酒を飲み明かす場に、ぬいぐるみを持ったその夜のような美少女は一際目を引く存在だった。
ただ男が自分の手に触れようとしたその瞬間、少女は鬱陶しそうなしかめっ面でその手を払った。
「色気づいてんじゃねえぞクソ野郎、一生話せねえようにしてやろうか」
少女の周りの温度が一気に低くなったのを感じると、男は流石にやりすぎたと感じ焦燥が笑みへと浮かび歪む。
「冗談だよ、冗談っ。君の言うとおり、おじさんそろそろずらかるとしますよ。先生によろしく言っておくれよねえ」
傍らにあった鞄を手に掴むと男は席から立ち上がってカウンター向こうの店員に声をかけて金を置く。そして、酒場を後にしようと扉へと向かう。
だが男が扉を開こうとした時、扉が勢いよく開かれて数人の若者達が前にいた男とぶつかり互いに床へと倒れた。ただ倒れた瞬間、尻餅を付く床が軋む音以外に、ガラス瓶が割れる音と男たちの仰天の悲鳴が店内に響いた。
「あいたたた……」
「あああああ!! 買ったばっかりの酒がああ!! こっんの、なんてことしてくれたんだおっさんよお!!」
「え、ええええ!? お、おじさんはただ外へ出ようと……」
ぶつかった男を筆頭に数人の男達が自分を囲い込む状況に、洒落にならない危機を感じる。そして、なんとかこの状況を打破しようと考えた末、ちらりと後ろでまだグラスに注がれたコーラを飲んでいる少女に視線を送った。
「……何?」
「お嬢ちゃ~~ん、助けてくれないかねえ~~?」
自分に助けを呼ぶ情けない声に少女は大きくため息をついた。
「仕方ねえなぁ……」
カウンターの席から下りると少女が若者たちを威圧的に睨みつける。しかし、入り口で固まっている若者達は睨みつけてくる少女を見世物にし全員でクスクスと笑っている。
「なんだあれ?」
「子供じゃねえか、しかも女」
「なんかこっち睨んでるけどどーする? 遊んであげちゃう?」
「酒の代わりに女ってのも悪くねえな」
「俺、あーゆータイプ好きなんだよなぁ。さっさと捕まえてひんむっ」
その時、くだらない談笑をしていた男達五人の内一人の顔面に何かが投げつけられる。額にぶつかった瞬間、砕ける音と共に黒茶色の液体が白目をむいた男の顔面を濡らした。そのまま倒れた仲間の顔を覗くと、明らかに額から流血しており、あたりに香る甘い匂いとかすかに聞こえる炭酸の音に、それがカウンターの少女が投げつけたコーラだという事がわかった。
「きたねえこと言ってんじゃねーよ、ボケ。テメエらみてーな犬と遊んでなんかやるか、死ね」
可愛らしい外見とは裏腹に想像を絶するほどの少女の口の悪さに、男達は憤ることを忘れて唖然とする。
「いやあ、さすが心羅お嬢は言うことが違うねえ……」
「オイ掲示板、さっさとこっち来い!!」
掲示板などと奇妙な相性で呼ばれた男は「はーい」とふざけた態度で男たちの脇を通り抜けてカウンターへと戻っていく。それに気付いた一人が声をあげて指を指す。
「ああ! まてこらおっさん!!」
「くっそ! あの女ごと全員で袋にしちまえ!!」
残った四人の男達が少女――、心羅に掴みかかろうと襲いかかる。店の他の客はその一体から離れて、ウェイターすら机の下に隠れて酒場の中はもう大混乱だった。
しかし、そんな混乱の最中でも襲い掛かってくるものにすら気にした様子もなく心羅は掲示板に向かって手の平を差し出す。
「さっきの金、半分返せ、用心棒代だ」
「それ今言うことかいねえ!? もう仕方ないねえ……!!」
渋々ながらも早急に差し出された硬貨に握り締め「どーも」と返すと、心羅はくるっと踵を返して襲い掛かってくる男の一人の魔の手をかわし、がら空きの腹部にブーツを叩き込んだ。
「う、げえっ!!」
鈍い音と男の呻き声が同時に発せられる。心羅がワンステップ後ろへ下ると男は膝を着き、胃の中からアルコールと酸が混じった胃液を吐瀉物を吐き出した。しかし、腹部の鈍い痛みと胃液が競りあがってくる感覚に苦しそうな男に対して、無慈悲にも心羅がその後頭部を踏みつけ、男の顔面を吐瀉物へと叩きつけた。
下半身だけをあげて頭部を踏みつけられている意識の無い仲間の姿に、残り三人の男はぞっとし背中から冷や汗がつたう。
「それで? 次は誰がゲロまみれになりてーんだ?」
にたりと心羅の口元が邪悪な形に歪む。悪魔のようなその笑みに一人の男が引きつったような悲鳴をあげる。
「こ……、この餓鬼があああああああっ!!」
まるで自分が感じた恐怖を振り払うように拳で心羅を殴ろうとするが、あっさりとかわされて背中を蹴っ飛ばされる。男の身体は蹴られたことでカウンターへと吹っ飛ばされ並べてある椅子に身体を激突する。
「あらららら、痛そうだねえ……」
「ハッ、雑魚が」
おっさんに同情され、少女に侮蔑の言葉を吐かれ、男は屈辱と痛みと今にも死んでしまいたい気分だった。油断すれば目から涙が零れ落ちそうな男がなんとか顔をあげると、ふと顔面に何か軟らかいものが落ちてきた。
「な……?」
「すやすや……」
一瞬布かと思ったが生き物独特暖かさと聞こえる寝言に、それが生きていることに気付き何かと思い摘み上げてみるものの、突然後頭部に鋭い痛みが走り男の意識は消えうせた。
「それに触るんじゃねえ……!」
男の蹴り一発で気絶させた心羅は、その手の中にあった「それ」を手に取った。
それは一見すると白いぬいぐるみのクマだが、よく観察してみると腹部が微かに上下して、口元らしきところから寝息が聞こえる。
「むにゃむにゃ……、ぐぅぐぅ……」
「起きろ馬鹿グマ!! 何時まで寝てんだ雑巾にしちまうぞ!!」
「ううん……、うるせえなぁ……、夜なんだから寝るのが普通だろうがぁ……、すやぁ……」
「寝るなっつってんだろこのやろう!! おい、こら創世神!!」
すやすやと寝息を立てる白いクマを揺さぶり怒り狂う少女の姿は、一見すると緊張感の無い滑稽な姿にも思えるが、逆にその滑稽な姿が男達二人には非常に不気味だった。
――こいつは一体何んなんだ!? 何故ぬいぐるみが喋っているんだ!?
人間というものは「自分の知らない」ことに恐怖を感じる生き物である。目の前にある正体不明だらけの少女を恐怖と認識するのにそう手間はいらなかった。
「悪魔だ……! あの女は悪魔使いだ!!」
「お、おい逃げんなよ!!」
とうとう一人が耐え切れなくなってその場から背中を向けて逃げ出してしまう。だが、そんな臆病者を傲慢不遜の黒い少女を逃がす筈が無い。
「逃げてんじゃねえぞ、このカスがぁっ!!」
逃げる男の背中へと手に持っていた創世神というクマを掛け声と共に豪速球で投げつけた。
「ぐええっ!?」
「ふぎゃっ!?」
二人揃って悲鳴をあげる創世神と逃げようとした男。男はくらりっと一瞬目の前が歪み、耐えることすらできずその場へと倒れた。
残された一人は仲間が全員やられるという一部始終に、顔中に嫌な汗を流しながら恐怖で全身を震わせていた。これ以上ここにいたら他の仲間同様やられる。だが、残った男は目の前にいる少女に敗走を考えることを許さない自尊心の強い男だった。それが自分の首をより絞めるということを知らずに。
「ふざけんなよ……! こ、こんな……こんな餓鬼に……、こんな餓鬼が……ありえねえだろ……だって、だって……!だってええぇ……っ、ぐ、ぐうおおおおおおおおお!!!!」
理性の箍が外れたのか、男は叫び声をあげてズボンのポケットからナイフを取り出し、それを心羅に向け始めた。
「殺してやる……!! この餓鬼に屈辱を教えてぶっ殺してやる!! おら来いよ!! テメエも殺す気で来いよオラアアァァッ!!」
完全にキレてしまった男を見ても心羅は哀れみの目を向けるだけ恐怖したり取り乱したりする様子はなかった。
その冷静さが余計男の神経に触ったのか、男は下唇を流血するほど噛み締めて心羅に向かって吼えた。
「何冷静ぶってんだよ!! 怖がれよ!! テメエ殺されるかもしれねえんだぞオイテメエエエ!!」
「殺す気で行けばいいんだな?」
「はぁ!?」
その時、心羅の服の特殊に広い袖から何か黒く光るものが落ちて出てきた。慣れた手つきでそれを男へと向けると、男はその黒いものが何か一瞬で理解した。
少女が持っていたのは黒く光る――、拳銃だった。
「なっ――!?け、け、拳銃ゥ!?」
ジルバングでも拳銃というのは珍しい武器だ。というのも、ジルバングに多数の魔術師、魔術技術存在する。しかし、中にはオカルトの類に魔術には頼ろうとしないマフィア関係、政治家も近年になって現れ始めた。
そして、魔術に頼らないために、外の文化から輸入されたのがこの拳銃だった。外には火薬を主とした沢山の武器が存在する。だがその正式な売買は極少数の港待ちでしか行っていないため、ほとんどの拳銃は「裏」での闇取引で流通されている。
心羅が持つのはその「裏」の違法な取引で得た、自動式拳銃「ベレッタM92」であった。心羅の手の中に納まる拳銃とは言えど、その威力は絶大だ。弾一発がもし体に食らえばもちろん死んでしまう。
「う、うぁ……っ、うあああああああああああああああああああああああああ!!」
男は混乱と恐怖でとにかくナイフを振り回して心羅に襲い掛かった。心羅は安全装置を外したベレッタを男へとしっかりと向け、ためらいもなく引き金を引いた。
――耳が破裂したかのような炸裂音、一気に店の中に広がる硝煙の匂い、それらがあたり全てを支配し全員が恐怖によって声を発することができなくなった。そして、ある人間が静寂に耐えれず両手で塞いでいた目をそっとずらして、事件の一体を見る。
少女はふんっと鼻を鳴らすと、握っている拳銃を再び袖へと戻し、その弦楽器のような澄んだ通る声で吐き捨てた。
「殺す気でいったけどご感想はどうだ?」
心羅が言葉を返したナイフ男は生きていた。――しかし、その手に持つナイフには刃らしきものが見当たらない。心羅が撃った銃弾は最初から男を狙わず、ナイフの先だけを打ち抜いてへし折ってた。男の背後には無残に折れた刃が床へと垂直に突き刺さっている。
ただ男本人も自分が生きているということが信じられないのか、もしくはもう死んだと錯覚しているのか、ぴくりとも動かずにナイフを振り上げた状態で固まっていた。しかし、既に目は白目を向いていて口からは泡を拭いている。
想像を絶する死の恐怖に耐え切らなくなり、立ったまま気絶した男。それに心羅がブーツを鳴らして近づくと石のように固まった男の体を軽く蹴っ飛ばして倒した。
そして、先にいるクマを投げつけた男の前へと近づいていく。不運なことに近づいた気配に目が覚めたしまったその男は、心羅を見るや直ぐに悲鳴をあげて転がりながらといった様子で酒場の外へと逃げ出した。しかし、心羅はそれを追いかけず、床へと這い蹲っている創世神をつまんで拾い上げた。
「ほれ、宿帰るぞ」
「げほっ……、お前もっと大事に扱えや……」
「でも、目ぇ覚めただろ。ほらほら、さっさと逃げちまうぞ」
小さな創世神を頭に乗せ、ポケットからカウンターのウェイターに金を投げつけた。ウェイターは小さな悲鳴をあげてその金を避けた。
「いやいや、あいも変わらずお嬢さん、素晴らしいお手前ですねえ」
「テメエ、ちくんなよ掲示板」
「ちくりませんよお、創世神さんもお疲れさまですねえ」
「お疲れというより、体が痛い」
テーブルの下に隠れていた掲示板がそっと出てきて心羅の傍へと寄ってくる。手に肩を置いて密着してくる男にイラつきながら、ぶん殴ってやろうかと一瞬頭を過ぎった時、そっと自分より大きな手が自分の手の平をぎゅっと握ってきた。その手の中には肌とは違う紙の感触。
「……助けてくれたお礼についで情報、訪問先のスウェラ教は何人かの下っ端軍人を取り込んで武装してるそうだ。用心したほうがいいかもねえ……」
「……ありがとさん」
心羅は紙を握り締めてにっと笑うと、掲示板に一つ手を振り足早に酒場を出て行った。その姿を見送る掲示板は後姿にまたにやにやと笑っていた。
「相変わらず、心羅お嬢は元気で可愛いねえ」
ケラケラ笑いながら同じく酒場を後にする掲示板を、他の客、そしてウェイターは「あんなのが可愛いなんておかしい」とツッコむこともできずに眺めていた。
いやむしろ、ここで彼らを咎めたら、自分たちにとばっちりを受けることは確実だったので、お客やウェイターの対応は、至極正しいことであろう
――情報提供をしてくれた男と別れ、酒場から離れて夜の闇を走る少女。頭にいる小さな相棒と共に今日の宿へと向かっている最中、ふっと逃げた男が行った言葉を思い出していた。
『悪魔だ……、あの女は悪魔使いだ……!!』
悪魔――、というのは頭にいる創世神のことだろう。だが、白くほわほわとして円らな目をしているこのクマは悪魔というにはおどろおどろしさが足りない。まあ、あの時は自分の行動がこの喋る可笑しなクマを悪魔と形容してしまったのだろうが――、心羅は男の言葉を中々的を得た答えだったと感じていた
「たしかにありゃ『悪魔』との契約だったのかもな……、ククっ……、ってぶわっ!?」
喉を鳴らして笑う心羅の顔を突然白い何が張り付いてくる。案の定、それは頭にいた創世神が下りて張り付いてきたのだ。
「テメエなぁ、『神様』を悪魔呼ばわりかよ。怒るぞこのやろう」
「チッ……、わかったよ悪かったよ、創世神」
舌を打ちながら顔に張り付く創世神を剥がして手に乗せる。
――白くほわほわした体、両手に収まる程度の大きさ、愛くるしい黒く丸い目、額にある不可思議な紋様、誰がこの小さなぬいぐるみのようなものを、この世の万物を生み出した全知全能だと思うだろう。
そう、創世神は『神』である――、このジルバングに古来より伝わる『神』の一人、全てを創る創造の神なのだ。
その神がどうして、この黒く黄金の目を持った闇夜の少女と共にいるのか――、それはかれこれ十年前に遡る。
一人の少女が絶望の中にいた。終わりのない混沌の淵の中、死を受け入れようとした。
だがその時、一人の白く美しい神が手を差し伸べこう言った。
――契約するか?――
「……行くぞ、創世神」
「はいよ、心羅」
一人の人間と一人の神が闇の中を歩く。
この話は、人間と神様が生きているだけのただそれだけの伝奇である。
・・・to be continues