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席次係のわたくしは、幼馴染の隣を望む婚約者様に末席をご用意しました

掲載日:2026/10/18

 婚約者が席次室に来たのは、七年で初めてのことだった。

 王宮の北翼にある、窓のない小部屋。壁の棚には百年分の席次表が綴じてあり、中央の大机には大広間の図面が広げてある。図面の上に並んでいるのは、招待客ひとりにひとつずつの小さな木札だ。

 建国祭の晩餐会まで、あと三日。わたくしは三百二十枚の木札を、ようやく並べ終えたところだった。

「リラ。頼みがあるんだ」

 フェリクス・ハルトマンは、扉を閉めるより先にそう言った。伯爵家の嫡男で、外務院の書記官。わたくしの婚約者である。

「晩餐会の僕の席を、コレットの隣にしてほしい」

 コレット・ポワン男爵令嬢。フェリクスの幼馴染で、この秋、南の領地から王都へ出てきたばかりの方だ。

「王宮の晩餐は初めてなんだよ。知り合いもいないし、心細いと言っていてね。僕がついていてやらないと」

 わたくしは図面に目を落とした。フェリクスの木札は、王卓の、陛下から数えて三つ目の席にある。コレット嬢の木札は、大広間のいちばん奥、扉に近い男爵家の卓だ。

「それはできかねます」

「どうして」

「王宮席次規則の第一条です。隣り合う席には、同じ格の方にお座りいただく。男爵家のご令嬢を、王卓へお上げすることはできません」

「そこを君がなんとかしてくれよ。席次係なんだから」

「わたくしに変えられるのは席だけです。格は変えられません」

 フェリクスは少し考える顔をして、それから、なんでもないことのように言った。

「じゃあ、僕が下がればいい」

「……下がる、とおっしゃいますと」

「僕の席を、コレットの隣に移すんだ。席なんてどこでもいいよ。彼女の隣なら、末席だって構わない」

 そして、わたくしの手元の木札を見て笑った。

「それに君は、当日は壁際に立っているんだろう? だったら僕が誰の隣に座っていても、関係ないじゃないか」

 席次係は、晩餐のあいだ座らない。広間の壁際に立ち、席次表を胸に抱えて、三百二十人が正しく座っているかを見届ける。七年間、ずっとそうしてきた。

 関係ない、と言われたのは初めてだった。


  ◇


「フェリクス様」

 わたくしは、なるべく平らな声で言った。

「王卓の三つ目は、ただの上座ではございません。今夜、陛下が乾杯でお言葉をかけられる方のためのお席です」

「知ってるよ。使節団の件だろう?」

 隣国へ送る使節団。その副団長にフェリクスが推されていることは、外務院では公然の噂になっていた。

「でしたら、なおのこと席を離れるべきではございません」

「大丈夫さ。陛下は、僕がどこに座っていても名前を呼んでくださる。席ひとつで何かが変わるなんて、君は気を回しすぎだよ」

 二度目に止めたときも、フェリクスは笑っていた。三度目には、少しだけ眉をひそめた。

「リラ。君はいつもそうだ。名札を並べるだけの仕事を、大げさに考えすぎる」

 名札を並べるだけ。

 わたくしは机の引き出しを開けた。中には、明日フェリクスに渡すつもりだった薄い冊子が入っている。

 王卓に並ぶ方々のお名前と、ご家族のこと。最近のご関心。隣国の大使が好む話題と、避けるべき話題。それから、隣国がどれほど席にうるさい国か。十年前の使節団が、副使の座る位置ひとつで交渉の卓を立たれたこと。

 晩餐会のたびに、わたくしはこれを書いてフェリクスに渡してきた。彼は「助かるよ」と受け取って、たぶん半分も読まずに会場へ行き、それでもそつなく振る舞って、ハルトマン家の嫡男は社交が上手いと言われてきた。

 わたくしは冊子の下から、一枚の書式を取り出した。

「では、こちらにご署名を」

「なんだい、これ」

「席次変更願です。お席を移られる場合は、ご本人の署名が要ります。三日前までに出せば、間に合います」

 フェリクスは書式を受け取ると、上から下まで目を通した。そういうところは、きちんとした人なのだ。

「理由の欄もあるのか」

「はい。侍従長が確認なさいますので」

「わかった」

 彼はわたくしのペンを取り、さらさらと書いた。

 ――席はどこでもよい。コレット・ポワン嬢の隣であれば。

 署名を入れて、フェリクスは満足そうに書式を返してきた。

「ありがとう、リラ。やっぱり君は話がわかる」

「念のため、申し上げておきます」

 わたくしは書式を受け取りながら言った。

「侍従長が席次表に封をなさったら、その夜の席は陛下のお言葉と同じ扱いになります。どなたにも動かせません。規則の第二条です」

「動かす気なんてないよ」

 フェリクスは軽く手を振って、部屋を出ていった。

 扉が閉まってから、わたくしは図面の上の木札をひとつ、指でつまんだ。

 フェリクス・ハルトマン。王卓から、大広間のいちばん奥へ。コレット嬢の隣に置くと、木札はかたりと小さな音を立てた。

 それから、引き出しの冊子を見た。

 末席に、この冊子は要らない。

 来年も、その次の年も、きっと要らない。

 わたくしは冊子を棚の奥にしまい、晩餐会が終わったら婚約のことを父に話そう、と決めた。決めてしまうと、不思議なくらい指が軽くなった。


  ◇


 王卓にひとつ空きができれば、規則どおり、次の格の方がひとりずつ繰り上がる。

 繰り上がりの最後に王卓へ入ったのは、北方辺境伯ゲオルク・ノルトハイム閣下だった。

「ノルトハイム卿が、右の端?」

 翌朝、席次表を確かめに来た侍従長のベルトラン様が、白い眉を上げた。

「繰り上がりなら、左の端になるはずだろう」

「右の端の侯爵閣下と、お席を入れ替えました。辺境伯と侯爵は同格ですので、係の裁量で認められております」

「理由は」

「ノルトハイム閣下は、右の耳が聞こえておられません」

 侍従長は黙った。

「昨年の晩餐で、閣下はずっと左へ顔を傾けておられました。右にいる方から話しかけられると、いちいち体ごと向き直っておられた。北の戦で、すぐそばで火薬が爆ぜたと伺っております」

「本人から申し出は」

「ございません。ですから、黙ってお直しします」

 陛下から見て右手の列に座れば、陛下は閣下の左側にいらっしゃることになる。聞こえるほうの耳だ。

 侍従長はしばらく図面を眺めてから、ほかの木札にも目を移した。

「東と西の侯爵家が、柱を挟んで背中合わせになっているな」

「領地の境で揉めていらっしゃいますので。互いのお顔が見えなければ、少なくとも乾杯までは穏やかです」

「大使夫人が扉の近くなのは」

「ご懐妊中と伺いました。ご気分が優れないとき、どなたの前も横切らずに退出できるように」

「コレット・ポワン嬢の隣は……ああ、エルツ男爵夫人か」

「ポワン家と同じ南の州のご出身で、若い方のお世話がお好きな方です。王都に知り合いのいないお嬢様には、心強いかと」

 フェリクスが望んだのは、コレット嬢の隣だ。けれど隣は、左右にふたつある。

 侍従長は、ふ、と鼻から息を漏らした。笑ったのだと、七年仕えてようやくわかるようになった。

「ハルトマンの倅のことは、聞いた」

「はい」

「止めたのか」

「三度」

「そうか」

 侍従長はそれ以上何も言わず、封蝋を火にかざした。赤い蝋が席次表の端に落ち、王宮の紋が押される。

「これで今夜の席は、陛下のお言葉だ」

 昼過ぎ、外務院の若い書記官たちが廊下で話しているのが聞こえた。

「ハルトマンの奴、今夜で副団長に決まりだってさ」

「陛下の卓に呼ばれてるんだろう? 本人がそう言って回ってたぞ」

 わたくしは足を止めずに、席次室へ戻った。


  ◇


 建国祭の晩餐会は、日が沈むと同時に始まった。

 燭台が灯り、客がそれぞれの席に着く。わたくしは広間の壁際、柱の陰に立ち、席次表を胸に抱えて全体を見渡した。

 誰も迷っていない。誰も立ったままでいない。東と西の侯爵は互いに気づかないまま葡萄酒を受け取り、大使夫人は扉の近くで落ち着いた顔をしている。

 王卓では、ノルトハイム閣下が陛下と話していた。大きな体を少し前に乗り出し、北の冬の話をしているらしい。陛下が何かおっしゃるたびに閣下はすぐに答え、一度などは、広間の端まで届く声で笑った。

 去年の晩餐では、あの方はほとんど口を開かなかった。何を言われているのか半分しか聞き取れない席で、ただ穏やかに頷いていた。

 その閣下が、ふと顔を上げてこちらを見た。

 壁際の、柱の陰。給仕の誰も気に留めない場所を、まっすぐに。

 閣下はほんのわずかに杯を持ち上げ、また陛下のほうへ向き直った。

 そして、大広間のいちばん奥。

 フェリクスは上機嫌だった。コレット嬢の皿に料理を取り分け、葡萄酒の産地を説明し、王宮の作法をひとつずつ教えている。

 コレット嬢は、何度か反対側を向こうとしていた。エルツ男爵夫人が、南の州の訛りで話しかけてくれているのだ。そのたびにフェリクスが「コレット、これはね」と声をかけ、彼女は困ったように彼のほうへ向き直る。

 スープが下げられ、魚料理が下げられ、肉料理の皿が並んだところで、陛下が杯を手に立ち上がられた。

 広間が静まる。

「建国の夜に、よく集まってくれた。今宵はひとつ、皆に伝えたいことがある」

 陛下は、隣国への使節団のことを話された。十年前に破れた和平の条約を、結び直す。団長は外務卿。そして、

「副団長には、ハルトマン家のフェリクスを――」

 陛下の目が、王卓の三つ目の席に向いた。

 名を呼ばれた者が、立ち上がるはずの席。そこに座っているのは、繰り上がった白髪の老侯爵だった。老侯爵は困ったように杯を置き、陛下を見上げた。

 陛下は、言葉を止めた。

 ほんの一呼吸ぶんの沈黙だった。けれど三百二十人が、その一呼吸に気づいた。

 陛下が背後へ目をやると、侍従長がすっと進み出て、一枚の紙を差し出した。陛下はそれを受け取り、目を落とされる。

 席次変更願。理由の欄の一行を、陛下は二度読まれたようだった。

「……席はどこでもよい、か」

 低いお声だったが、静まり返った広間ではよく通った。

 奥の卓で、フェリクスの顔から血の気が引いていくのが見えた。

 陛下は紙を侍従長に返し、杯を持ち直された。

「隣国は、席に厳格な国だ。十年前、我らの使節は座る位置ひとつで交渉の卓を立たれた。使節とは、国の席に座る者だ。己の席をどこでもよいと書く者に、他国の卓は預けられぬ」

 広間のあちこちで囁きが起こりかけ、すぐに消えた。

「副団長の件は、改めて決める。――では、今宵の席に」

 陛下が杯を掲げ、広間じゅうがそれに続いた。

 奥の卓で、フェリクスが椅子を鳴らして立ち上がった。王卓のほうへ歩き出しかけたところで、給仕頭が音もなくその前に立つ。

「お席にお戻りくださいませ。今宵のお席には、封がされております」

 フェリクスは、しばらくそこに立ち尽くしていた。それから、ゆっくりと末席に戻っていった。


  ◇


 晩餐が終わり、客が音楽の間へ移り始めた頃、フェリクスがわたくしのところへ来た。

「どうして止めなかった」

 押し殺した声だった。

「お止めしました。三度」

「あんな言い方でわかるわけないだろう! 陛下が名前を呼ぶ席だって、はっきり言ってくれれば――」

「申し上げました。今夜、陛下がお言葉をかけられる方の席だと。それ以上を申し上げることは、席次係には許されておりません」

 わたくしは席次表の控えを開いて見せた。変更願の写しが綴じてある。

「理由の欄は、フェリクス様がご自分でお書きになりました」

 フェリクスは、自分の字を見下ろした。

 ――席はどこでもよい。

「……戻してくれ。今からでいい。君なら陛下に事情を説明できるだろう」

「できません。封のされた席は、陛下のお言葉と同じです。第二条も、お伝えいたしました」

「リラ。君は僕の婚約者だろう。僕のために、七年もこの仕事を――」

「いいえ」

 自分でも驚くほど、すんなりと声が出た。

「わたくしが七年、席を整えてきたのは、陛下のお客様のためです。フェリクス様は、そのお客様のおひとりでいらしただけ」

 フェリクスが口を開きかけた。そのとき、彼の後ろから小さな声がした。

「フェリクス」

 コレット嬢だった。音楽の間へは行かずに、引き返してきたらしい。

「わたし、隣にいてほしいなんて、一言も言ってないわ」

「コレット、僕は君のために」

「心細いって言ったのは、知り合いが一人もいないからよ。誰かとお友達になれたらって、そういう意味だったの。エルツ様、わたしの祖母を知ってらしたのよ。同じ村の出なんですって。もっとお話ししたかったのに、あなたがずっと割り込むから」

 コレット嬢はそれから、わたくしのほうを向いて、ぎこちなく膝を折った。

「あの、席次係の方ですよね。エルツ様の隣にしてくださったの……ありがとうございました」

 頬が赤い。初めての王宮の晩餐で、自分から誰かに礼を言いに来るのは、きっと勇気が要っただろう。

「楽しんでいただけたなら、何よりです」

 コレット嬢はもう一度頭を下げ、男爵夫人の待つ音楽の間へ小走りに向かった。フェリクスのほうは、振り返らなかった。

 残されたフェリクスに、わたくしは告げた。

「晩餐会が終わりましたので、申し上げます。婚約の解消を、父からハルトマン家へお申し入れいたします」

「……席ひとつで?」

「はい」

 わたくしは頷いた。

「席ひとつで、です。フェリクス様はそれを、どこでもいいとお書きになりました」

 広間の向こうで、ハルトマン伯爵がこちらを見ていた。息子に向けたその顔は、ひどく険しかった。


  ◇


 客がすべて帰り、燭台の半分が消された頃、わたくしは空になった広間をひとりで見回っていた。

 忘れ物がないか。椅子が壊れていないか。来年の席次のために、今夜何がうまくいき、何がうまくいかなかったか。それを確かめるのも、係の仕事だ。

「係殿」

 振り返ると、ノルトハイム閣下が戸口に立っていた。

「お帰りになったものと思っておりました」

「聞きたいことがあって、待っていた」

 閣下は大股で近づいてくると、わたくしの右側を通り過ぎ、左側に立った。わたくしの声が、閣下の左耳に届く位置に。

「俺の耳のこと、誰に聞いた」

「どなたにも。昨年の晩餐で、閣下がずっと左へ顔を傾けておられたので」

 閣下は、しばらく黙っていた。

「王都の宴は苦手だった」

 ぽつりと、そう言った。

「何を言われているのか半分もわからん。わからんまま笑ってごまかして、帰りの馬車で、何を約束させられたのかと青くなる。そういうものだと思っていた」

「……」

「今夜は、陛下のお言葉が全部聞こえた。北の砦の修繕費まで、その場で約束していただけた」

 閣下は大きな手で頭を掻いた。

「礼を言いに来たんだ。それと、頼みがある」

「頼み、ですか」

「北の城では、毎年春に、山の氏族の長たちと和議の宴を開く。それが毎年、誰が上座かで揉める。去年はとうとう剣が抜かれた」

「円卓になさいませ」

 考えるより先に、口が動いていた。

「上座のない卓です。それから、長の方々の隣には、通訳ではなく、その方の言葉を話せる閣下のご家臣を。お隣が自分の言葉で話してくれれば、人はそう簡単に剣を抜きません」

 閣下は目を丸くして、それから、去年は一度も聞かなかったあの大きな声で笑った。

「やはりあんたに来てもらいたい。北には、席次係がいないんだ」

 わたくしは、すぐには答えられなかった。

 閣下は近くの卓から椅子をひとつ引き出した。大広間のいちばん奥、扉に近い男爵家の卓。今夜、フェリクスが座っていた末席だった。

「七年、全員の席を考えてきたんだろう。今夜くらいは、誰かに考えさせてくれ」

 閣下は自分もその隣に腰を下ろし、引き出した椅子を、ほんの少しだけ自分の左側へ寄せた。

「こっちだ。俺の、聞こえるほうの耳の側」

 それから、照れたように付け足した。

「あんたの声は、全部聞きたい」

 わたくしは、その椅子に座った。

 七年間、この広間で三百二十の席を整えてきた。けれど、自分が座ったのは初めてだった。椅子は少し冷たくて、燭台の灯りが卓の上で揺れていた。

 席はどこでもいい、と言った人がいた。

 わたくしは、どこでもよくはなかった。誰かが、わたくしのことを考えて選んでくれる席に、ずっと座ってみたかったのだ。

「……こちらが、よろしいです」

 閣下の左耳に向かって、わたくしは答えた。


  ◇


 翌年の春、北の城で開かれた和議の宴は、円卓で行われた。

 剣は一本も抜かれなかった。

 席次表のいちばん下には、係の名前を書く欄がある。わたくしは今もそこに自分の名を書くけれど、もう壁際には立っていない。

 わたくしの席は、辺境伯の左隣にある。

 聞こえるほうの耳の側。どこでもよくはない、わたくしだけの席だ。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
7年かけて王宮官吏としても外交官の妻候補としても申し分なく育った優秀な部下を辺境にかっさらわれた侍従長は、ハルトマンの子伜を恨んでるかもしれないw
貴族の流儀がよくわからんけど、リラ自身は席次決めるのは堪能でも翻訳者としては特に実力示してない。 円卓の和睦の宴なら「絶対に不利な言質取らせようとしない者」聞こえない方に置いたほうがいいんじゃないかな…
辺境伯の奥様になったってことかな。 こんな優秀な人が抜けたら後継の王宮席次係が大変そう・・・・ しかしまさかのフェリクス独りよがりw 幼馴染ちゃん、めっちゃ真面目で常識的な子だった。。。この手の話の先…
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