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静寂とともに

作者: 鍋谷葵

11月23日(日)12:00~17:00 東京ビックサイト南1-4ホールにて開催される文学フリマ東京41の南1・2ホール、ブースU-28、サークル『私と文学』で無料配布する掌編小説です。

最後まで読んでいただけると幸いです。

 感傷的で痩せた青年は故郷へと向かう汽車に乗っていた。黒煙をごうごうと吐き出すそれは寒々とした雪景色を貫き、深い闇が待つトンネルへ汽笛を鳴らしながら入っていった。


 スチーム暖房の熱が充満する一等車両で、彼は窓枠に肘をつきながら煙草を喫んでいた。金巻の穂先からゆらゆらと立ち昇る紫煙は車内の熱に倦怠を纏わせた。煤煙で覆われる窓からは何も見えない。彼はその真っ暗闇の額縁に、電報を受け取るまで続いた放蕩生活を投影した。親の金で京橋や銀座で高等な遊びを覚え、吉原で一層低劣な遊びに身を任せていた日々には鮮明な色がついていた。されど描かれた絵は平坦であった。画面内に横溢する対象はすべて美しくはあった。それでもそこに生気はなかった。


 虚構の充足に溺れていたかつての自分に彼は唇を噛んだ。そうして窓に映る上等な黒の背広を着ている気取り屋の若者に煙を吐いた。分厚いガラスはぼんやりと曇るも、彼の心のざわめきは収まらなかった。


 神童として期待されていたのにもかかわらず、堕落の一途を辿ってしまった。高等学校と大学での時間を放蕩に注ぎ、地主の跡継ぎとして期待されていたすべての義務を長兄に甘えて放棄した。彼は父を喪う直前までこれに気づけなかった。


 四日前の深夜、京橋から帰ってきた彼は一通の電報を寮母から受け取った。沈痛な面持ちをする寮母に対し彼はおどけた。ただ彼女が眉間を顰め、「チチ、カツケツ、キトク!」と木造家屋のあらゆる場所に届くように叫ぶと、彼のお遊戯は一挙に沈んだ。父が結核であることを彼は承知していた。他方で、堕落に至らしめる根性を幼少の頃から暴力と罵詈雑言で作り上げた父ならば死にはしないだろうと、高をくくっていた。まだまだ彼は健在で、一層権力を強め、長兄が全ての仕事を引き継いでくれるだろうと安堵していたのだ。


 しかし、安寧は甲高い耳鳴りとともに崩れ去った。顔面蒼白の彼は部屋に戻り、旅支度を整えた。アルコールに浸された頭の奥には、放蕩という復讐への肯定と親へ注がれる無償の愛との相克が生じた。彼はその中で、みっともない学生装束を解いて寝床に入った。


 明け方に目を覚ました彼は金巻の煙草を吸い、背広に着替え、持ち金すべてを胸ポケットに入れて寮を飛び出そうとした。だが玄関で慣れない革靴を履く彼の背に向け、寮母は今朝届いたばかりの電報「チチ、ホトケニナリ」を読み上げた。彼はその瞬間に、放蕩が纏っていたすべての生気が虚妄であることに気づいた。その上で、鬼の如き父へのあらゆる情が胸中を満たした。それは凪と烈風の併存であり、彼はただ一滴、頬を濡らした


 静寂と喧騒は今では喧しさが勝っている。


 遅れて葬式に向かう自分への慰みは、窓に映る自分への嘲りばかりであった。


 騒音に同調する汽車は汽笛を鳴らす。煤けた窓に光が滲む。故郷の眩い雪景色が窓に現れる。彼はその懐かしいばかりの景色に母と、長兄と、自らの将来を見出した。


 刹那、喧騒は静謐の中に溶け、彼は凛然と背筋を伸ばした。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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