私を殺した憎き旦那様、必ず復讐を果たしてみせます
嫁ぐまで気づかなかったのだ。
婚約を結んだ際には人当たりが良かった。強面だったけれど、穏やかな笑みで笑う人だという印象を持っていた。
それが全て偽りの仮面だと知ったのは、結婚してシャントゥール侯爵家に居を移した後だったのだ。
侯爵家当主であるティエリーは、伯爵令嬢だったベレニスに婚約を申し込んだ際にこう口にした。
『一目惚れだったんだ』
と。
真顔だと恐ろしい印象を受ける表情を和らげて、少しだけ恥ずかしそうにはにかみながら言われた言葉に、胸がときめいたのをベレニスはよく覚えている。
もちろん、ベレニスは伯爵令嬢であったから、感情だけでの結婚ではなかった。
お互いの家にとって利益になる。
そう判断したからこその結婚だったけれど、最後の一押しは確かにあの時の愛の言葉だったのだ。
なのに、これはどういうことだろう。
ベレニスは押し込められている小さな部屋でうつろな瞳で窓の外を見ていた。
激しく雨が叩きつける窓枠には埃が積もっている。
結婚して一か月が過ぎたころに突然屋敷の一番奥、掃除など一切されていない物置に強制的に部屋を移された。
それから何か月がたったのか、もやはベレニスにはわからない。
日付の感覚はとっくにあいまいになっていた。
埃の舞う部屋からでることは許されず、一日に一度部屋に投げ込まれるかびたパンがベレニスの命をつないでいた。
三日に一度の頻度で渡される水を少しずつ舐めて喉の渇きをごまかしている。
夜会で噂されるほど美しかった顔は頬がこけ、目の下には濃いクマが浮かんでいた。
手入れを欠かさずさらさらと手触りの良かった髪も、すっかりとバサバサになって頬に張り付いている。
体もすっかりやせ細っている。
ハリがあり美しかった肌は長い間入浴していないことで黒ずみ、食事が極端に少ないせいで枝木のように骨が浮き出ていた。
体力などあるはずもない。埃の詰まった床の上に黄ばんだシーツを一枚敷いただけの寝床とも呼べない場所から動けないまま、窓の外を眺めるだけの日々だった。
最初は抵抗もしたのだ。なぜ、と声も上げた。扉を叩いて助けを求めた。はめ殺しの窓をどうか開けようともがきもした。
だが、全ては徒労に終わった。
誰もベレニスを助けてはくれなかったし、彼女が逃げ出す隙も無かった。
(このまま、死ぬのかしら……)
ベレニスの生家オートゥイユ伯爵家に、ティエリーはどう説明する気なのか。
やせ細り枯れ木のようになったベレニスの死体を差し出して「病死だ」とでもいうつもりなのか。
この結婚に、最初から愛などなかった。あったのはティエリーのどす黒い思惑だけ。
結婚してから知ったのだが、シャントゥール家の財政は火の車だった。領地は度重なる水害で税収が取れていない。
一方でオートゥイユ家は豊かな土地を国王から領地として賜り、事業も成功しており、侯爵であるシャントゥール家より裕福だったのだ。
ティエリーははじめから、ベレニスと結婚することで手に入る財が目的だったのだ。
結婚して一か月がたとうという頃に、たまたまたティエリーの執務室で目にした財政状況を記した紙に意見をしたから、こんな扱いを受けている。
財政状況を心配したベレニスにティエリーは逆上して「馬鹿にするな!」「何様のつもりだ!!」「お前など!」と怒鳴り散らして彼女の頬を叩いた。
そのまま監禁されたのだから、彼の地雷を踏んだことは明らかだった。
だが、ベレニスは本当に親切心で「お父様にアドバイスを求めてはどうか」と口にしたのだ。
それがティエリーにとっては耐え難い屈辱だったのだと気づいたのは、閉じ込められて三日がたったころだった。
だが、悔いても状況は変わらなかった。むしろ、悪化する一方だ。
日に日に弱っていく自分の体を自覚しながらも、ベレニスはなにも打開策を持たなかった。
このまま死ぬしかないのだと、悟ってしまうほどに。
諦めた気持ちでベレニスは瞼を閉じた。寝ている間は辛い現実から逃避できる。
この状態が続くくらいなら、死んだ方がマシだとすら思い始めていた。
ただ、愛する家族にだけ申し訳なく思う。
ベレニスの結婚を心から祝福してくれた両親、尊敬する優秀な兄。
彼らに二度と会えないことだけが、寂しくて心残りだった。
ごそり、と物音がした。
自分以外の物音にひどく敏感になっているベレニスは、かすかな音に目を覚ます。
そもそも、こんな環境で深い眠りにつくことは困難だ。
うっすらと目を覚ましたベレニスは、扉の方へ視線を向けた。
食事を投げ入れられる時間にしては、窓の外が暗い。
もう頭もうまく働かないし、視界もおかしいから、窓の外が暗くても夜だと断じることすら難しい。
「お嬢様!!」
悲痛な叫び声をあげてベレニスに駆け寄ってきたのは、オートゥイユ家で雇っていた庭師見習いの少年だった。
転がるようにベレニスの頭付近に膝をついたシモンは変わり果てたベレニスの姿を見て、ぼろぼろと大粒の涙を流している。
霞む視界でここにいるはずのないシモンの姿を見たベレニスは、とうとう頭までおかしくなったのだと思った。
「なんて酷い……! すぐに連れ出します!!」
だが、悲観するベレニスをシモンがそっと抱き上げる。
食事が足りず痩せたことで体温が下がっている肌に、温かな温度が触れてベレニスは泣きそうだった。
どうせ夢か妄想なら、家族を出してくれればいいのに。
兄に会いたい、母に会いたい、父に会いたい。
どうして、シモンなのか。彼は働き者だけれど、言葉を交わした回数は数えるほどなのに。
「少し我慢してください。屋敷から出てしまえば大丈夫ですから。声を出さないでください」
声を出せ、と言われても長らく喋っていない喉は音を紡がない。
ああ、なんだか、眠くなってきた。
体力が尽きているから、起きている方が難しい。
家族以外の幻影にはそこまで執着はないからと、ベレニスは静かに目を閉じた。
▽▲▽▲▽
結果だけを述べるならば、ベレニスは助け出された。
目を覚ませば、懐かしい実家の自室の柔らかなベッドの上に横になっていて、泣きはらした顔の母と今にも死にそうな顔をした父がいて、優秀だからこそ忙しいはずの兄が悲痛な面持ちでベレニスを見つめていた。
両親と兄の話をまとめると、ベレニスからの手紙がぷっつりと途切れたことを不審に思い、何度もシャントゥール侯爵家にベレニスとのお茶会を申し込んだが、けんもほろろに断られたという。
ますます不信感を募らせた結果、ティエリーに顔が割れておらず、信頼できる使用人だったシモンをシャントゥール侯爵家へと送り込んだというのだ。
シモンはシャントゥール家でベレニスの姿が全くないことをすぐにオートゥイユ家に報告した。
不審に思われないように情報を集め、ベレニスが監禁されている屋敷の奥の部屋を突き止め、見事ベレニスを救い出したのだ。
助け出せはしたが、あまりに酷いベレニスの状態に絶句した両親は、すぐに医者を手配した。
シモンには多額の報奨を贈ろうとしたそうだが、彼自身が「当然のことをしたまでです」と頑なに受け取らないという。
そんな話をベッドに沈みながら静かにベレニスは聞いていた。
医者の的確な措置と使用人たちの献身的な介護、そして両親と兄からの包み込むような愛情のおかげで、体は少しずつ回復しようとしていた。
半年もの間、虐げられていた体は回復するのにも時間がかかったが、三か月がたつ頃には痩せているし、まだ少しふらつく瞬間もあるが何とか一人で歩けるようになった。
ベレニスが受けた仕打ちに怒り狂った両親と兄は、ティエリーを激しく問い詰めたというが、本人は知らぬ存ぜぬを貫いているという。
彼曰く「ベレニスが好きであの環境にいた」というのだ。
嘘をつくにしてももっとまともなものがあるだろうとベレニスは心の片隅で思った。
実家に戻って、三度の温かい栄養たっぷりの食事、いつでも飲める清潔な水、たっぷりのお湯を張ったバスタブ、気づかなくてすまなかったと泣きじゃくる母、怒り心頭の父、理詰めで静かに怒っている兄に囲まれていても、ベレニスの一度砕かれた心は元に戻らなかった。
どんなに温かい言葉をかけられても、どんなにやさしく気遣われても、どんなにいたわりに満ちた眼差しを送られても。
心に響かない。虚無しか残らなかった。
酷い仕打ちによって、がらんどうになってしまった心は、穴が開いたバケツのように、砂にしみこむ水のように、全ての気遣いを素通りさせてしまう。
毎日、ベッドの上からぼんやりと窓の外を見る。たまにリハビリとして屋敷の廊下を歩く。
ただ、それだけ。息をしているだけの日々。体は回復していても、心が追い付いていない。
そんなベレニスに酷く心を痛めた兄・セルジュは忙しい日々の合間に毎日ベレニスの部屋に来てとりとめのない話をしてくれている。
ぼんやりとして相槌も打たないベレニスにセルジュはただ、穏やかな日々の欠片を話し続けていた。
ベレニスが助け出されて、半年が過ぎても。セルジュは穏やかな話だけを運び続ける。
その日もまた、ベレニスの元にセルジュが訪れているときだった。
にわかに屋敷が騒がしくなった。
響く怒号と物が壊れるような派手な音はベレニスの部屋にまで響いた。
怯えるベレニスをとっさにセルジュが抱きしめる。
しばらく続いた騒音は、やがて落ち着き、ベレニスは久々に喉を震わせた。
「な、に……が……」
かすれた声で問いかけるベレニスの瞳に浮かぶ恐怖の色に、セルジュは優しく彼女の頭を撫でて落ち着かせてくれた。
「大丈夫だ。お前はなにも気にしなくていい」
「……で、も」
「……。父上に面会を申し込んだ愚か者が暴れていたのだろう」
食い下がったベレニスの言葉を受けて、苦々しく紡がれたセリフにベレニスは大きく目を見開いた。
体がガタガタと震える。恐ろしい。近くにいるというだけで、恐怖で体が強張る。
「大丈夫だ。ベレニス。お前のことはかならず私たちが守る」
「っ」
「ベレニス、お前はもうなにも憂うことはない。すべての悪意から私たちが守るから」
優しく、穏やかに、いたわりを込めて紡がれる愛の言葉。
だが、それを聞いた瞬間、ベレニスは思ったのだ。思って、しまった。
(この、まま、では……)
ベレニスは感情を表に出せなくなっていたけれど、思考を放棄していたわけではない。
優しい日々を享受するほどに、なぜ自分があんな目にあったのかという怒りが心の奥底で焦げ付くように燃えていた。
だから。だから。だか、ら。
(負けたく、ない)
守られるだけは、嫌だ。ふいに、そう思った。
心を焦がすこの憎悪を、ただ燻ぶらせているのも嫌だった。
弱い女だと侮られることは、生来ベレニスが最も嫌うことだった。
一度は心が折れた。折られてしまった。でも。
父がいる、母がいる、兄がいる。こんなにも力強く守ってくれる家族がいる。
なのに、いつまで蹲っているつもりなのか。復讐するための力は、この手の中にあるというのに。
そっと、ベレニスはセルジュの腕をつかんだ。
久々にベレニスの方から動いたことに、セルジュが少しだけ目を見開く。
「おにい、さま」
声がかすれている。喉が痛い。久々の動かす声帯が悲鳴を上げている。
けれど、構うものか。
尊厳を奪われた。命さえ奪われそうになった。ならば。
「わたくしに、力をください。お兄様」
保護されて初めて、瞳に力を宿してベレニスはまっすぐにセルジュを見上げた。
驚いたようにセルジュの瞳が揺らぐ。ベレニスの中にある、押さえつけられない嫌悪が溢れ出す。
「わたくしは、あのひとを。許さない」
声は大きくなかったけれど。溢れる憎しみを隠すことなく、憎悪を瞳にたぎらせる。
そんなベレニスに、セルジュは少しだけ悲しそうに瞳を伏せた。
▽▲▽▲▽
まずベレニスは体を治すことに専念した。
健康な体がなければ、なにもできない。そう判断したからだ。
今まで漫然と受けていた治療を積極的に受け、リハビリにも精を出した。
両親は「やっとベレニスが元気に……!」と感極まっていたが、そうではないと知るセルジュだけは複雑そうな面持ちで、けれどベレニスを否定することなく見守ってくれた。
ベレニスの中にある原動力は、ただティエリーへ自分が受けた仕打ち以上の復讐がしたい、それだけだ。
バサバサになった髪は切り落した。
どんなにケアに力を入れても、元の美しさが戻らなかったためだ。
母は酷く嘆いたけれど、仕方ないと割り切った。
肌の艶を戻す努力もした。健康的に体重を増やすため、医師と料理人を巻き込んで綿密な計画を立てた。
そうして、一年の時間をかけて人前に出ても恥ずかしくない程度に回復したベレニスは、セルジュから一つの話を打ち明けられた。
セルジュの書斎に呼び出されたベレニスは、ソファに優雅に座っていた。
リハビリを始めた最初の頃は長時間立つことも座ることも難しかったが、今では背筋をピンと伸ばして腰を下ろしても辛くはない。
「ベレニス、決意は変わらないか」
静かな問いかけにベレニスは綺麗な微笑みで答えとした。
セルジュは浅く息を吐きだし、ローテーブルに置かれた紅茶を見つめている。
ややおいて、重い口を開いた。
「シャントゥール侯爵家は、いま困窮に喘いでいる」
「と、いいますと?」
「お前が保護された後、父上がなじみの大商人に話をつけた。お前の受けた仕打ちは到底看過できないと怒り狂って、シャントゥール侯爵家の領地への農産物の持ち込みを止めている」
「まぁ」
ベレニスは優雅に口元を押さえた。
内心では「さすがですわ、お父様」と父を称賛していたが、その感情は表情には出さない。
「領民が困っているのでは?」
「そうだな。元々豊かではない土地だ。酷いありさまだと聞いている」
罪のない領民には悪いが、ティエリーがベレニスにした仕打ちを考えれば父の対処は当然だった。
「お前はどうしたい?」
ベレニスと同じ色の瞳がまっすぐに射抜いてくる。
試されている、と感じた。だから、ベレニスは穏やかに微笑んで告げる。
「炊き出しを行いましょう」
「そうか。手配しよう」
是とも否とも言わない。セルジュはただ静かにベレニスの望みを叶えてくれる。
炊き出しの手配を兄に任せ、ベレニスは書斎を後にした。
(見ていなさい。必ず)
後悔させてみせる。強く、そう思う。
シャントゥール領地の端、隣り合う領地の領主に話をつけ、安全を確保したうえで炊き出しを行った。
ベレニスが保護されてからずっとまともな食事にありつけていないらしいシャントゥール領の領民たちはこぞって炊き出しにやってきて、食事をふるまうベレニスを女神とあがめた。
微笑みながら「大変でしたね」と一人一人に声をかける。
万一のとき、ベレニスを守るために炊き出しに同行したオートゥイユ領の騎士たちも農民たちのあまりに酷いありさまに言葉を失っている。
持ち込んだ食材が尽きるまで食事をふるまい続けた。
ベレニスは、それから毎日場所を変えシャントゥール領で貧困に喘ぐ人々に温かな食事を無償で差し出し続けた。
一か月もすれば、シャントゥール領の領民たちは噂するようになる。
「女神がいる」
「ベレニス様は地上に降り立った女神だ」
「あの方ほど高潔な方を他に知らない」
と。同時にベレニスは信頼できる人間を使って噂を広げた。
「あんなに素晴らしいベレニス様を、ティエリー侯爵は理不尽に虐げ、殺そうとした」
噂とはいえ、事実だ。誇張など一つもない。
一気に広まった噂によって領民の不信を煽る。
元々その日食べる物すら事欠いていた農民たちを中心に、ティエリーへの不満はたまっていた。
無能なティエリーは食糧品が領民の手に渡らなくなっても、別の商人に渡りをつけることができていなかったのだから、そこに現れた救世主であるベレニスは一気に人々から人気を得た。
これだけでは終わらない。ベレニスは復帰した夜会で、今まで受けた仕打ちを赤裸々に話してまわった。
屋敷の奥深くに監禁されていたこと、食事すらまともに与えられなかったこと、死んだ方がマシだと思うほどひどい仕打ちを受けたこと。
誰もがベレニスに同情し、ティエリーに怒りの感情を向けた。
最終的に国王夫妻の耳にも入り、王都でも覚えの良いセルジュの妹ということもあって、ベレニスは直に国王夫妻に自身が受けた非人道的な所業を訴える機会を得た。
王宮に呼び出され、様々な武官や文官のいる前で、一つも隠すことなく悪魔のような仕打ちを語ったベレニスに、王妃は顔を真っ青にしている。
「其方、その言葉嘘偽りはないのだな」
「はい。神に誓って、全て真実でございます」
膝を折ったまま深く首を垂れたベレニスの訴えに、国王はしばらく考え込んだ。
「証拠はあるか?」
「シャントゥール侯爵に仕える使用人たちが証人となりましょう。彼らは私をあざ笑っていましたので、認めるのに時間がかかるかもしれませんが」
「そうか」
長いひげを撫でて、国王が黙り込む。ベレニスはただ静かに言葉を待つ。
ややおいて、国王が静かに口を開いた。
「よく耐え、生きて戻った。そのような所業は許されぬことだ。シャントゥール侯爵を呼び出し、同時に屋敷を調べ、使用人も取り調べることとする」
「ありがとうございます、陛下。感謝いたします」
「証拠がきちんと出そろえば、シャントゥール侯爵はその地位を降ろすものとする。空白となる領地は、其方が治めよ」
「は」
離縁をしていないため、ベレニスはいまだ肩書としてはシャントゥール侯爵夫人なのだ。
国王の采配はなにも間違っていない。手間をかけるが両親と兄の力を借りれば、荒れた領地を立て直す目途はつくはずだ。だが、それ以上に大切なことがまだ残っている。
「陛下、一つ願いがございます」
「申してみよ」
「私が受けていた仕打ちがつまびらかになった暁には、どうか――どうか、シャントゥール侯爵に、それ以上の罰を与えてくださいませ」
ベレニスの直截的な言葉に同席していた文官たちがざわめく。
武官が動じていないあたり、彼らはベレニスが語る惨状がどれほどむごかったのかをよく理解しているのだろう。
国王の代わりに傍に控えていた宰相が口を開いた。
「其方、シャントゥール侯爵を処刑せよと申すか」
「私は死を受け入れざる得ない状況でした。緩やかに真綿で首を絞められるより、一息に殺される方がまだマシだと思うほど、酷い扱いを受けていたのです」
淡々と語るベレニスの言葉は、憎悪からの誇張ではなくただの事実を並べている。
「皆様にはわからないでしょう。日々衰える体、喉が渇いても水すらなく、指一本動かすことすら困難で、早く死んでしまいたいと目が覚めるたびに思う日々の過酷さが」
感情を込めることなく、自身が受けた仕打ちをただ口にしたベレニスに、王妃が顔を覆った。
とどめとばかりにベレニスはずっと秘めていた言葉を口にする。
「わたくしはもう子が望めません。一度、極限まで弱った体はそこまでの機能を回復できないのだとお医者様に告げられました」
息飲む音が、今度は文官も武官も問わずに響いた。貴族籍の女性が子を産めない。
その事実が示す残酷な現実を、この場にいる者は全員が知っている。
「どうか、わたくしへの慈悲だとお考え下さい。どこかで彼が息をしている。そう思うだけで、わたくしは恐ろしくて夜も眠れないのです」
本心は隠して、虐げられた哀れな令嬢を演じる。
わざと少しだけ語尾を揺らせば、この場で唯一の女性である王妃が国王に訴えた。
「陛下、聞いて差し上げてください。あまりにもベレニスが哀れに過ぎます。子を望めずとも、せめてこれからの未来を心穏やかに生きる権利がありましょう」
「……その通りだ。ベレニス、其方の訴えを聞き入れよう。その代わり、其方は養子をとって次期シャントゥール侯爵を育てよ。それを条件とする」
「ありがとうございます。ご慈悲に感謝いたします」
さらに深々と頭を下げて、ベレニスは内心で嗤った。
ああ、これで、やっと。
▽▲▽▲▽
女神の化身、ベレニス。彼女を虐げた人非人ティエリー・シャントゥール元侯爵は、人々から石を投げられ、極刑によって命を絶った。
元々シャントゥール侯爵家に仕えていた使用人たちも大なり小なり罪に問われ、投獄された。
ベレニスが「あのような仕打ちを受けた場所で暮らすなど」と断固として拒否したため、新しく建てられた侯爵邸の執務室で、口元を扇で隠して口角を吊り上げている。
(ああ、やっと。穏やかに寝れそうだわ)
国王に告げた言葉は嘘ではない。
どこかで生きていると思えば、憎くて憎くて眠れなかった男がようやく死んでくれたのだ。
処刑の現場にはいかなかった。哀れな侯爵夫人でいるために。
だから、処刑場の方向に窓がくるようにあえて設計した執務室で、ベレニスは口元を歪めている。
油断すれば高笑いをしてしまいそうだった。時間がかかったけれど、やっと実った復讐。
本当はもっと残酷に殺してやりたかったし、自分が受けた仕打ちをそっくりそのまま返したかったけれど、さすがに外聞が悪いからとやめたのだ。
死ぬ男に未来はないが、ベレニスはこれからも生きていかなければならない。
ほんの少しだけ自分の未来を秤にかけて、本当は責め苦を味わわせたい気持ちをぐっと我慢した。
人々から罵倒され辱められて死ぬだけでも満足だと自分に言い聞かせた。
「ふふ、ふふふふふ!」
嬉しくて嬉しくて仕方ない。愉快で楽しくて、今が一番幸せだ。
心が壊れた女が一人、小さく嗤いをこぼす。
心優しかった伯爵令嬢は殺されてしまったから。
ここにいるのは執念で復讐を果たした、醜い侯爵夫人だけ。
彼女は独り、抑えた嗤いをし続けた。
読んでいただき、ありがとうございます!
『私を殺した憎き旦那様、必ず復讐を果たしてみせます』のほうは楽しんでいただけたでしょうか?
面白い! 続きが読みたい!! と思っていただけた方は、ぜひとも
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