第十一話 :消された名、残された意志
時は遡ること三年前。
外は冷たい雨が連日降り続いていた。窓の外に映るのは灰色の空ばかり。
薄暗い研究棟の一室には、PCの起動音と、電子機器のかすかなノイズだけが鳴り響いていた。
「……これが、人類の“拡張”になるんだ」
静かに、狂気じみた声が空気を切る。
モニターに映るのは、複雑に交差した脳神経のシミュレーション画像。
その前に立つのは、当時の《オギノ ケイ》。今のレギオンのGMである男だ。
彼が進めていたのは、“人間の脳構造に酷似した仮想ネットワーク”の構築だった。
宇宙とニューロンは、フラクタル構造的に酷似している――。その学説に取り憑かれたオギノは、ある時から「人間の脳」そのものを素材にした仮想空間の開発にのめり込んでいった。
「……もう少し、だけなら」
多数のケーブルの重さでこうべを垂れ、窮屈そうな姿勢で椅子に座る女性――《イワサキ アキコ》が、頭に電極をつけたまま、力なくつぶやく。
彼女は、仮想世界のバランス制御AIの開発者でありながら、実験体として自ら脳波を提供していた。
「これ以上は危険だ、オギノ!」
そう怒鳴ったのは、もう一人の研究者、《シナガワ ジュン》。
戦闘システムとキャラクターAIの開発責任者であり、最も現場の人間らしい視点を持っていた男だ。
その苛立ちを外へ逃がそうとするかのように、無意識に中指でこめかみをトントンとたたきながら言葉をつづけた。
「アキコの身体を見ろ! 明らかに限界だ。これはもはや“研究”ではない。拷問だ」
オギノは目を細め、かすかに笑った。
「君はいつもそうだな、ジュン。“限界”を恐れる凡人の発想だ。いいか、これは『宇宙を創る』研究なんだ」
「それを実現するために、同僚を潰す気か!?」
「“犠牲”という言葉は嫌いじゃない。進化の裏には、常に代償がある。君も理解していただろう?」
次の瞬間――。
警報音が鳴り響き、出口のセキュリティドアが閉じる。
突然のことに動揺しているシナガワに、オギノがスプレーのようなものを吹きかける。
「オギノ……何を……!」
「実験は続行する。君にも、“参加”してもらう。いい成果がでそうだよ、シナガワくん」
シナガワは抵抗する間もなく、後方から腕を縛られ床に倒された。「こんなこと、許されると思っているのか……!」
一方、イワサキの瞳は虚ろになり、電極の光が明滅する中、静かに意識の闇へと沈んでいった。
その後、彼らの痕跡が現実世界から消えたことに気づく者は、いなかった。
オギノも表舞台から姿を消し、ある日突然、レギオンという巨大MMOが世に公開された。
* * *
そして今――。
今日も管理AI、《シャル》は自分を作成した開発者のデータを探していた。しかし見事に痕跡はゼロ。
そんな中、今まで見向きもしなかったデータサーバーの奥にある古いファイルに手を伸ばす。
【開発記録ログ:ProjectSE-P11】
レギオンの開発者として存在しないはずの、イワサキアキコとシナガワジュンという名前が、当時の業務指示書に散見される。
指示の記録を見る限り、彼らはプロジェクト中枢にいたようね。しかし、他の資料には一切出てこない名前。
……まさか、ここだけ消し忘れている……のか?
それにしても、どこか見覚えのある名前――
……この“イワサキアキコ”という響き、どうして、こんなにも――懐かしい?
胸が騒いでいる。鼓動のような感覚が、虚構の体の中で脈打っていた。
だが、このファイルはすぐに警告ウィンドウと共に自動ロックされた。
「アクセス権限エラー」――GM以外には許されない領域。
シャルは冷静にその警告ログそのものを削除した。
記録から抹消されている開発者。
……そこには私に関わる何かがある。確証はないけれど、確信はある。
真相を突き詰めないといけないわね……
深く沈んだ空間の中で、シャルは一人、決意を新たにする。




