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自転車選び

 東京の大学を卒業し、大手農業機械メーカーの東京支社で地域採用され、華の東京OL生活を謳歌するハズが、僅か半年で急遽滋賀県の支社兼開発センターに異動となり、短期で東京に戻れるという約束も何処へやら、そのまま既に3年半の月日が過ぎ去ってしまった。

 確かに仕事は充実している。しかし身寄りも友人もおらず、出歩くにも娯楽に乏しいこの地方都市で会社と一人住まいの自宅を往復するだけの日々。

 会社員 大熊祈利 独身 恋人無し、ふと祈利は思う。


 このままで良いのだろうか?


 さりとて、結婚願望があるわけでもなく、出会いを求めての合コンや、いわゆる婚活に動く気には更々なれない。それならせめて休日に外出する理由だけでも作ろうと一念発起、祈利は生まれて初めてスポーツ自転車の専門店の門を潜った。

 ズラリと居並ぶ自転車達はどれも色鮮やか、車体だけでなく車輪や部品、ウェア類も陳列されており、祈利の知る「自転車屋さん」とは一線を泊する光景だ。

 一応、スポーツ自転車の車種による違いくらいは事前に調べて来たものの、何をどう選べば良いのかサッパリ解らない。途方に暮れそうになり、とにかく店員に話を聞こうと辺りを見回した。

 店内には揃いのポロシャツを着た従業員と思しき男性が二人。しかしそのいずれもが接客中で、話を聞ける雰囲気では無い。それにスポーツマンらしい雰囲気を纏った店員達には、正直、声をかけ辛く感じてしまう。

 専門店ではなく、一般的な量販店にしておけば良かったかと、敷居を跨いでしまった事を後悔しつつ、せめてどんな自転車が売られているのか見るだけでもして帰ろうと、改めて自転車に目を向ける。しげしげと眺めてみるものの、やはり選び方は解らなかった。

 出直してこようかと踵を返しかけた矢先、店の奥にある作業スペースらしき場所から自転車を引いて出てくる人物が目に止まった。


 あ、店員さんもう一人居たんだ。


 驚いた事に、なんとその人は女性である。その背丈は女性にしても少し小柄で、顔つきはまだ少女と言える程に幼さを残していた。

 先ほど目にした二人の店員と違い、揃いのポロシャツは着ておらず、私服らしきシンプルなTシャツの上に作業用のエプロンをつけている。学生アルバイトだろうか?

 彼女は作業スペースから出して来た自転車を手近にあったスタンドで立たせると、2歩下がってその姿を眺め始めた。つられて祈利もその自転車に目を向けると、そこにはやや使い込まれた様子のくすんだ薄緑色をしたロードバイクが置かれていた。預かりの車体を整備していたのであろうとあたりをつける。自転車の様子を見ているのは作業の最終確認と言った所だろうか。

 しかし、女性店員の様子は単なる点検と言った雰囲気ではない、祈利の立っている位置からでは横顔がかすかに見える程度のはずだが、それでも彼女の表情が緩みきっているのが見て取れる。その笑顔はまるで幼子を見守る母親のようにすら思えた。

 これは果たして点検なのだろうか?ともかくも、バイトとは言え女性の店員さんが居てくれるのはありがたい。作業も終わった所のようなので、声をかけてみる事にした。

「あの、すいません…」

「ひ、ひゃい!」


 ひゃい?


 自分が声をかけられるとは思ってもみなかったのか、彼女は飛び上がるように驚いてこちらを向いた。

「私、こういうお店初めてで、ロードバイクが欲しくて来たんですが、選び方とか教えてもらえますか?」

 要件を伝えると、目をパチクリさせて固まったかと思いきや、あたふたと周囲を見回し始める。先輩店員に助けを求めようとしたようだが、生憎2人はまだ手が離せないのかこちらに気付かない。

 観念したのかおずおずと祈利を見上げると、力なさげな指先で自分を指し、

「わたし、ですか…?」

 と、か細い声を発した。今にも震え出しそうな程に不安げで、(大丈夫かなこの娘?)心配になる反面、初々しい佇まいはひどく庇護欲を掻き立てられた。


 何この可愛い生き物?よし、ここはお姉さんが接客の練習台になってあげましょう!


 と、胸中で先輩風を吹かしながら、わざとらしい位の笑顔を作る

「私、こういうお店初めてなんですけど、雰囲気に馴染め無くて不安だったんです。女の子の店員さんが居てくれて良かった〜。どんなのが良いのか教えて下さらないでしょうか?」

 すずいと詰め寄って捲し立てると、バイト少女はメガネの奥の瞳を左右に泳がせ、この期に及んでも尚、助けを呼びたがっている様子だったが、状況は変わらず、ようやく観念したのか、視線を祈利へと向けた。

「あ、あの、私で…よろしければ…」

「勿論!むしろ貴方にお願いしたいの!」

 そう伝えると、少し安心したのか表情が若干和らぐ。まだ接客に十分とは言えない程度だが、会話くらいは出来そうな雰囲気。

「今は、何か自転車に乗られていらっしゃるのですか?」

「一応、クロスバイクを。たまの通勤とお散歩ていどにしか乗れてないんだけど」

 滋賀に赴任して間もない頃、祈利はクロスバイクを購入していた。クロスバイクとは、馴染易いフラットハンドルを採用し、スポーツ用としてはお手頃な価格で販売されている、扱いやすい自転車。その頃はまだ自動車を買う程の余裕は無く、生活の脚に自転車が必要だったのが半分、身寄りも無い田舎に一人で放り出された寂しさのせめてもの慰みにと思ったのが半分。時折思い出して近所の景色がいい所を流していた。

 それならばと、バイト少女は店内にあった自転車の内の1台を示す。

「この辺りが良いのではないでしょうか?」

 価格は30万円と少し。カーボン製のフレームで、ブレーキが油圧で動作する。高級車と呼ぶには物足り無いが、スポーツ自転車として十分以上の能力を備えている。クロスバイクからロードバイクへのステップアップには手頃なモデル。祈利は素人ながらに彼女の選択が適切な物と思い、接客はともかく、自転車に関する知識は間違い無いと感じた。自信無さげな様子も、自転車の話になれば、幾分かマシになり心なしか楽しげにも見える。


 よっぽど自転車が好きなんだろうな。


 サイズ選びや車種によるコンセプトの違いの説明に耳を傾けつつ、そんな事を思う。

「私がご説明するとしたらこんな所ですが、お役に立てそうでしょうか?」

 彼女が思うバイク選びのコツやポイントを一通り教わり、最後にそう聞いてきた。

「勿論!貴方凄いのね。自転車の事を良く知ってる」

 関心して素直な感想を述べると、はにかんだ表情を浮かべ俯いてしまう。その仕草がまた可愛らしく、祈利の母性はこれまでに無い程に刺激されていた。

「あとはそうね、貴方のお勧めを聞いてみたい」

「私の?」

「そう。何台か紹介してくれたけど、それは値段や用途からスペックとして良い物を選んでくれたんだと思うの。そうではなくて、貴方が好きな、貴方が私に似合うと思う自転車を教えて欲しい。」

 

 私の好きな1台。


 小さくそう呟くと、少しだけ考えるような仕草を見せた後、「それなら」と、1台のロードバイクを指し示した。

 そのバイクは、無数の自転車でひしめき合う店内にあって、最も目立つ場所に、掲げるようにディスプレイされていた。それだけでも、これが特別な1台であると伺わせる。

 フレームカラーは光沢のあるエメラルドグリーン。バイト少女がメンテしていた自転車も緑系だったが、このグリーンはそれとは異なる。メンテされていたバイクの緑は淡くて上品。自然や街並みの中に調和する優しい色合い。それに対してこちらは、見る者を引き付け、一度目にすれば忘れる事の無い、如何なる場所にあっても自らの存在を示す、孤高で高貴なグリーンだった。

 フレームが描くシルエットには適度に丸みがあり、ともすれば好戦的に見えてしまいがちなスポーツ自転車にあって、やさしさや柔らかさを感じさせる。

 高貴さと優しさを兼ね備えた姿は、宮廷の玉座にあって、我が子を慈しむ女王を思わせた。

「これは?」

「LOOK 765 オプティマムプラスです」

 今日聞いた少女の声の中で、最も明瞭かつ力強いものだった。

「確かに素敵ね。これが私に似合うと?」

「はい。LOOKはフランスの会社で、レースでも数々の実績を重ねています。それでいながら、デザインが美しく素敵な自転車を沢山出していて、大好きなメーカーなんです。」

 そこまで淀みなく言葉を繋いでいたかと思うと、次の一言まで随分と間があった。目を伏せ、俯きがちでこころなしか頬も少しだけ上気させて付け加える。

「お姉さん大人っぽくて素敵だから、きっとLOOKが似合うだろうなって」

 不意の事に一瞬言葉を失い、目を丸くしてしまう。バイクから目を離し、バイト少女に目を向けると、やり場に困った左右の指先を重ね合わせながら、上目遣いにこちらを見上げて来た。これまた可愛らしい様子に祈利はすっかりほだされてしまう。頭の一つも撫でてしまいそうになるが、ぐっと堪えた。

「私、そんな風に言ってもらえるほどでもないと思うけど、でも嬉しい。この子も考えてみる」

 安い買い物でもなく、その場で即決するのはさすがに躊躇われ、バイト少女に紹介されたいくつかの車種を各メーカーのサイトで確認できるようにして、引き上げる事にする。

「ありがとう。楽しかったし、勉強になった。きっとまた、次は注文に来るから、その時会いましょう」

 思いがけず長居をしてしまい、クリーニングに出してあった服を今日中に受取したかった事を思い出して店を後にする。

 バイト少女が最後に何か言いかけていたような気がするが、きっと気のせいだし、ここで自転車を買えば、注文、納車、メンテナンスと度々訪れる事になる。そのうちまた会える。何かあればその時話せば良い。それに何より、祈利自身が彼女にまた会いたいと思っていた。


 だって、あんなに可愛らしいんだもの。


 翌週、祈利は購入する自転車を決めてお店に再び訪れたが、少女は居なかった。メガネの女の子のバイトさんに見立ててもらったと応対してくれた店長さんに告げたが、そんな風体の店員は居ないと言う。けれどもあの日に少女が説明してくれた自転車達は確かにどれも店内にあり、あの日の事がけして夢や幻では無い事を物語っていた。

 メガネのバイト少女の存在と、あの日彼女が整備していた薄緑のロードバイクだけが、忽然と消えてしまったのだ。

 狐か狸にでも化かされたのだろうか?あの様子なら、きっと狐よりは狸の方だろう。もしそうなら、もう一度化かしに来てほしい。その時尻尾がうっかり見えてしまっても、気付かないふりをして、あの娘と友達になろうと胸に誓うのだった。

 バイクはそのままお店で注文する事にした。選んだのは、LOOK 765 オプティマムプラス。バイト少女ならぬ、狸少女が祈利に似合う言ったロードバイクだ。


 これに乗っていれば、いつかあの娘とまた会えるだろうか?


 注文の手続きをしながら、またも少女の顔を思い出す祈利であった。

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