41 放課後
雨が降ってきたので中庭からは早めに引き上げた。
一階の廊下でユキと別れて、教室へ。階段を上がっていく。昼休みとはいえ、階段は静かだった。しとしとと打ちつける雨音が建物越しに聞こえてくる。
「はあ? なんなんだよテメーはよ」
「オメーこそなんなんだよ?」
と思ったら上から怒声が響いてきた。
見上げると、踊り場に数人がたむろしている。中心でゴリラとブタゴリラがにらみ合っていた。
「やめろよ。ミキがお前なんかと文化祭回るかよ」
「ミキが~だってさ。なんだよそれ、ちょっと俺親しいアピール?」
「あんたみたいなその他大勢よりは親しいけど?」
さらにその脇でも子分同士が言い合いをはじめる。両陣営に分かれて合戦でも行われそうな勢いだ。
ちょいイケメン風の彼が優しい声でいった。
「もういいよ、ミキ行こう。相手しない方がいい」
奥に女子生徒が二人固まって縮こまっている。よく見れば片方はミキで間違いなかった。なんと御本人のいる前でやっていたらしい。ミキはすっかり萎縮しているのか、一言も発しない。
「ミキはあんたみたいなの好みじゃないよ、相手されてないのわかってないのかよ」
イケメン風の彼は見るからにひょろっちいが口は達者らしい。強気に言い放つ。
でもこいつもミキとやりたいと思ってんのかな。そう思うとなんか悲しくなる。
「は? なにこいつ? やばくね?」
「あーオレ、こういう俺わかってるみたいな正義マンが一番嫌いだわ」
敵陣営の怒りを買ったらしい。聞き覚えのある声だと思ったら、朝便所でわめいていた奴らだった。こちらのボスゴリラは相当腕っぷしに自信があるようだ。体格からして、彼とは飼育員さんとゴリラぐらいの力量差はありそう。
「正義マンって何? ってことは自分らが悪って認めるんだ?」
「うわキモいわこいつ、自分に酔ってるわ」
口ではいい勝負をしているが、実際やり合ったら正義マンはワンパンでやられてしまいそうだ。
ただヒョロガリくん側にも、やたらガタイのいい大男が睨みをきかせている。もうどういう状況かよくわからん。
「はい、じゃそこ試合決定ね」
「ぶははは! いやそっちとかよ。そのひょろひょろ何キロだよ、体重差エグっ」
サルの群れからゲラゲラと笑いが起こる。こいつらはミキを狙っているというわけではなく、ただ面白がっているだけのようだ。
スルーされたほうのデカブツがゴリラに凄んでいく。
「おいテメーの相手は俺だよ、逃げんじゃね―よ」
「は? テメーは邪魔なんだよ引っ込んどけよ」
世紀末ですかここは。お前の相手は俺だよってバトル漫画以外で初めて聞いた。
例によって「なに見てんだよテメー」が来る前に、俺は目を合わせないようにして脇を通り抜け、階段を上がっていく。
すれ違いざまに、一瞬ミキと目があった。
彼女は心ここにあらずといった表情で立ちつくしていた。当事者のはずなのに、まるで無関係な他人であるかのようだった。俺と目が合うと、逃げるように目をそらした。みんなの前では、俺とは話したくないらしい。かどうかはわからないが。
完全に見て見ぬふりをするというのも、それはそれで気分が悪かった。
教室に戻った俺は、「バトルロワイアル見に行くの?」とだけミキにLineを送った。
授業をまたいだ休み時間に、ミキから返信がきた。二人きりで話がしたい、という。
これまでミキとの話は電話で済ませることが多かったが、今回は直接会って話したいらしい。放課後に誰もいないところで、というがそんな場所はすぐに思いつかなかった。
結局、昼にユキと過ごしたばかりの例の場所で落ち合うことにした。
ミキもそこならOKだというが、実は昼のようにあそこも誰かと鉢合わせする可能性はいくらでもある。ミキは知らないのだろう。けれど俺は途中で考えるのも面倒になっていた。
放課後も雨は降りしきりだった。すぐ止むような気配はない。
昇降口を出ると、外は薄暗かった。建物にそって中庭に向かう。頭上には小さくひさしが張り出していて、壁際であればぎりぎり雨は届かない。
中庭の芝生に人影はなかった。この雨なら当然だ。
すぐに花壇に入って、壁を伝うように歩いていく。隅の壁際に、立ちつくす女子生徒の姿が見えた。ミキだ。先について待っていたらしい。
「で、なんだって?」
ミキの前までやって来るなり俺はそう聞いた。
ある程度、話を聞いている前提だ。俺のLineでミキも察しているだろう。浮かない表情ながらも、彼女はすぐに切り出した。
「あの……誤解されてると、嫌だから」
「うん、で?」
「なんかその……文化祭一緒に回る権利を、とかってみんなで冗談半分で話してて。私はなんとなく笑いながら、相づち打ってただけなんだけど……」
勝手に話が大きくなったという。ミキ本人はまったく預かり知らぬこと、というわけではないらしい。スマ彦の話はまったくのデタラメではなかった。
「この前はそんなこと一言も言ってなかったじゃん」
「……うん。迷惑、かけちゃうかなって思って……」
「てかそんなの、今からでも全力で否定すればどうにでもなるだろ」
何をそんな深刻ぶっているのかわからない。
ミキは選ぶ側で、立場は上のはずなのに。
「なんか……もうそれでもいいかなって。いろいろ限界で……もとは自分で蒔いた種だし、しょうがないかなって」
声は雨音にかき消されそうなぐらいに小さくなっていく。しまいにミキはうつむいて、沈黙になる。
そんな彼女の姿を見ながら俺は、どうでもいい話だと思った。
文化祭がどうとか、誰と付き合うだとか、くだらねーことで悩んでるなと思った。
「……あと、星くんに謝らないといけないと思って」
「なに?」
「その……この前のことなんだけど。自信をつけて、自分を変えたいって思ったのは本当なんだけど……もしエッチしたら、星くんが私のこと好きになってくれて、助けてくれて、守ってくれるんじゃないかとかって……思ってたりして」
今思うと、あれは彼女なりのSOSだったのかもしれない。そのぐらい切羽詰まっていて、あんな事を言いだしたのか。あのときもいろいろと理由をつけてはいたが、今こうして最後に出してきたものが、一番もっともらしいように聞こえる。
「なんだそれ、また後出しかよ。次から次へと」
「ごめんなさい。私、卑怯で、ずる賢い人間だから……」
「それこそ俺じゃなくたって、守ってくれる人いくらでもいるでしょ」
「誰が本当にいい人で悪い人か、わかんないし……それとやっぱり、あのユキが信頼してるみたいだったから……。ユキから聞いたんだけど、星くんは、自分一人の力で、悪いお父さんをやっつけて、追い払ったんだって……。やっぱりすごいよね、私とは、もとから違う……」
「あんな雑魚ボコったとこですごくなんかねーよ」
遮って言い返していた。急に語気を荒らげた俺に、ミキは驚いた顔をした。
「そうだよ、本当に助けてほしいときは誰も助けてくれねえんだよ。自分でなんとかするしかねーんだよ。騎士も王子もいねーよ」
俺だってやりたくてやったわけじゃない。やらないとやられると思った。
本当はそんなことなかったのかもしれない。けれど、あの時の俺はそう感じた。あとになって自分のしたことが間違いだったかもしれないって言われても、どうしようもない。
頭に血が上っている自分に気づいた。その一方で、壁際に立つ彼女をどこか冷静に見ていた。
閉じたままの彼女の唇から、首筋に視線を落とした。長袖のブラウスの襟元からわずかにのぞく白い肌は、少しだけ雨で濡れていた。
「じゃあ今ここでやる?」
「え?」
「やっても好きにならないかもしれないけど。やるだけやって逃げるかもしれないけど」
俺は彼女を壁に追い詰めるように、顔を近づけていった。




