40 昼 中庭
昼休みはユキに呼ばれて、中庭隅のいつもの場所にやってきていた。
前回ここで見事に釣られて以来、ユキとの関係は元通りというか、相変わらずというか。
「はい、どうぞ召し上がれ~」
「……なんでこれうなぎ入ってる?」
「好きでしょ?」
今はそれほど邪険にすることもなくなった。彼女の愚痴を聞くのも慣れてきた。これでガス抜きにはなっているらしい。
その見返りといってはなんだが飯を用意してもらったり、黙ってさえいれば多少は目の保養になる。
俺はユキの用意した弁当に箸をつけながら、曇り空を見上げる。
「これ雨降ってくるかもな」
「大丈夫だよ、雨降るの夕方だって。あ、そしたら一応傘持ってこようか」
「いやそこまでする?」
外で食べるにしても他に選択肢はある。
中庭のテーブルはちょっとハードル高いが、なにもこんなところでこそこそする必要はない。
ユキは本当にここが気に入っているらしい。よくわからないやつ。
例によって先に俺が弁当を食べ終える。
手持ち無沙汰になったので、ふと思い立って聞いてみる。
「お前、姫ロワって知ってる?」
「なにそれ? 知らなーい」
聞いたこともない、という顔。
俺は今朝スマ彦から聞いた話を、そのままユキに流す。話し終えても、ユキの表情は変わらなかった。俺と同じ感想を抱いたらしい。
「それほんとなの? だったらヤバくない? ミキはなんて?」
「さあ? 聞いてない」
「え? 聞いてないの?」
「なんだよ、悪い?」
「とっくにミキを問い詰めてるのかと思ったら」
残念ながら俺はそんな熱血漢ではない。
特に今日は何をするにも気分が乗らない。椅子に座って授業を聞いているのすらだるい。他人のことにかまけている余力はなかった。
それによくよく考えると、別にどうでもいいことだと思った。
どうなったところで死ぬわけじゃない。誰からも忘れられて、消えてなくなるわけじゃない。あれだけ周りから関心を、好意を寄せられている。
多少メンタルが弱かろうとも、生存力強そうな男に言い寄られてなし崩しに子孫を増やして、気づけば案外幸せな人生を歩んでいるかもしれない。いいことじゃないか。
「ミキから相談されたらまあ、一応話は聞くけど。俺から聞くのも変じゃね?」
「ん~……そっか。ま、そういうのミキの自業自得か。いつまでもあっちこっちにいい顔してるから」
「それか案外そういうの見るの好きとか?」
「うーん、それはないかなぁ。ミキってスポーツとかもあんま興味ないし。じゃあわたしが、『お前も姫なんてやめてこっち側来いよ』ってゆっとくよ」
ユキのようなポジションになったらある種無敵感ある。頼もしい。
これ以上は他人の俺があれこれ言うことでもない。というか単純に、面倒事に首を突っ込む気力がなかった。
「あれ、なんだよ誰かいんじゃん」
話が一段落したところで、背後から人の声がした。
振り返ると、近づいてきた男子生徒と目があった。向こうも女連れのようだった。女子生徒が一人、後ろからのぞき込んでくる。
「うーわ、なんか変なのいるわー」
男子生徒は顔をしかめた。
どこかで見覚えがあると思ったら、いつぞや廊下で金子を蹴り飛ばしていたツーブロック野郎だった。
「あれっ……」
向こうは俺ではなくユキへと視線を止めた。俺のことを覚えていたわけではないらしい。どうして姫が……と始まるのかと思ったが、ユキが負けじと睨み返すと、人違いに気づいたようだ。
「……ああ、ニセモンのほうか。ねえ、オレのこと振ったの覚えてない? 一年のとき」
にやにやしながら自分の顔を指差して聞いてくる。
ユキは興味なさげに一瞥すると、
「ああ、いたかも」
そっけなく答える。
ツーブロック野郎の顔は一瞬引きつったが、すぐに余裕そうな笑みに戻って、かたわらの女子の腕を取った。
「まぁあんときOKされなくてよかったわ、おかげさまで今こいつと付き合ってるし」
「そうなんだ、よかったね」
ユキは平らな口調で返す。心底どうでもよさそうだ。
しかし相手はその態度にかちんと来たらしい。大げさに両手を広げて、呆れた顔をした。
「しっかしあいかわらず、マジで性格ブスだよなー。見た目に騙されてコクったオレを殴りたいね。なぁ、お前もこの女やめたほうがいいよ? いま見たっしょ? 振った相手に普通そういう態度取る?」
俺に同意を求めてくるが、この場合どういう態度が正解なのかわからない。
こいつによると、振られた相手には「もっといい女と付き合ってるから」とやり返すのが正解らしいが。
「おい、お前聞いてる? なあ」
「ちょっとぉ、トシくんやめなよぉ怖がってるじゃん」
黄色い髪をした女がトシくんとやらの腕を引く。
好みは人それぞれだ。悪く言うつもりはないけど俺はノーサンキュー。
「やっば女子は愛嬌だよ。あっちも上手だし」
「ちょ、やめてよ!」
女子生徒が笑いながら背中をバンバンと叩く。楽しそう。
じゃれあったあと、トシくんが座ったままの俺たちを見渡していった。
「てか、どく気ない感じ? お前一年だろ? 先輩に譲れよな。……なあ、なんで黙ってんの? なんか言えよ」
なんか言えと言われても。
彼女ウルトラマンのダダに似てますね、とか言っても怒るだけだろうし。
ちらりとユキに視線をやる。おすまし顔を作ってはいるが、あれは内心かなりキテる。
「なに? お前らテレパシーで会話してんの? 宇宙人同士? 気持ち悪っ。じゃあオレが解読してやるよ、『ど、どうしようぼくおしっこちびりそうなんだけど……』」
きゃははは、と女の笑い声が上がる。
今ので笑ってあげるなんて、すごくいい人なのかもしれない。
「なんでこんなのと一緒にいるんだか。てかマジ男見る目ねぇ~~」
「くすくす、ちょっとやめなよ、かわいそうでしょ~」
「もういいわ、行こうぜ。時間の無駄だわ」
最後にじろりと俺をひと睨みすると、ツーブロック野郎はこれみよがしに彼女の体に手を触れながら去っていった。話し声とともに姿が見えなくなる。急に口をへの字にしたユキは、座ったまま足をバタつかせて地面を踏みつけだした。
「きぃぃいむかつくぅう~~。なんなのあいつまじで。てかあの女ブスじゃん。どう見てもわたしのほうが可愛いでしょ」
言いにくいことを平然と口にしてしまうそこに痺れる憧れる。
性格ブスと言われて、真っ向から否定できないのが悲しいところだ。
「ねえ、ナイトくんむかつかないの?」
「いや、別に」
どうでもいいやつがどうでもいいことしか言ってない。
今日の朝からずっとそうだ。実は全部どうでもいいことだ。
「……ナイトくん、なんか元気ない?」
気づけばユキが心配そうに俺の顔をのぞきこんでいた。そうこられるとこれはこれで面倒だ。
なんともなしに答える。
「そう? いつもこんなんじゃね」
「もしかして、なんかあった?」
「別に。何もねーよ」
ユキが心配するようなことはなにもない。
どういうリアクションをしておけばよかったのか。とりあえず殴りかかっとけばよかったか。いやそれはダメか。
「もしかして先週のうちでのこと、根に持ってる? あの、ごめんね? ミキもいってたけど、あのときちょっと、わたしたちテンションおかしくて、変な気分になってたから……」
「いや全然。あれ思い出すとめっちゃ抜けるしむしろありがとうございます」
「は? どヘンタイじゃん」
姫の取り巻き連中が聞いたら、涙を流して羨ましがられることだろう。今もこうやって、話題の姫そっくりな美少女が手の届く位置にいる。
俺は対面に座るユキの膝とスカートの境目を指さして言う。さっきから裾がきわどい。
「今日それ下黒パンはいてる? パンツ?」
「え? それは~……さて、どっちでしょう」
「さっき見えてたぞ、白」
「うそやだ、えっち! すけべ!」
「今さらだろ、この前あんだけ見せといて」
「こういうときに見られるのとは違うの! それにあのときはテンションおかしかったって言ってるでしょ!」
スカートを両手で上から押さえつけながら、顔を赤くする。かわいい。さっきの女子とは比べるまでもない。人に見せつけて自慢したくなる。
だから本当は、気分が落ち込むことなんてない。それどころか幸せだ。イライラすることなんて、何もないはずだ。




