37 タチバナ宅 夜
「おぁ、っ!」
変な声が出てしまった。
とっさに目を閉じ……ようと思ったが時すでに遅し。
ついに身を隠すもののなくなった二人は、生まれたままの姿で……。
「見た? 今の顔!」
「うふふっ、いいリアクション」
「はい残念でした~ちゃんと着てますよ~」
ユキが腰に手を当てて胸を張る。ミキが自分の二の腕をつかんで控えめなポーズを取る、。
ふたりとも全裸ではなかった。胸元と下腹部にはしっかり下着を身に着けていた。
「いや残念っていうか、アウトだからなそれも」
俺は目をそむけながらいった。
胸元、くびれた腰、太もも。感覚が麻痺しかけているが、これでも十分目に毒すぎる。
わかっているのかいないのか、ユキはさらに俺の前で仁王立ちをかましてくる。
「ナイトはすくんで動けない! ずっとユキのターン! 無敵!」
「早く上着ろっつうの」
ずっと目のやり場がない。
何を思ったか、ミキも同じように肩を開いて立つ。
「ふふん、この格好なら私のほうが強いみたいね。さあひれ伏しなさい」
「下着姿でドヤるのやめてもらって」
きりがない。いい加減着替えろ、と部屋を追い出す。
ふたりはすぐに戻ってきた。まるで定位置のように再度俺の両隣に座る。
着替えと言っても、ミキは入浴前と同じ格好に戻っただけだった。やはりパジャマだった。
ユキはTシャツにショートパンツ……はいいのだが、シャツのサイズがあってないのかダボダボ。というかこのTシャツには見覚えがある。
「あれ? それ俺のTシャツ……?」
「この前家に行ったときにちょっと借りたの」
「おい窃盗犯。お前うち出禁な」
貸してない。勝手にちょろまかしたか。
「あぁん出禁はやめて。洗わないで返すからぁ」
「洗って返せよ」
「じゃあかわりにわたしのパンツあげるから」
「いらねえよ」
脊髄反射でつっぱねたが、くれるなら正直ほしい……いや冗談。
やりとりを見ていたミキが思い出したように言う。
「さっきはブラジャーほしそうにしてたのにね」
「それは断じて違う」
「あれ私のだったんだけどほしい?」
「姫様ちゃんと片付けてもらっていいですか」
「ところで星くんお風呂は?」
「いや俺は入らなくていいよ、着替えとかもないし」
というか今日俺は本当にここに泊まるのか。
カーテンの隙間から見える外の景色はすっかり暗くなっている。洒落たデザインの壁掛け時計は八時ちょっと過ぎを指していた。
今から帰るのも正直面倒ではある。なんだかどっと疲れた。
親が帰ってこないのは間違いないらしい。しかしこのおかしなノリになっている二人に付き合うのは骨が折れそうだ。どうするか迷っていると、ユキがずっとつけっぱなしだったテレビを消していった。
「ナイトくん、わたしの部屋いこ? 一緒に怖い映画見よ?」
「いやです」
すかさずミキが差し込んでくる。
「じゃあ私の部屋で一緒にホラゲ実況見る?」
「いやいいっす」
なぜ怖い系で染めてくるのか。
すっぱり断ると、ユキがソファの上に膝立ちになった。
「あれはダメこれはダメって、じゃあなにがしたいの?」
「別に何がしたいとかはないけど。強いて言うならいろいろ疲れたから寝たい」
「あ、わかった、ほんとはさっきの続きしたいんでしょ?」
「続きってなんだよ、そんなもんはねえよ」
「ナイトくんさっきはちょっと情けない感じになっちゃったから、挽回したほうがいいよね」
冗談交じりのからかい口調だったが、何も反論できなくなる。
黙って聞いていたミキが、急に神妙な顔になっていう。
「私……ユキがいたら、怖くないかも。今なら、手錠とか使わなくてもいけそうな気がする」
「真面目な顔でふざけたことを言うな」
「なに言ってるの、そんなのダメに決まってるでしょ」
「そうだそうだ、言ってやれユキ」
「わたしが最初にするんだから」
「違うそうじゃない」
「じゃあ、私そのあとならいい?」
「いいわけねえだろ」
「うーん……。まぁそれで、ミキのコンプレックスがなくなって救われるっていうんなら……でも一回だけだよ?」
「そこはかたくなに拒否しろ譲歩するな」
「一回だけかどうかは、星くんが決めることじゃない?」
「ふーん? 大きく出たねミキのぶんざいで」
「変に張り合うな」
またバトルの方向へ。
さっきから俺のツッコミが全スルーされている。冗談なのか本気なのかよくわからないノリ。ふたりともテンションがやたらハイになっているが、これはあとで冷静になったときに後悔するパターンだ。俺は流されてはいけない。飲まれてはいけない。
「……でもさ、そこまでもつのかな?」
「……大丈夫、そのためのうな重だから」
「……じゃなくて、暴発するんじゃないかって」
「……それはたしかに」
と思ったら、ちらちら俺を見ながら二人でヒソヒソ話を始めた。ここは急に仲良し。
微妙に聞こえているのだが全力で聞こえてないふりをする。
そのときテーブルに置いていた俺のスマホが音とともに振動を始めた。はっ、と二人の視線がすばやくテーブルに落ちる。なぜか謎の緊張感が漂う。
俺は着信を続けるスマホに手を伸ばした。画面を見ると、アプリではなく普通の電話だった。珍しい。
誰かと思えば、やはり珍しい相手だった。俺は電話に出る。
「久しぶり。……ああうん、大丈夫」
声の主は伯父だった。厳密に言うと、俺の元父親の兄。
久しぶりに声を聞いて、懐かしさがこみ上げる。伯父は親父とは違ってまともな人だ。既婚者で、娘も三人いる。小さい頃はたまにキャッチボールなんかしたりして、遊んでもらった。男の子がほしかったけど、娘ばかり生まれてしまったと言っていた。
伯父は親父が出ていく際にも間に入ってくれて、いろいろと手を尽くしてくれた。
「……うん、うん」
相槌を打ちながら、俺は立ち上がって部屋の隅の方へ歩いていく。空気を読んだのか、ユキもミキもひっついてはこなかった。
伯父は気さくな人だったが、声の調子が記憶とはずいぶん違うことに気づく。
いくらよくしてくれたと言っても、用もなしに連絡を取り合うような間柄ではない。今となっては。
「……うん、わかった。じゃ、またあとで」
話もそこそこに、俺は電話を切った。
スマホの画面から顔をあげると、二人と目が合う。俺の声や表情から何かを感じ取ったのか、少し心配そうな顔をしていた。
「わりい、俺やっぱ帰るわ」
俺はスマホをしまうと、手を上げて身を翻す。
二人のどちらかから、呼び止めるような声が上がった。
「どうしたの? なんかあった?」
「いやたいしたことじゃないけど、ちょっと急用ができたっていうか。じゃ、飯ごちそうさん」
言うだけ言うと、俺は返事を待たずに部屋を出た。通路を歩いてまっすぐ入り口へ向かう。特に持ち物も何もない。このまま帰れる。
急用ができたとは言ったが、今すぐ帰らなければならない用事というわけではない。
口にするかどうか迷ったが、やめた。彼女らには関係のない話だ。聞かされて、気分がよくなるようなことでもない。
電話の用件は、いたってシンプルな内容だった。
伯父の話によると、俺の親父だったやつが、死んだらしい。




