プロローグ
わたしは知っている。
わたしは知っている。
夫にわたしより大切な人がいる事を。
わたしとの結婚を後悔している事を。
でも彼は優しいから
そんな素振りは見せないし、
わたしにも何も言わない。
でもわたしは知っているのだ。
いや、知ってしまったのだ。
だって見てしまったから。
誰もいない薄暗い部屋で
夫があの方と抱きしめ合っているところを。
わたしは、見てしまったから。
〈嘘っ……〉
ほんの少しだけ空いた扉の隙間から
信じられない光景を目の当たりにした。
今思えばバチが当たったのだ。
他者のいる部屋を出来心で覗いてしまったバチが。
部屋の中には男女が二人。
一人は豪奢なドレスに身を包んだこの国の第三王女。
そしてもう一人は
長身で痩身でありながら一目で鍛え上げられた肉体を持つとわかる逞しい騎士。
二人は中途半端にカーテンが閉められた
薄暗い部屋の中で抱きしめ合っていた。
王女は震えながら嗚咽を漏らし、
騎士は切なげな、
それでいて苦しげな表情で王女を見つめている。
二人の間に何があったのだろう。
第三者が傍で見ても二人は互いを想い合い、
そして求め合っているのがわかるのに、
それが許されないという悲しみが二人を
包み込んでいた。
でもわたしは知っている。
二人が幼馴染で、
イトコ同士で、
幼い頃から想い合っていたことを。
当時二人が15歳の時に
王女が隣国の王の側妃として嫁ぐ事が決まり、
二人が引き裂かれてしまった事を。
そして10年の月日が流れ、
隣国の王が半年前に崩御された。
子どもがいない側妃は生国に戻される事になり、
王女は先週、この国に戻ってきたのだ。
まだ25歳で、
子を持つ事も出来る娘の行く末を
気の毒に思われたこの国の王が
彼女の降嫁先を探している事も、
わたしは全て知っている。
なのに王女は今抱きしめ合っている騎士と結ばれる
事は出来ない。
本当に愛してるのは彼だというのに。
騎士の方も真実愛しているのは王女だというのに、
二人が結ばれることは許されない。
だって騎士は半年前に王命により
妻を迎えたから。
今や希少となった魔力保持者の遺伝子を
絶やさないために
わずかでも魔力のある者と添わせ、
魔力を有する子どもが生まれるようにするための
政策だ。
そして騎士はその政策のため、
王が定めた妻を迎えたばかりだった。
まさか王女が帰国し
降嫁を許される事になるなんて思いもしなかっただろう騎士は、
国の為に魔術師の妻を迎えてしまった。
だから二人は結ばれないのだ。
こんなにも想い合っているのに
許されないのだ。
だからあんなにも悲しそうに
互いを抱きしめ合っているのだ。
そしてわたしは
その悲しい事実を全て知っている。
だって、
あそこで王女を強く抱きしめている騎士が
わたしの夫で、
わたしが半年前に王命により
結婚した魔術師の妻だから。
なんという事だろう……。
知っていると言いながら、
わたしは二人がまだ
こんなにも想い合っているとは
知らなかったのだ。
なんということだ。
可哀想な王女。
可哀想なわたしの夫。
そして二人を引き裂くお邪魔虫なわたし。
邪魔者は身をひこう。
夫が王命で課せられた務めさえ果たせば離婚は
許されるはず。
だからもう少し、
もう少しだけわたしが貴方の妻でいる事を
許してほしい。
近いうちに必ず、
必ず貴方を解放するから。
わたしは震える足に力を入れ、
踵を返してその場を後にした。
あの魔法を完成させねば。
そして彼の前から姿を消さなくては。