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昨夜書ききった、『自分の城でしか吠えられない心理』で、思考した感覚は、以前、私が取り組もうとした小説家になろう小説を実際書いてみるという状態に微妙に重なる部分があり、そこをこの雑文では取り上げ思考していきたいと思います。(長いな。笑)
私が今まで書いてきた方法は、極端に表現するのならふっとかすめた自らの一場面ごとの切れ端を繋げていく創作。詩だとそこが一文や一つの言葉を繋げていくような感覚でもあると思うのだけれど、そもそも何故そのような方法を取り創作をしているのかというと、極端に言うなら私が無意識という状態を愛しているからです。何も考えない中で不思議と繋がっていく特異性ですね。
……たとえば……、そうだな、極端に言うなら、あ という音に惹かれたとします。その後の音を、い にするならば、 愛という言葉に繋がりイメージがそちら方向へ引きずられやすいでしょう?別に藍や、会いでもよいのですけれど。その時の一瞬の感覚で、い ではなくて お の音がよいなと思うなら、それは青という言葉に繋がりイメージがそちら方向へ引きずられやすいでしょう?別にアオ でもよいのですけれど。
そんな風にその時の自分が心地よいと思うものを組み合わせ連想していく書き方は、思いもよらぬ形になっていくことがあるので、予めプロットをたててその通りに書いていくという形を面白く感じられないのです。
なんだかつまらない気がして。
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それは、表現するという状況に置いて私のスタイルですし、創作方法だからそれでよいのですけれど、先の雑文『自分の城でしか吠えられない心理』で思考したような、自らを強める私という枠を形作るには少し弱いようにも思えてしまうでしょう。……そしてだから、なろう小説の書き方に合わなかったのかなと思うのですが、一部分だけ取り入れられれば面白いようにも思えて。