第六話 進化(アップデート)
「…………つまり、今の君は絶体絶命のピンチってことになるね。ああ、もちろん、私の能力のおかげで死ぬことはないんだけど」
「なるほどな、それで、「進化」の提案に来たってこと、か」
「うん。このままじゃ君は死ぬことも動くこともできずに、永遠にあそこに止まったままだ。サニィちゃんだって連れていかれてる。何より、あの男を放っておくってのは、君には無理な話だろう?」
よく分かっている。
心の世界に入ると、現実のことが少し曖昧になるみたいであった。
念のためと思って自分の深層心理にあるいろんなことを聞き、現状の説明もしてもらった。悪魔というのは、契約者の心の世界に棲むらしく、俺の見たものを同時に見ているらしい。おかげで、ここまでの経緯と、これからやるべきことが見えてきた。
そして、進化の提案。ならば、俺はこう答えるだけだ。
「よし、わかった。進化しよう」
「……! 即答、なんだね」
「当たり前だ。少なくとも、あそこに留まっておくという選択肢はないし、それに、時間が惜しい」
サニィがどうなるか、分かったものではない。
俺は腰にさげている軍刀、悪魔が宿る魔剣、『烏狩』の刀身を、砥石で研ぐ。グローブの魔法式を確認。マスクを確認。ここでやっても意味があるかは分からないが、戦う前の習慣なので、自然と手が動き、着々と準備を進めていく。
「分かっているのかい? 契約更新には、新たな代償が必要だ。君は最初の契約で「――――――」を失っているわけだから、進化のときは、他の契約者ほど失うものは少なくしてあげるけど、それでも、代償は必要なんだよ」
「自分の体なんて……、とうの昔から、もうどうでもよくなった。目的のためなら、あの人を、守るためなら、俺の全てなんて無価値に等しい」
「……なるほど、ね。うん、実に君らしい。そして……はは、本当に君ってヤツは私に似ている」
どういうことだ? と訝しむ視線を送ると、少女のような笑顔で、悪魔は言葉を続けた。
「人間たちは知らないだろうけど、契約に応じる悪魔ってのは、その人と似た欲を持っていた奴なのさ。だから、君の一番の理解者は私ってことになるね」
「………………」
もしその話が本当なら――、
こいつも、『烏狩』も、この苦しさと、希望を抱き、その果てに――、
「君も、もしかしたら悪魔になるかもね」
「もう、半分悪魔みたいなものだろう」
「はは、違いない」
美少年は椅子に座る俺の横に立つと、人差し指を前方に向けた。
「あれは、光。希望の光だ。闇夜に光る、星の輝き。決して届くことはないけど、時間を超えて、君を照らしてくれる。ねえ、ここがどんな場所だか、分かるかい?」
「『悪魔は契約者の心の世界に棲む』。この話が本当なら、ここは差し詰め、俺の心の深層世界ってところか。随分とそっけない場所だな」
「ごちゃごちゃしているよりかはマシさ。心の世界ってのはつまり、その人の生き方そのものなのだから。君のは実に、シンプルでいい」
そういう少年の目は、どこか遠くを見つめているようであった。俺は深入りしないように、時間もないので、話を終わらせようとした。
「そりゃどうも。じゃあ最後に質問だ。目覚めてから、俺はどうしたらいい? 無効化の氷槍に縫い付けられてる状態で進化しても、魔力が消えて終わりじゃないのか?」
「目覚める直前、プレゼントとして私の魔力の一部を君にあげるよ。そのプレゼントで無効化が始まる前に、目覚める。氷ごと自分を消して、そこからリスタートだ」
想像するだけで相当の痛みを感じたが、冷静に考えると、実に理にかなっている作戦だ。勝負は、意識を取り戻したその瞬間から、始まっているというわけだ。
「めちゃくちゃなようで、それ以外に方法はないな。ちなみにどれくらい時間経ってる?」
「ここにいると時間感覚なくなるよね~。今は、君が負けてから十五分ってとこかな」
「それだけわかれば十分だ。まだ、間に合う。間に合わせる」
「よし、じゃあ、始めようか。安心して、私を見て」
少年は俺の前に立った。最初、面と向かったときからあまり注視していなかったが、少年はやはり整った顔をしていた。そして、顔を見た当初は気付かなかったが、少年の目は、刀傷をつけられており、瞳は灰色に濁っていた。
光の無いその瞳を近づけられ、俺は吸い込まれるような感覚を覚える。少年が近づく度に、その感覚は変わり、少年の一部が内側に流れ込んでくるような錯覚を覚える。
その体験が終わると、海の底に落ちていくような落下感に苛まれ、目を開けることはできなかったが、少年の気配が遠のいていくのがわかった。
最後に、少年が残した言葉が、血や肉となって入っていくようであった。
「私は結局、成し遂げられなかった。君は、君なら、理想に届くのか? 届いた先に、何を見る? 教えてくれ……私の人生に、意味はあったのか?」
悲痛な吐息は、落ちる意識とともに、闇夜に消えていった。
意識が戻る、というよりも、指先にふれる氷の感触を感知してから、すぐにルナは魔力を爆発させた。
「――――っ!」
強い魔法師は、体のどこかに「仕込み」として魔法式を刻んでおくものだ。
手は、すでに魔法式が描かれたグローブをしているため、仕込む意味がない。となると、口の中や、足、ロックのように、首に仕込む者もいる。もっとも、ルナは首まで認識阻害に魔力を費やすのは憚れるため、していないが。
ルナは、胸、心の臓がある部分に、仕込みをしていた。それは、死ぬことでしか切り抜けられない状況があると考えたからだ。例えば、今回のように、拘束され、手足が動かない状況である。こうなってしまった場合、ルナはもう、死ぬしか選択肢がなかった。
だから、ルナは指が動いたのを感知した瞬間、胸の魔法式に、ありったけの魔力を流し込んだ。
ゴォォオオオオオオオオオ!
轟音、爆発。
ルナの中心で巻きあがった火柱は、礼拝堂の天井にある虹色のガラスを吹き飛ばした。
ルナが胸に描いていたのは、火系統の魔法。それも、上位魔法の爆炎魔法であった。しかし、爆炎、といっても、爆発ではない。指向性のある魔法だ。爆発的な威力で火柱は上がるが、一瞬でここら一体を吹き飛ばすほどの無鉄砲さはない。
つまりは、この魔法を受けた当人は、死ぬまで、あぶられ続けることになるというわけだ。
無論、逆属性の魔法や、盾系統の魔法で対抗することはできる。しかし、今のルナは、死ぬことが前提なわけで。
巻きあがる火柱で、しかも、摂氏一千度。数秒、いやコンマの世界かもしれないが、人間、少なくとも高位の魔法師なら生きることはできる。いや、できてしまう。
氷が弾け、体も、跡形もないほど消失して、ルナは再び、そこに再構築された。
血の霧が竜巻のように、されど静かに渦を巻き、ゆっくりとヒトの形を成していく。
そこに形を取り戻したルナは、しかし、床に膝をつき、胃液を吐き出した。
「はっ、ぁっあああ、ぉおおえええええ!」
頭の奥に、鉛玉をぶち込まれたような頭痛に襲われる。瞼など開けられない。
口の中の肉と歯が溶けながら喉に押し込まれていく血の味が、肌が剥がれ落ちていく感触が、感覚としてまだ残っていた。
ルナは礼拝堂の木製の床に、何度も頭を打ち付けながら、体の震えを正す。それでも収まらないので、左の指を一回切り落として、冷静になった。
「はっ、はっ、はっ、はぁ」
いつまでも、こうしているわけにはいかない。
こうしている間にも、奴はサニィを元にして、亜女薬を作るだろう。それはすなわち、サニィが恐怖に襲われるということだ。それは、避けなければならない。彼女みたいな子供を、あれ以上恐怖で締め付けるような事態は、許されることではないのだから。
吐き気が落ち着いて、ルナは目を開けた。
「……え? あ、あれ?」
急がなければならない。そんな状況で、ルナは目の中に入ってくる光景に違和感を覚え、何度も目をパチパチとさせた。
しかし、景色は変わらない。そこには、何も映らない。
目をこすってみる。それでも駄目だったので、潰して、再生させてみる。だが、結果は変わらなかった。瞳に白い膜が張られたような、まるで水の中で目を開けたときのような、ぼやけが見えるのみ。
「これが……進化の代償、か」
『代償としてもらうものは少なくする』だなんて言いながら、視力を奪われてしまうとは。
いつも見えていたものが見えなくなる。
途端に、そんな気持ちの悪さと恐怖に、肌が寒くなり、思考が停止してしまう。
――――けれど。
魔力感知。魔力を放出することで、ある程度の障害物や生物を判別する。
その範囲をもっと広めてみる。ずっと隣にいた彼女の魔力なら察知できる。サニィの魔力を判別し、見つけ出す。時間のわりには離れていないが、徒歩で行くには少々、時間的な余裕がない。
どうしたものかと思い、そして、ふと進化のことを思い出した。
背中に意識を集中し、そこから異質な何かが溢れ出すのを感じとる。
力が、溢れ出すようだった。
「これが、悪魔の力」
浮遊感がある。これはきっと翼だろう。悪魔の羽根。漆黒の両翼。
進化によって得られる力は二つある。一つは能力の強化だ。しかし、これはあまり期待していなかった。能力が能力だ。これ以上の進化は望めない。
二つ目は、悪魔の持つ力を、行使できるようになること。具体的には、その魔力と膂力。加えて、翼を使用した飛行能力。
「行かなくては……」
サニィを助けるために。
そして、大切なあの人を守るために。
目が見えなくなっても。
何度傷ついて、そのたびに死んでしまっても。
「俺は折れない。この街に潜む闇を、殺し尽くすまで」
黒の翼をはためかせて、男は闇夜に溶けていった。
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