第四話 不滅の亡霊VS氷の支配者
「彼の者に力を」
常人とはかけ離れた魔力と身体能力、さらに固有の能力を持つ、命を持たない人間の総称。契約者。
この国に、遥か昔から存在する、悪魔という存在と契約した亡霊は、そう呼ばれていた。
「ルナ様、どうでしょうか?」
「ああ、問題ない。標的の位置は把握した。取り巻きから奴を分離させる。手伝ってくれ、サニィ」
そう話すルナの瞳は、赤く発光していた。
向上魔法と、サニィの悪魔の能力の影響を受けているのだ。それすなわち、「激成の悪魔」。
能力は、契約者であるサニィの体のどこかが切れる代わりに、対象の強度、もしくは感覚などを倍加させるというもの。「切れる」と言っても、千切れて部位を失うほどのものではなく、ぱっくりと皮膚が割れると言った程度だが、苦痛を伴いながら戦うその苦しみを、理解してあげる余裕もないことが、ルナにとってはやるせなかった。
サニィの契約者としての能力は、作戦遂行にとても重要なものである。
向上魔法で引き上げられるのは、単純な戦闘能力のみとなる。すなわち、速さや力だ。しかし、その上昇も二割ほど上乗せされるにすぎない。
しかし、「激成の悪魔」の能力による強化は、倍加となり、それは最大で五倍ほどにもなる。加えて、戦闘能力のみでなく、知覚も強化できる。この知覚強化こそが、契約者とやり合うのには必要なのだ。
「入口と裏口の見張りは二人ずつ。中には九人いるな。引き離すぞ、サニィ」
「了解しました」
知覚の上昇により、外から敵の位置を把握したルナは、サニィに合図を出した。
サニィは黒のローブから蒼色の宝石を取り出し、敵のアジトの中へ放り投げた。その石が到達する前に、二人は礼拝堂の窓ガラスを割り、強襲をかけた。
「誰だお前ら!」
取り巻きの一人は気付いたが、もう遅い。
魔籠石。魔力と魔法式を込め、保存できるアイテムだ。
魔法式とは、魔法を放つためのプロセスを描いた、印のようなモノ。そこに魔力を通し、式句を唱えることで任意の魔法を放つことができる。
魔籠石とは、その中の式構築と式句の一部を簡略化したものの一つだ。魔法師同士の戦いとは、すなわちどちらがより早く、より強力な魔法を放てるか、というところにある。魔剣や、戦闘に用いる服なども、簡略化を目指して設計されているもの、それが魔法具だ。しかし、魔力を込めることができるのは、この魔籠石というアイテムだけだ。だから、魔法師は重宝している。
あと、道具媒介では行使不可能な複雑で強力な魔法もあるのだが、少なくとも、密室空間での接近戦では、あまり意味を持たない。
魔籠石にはさまざまな魔法を籠めることができるが、その魔法の質や種類は、魔法師の格によって異なる。
頂上の位に立つ魔法師ならば、超常レベルのモノを。
並の魔法師ならば、基本的な魔法しか使えない。
サニィ・トワイライトは、そういう意味では、超常であった。
「断壁せよ」
二人が着地、同時に空中の魔籠石が割れ、魔法は放たれた。
隔離魔法。並の魔法師ならば、魔法式構築のみでさえ、半日を要する上位魔法。式句は、最低でも五句は必要となるはずの魔法。
そんな上級魔法を、魔籠石を用い、たった一言の式句と共に、不可視の壁が標的とその取り巻きの前を囲った。余裕そうな標的とは異なり、となりの男は慌てふためいていた。
取り巻き九人のうち、内側に入れたのはその一人だった。おそらく側近だろう。
ルナは、魔法具である魔剣、つまりは戦時からの愛剣である軍刀、『烏狩』を抜剣した。強化された身体能力で、嵐のようにうねった居合を放つ。
目を見開いた側近の男の首は、次の瞬間には黒鉄の刀により体を離れていた。
ルナは即座に標的へと目を向けた。刀を向ける。即時抹殺こそ、死線には最適なものだからだ。敵の、それも契約者の力が完全に発揮されるような事態になる前に、切り捨てることこそ、最善なのだ。
戦いの中で培った条件反射的判断をしたルナは、一瞬完全に思考を止められることとなった。
血が舞い、仲間とは分離され、しかし標的の男は、ニヤリと嗤っていたのだ。
「!?」
その余裕は、一体どこから……?
そんな疑問を、敵は一瞬で証明してみせた。
「幻実を消却せよ」
一言の式句。
それは二つの可能性を意味する。
一つは、魔法具による補助。
もう一つは――、
「――ぐっ!?」
「ルナ様っ!」
ルナは自身も移動しながら、後方のサニィを横に突き飛ばした。
なぜならそこに、氷の格子が、瞬時出現したから。
氷の槍で生成された格子は腕を何ヶ所も十字で貫きながら、それを張り付けにした。試しに腕を動かしてみると、じゅくじゅくと血が滲んできた。
格子に捕らわれた右手が、やけに重い。そこにだけ見えない重石を乗せられているみたいだ。流血によるだるさのみではない。そこだけが魔力を上手く通せない。明らかに、他の「何か」が腕の動きに影響を与えている。ルナは左の腕で腰から刀を引き抜き、迷いなく右腕を断ち切った。
「ふふ、さすがの反応速度だ、不滅の亡者、アレン・ハット」
「……そうでもないよ。うん、でも――、」
右腕の断面では、不可思議な現象が起きていた。
そこからは、血の霧が、重力を無視して舞い上がっていた。それはやがて形を持ち始める。
「貴様を殺すには、充分だ」
そこには、一切の傷がない、右の腕が在った。
契約者が契約する悪魔には、大まかに二つの種類がある。
具現系能力。炎や氷、はたまた生き物などを現実に召喚し、それを行使する能力。サニィの「激成の悪魔」もここに加わる。「強化の光」を生み出し、直接的に他人を強化することができる。向上魔法と近いが、向上魔法の数倍の強化と、速さでそれをすることが可能となる。速さが戦いの重要なファクターであるため、契約者外との戦闘なら、無類の強さを誇る、
次に、概念系能力だ。
基本的には具現系よりも、概念系の方が強いとされる。それは、例えば、「無敵の悪魔」なんてのがいたとするならば、本当に「無敵」なのだ。ありえないとされる力を、ありうる力にするもの、それが概念系能力。
そしてルナ・ヴァ―クハルトが契約している悪魔も、概念系のモノを保持していた。
名を――、
「不滅の悪魔、ね。さて、どうしたものだろうか」
「……どうにかできるものなら、やってみろ」
ルナはサニィに後方支援のみに徹するように命じると、向上魔法による身体能力上昇をもって刀を振り続けた。血迷ったのではない。そうすることが最善なのだ。
敵契約者の能力は、予測するに「魔力封じの氷を出現させる」能力だ。形は柱、格子、球など自由自在。格子が現れた際は突然、何もないところから出現したように感じたが、きちんと魔法式は現れていた。やつの魔法技術はなかなかのもので、魔法式を周囲三メートルなら、正確に描写することができるみたいだ。思念によって魔法式は書き出される。その魔法式は、普通、魔法を扱うメインの部位、またはその周辺にのみ浮かべることができるものだ。
しかし、サニィや彼、ロック・シャスターほどの魔法師は、任意の場所に、限られた範囲ではあるが、出現させることが可能なのである。
そして、彼の能力、無効化氷雪と、それの組み合わせは最悪だった。魔力を一定時間向こうにするような能力と、近づけば突如足元や頭上から攻撃可能となる魔法技術。そんな敵の戦力に、ルナは敢えて接近戦で、短期決着を狙った。
魔法式の出どころが分かる氷なら、手に持つ軍刀で斬ることは容易だからだ。攻撃の手を緩めないことで、魔法制御の余裕をなくさせ、魔法発動の集中力を削がせる。目と鼻の先にいる相手が襲いかかってくるのに、魔法を制御するのは簡単ではないのだ。
鉄と鉄が重なる音が、礼拝堂に鳴り響く。
そう、ルナの狙いは、これでもあった。接近戦を強いられて、魔法で対抗するのは分が悪いのだ。接近戦を挑まれたら、魔法師がとる行動は二つ。後退するか、剣で戦うか、だ。剣と魔法では、単純に速度差に絶対的な差がある。だからこそ、魔法師は皆すべからく剣を帯刀しているし、二、三人のパーティで行動するのだ。
そして、剣を振りながらでは、魔法は補助的なものしか使えない。使えたとしても、三十ほど剣を打ち合って、一度や二度くらいだろう。そして、それが出どころの分かる魔法であれば、さしたる障害にはならない。
ルナの体が、再び鈍く赤く闇夜で光る。向上魔法による身体強化の重ね掛けだ。すでに三倍ほどの上昇をしていたが、埒が明かないので、サニィは再強化の決断に踏み込んだ。向上魔法による代償を気にしている場合ではなかったのだ。悪魔能力使用による傷はサニィのみであるが、向上魔法による疲労は、強化された当人に降りかかるのだ。
そもそも、向上魔法による力の強化とは、夜中に酒を飲むことと似たようなものだ。酒を飲み、夜に騒げば、次の日には潰れているだろう。酒と同様、向上魔法は、未来の気力から、力を持ってくる行為に過ぎない。
多少の強化ならばその疲労も、大したことはない。しかし、それが最高強化の、五倍強化であるならば、話は違う。並の魔法師なら、失明もあり得るだろう。ルナほどの実力者であっても、体に何かしらの異常をきたす可能性があった。
もちろん、ルナの能力で、再生することはできる。ただ、もし目が見えなくなったとき、ルナは何事もなかったかのように目を潰し、再生しようとするだろう。そんな痛々しい姿をサニィは見たくないのだ。だから、いつもなら五倍強化なんて真似はしない。
しかし、危機的、また、異常な状況であった。三倍の強化を施したはずのルナの動きに、敵は遅れず付いていくのである。むしろ、剣の達人であるルナが、押される場面さえ、多々あった。
さらに速度を上げたルナが斬りかかる。敵の魔剣は髪色と同じホワイトブルーの細剣であった。受けは不利なはずであるが、敵は面で受け止め、攻撃をいなす。レイピアは壊れることなく、速度にも対応し、ルナが放つ斬撃をものともしない。
「ふむ。戦後もその剣に無数の血を吸わせ続けていると聞いたが、口ほどにもないな。あのときのような、鬼気迫るような気迫を、今の君からは感じない」
「……貴様、あの戦場にいたのか?」
「さあ、どうだろうね。君が勝ったら、教えてあげるよ」
無数の火花が散る。二つの剣音が鳴り響く。その衝撃は波となり、四方を囲む結界が揺れた。魔剣の撃ち合いでは勝負がつかないと思ったのか、敵はフェイントを入れて細剣を引くと、一瞬よろめいたルナの腹に足蹴りをくらわせた。真後ろに吹き飛ばされるルナに即接近し、受け身を取ることもできない空中で、心の臓へと腕を捻じ込ませた。
悲痛に顔を歪ませるルナに、ロックは囁く。
「君の再生能力は確かに脅威だ。でもね、再生するたびにそこを痛めつければどうだろう。君は永遠に痛みと再生の繰り返しを味わうことになると思うのだが」
「そうは、ならない」
ルナは体を、敵の体に押し付けた。ずぶずぶと音をたてて胸から血が流れだす。心臓は体から離れ、背中へと移動していた。
「君、何を……」
「狙っていたのさ、この瞬間を。分かるか? 今のお前に逃げ場はない」
ルナは能力で、今や何もない心臓を再生させた。胸に手を入れ、突っ込ませていた敵の手は、圧迫され固定されたのだ。
「なっ……!?」
「痛みも心臓も、何度だってくれてやる。だから貴様は、今、ここで死ね」
腕の筋肉をうねらせ、ルナは軍刀を振りぬいた。
完全な不意打ち、間合いの……はずであった。