第十九話 勇気の源
それから俺は、組織に所属する、記憶消去の魔法が扱える高位の魔法師に依頼し、家族の記憶から、俺が帰ってきたという記憶だけを消し去ってもらった。念のため、医者に依頼して顔の骨格を変えた。つまりは整形してもらった。
鼻の形を変え、輪郭を変えた。肌の色も、最新治療とやらで変えてもらった。髪の変色と相まって、鏡で見た自分は別人であった。これは、この街に住みながら、組織として動くためである。
任務実行中は仮面をしていればいいのだが、他の構成員と違い、この街が故郷である俺は、いつ「俺が帰ってきた」という事実がばれてもおかしくはなかった。ばれてしまえば、不信に思われるし、何より、彼女は自分を責めるだろうから、ばれるわけにはいかなかった。
毎夜毎夜、闇の中を駆けた。依頼は片っ端から受けたし、自分で事前処理もした。難敵もいたが、関係なかった。腕を引き裂かれようが、足を捥がれようが、内臓を引きずり出されようが、俺は何度でも立ち上がり敵を殺した。
彼女が平穏な日々で、生きられますように。彼女が、幸せになれますように。
それだけが、俺の願いであった。
◇
彼女のため、彼女を幸せにするため。
それが俺の生きる目的であり、願いであり、欲望でもあった。
何でもやれると思っていたし、何でもやってきた。
けれど、もう、疲れたんだ。
「もう、何もかも壊してしまおうって思ったことはない?」
光の中で、彼女の手に触れていると、横から聞こえてきた声に反応して、ちらりと向いてみる。そこには俺の悪魔、不滅の悪魔『烏狩』がいた。少女のような見た目の、美少年がいた。
「……今までは、一度たりともなかった。けど、俺は…………俺は…………」
もう、諦めようと思っていたのに、続く言葉が出てこない。心の中で、俺は俺を哂った。
俺はいったい、何に迷っているというのか、なぜ、答えられないのか。
そんな俺の迷いを見てとったのか、『烏狩』は同情するように言葉を続けた。
「私は壊してしまったよ。いや、物理的にどうこうって意味じゃなくてね。私は自分が願っていたことを、夢を、生きる目的そのものを、最終的には自分の手で壊してしまったのさ。しかし、それを私は悔いていない。人間としての生き方なんてしてこなかった私が、人間として死ねたのだからね」
悪魔の声は、照らす光と同じような、慈愛に満ちていた。
それでいいのだと、もう楽になってもいいのだと、そう言われている気がした。
「君が辛いのなら、この光に身を委ねればいい。何も考える必要はない。優しさに包まれるよ。安心、できるよ。ここにずっといればいい。ここにいれば、あんなに痛い思いは、もう、しなくていいのだから」
言われて、思い出す。全身を刺すような、焼かれるような、溶かされるような、あの痛み。あんな、地獄のような苦しみを感じずにいられるのなら、もう、それでいいのではないか。
「俺は……俺は……」
光の中で、彼女の手を強く握った。彼女は照れくさそうに笑って握り返した。
「ああ…………」
光に溺れていくような感覚がある。幸せに浸かっていく感覚だ。光の中の彼女は、きっと偶像なのだろう。俺の想像の産物だ。だから、俺が思うように動いてくれる。俺のことを愛してくれる。これだけ傷ついてきたのだ。ここなら目も見えるし、彼女とずっと一緒にいられる。俺は、救われる。
彼女に近づく。一歩一歩、歩みを進める。もう、全てを捨てて、全てを委ねよう。
そう、思ったときである。
「今度は私が、ルナ様を守りますっ!」
俺の甘さを、決して許さないという叱責が、聞こえてきたのは。
◇
サニィは傷だらけであった。
ヴァルゴに殴られたのか、鼻は折れている。血が滴り落ちている。浮かび上がる痣が痛々しい。
華奢な身体にはいくつもの切り傷がある。ヴァルゴの剣を受けた傷もあるが、そのほとんどが向上魔法による副作用であることは自明であった。
ヴァルゴを挟んで、その奥に、倒れたルナの姿があった。彼女はそこをめがけて、何度も魔法を放った。
「だからぁ、無駄だって言ってンだろぉうがよぉぉおおお!」
ヴァルゴが吠える。サニィの三倍はするほどの大きさの魔法式が、構築される。
「放雷っせよぉぉおおおおおおお!」
魔法が成る。サニィを飲みこまんとする紫電は、通路を焼き焦がしながら彼女へと迫った。サニィは、いつのまに進化したのか、白い天使のような翼で、その身を守ろうとする。しかし――、
「ぐぁあっ……!」
純白の翼は、もうところどころ千切れていた。そこに雷撃が直撃するものだから、翼は折れ、羽根は宙に舞っていた。稲妻を防ぎきれたわけではないらしく、彼女の身体にはいくつもの火傷痕ができた。
それでも、彼女は顔を上げ、立ちあがり、ルナに向けて魔法を放ち続けた。
「オメェ……」
ヴァルゴの巨体が跳ねた。振りかぶり、体勢の整っていない彼女に向かって、拳を撃ちつける。当然、小さな彼女は吹き飛ばされ、廊下の奥の壁に打ちつけられた。壁にめり込むほどの衝撃。
しかし彼女は、空嘔吐きをするばかりで、何事もなかったかのように立ち上がり、ルナの方へ手を伸ばし、魔法を掛け続けていた。
「……すっげぇな、ただのクゾガキだと思っていたが……、オメェに興味湧いて来たよぉぉ、なああ、教えてくれやあぁ、なぁんでオメェは戦うんだあ? 無駄だって何ッ回も言ったよなあ? もうコイツは目ぇ覚まさねぇよぉぉお。いやあオレも寂しいんだぜえ? もっと楽しいことをするつもりだったからなあ……。でも、もう無理だコイツはァ、なんせ、意識無くなる直前、コイツは諦めてたからなあああ」
ヴァルゴは下卑た哂い声を上げながら、サニィに近づく。サニィはルナに手を向けたまま、端的に応えた。
「ルナ様を、信じているからです。愛しているからです。それ以上に、理由なんてありません」
サニィは自ら歩み、前へと進む。
ヴァルゴの口角は釣り上がり、醜悪な表情を浮かべて、その手を高く掲げていた。
◇
サニィがボロボロになって、それでも戦い続ける。
そんな映像が、砂嵐とともに現れて、消えていった。ルナは見終わった後、光の中の彼女の手を、離していた。後ろを向いて、歩みを進めた。深く暗い、闇へ。
「君、何をするつもりなんだい? もしかして、戻るつもりじゃないだろうね?」
ルナは振りかえると、美少年と目を合わせて、応えた。
「烏狩……、俺、思い出したよ」
「……思い出したって、何をだい?」
「戦う理由を、だよ。俺は……、彼女を愛していたから、戦っていたんだ」
それだけだったのだ。
身体を溶かすような痛み。あんな痛み程度で忘れかけるなんて、情けない。
目を瞑り、胸に手を当てれば、いつだって、そこに彼女はいてくれた。美しく、透き通るような黄金の長髪、優しく開かれた碧眼、けれど、口はいつも引き結んで、むすっとしていて。怠けていると、注意されてしまう。しっかりものの彼女。あの地獄のような戦場でも、夜の街を駆けていても、夢の中でも、彼女はいつでも、ここにいてくれた。
見返りなんて、なくたっていい。もう、愛されなくてもいい。だって――、
「俺が彼女を愛している、この気持ちは、永遠に消えぬものなのだから」
愛は、見返りを求めるものなんかじゃない。少なくとも、あの時の、幸せだった頃の俺たちは、何かを求めて愛し合っていたのではない。互いが幸せになるようにと、そう、ひたすらに願っていた。
闇へと歩みながら、俺はもう一度目を瞑り、胸に手を当てる。胸の奥、腹の底から、何かが込み上げてくる。これは熱だ。俺の魂の熱。消えぬ炎。
不思議だ。この炎に手を当てたら、俺は、地獄の中でも、強敵の前でも、自分の心の中の、こんな世界でだって――、
「――――無限に、勇気が湧いてくるんだ」
闇に足を踏み入れた瞬間、身体を焦がすような、溶かすような、引き剥がすような痛みとともに、黒い炎が身を包んだ。けれど、こんな痛みよりも、彼女から受け取った、この勇気の方が、何倍も熱く、強い。
俺は慣れない手つきで、失敗しないように、身体を覆うような、大きな大きな魔法式を描いた。魔法式からの魔法構築の才能は、周囲が引くレベルでなかったけれど、この魔法式は毎日見ていたから、なんとか創り出すことができた。
「隠匿せよ」
魔法式が紫に光る。俺がそこを通過すると、黒い炎は姿を消した。俺は迷わずに、闇の、またその奥へと歩を進めた。
「そうやって痛みを隠して、光の映らぬ生活をして、何もかもを我慢して、人を殺して――、それで一体何になるっていうんだい? 私には、分からないよ」
どこか不安そうな表情をして問い正す烏狩に、今度は、振りかえらぬままに応えた。
「何もなくたっていい。俺が生きるこの世界で、彼女が幸せに生きられるのなら」
それだけが、ルナ・ヴァークハルトが存在する、意味なのだから。




