第十四話 死神の本性
ルナとの会話は、すぐに終わってしまった。
話の後、昼食を取ってから、ゆっくりと時間を過ごしていた。サニィは読書をし、ルナは、瞳に映らぬ景色を、身体全体で感じようとしていたようだ。しばらくすると、ルナは疲れたのか、寝息を立てていた。
「無理しすぎなんですよ……」
言いながら、手持ちの薄いブランケットをかけてあげる。んん、という寝言をたてて、ルナは軽く寝がえりをした。
――――サニィ、君のことは信頼しているよ、いや、し過ぎているほどに、君のことを大事に想っている。
――――君は俺にとって特別な存在だ。でも、だからこそ、言いたくないんだよ。君に、幻滅して欲しくないんだ。
いつもなら、ありえないほどにサニィは食い下がった。
「幻滅なんて絶対にしません」と何度も言い続けた。
けれど、ルナは困ったように笑うばかりで、応えてはくれなかった。
太陽に反射する自分の黄金の髪を、くるくると撫でる。
毎日髪をセットして、目立たない程度に化粧もして……。そんな努力も、今の彼には絶対に伝わらないというのは分かっている。けれど、彼の為に、彼のとなりに立ち続けるためには必要なことなのだ。
いや、彼は絶対にそんな風に思ってはいないだろうが、私がそうしたいのだ。
サニィは単純だから、彼の言ってくれた言葉が嬉しくて、顔の緩みを止めることができなかった。
もちろん、ルナの言ってくれた「特別」の意味が、サニィの望むものとは異なることは、理解していた。
けれど、それでも、嬉しかった。
「ルナ様は、気付いていないのでしょうね……」
サニィが、ルナのことを、ルナが思わぬ意味で、愛しているということに。
サニィは、ルナが思っているよりも、ルナのことを見ているということに。
「ルナ様……あなたはどうして……」
そんなに、頑張れるのですか?
あなたを突き動かしているのは、一体なんなのですか?
それを言いかけて、唾液を呑み込んだ。その質問をして、さっき止められたばかりではないか。
ここ最近、ルナとサニィは、長期の休暇を、隊長から言い渡された。長期、といっても一週間、七日だ。
七日の間は、身体の休息に使うことを、ルナはサニィに強く言い聞かせた。
サニィは言われた通り、休日のほとんどを家の中で過ごした。
ルナの手伝いはまったくといって苦痛にはならなかったし、新しい趣味もできた。それは読書である。
元はルナの趣味であったが、もう彼は読むことができないため、積み上げた本の数々は、私のものとなったのだ。おすすめのものを読んだのだが、特に興味深かったのは、青春恋愛モノの作品であった。そんな作品を彼が持っているということにも驚かされたが、内容も意外性があって面白かった。なにより、学校を知らないサニィにとって、学内での恋愛というものは新鮮だった。
と、まあそんな感じでサニィは休日を満喫していたのだが、ルナは違った。表向きは、サニィの前ではゆっくりとしているようだったが、夜になると、彼は毎夜、任務を受けているときと同じ時間に、家を出て行った。ベッドで横たわるサニィが、何度呼び止めようと思ったのか、彼は知る由もないだろう。
戦闘に赴く時の服は全て魔法具であるから、魔力探知で見て、問題無く着替える。
流れるような動作で刀を磨き、鞘に納める。彼は、なるべく音を立てずに、窓を開け、飛び立つ。
一日も、たった一日でさえも、ルナが完全に休んだところを、サニィは見たことがなかった。
一体何が、誰が、彼を苦難の道へといざなうのか。
「ハンナ様……」
彼が、寝言を言っているときに、必ず出てくる人物の名を、思わず呟く。おそらく女性で、おそらく彼が好意を寄せる御方なのだろう。ではなぜ、その女性は、彼と一緒にならないのだろう。彼はなぜ、想いを伝えようとしないのだろう。これほどまでに、毎夜、夢に出てくるほどに想っているのに、辛くはないのだろうか。
「もしかしたら……」
もう、伝えられない相手なのだろうか。
命を失った人なのかもしれない。彼が、想いを寄せ続けるのは。
そうと決まったわけではないが、サニィにはルナの気持ちが、分かるような気がした。
決して届かない誰かを好きになる辛さは、同じものだろうから。
けれど、そんな同情も、ただの妄想に過ぎなくて。
「ルナ様……私は、あなたのことが、知りたいです」
ルナのことを語るには、サニィはあまりにも、彼のことを知らなかった。
海の水面を見る。それは来たときよりも、荒れているようであった。鼻にじっとりとこびりつく潮の香りが、やけに鬱陶しかった。
◇
夜。アジトの地下酒場にて。
ルナとサニィは、次なる標的の説明を受けていた。
「今俺たちが追っている男、そいつはかなり厄介でな。もう、何人かやられてる。そいつの能力の特性上、あまり野放しにはできなくってな、俺が直接始末しようとしたんだが……、すんでのところで逃げられてしまった」
「た、隊長から、逃げた? いったい誰なんですかそいつは。やっぱり、契約者なんでしょうか?」
ルナが聞き返す。隊長と呼ばれた男は、長くなった黒の髪を掻き毟りながら、標的の顔がプリントされた紙を、懐から取り出した。
「こいつは……!」
「契約者、ヴァルゴ・ヴェルデゴーレ。かつて俺の部隊にいた男だ。契約した悪魔は『強奪暴食の悪魔』。喰った対象の知識、膂力、魔力を奪う。こいつは、この国だけじゃない、色んな国で喰い殺しの犯罪を犯していやがる。今、情報を集めているところなんだが……、最低でも、被害は百を超えている」
「…………百人以上の人間を、喰ったというんですか。この時代に」
「警察も手を焼いているらしいな。それだけの魔力を持ってるなら、もう狂乱状態のはずなんだが……、知識吸収が、狂ったあいつの命綱なのだろう。そして、そいつがこの街に入ったという目撃情報が、三日前に入った。お前らとの因縁もある。奴は、お前らを狙っているんだろうな」
「……っ!」
サニィの肩がビクッと揺れる。ガタガタと震えだし、拳には力が入る。
炎が大きく揺らいだのを見て、ルナはサニィの手を握った。
どくどくと変に脈打っていた心音は、徐々に落ち着きを取り戻した。
「まだ、殺人の被害は確認されていない。しかし、不可解な誘拐事件が起きている」
「誘拐、事件?」
「ああ、被害者の同居人が、ある手紙を見つけたのさ。そこの手紙には、こう書かれていた。『女と俺は○○にいる。返してほしければ、二人で該当場所に来い。場所は、お前らならわかるはずだ。お前らと俺との、思い出の場所だよ』」
「……被害届を出したのは、いったい、誰なんですか?」
空気が一気に張りつめたのを感じて、サニィはルナを見る。
ルナの表情は硬くなり、蒸気する汗が、手を伝っていた。
次第に動悸が激しくなっていく彼を、今度は自分が支えようとサニィが手を握るが、ルナの緊張は収まる様子を見せない。
「被害者の夫だ。事件現場は宝石店「ブルム」……ここまで言えば、もうお前ならわかるだろ?」
そう告げられたときの、ルナの表情を、サニィは決して忘れないだろうな、と思った。
戦うときの彼の瞳は、凛々しくて、かっこいい。その鋭さをも、サニィは好きであった。
しかし、今、この瞬間の彼の瞳は……、
悪魔、鬼、死神……いや、そんな魑魅魍魎でさえも例えられないほどに、怒りと憎悪が渦を巻いていた。
それはまさしく、殺意そのものであった。
サニィが、自分からその手を離したのは、後にも先にも、このときだけであった。