第十三話 潮の香りのするところ
「アレンさん、また昼寝ですか? そろそろ起きてください」
ああ、そういえば昼休みももう終わりか。
そんなことを思いながら、店の制服を正し、品の状態を確認する。
指輪も宝石も、ブレスレットも、問題はなさそうだ。最近は魔法のかかったマジックアイテム(正式名称魔法具)が人気になりつつあり、その状態維持も一苦労となっている。
魔法がてんで苦手な俺は、メンテナンスのほとんどを妻のハンナに任せてしまっている。本当は、専門の人に任せるのが良いのだが、うちは手頃さを売りにしているので、できるだけ維持費は抑えたかったのだ。
戦争が始まって数年が経つ。戦場は人が足りなくなってきており、最近は優秀な人材を引き抜くといった形式で招集も行われているが、そんな状況でも、ファッションの熱というものは冷めなかった。戦時中ということもあり、国の税金も増え、むしろ少ないお金でどうやってファッションを楽しむか、ということを皆が考えるようになった。
うちは、そういった情勢とも相性が良く、収入も悪くなかった。
これならば、子作りを始めてもよいのかも……、いや、精神的にまだ持たないから止めておこう、などと考え事をしながら書類を見つめていたら、ハンナに頭を小突かれてしまった。
「いてっ」
「あまりボケッとしないでください。そんなんだからクレーマーに圧されるんですよ。対応する私の身にもなってください」
「ご、ごめん」
謝りながら、あきれ顔の彼女を見る。
笑った顔も好きだが、彼女のそんな困った顔も、嫌いではなかった。
少しイタズラでもしてやろうかと思って、彼女の頬に手を伸ばした。
そのまま自分の顔を近づける。
ほっぺにキスをしようとしたら、いつも冷静な彼女がやけに赤くなってしまって、躊躇ってしまった。
「ふふっ」
「あははっ」
結局笑みを交わして、見つめ合って、それで終わってしまった。
けれど、俺はこの時間が、何よりも幸せであった。
そんな頃の夢ばかり、最近は見るようになった。
◇
「はん、な……!」
がばっ、と起き上がるように目を覚ます。
悪い夢ではないはずなのに、身体中をじっとりとした汗が伝っていた。
「ルナ様、おはようございます」
「あ、ああ。おはよう、サニィ」
相も変わらず、目は曇りガラスを挟んだように、全然機能してくれないが、それだけ、魔力探知の精度は上がった気がする。サニィの魔力なんてのは本当に分かりやすくて、赤く燃える炎を、見るだけで、それがサニィのモノであるということが、ありありと感じられた。
「……ルナ様、最近いつもそんな感じですね。寝れてないんじゃないですか? もしそうなら、今日は無理しなくても……」
「前から決めていたことだろう? そんなに心配しなくても大丈夫だ」
サニィの肩を借りて、替えの下着と私服をとる。
魔法具ともなる服なら、炎を辿って自分でも着れるのだが、下着や私服ともなると、そういった品を見つけるのにも一苦労する。
結局、私服に着替えるときはサニィの手を煩わせてしまうのだ。
「ん?」
「どうしました?」
「いや、なんか、やけに強い魔力を放ってる魔法具が……。君のクローゼットの方にあるみたいだけど、魔法具の服かい? 新しく買ったのかな?」
「あ、えっと……、つい出来心で」
「どんな効果があるのかな? 少し触らせてもらってもいい?」
「え、ええ、もちろんです!」
そうやって、一度私服をベッドに置いてから、ルナは魔法具に触れた。
「やけに薄いけど……形状的に、これはカーディガンかな? やけに複雑な魔法式だね。光に影、それにこれは……鏡面魔法式? この組み合わせはいったいどんな効果なのかな?」
「なんでも、透明化だそうです。巷では身体の一部を透明化させるファッションが流行っているみたいで……」
「それはもはやファッションなのか……? いや、まあそれはいいとして。これ、犯罪の温床になりやしないか? 例えば覗きとかストーカーとか……」
「一応、女性物にしかこの術式を組み込まれた服は販売されてないみたいですけど、やっぱりそういう犯罪も、何件か起きてるみたいです。でも、販売中止になるほどの被害は確認されてないみたいですよ?」
「まあ、魔力探知やら魔法式探知なんて、今の時代どこの家庭の玄関にも施されてるからなあ。女性物ってのも大きいのかもしれないな。女子トイレに進んで入ろうとするような変態なら、魔法具関係無く逮捕されているだろうし……」
と、それから二人は透明化魔法具について深い深い議論を重ねていたのだが、ルナは、自分が下着だということをとっくに忘れていた。
それを見て終始顔を赤くしていたサニィに、ルナが気付くことなど、あるわけもなかった。
◇
議論は半刻も長引いた。
「いつもありがとう、サニィ」
話が終わり、着替え終わって、感謝の意を述べてから彼女の頭に触れた。
段々と、炎の位置から彼女の頭の位置を逆算できるようになってきたので、何かある度に撫でている気がする。
彼女は、あれから少し変わった。
まだまだ遠慮がちではあるが、前よりもよく話してくれるようになった。
けど時々、今のように、返事のないことも、増えた。
「サニィ?」
「……………………はっ! い、いえ、なんでもありません! は、はやく朝食にしましょう。私が運びますから、ルナ様はイスに座っておいてください」
そう言って、寝室からサニィは慌てて飛び出していった。触れた頭の温度が、妙に高かった気がする。ルナは苦笑しながら立ち上がり、自分の足でリビングへと歩いていく。
館の、至る所に小さな魔籠石が散りばめられていた。廊下やテーブルに椅子、床のところどころ、ドアノブにさえ、それぞれ異なる色の魔籠石がはめ込まれている。それが、点字よりも明確な目印となった。
ちょうどよい反発力を持つ、大きめの椅子に座ると、バターとベーコンの良い香りが鼻腔を擽った。ほのかに甘い匂いもしている。
「今日の朝食は何かな?」
「九時方向に厚切りベーコンと卵のサンドウィッチ、それと三時方向にコーンスープです。一時方向にはアールグレイを入れました。冷めないうちにいただきましょう」
そう言って、フォークを手渡される。
もちろん、フォークや皿にも小粒ほどの魔籠石が埋め込まれており、大体の位置は把握できた。
優しい彼女はサンドウィッチも食べやすいように小さく切ってくれており、こぼすことなく口に運ぶことができた。スープや紅茶を飲む際にも、手を添えてくれた。盲目の生活になってから一度の怪我もないのは、彼女の尽力なサポートによるところが大きいだろう。感謝しても、しきれない。
ありがとう、とまた告げると、サニィは照れたような返事をする。
そんな軽い談笑を交わしながら、かつかつと小さな食器の音を立てて、朝の食事はつつがなく進んでいった。
彼女の作った朝食は、前よりほんの少しだけ塩気が強いような気もしたが、おいしさは変わらぬものであった。
◇
「気持ちいいですね」
「ああ、そうだな」
ザザザッという波の音が聞こえる。爽やかな潮の香りは、汚れ仕事で疲れ切った二人を充分にリラックスさせた。
ロックと戦ったときのように、障害物がほとんどないような空間でもないので、彼女の手を借りるに他はなかった。常に飛行で移動出来たらとも思うが、背中から翼を生やした男が突如街に現れたら、それこそ大パニックを起こしかねない。
手を借りる、と明記したが、手をつなぐ、と言った方が正しいのかもしれない。
誰かと会う度にあまり心配をかけられても、こちらに疲労がたまるというものだ。
だから親子のように、ルナとサニィは手を繋いだ。歳の差は八くらいだから、知らない人が見たら兄妹のようにも思われるかもしれない。
「パラソルも立てたし、昼にはまだ早いな。どうする? 海入るか?」
サニィに海水浴を提案する。目が見えないというハンデはあるものの、浸かるくらいならできるし、何よりサニィに遠慮させておくというのは気が引けた。
「いえ、その……海に入るよりも、少しお話したいことがありまして……」
「話……?」
ルナが聞き返すと、サニィは真剣な表情になって応えた。
「ルナ様のことを、聞かせて頂きたいんです……!」