第一話 地獄の終わりと楽園の闇
咽るような硝煙の臭いと、吐き気を催すような血の臭いが男の鼻を突いた。
男は走る。血と油がべっとりついた黒鉄の刀を振りながら前進するたびに、次々と死を積み上げていく。神経を集中させる。前方から飛んでくる火の球を死体で防ぎながらひたすら前へと進み続ける。はっ、と驚いた表情をした、純白の軍服を着た敵国の魔法師の首を跳ねる。その首の根本に刀を突き刺し、反動で巻き上げた血を撒き散らす。後方から襲ってきた魔法師の目を、その血でくらまし、反撃の暇を与えないままに、首を断つ。
瞬間、視界を赤の光が満たした。
轟音、爆発。
男の首は弾け飛び、内臓は焼き切れた。
男の体は再生した。
男は気にも留めない様子で、最奥の魔法師集団に斬りかかる。首を跳ねる。首を跳ねる。首を跳ねる。次は遅れを取らぬように、周囲の警戒は解かぬように、戦場を縦横無尽に駆け回った。
真横から轟く雷撃が、男の腹を貫いた。
男は再生した。
即座に魔力を探知する。認識阻害の魔法を起動しているのだろう。相当の威力、契約者のはずだが、魔力を上手く掴み取ることができない。
何度も何度も雷撃を打ち込まれる。魔力探知は当てになりそうにないので、雷撃を辿ることとした。
死体を踏み越え男は走る。男の速力はなかなかのものであったが、雷撃は男を貫き続けた。男の左腕が弾け飛ぶ。再生する。腹を貫かれる。再生する。頭を吹き飛ばされる。再生する。真っ二つに切り裂かれる。再生する。
「くそっっ! 貴様、不滅の――っ!」
男は刀を抜き、振り切った。敵の首が飛び、血飛沫が舞うのを眺めてから、ほっ、と胸を撫でおろす。これで全部殺した。
ごそ、という音に反応して後ろを振り向くと、そこには見知った顔の黒髪ロングヘアの悪趣味な男がいた。
「隊長、生きてたんですね」
「当たり前だ、馬鹿。こんなところで俺がくたばるかよ。そんなことより、敵さんは粗方撤退したみたいだぜ。こっちの被害も芳しくない。とりあえず撤退しよう」
「了解です」
男は刀を一振りして血を払うと、鞘にそれを収めた。柄に手をあてたまま、神経を半分だけ休ませるという荒業を成していた。
一瞬瞳を閉じ、速攻で脳を回復させる。戦場に初めて立ったときなんかは、頭痛と眩暈で意識が持っていかれたが、今はそんな心配はいらなくなった。戦いの絶望を抱く感情など、当の昔に無くなってしまったからだ。まあ、当初いた同僚も、ずいぶん昔にいなくなってしまったが。
今回の戦いでも、多くの仲間は命を失ってしまったのだろう。しかし、特殊部隊の副隊長でもあるような男は、不謹慎ながら、安堵していた。不滅の自分が、殺されなかったことを。
――――俺は、絶対に帰らなければ、いけないんだ。
「にしても、特殊部隊である俺たちまで前線で戦わされるなんて、よっぽど圧されるんですかね?」
「ん? ああ、戦況は五分五分ってところだろうな。だからこそ、今日勝つ必要があったみたいだ」
と、隊長と呼ばれた男が答えたとき、後方から馬で駆けてくるひとりの兵士の姿が見えた。
「伝令! 伝令です! 全兵は即時撤退! 基地へと帰還してください!」
「一体どうしたってんだ?」
ぼそりと呟いた隊長に反応するように、伝令の兵士は叫んだ。
「北方との和平条約が結ばれました!!」
魔聞暦八七五年。北の亜人族と南の人間族との、約十年間続いた戦争は終わりを告げた。
◇
夜の闇を駆ける影が二つ。やけに身長差がある二つの影だが、息を合わせて、風の如き速さで住宅街の屋根を駆けていく。そこに音はない。
二人は全身を黒で覆っていた。黒のローブに黒のブーツ、黒の仮面までも装着している。男と女を識別する方法といったら、胸の膨らみくらいだろう。歳相応の身長をした男の髪はこれまた黒。無造作に切った髪は、合理性を追求する男の信念そのものであった。女の方は、これまた歳相応の身長をしているが、男よりもかなり身長は低かった。なんせ、男とは十も歳が離れているのである。その髪色は金。夕日に照らされる稲穂を思わせる、優しい金であった。その髪も、これまた短くまとめてある。
二人の視線の先には標的である男が息を切らして走っていた。体中から冷や汗が噴き出し、顔は悲痛で歪んでいる。手に持つナイフが、体の震えにより小刻みに震えていた。
「くそっ! なんで、こんなところまで奴らがっ!」
悪態を吐いた瞬間、追いかける黒衣を纏う体が赤く光った。向上魔法。身体能力を強化させる魔法が起動させられた合図であった。影の体が大きく跳ねると、標的の姿はもう、屋根の上にはなかった。地面に叩きつけられた標的は、口から血を吐きながら、苦しそうに胸を押さえていた。
「く、くくくく来るな! 来たら殺すぞ!」
「残念だが……」
黒衣の影が再び鈍く、赤く光る。軍刀の柄に手が触れたとき、
「それは不可能だ」
ぱしゅ、というあっけない音とともに、男の首は宙に舞った。
「サニィ、頼む」
「はい」
小さな影は何事もなかったかのように、死体も、血も、魔法により除去した。
「夜半の通り魔殺人二回、逃走中に出た怪我人の数は十人。十分すぎる重罪だよ。ダイバー・オットン」
影は、そう吐き捨てると、何事もなかったかのように歩き出す。
「任務完了、じゃあ、帰ろうかサニィ」
「はい、ルナ様」
二つの影は、音もなく夜の闇から姿を消した。
◇
「いや~、にしても良い仕事っぷりだねえ二人とも」
「……仕事だから当然のことです。それよりも、早く報酬をください」
薄明りが満たす小さな部屋。ヴィンテージもののワインが並ぶ、酒場らしい場所は、都市の地下にある非合法の店だ。世界とは隔絶されたその空間で、髭と髪を伸ばした大男は偉そうにテーブルの上に足を乗っけて煙草を吹かしていた。ちなみに、ここの経営者もこの男であった。煙草と酒の臭いが混じったこの空間が苦手なルナは、いち早く自宅へ帰りたかった。
「相変わらずせっかちなやつだなアレン。ほれ、これが今回の報酬だ」
大男が無造作に投げてきたそれを慌てずキャッチする。
「もうその名前で呼ぶのは止めてくださいよ……って、やけに重いですね」
ルナは小袋の中身を確認すると、その金額に驚いた。金貨が四十枚ほど入っていたのだ。小さな家なら、一括で購入できるレベルの金額だ。
「なんで、こんなに?」
「ああ、依頼主の娘が、通り魔殺人の被害者なんだそうだ」
ルナは唇を噛み、金貨の入った小袋を握りしめた。果てしない怒りが、ルナを苛んだ。
「ルナ様……」
と、今まで押し黙っていた金髪碧眼の少女がルナの腕にそっと手を添えた。ルナは少しだけ驚いた表情をして、苦笑した。
「すまないサニィ。君を困らせるつもりはなかったんだ」
少女の頭を優しく撫でる。幸せそうなその表情にも、疲れが見えた。ここ最近、任務の連続だったからであろう。
もう出ようか、そう言って酒場を出ようとしたルナだったが、大男の一声に引き留められた。
「おいおいアレン、まだ話は終わってないぞ。次の依頼だ」
「……聞きましょう」
一枚の紙を手渡された。そこには、白スーツを纏い、白と青が混じった氷色の髪をセットした、真面目そうな風貌の、女にモテそうな優男の写真が張り付けられていた。
「亜人、じゃないみたいですね。何やらかしたんです?」
「亜女薬の密売だ。その大本となる男、名はロック・シャスター。聞いた話によると、契約者らしい」
「は? でも人間の契約者にこんな奴いないですよね?」
「ああ。俺の調査ではな。新たな契約者かもしれんし、そもそも亜人が人間に成りすましているだけかもしれん。どちらにしろ、危険な奴には変わらないがな。本当は人数を割きたいところなんだが、どうも人手が足りなくてな。どうだ、頼めるか?」
ルナは一呼吸入れると、その紙を懐にしまい、応えた。
「任せてください。俺を誰だと思ってるんです?」
「はは、言うようになったじゃないか小僧」
ルナは大男と拳を重ねると、むさ苦しいその店を後にしたのだった。
店を出ると、涼しい夜風が肌を擽った。ルナは少女、サニィに寄り添いながら、ゆっくりと夜道を歩く。依頼書を懐から取り出す。ロック・シャスター。もしかしたら偽名かもしれないが、この男が許されざる犯罪者であることは真であった。
亜女薬。亜人を精神的恐怖に陥れた際、分泌される、人間にとって快楽となる物質を抽出し、製造される麻薬だ。戦後一年間で発明されたその麻薬は、今やこの都市の闇の一つだ。この男によって、何人もの亜人が苦しみ、何人もの人間が廃人となったのか、底が知れない。
「この街に蔓延る闇は……、俺が跡形もなく消してやる」
ルナは心の底で湧き上がる決意を胸に、写真の男を睨んだ。やがて心配そうな表情をするサニィに気づいてからは、その紙をしまい、不自然な笑顔を浮かべたのであった。
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