エロい漢字と、実はエロくない言葉 その二
何となくエロいと思っていたけれど、実はエロくない言葉と、そんな風には見えないけれど、実はエロい意味のある漢字。以前に書いたエッセイが好評(当社比)だったので、二匹目のドジョウを狙ってみることにしました。とは言っても、前作を下げて連載化するほどのネタはなくて、おそらくはこのネタで最終回です。
前回のエッセイの感想欄で、エロい意味だと思われているけど、本来の意味は別にエロくない言葉として、「酒池肉林」が挙げられました。
ご存知のとおり、「酒池肉林」は暴虐の君主として知られる殷の紂王が、寵姫の妲己と行った贅沢三昧の一つ。確かに、淫靡な乱交パーティーというイメージがあります。
しかし、本家本元の殷の紂王の場面では、「酒池肉林」という四字熟語では出てきません。『史記』の殷本紀には、「酒を以て池と為し、肉を県けて林と為す(以酒為池、縣肉為林)」と書かれて、それが縮まって「酒地肉林」という四字熟語になったのです。
これだけ見れば、酒を満たした池を作り、肉を樹木に引っ掛けて、食べ放題、飲み放題の野外大バーベキューでしかありません。「酒池肉林」という四字熟語が登場するのは、前漢も半ば、司馬遷とほぼ同じ年頃だと推測されている武帝の時代。外国の使節をもてなし、漢の国力を見せつけるために「酒池肉林」を作ったとあります。
【原文】酒池肉林、令外國客徧觀各倉庫府藏之積、見漢之廣大、傾駭之。(『史記』大宛列伝)
【訓読】酒地肉林もて、外国客をして徧く各倉庫府蔵の積を観せ、漢の広大なるを見して之を傾駭せしむ。
要するに、物量作戦です。人類が為す贅沢にもいろいろありますが、とにかくまず、「量が多い」、「好きなだけ飲み食いしていい」という方向性の、贅沢だったのですね。『史記』の注釈書は『六韜』を引用していますが、「酒粕でできた丘を船で廻って、牛のように飲みまくる者三千人が参加」(「太公六韜云、紂為酒池、迴船糟丘而牛飲者三千餘人為輩」『史記正義』)、という記述からは、エロスの片鱗すら感じとることはできません。
ですから、「酒地肉林」だけなら別にエロくもなんともない。本当にエロいのは、殷本紀のその後の部分です。
【原文】以酒為池、縣肉為林、使男女倮相逐其間、為長夜之飲。(『史記』殷本紀)
【訓読】酒を以て池と為し、肉を県けて林と為し、男女を倮にして其の間に相い逐わしめ、長夜の飲を為す。
本当にエロいのは「酒地肉林」ではなく、オプションの裸の鬼ごっこ部分でした……。
ではなぜ、我々は「酒地肉林」そのものをエロい言葉だと思ってしまったのか。
それは、「肉」という文字に性的な意味が込められることがあるから、ではないでしょうか。
たとえば、「肉欲」。これは「性欲」の意味で使用されますね。ですが、もともと、「肉」という文字に性的な意味はなかったと思われます。
台湾中央研究院の漢籍データベースで「肉欲」を検索しても、所謂る性欲の意味ではヒットしません。肉と欲が連続している句作りならば『大正新修大蔵経』……つまり、仏教経典中にいくつかみられるのですが、それらはいずれも、「即便捨肉、欲往取魚」(即し便ち肉を捨てて、魚を取りに往かんと欲せば)、「索肉、欲食」(肉を索めて食らはんと欲す)など、「肉」はあくまで「肉」であって、「肉欲」という熟語ですらない。古代から中世くらいまでは、「肉」という字に性的な意味合いはなかったのでしょう。
ところが、現代中国語で「肉欲」は性欲の意味ですし、『肉蒲団』という清代の有名なエロ小説もある(『肉蒲団』の詳細について説明すると、主人公の肉体改造の部分でR15の範囲を超えそうなので、ここでは割愛)。近世に至るまでのどこかで、「肉」に性的な意味合いが生まれたと考えられます。
……ちなみに、中国語のWikipediaによれば、『肉蒲団』は清朝の順治十四年(1657年)の著作ですが、あまりにエロいので当然、発禁処分を受けます。しかし、度重なる禁圧にもめげず、そして鎖国も何のその、1705年(宝永二年、徳川綱吉のころ)には、訓点を施したものが日本で出版されています。早い! 早いよスレッガーさん!
なお、色情小説のようなエロ・コンテンツは日本だけでなく、地続きの朝鮮半島にも流入します。李氏朝鮮は明清時代に定期的に北京へ朝貢していましたが、このルートを使ってたくさんの中国書籍が輸入されていました。が、「風紀を乱すので、中国の書籍の輸入を禁止しろ」という意見が。……両班様もロクでもない本ばかり輸入していたんですねー。
……閑話休題。
「肉」がそうであるように、元はなかったエロい意味が付会されていった漢字も、世の中にはたくさんあったでしょう。時代の変化だけでなく、地域の差によっても。
例えば――。
「夜伽」。よとぎ。
日本語的には非常にエロい言葉ですが、中国語にはそういう意味はない。手元の『新字源』によれば、「伽」という字は、梵語のカ・ガ・キャの音を表すのに用いる、とあり、伽藍、迦陵頻伽、あるいは瑜伽……などなど、基本、サンスクリットの音写にしか使用しない文字のようです。この文字に日本では「とぎ」という訓を当てて、人の退屈を慰める、看病する、という意味が加わり、そこから、女性が男性の寝所に侍って性的に奉仕する、という意味が派生したと考えられます。人に加わる、つまり人に寄り添っている状態から、夜通し側について面倒をみる……というような意味で「とぎ」という訓をつけたのでしょうが、これはもともとの漢字にはなく、日本独自のものです。たしかに、「夜伽」には「よとぎ」という訓しかなく、音読みはありません。
つまり、「夜伽」は日本語だとエロいけど、中国語だとエロくないんです。
「変態」が元の中国語だと別にエロい意味を持たなかったのに、日本でHENTAIに進化したのと同じです。
日本のお殿様が侍女や腰元の手首を掴んで、「その方に今宵の夜伽を申し付ける!」と言って寝室に連れ込んじゃうのはアリ。中世ヨーロッパ風異世界で、王様が侍女に夜伽を命ずるのも、あくまで日本語の小説だったら、まあまあアリ。
でも、中華風後宮モノで、皇帝からの正式な詔勅に「皇帝陛下の夜伽を命ずる」……とか書かれると、ちと微妙。漢文的にはあり得ないわけですからね。
じゃあ、中国の後宮では「夜伽」「伽」に当たる言葉は何だ。
いろいろ考えて、ようやく思いつきました。
それは、「御」です。
というわけで、今回の、あまり知られてないけど、エロい意味のある漢字として、「御」を取り上げてみたいと思います。
え? ギョ? 「御」ってただの丁寧語じゃないの?……と思われるかもしれませんが、「御」にはもともと偉い人に侍る、とか側近く仕える、という意味があり、そこから、そばめ、こしもと、そして婦人を召す、進める、という意味が派生したのです。つまり、上に挙げた日本語の「とぎ」とよく似ています。
例えば、日本古代の天皇の妃の称号「女御」は、儒教経典の一つ、『周礼』に見える後宮女性の称号「女御」にちなんでいます。
【原文】女御掌御叙于王之燕寝。(『周礼』天官冢宰・女御)
【訓読】女御 王の燕寝に御叙するを掌る。
この部分を引用している『後漢書』皇后紀の李賢注には、「御、王に進御するを謂うなり」とあって、「御」とは天子に進み侍る、要するにベッドを共にすることだとわかります。
天子や偉い人のベッドだけでなく、普通の一般民衆――と言っても奴婢を持てるレベルの男性ですが――のベッドに侍ることも「御」と呼びました。漢代には「御婢」という言葉があります。男奴隷が奴で、女奴隷が婢ですから、「御婢」とは、主人の寝台に侍って性的な奉仕を行う女奴隷を指します。
奴隷身分にある女性(婢)で、その主人の寝台に侍って性的な奉仕を行う者。妾の、奴隷身分にある者、と言い換えられるかもしれません。要するに「性奴隷」。そして、「婢(女奴隷)」が主人と性的関係を持つことを「御す」というのです。
湖北省江陵張家山漢墓出土『二年律令』は、前漢最初期の律令で、漢代法制史の基本資料の一つですが、以下のような条文があります。
【原文】婢御其主而有子、主死、免其婢為庶人。385簡
【訓読】婢 其の主に御して子 有り、主死すれば、其の婢を免じて庶人と為す。
女奴隷がその主人の閨に侍って子が有る場合、主人が死んだら、その女奴隷を解放して庶人身分とせよ。
この場合、主人の子を産んでいれば、御婢は主人の死後、庶人身分となることができました。ただし、これは女奴隷と男性の主人の場合であって、男奴隷(奴)が主人やその家族と関係を持つのは処罰の対象になりました。
【原文】奴娶主・主之母及主妻・子以為妻、若与奸、棄市、而耐其女子以為隷妾。其強与奸、除所強。190簡
【訓読】奴 主・主の母及び主の妻・子を娶りて以て妻と為す、若しくは与に奸せば、棄市。而して其の女子を耐して以て隷妾と為せ。其の強いられて与に奸するは、強いらるる所を除け。
男奴隷が主人、主人の母、および主人の妻子を娶って妻とし、もしくは姦淫した場合は死罪とし、其の姦淫相手の女子を「耐して隷妾」と為せ。強姦であった場合は、強姦された方の罪を免除せよ。
「奸」は「姦」と同じで、要するに姦淫する、性的関係を持つ、ことです。女奴隷と主人(男)の場合は「御」という字で表現されましたが、男奴隷と主人及びその家族(女)の場合は「奸」であって、さらに男女どちらも処罰の対象となってしまう。(ただし、強姦の場合は、被害者は処罰されない。)「棄市」は死罪。処刑は市場で行い、その後死体を市場に曝します。「耐」「隷妾」(男性の場合は「隷臣」)も漢代の刑罰ですが、死罪よりは軽い。これ以上の説明は専門的になり過ぎるので、省きます。
この条文を見ると、たとえば未亡人が若い男奴隷を買って……というのは漢の法律的にはダメそうなのですが、『史記』や『漢書』には、夫に先立たれた公主(皇帝の娘)が見目好い男奴隷を愛人に、というのはよくある話なので、法律はあっても「具文」化していたのかもしれません。
*具文……書類にはあるけど実際には使われないもの。時代の趨勢によって意味をなさなくなった法律など。
少し話が逸れましたが、「御」とは性奴隷もしくは被支配的な立場にある女性が、主人格の男性に性的に奉仕する意味で使用される言葉である、と言うことができます。
さらにもっと広く、男性が女性と性的に関係することを意味する用法もあります。『史記』五宗世家は前漢武帝の兄弟たちの伝ですが、この中に「陰痿」(インポテンツ)のため女性と関係することができない(不能御婦人)という記述があります。そして「御婦人の術」と言えば、要するに房中術のことでした。
【原文】泠壽光、唐虞、魯女生三人者、皆與華佗同時。壽光年可百五六十歳、行容成公御婦人法、常屈頸鷮息、須髮盡白、而色理如三四十時、死於江陵。(『後漢書』方術列伝)
【訓読】泠壽光・唐虞・魯女生の三人は、皆な華佗と時を同じくす。壽光は年百五六十歳可り、「容成公御婦人法」を行い、常に屈頸鷮息し、須髮盡く白きも、而れども色理は三四十時の如し。江陵に死す。
後漢の最末期、有名な医者、華佗と同時代人の方術の士である冷寿光は、古の仙人・容成公の婦人を御するの法を行い、「屈頸鷮息」(不老長生のための体操と呼吸法と思われる)して、髪もヒゲモ真っ白だったけれど、顔の色つやは3、40歳のころの若さを維持し、150から160歳くらいの長寿を保ったとあります。「御婦人の法」とは、『後漢書』の注に、「御婦人之術、謂握固不瀉、還精補腦也。」とあります。細かく解説して「なろう」の厳しいR15基準を突破したら困るので、字面の雰囲気から察していただくことにして、要するに中国の房中術の考え方では、快楽の頂点に達すると相手に精気を吸い取られてしまいます。つまりセックスはバトル。吸い取られないように、ひたすら我慢して、相手の精気を自身の内に取り込むのが、健康と長寿の秘訣なのです。
言い換えれば、「御婦人の法」とは、女性を快楽に導いて自らの不老長生を得る術です。この時の「御」は「馭」に通じます。馬や馬車を操るように、それに乗って操作する、というニュアンスが含まれていると思われます。
以上、R15内に納めるために少しはしょりましたが、「御」の字のエロエロしさついては、ご理解いただけたのではないでしょうか。
よく使う漢字「御」ですが、意外とエロい(意味もある)、そんなお話でした。
もちろん、エロくない意味もちゃんとあるから、「御手洗い」、とかを見るたびにギョッとしたりしないでくださいね!