血
長い長い沈黙が流れた。分厚い霧の様な静寂が漂った。先にしじまを破るは九兵衛であった。九兵衛は静かに、千次郎は死んだと呟いた。
訥々と、昨夜見聞きしたものを九兵衛が語り出した。吉原で目っけた薬屋の大男を追い掛けたところ、大門を出て吉原を遠く離れても相手の歩みは止まらず、町にも寄らず重た気な薬箱を背負って夜道をいつまでもいつまでも歩いて行く。何処まで行くのか、江戸を離れ、渋谷の田園に至った頃、田舎道のまん真ん中、大男は出し抜けに、辺りを警戒する様に見回し、かと思うと道を外れ藪の中に突っ込んで行った。土手に潜んでいた九兵衛も同じ藪に入る。物静かな夜、藪をガサガサと分けて行くと、開けた場所に出た。月明かりに照らされた其処はどうも荒れ寺らしい。傾いた縁側には薬箱が置いてある。
うら寂しい荒れ寺は、苔むした瓦が宵闇に浮き上がって恐ろしく、あの中で一体何が行われているのやら、九兵衛もゾッとして二の足を踏んだが、此処まで来たのだ、ええい儘よと、勇気を絞って朽ちた御堂の中を覗いた。
果たして、御堂には薬屋がおった。蝋燭一本の灯りに大きな身体をチロチロと舐められる様に背を丸めて座っていた。手元で何かを頻りに動かしている。鋸であった。刃にはベッタリ赤いものが付いている。いや、いや、鋸だけではない。御堂の床は全く血の海であった。
大男は死人の身体をばらしておった。
九兵衛の足は凍った様に動かず、その場から逃げる事も出来ない。目は大男の所業に釘付けであった。
死体には首がなかったという。だがあれは千次郎だと九兵衛には即断し得た。二引き半纏を羽織り、右腕には俺が付けた刀傷があったのだから、と。
大男はその右腕を先ず胴から切り離した。腕の付け根、右肩の下に鋸を押し当て、丸太を切る要領、ギコギコと肉を骨を切断した。
沸騰し過ぎた湯の様に血が吹き出るのも構わず、大男は右腕を切り落とした。サッと、床中に紅い潮が満ちる。その中央に大男は座し、黙々と解体を進めている。
右腕と同じく左腕も、右足も、左足も切ってしまう。こうなると、胴は最早、元が人であったとは思えず、血を吐くブヨブヨした脂の塊であったという。投げ出された四肢は、指があるので人のものと判るが、それでも胴から離れ転がっていると、棒切れの様な、人形の様な感があったという。
大男は四肢をスッカリ切ってしまうと、今度はそれらの始末に取り掛かった。まるでマタギが如く手慣れた調子で皮を剥ぎ、ノミで肉を削ぎ、すり鉢で骨を砕き、それぞれを小さな木箱に入れ、胴を腑分けし、臓物を干物の様に並べていた。
肉や骨の粉末をしまった木箱には、透頂香、と書かれてある。これは九兵衛の推察だが、恐らく大男は本当に薬売りなのだろう、人の身体を珍薬として売り捌く下手人なのだ。なればこそ、あんなにも手際よく、冷酷に、死体を解体せしめたのだ。
刀傷の残る右腕が、器用にも無惨に薬の材料になっていくのを見た時、九兵衛は身体の震えが極まって、やっと足が動くようになった。這う這うの体でどうにかその場を逃げ出し、縺れる足で夜通し走り日本橋に帰って来た、未だに身体の震えが残っていやがる、との事である。
世にも奇怪な、且つ凄惨な薬作り現場を目撃した九兵衛は、一通り語り終えると長い息を吐き、寒そうに己の二の腕を擦った。その目は夜を徹したせいか真っ赤に染まっている。異様に興奮した九兵衛の鼓動を表している様でもあった。
九兵衛は追い詰められていた。こんな九兵衛に、気の触れかけている九兵衛に、私は昨夜見たものを聞かせるべきでなかった。毎夜の夢枕に出る地獄絵図を語るべきでなかった。しかし、狂人の眼光が鋭い様に、九兵衛がジロリと私を睨み、お登美はどうだったと訊くものだから、唯でさえ疲弊し切っていた私は到頭語ってしまった。
昨夜、九兵衛を見送った後の事である。一人になった私は、暫くポツンと立ち尽くしたが、他に何の手立てもなく、九兵衛の指示通り店に上がってお登美の様子を確める事にした。
暖簾を潜れば、すかさず店主が挨拶に来る。今夜はお一人ですか、うむそうだというやり取りをした後、止める間もなく、おーい、お坊さんだよと店主がお年を呼ぶ。参った、今日はお年に用はないのだがと思ってももう遅い。二階からお年が顔を出している。
どうにかお年をやり過ごす妙案はないか、悩むも浮かぶものはない。悩む間にお年は私の手を取って座敷に引っ張る。ほとほと困った挙げ句、私は苦し紛れに出鱈目を言った。今宵は別の用事がある、実は先日寺の近所に不幸があった、坊主の仕来たりとして如何な場合でも初七日の内は毎夜経を読む事になっている、死んだ者は若い男だから、せめて魂だけでも吉原に連れて来てやりたいのだ。これを信じたものかどうか、お年はパッと手を離すと、そうですか、なら用事が済んだら来て下さいまし、通夜でもなし、まさか朝までお経をよんでいる訳はありませんからと、そう言って部屋に戻っていった。
これ幸いと私は二階の廊下に入り、早速般若心経を唱えたが、いや待て、これは具合が悪いのではと直ぐ思い直した。経を読んだ儘では、声で己の存在が露見する。お登美を窺うが目的ならば、お登美に姿を見咎められてはいけない。かといって、経を止めればお年に疑られる。嫉妬深いお年の事、必ず何処かで聞き耳を立て、私の経が途切れないか注意している筈。とはいえ、他に策もない。進退窮まり、私は一応経を唱えながら少しずつ声音を落とし、二階の廊下を歩いた。もしもお登美に見付かったら、その時はその時、言い訳の一つでも吐いて退散すれば良かろうと、腹を括った。
しかし、私はお登美に見付からなかった。般若心経が意外な法力をもたらしたのである。「臥遊奇談」が一説、「耳なし芳一」を御存知か。身体中に般若心経を書いた芳一の姿は、亡霊からは見えなくなった。あれと同じである。経を唱え続けた私の姿は、妖魔たるお登美には見えなくなっていたのだ。御記憶だろうか、私が初日に女郎屋を訪ねた際にも、一晩経を読み明かし五月蝿かった筈だが、次に店へ行くと、お登美はこう宣ったのだ。一人床は静か過ぎていけません、と。
さて、奇しくも私はお登美に悟られずに済んだ。いや、当時の私はそうと知らなかったから、かなり怯えていた。何度も廊下を引き返そうとした。しかし、不幸にも、無事、お登美のいる座敷に辿り着いたのである。
お登美が普段使いしている座敷の前に着いた私は、依然経を囁きながら、そっと、襖を僅かに開け、隙間から薄暗い部屋を覗いた。
部屋の中は地獄絵図であった。妖魔の胎内であった。この世の光景とはとても思えなかった。
先に九兵衛が、千次郎が死んだと切り出したが、私はとうから千次郎の死を見知っておった。何せ、覗き込んだ座敷の片隅、仄明るい蝋燭の傍で、お登美が千次郎の生首を抱えていたのである。
お登美は、髪をほどき、長襦袢だけを肩から引っ掛けたあられもない格好で、長火鉢の傍に正座していた。千次郎の首は、そんなお登美の腿の上に乗っている。丁度、耳掻きの態勢である。実際、お登美は耳掻きしておった。死人の耳に長い簪を深く差し入れておった。何をしているのやら、不審に眺めていると、やがて硬い物を突き刺す音がし、かと思えば肉をかき混ぜる様な音と共に簪が耳から引き上げられた。
簪の先で、本来は耳奥にあるまいまいが、血を滴らせ引き摺り出される。お登美はそれをうっとり眺め、次の瞬間に喰ってしまった。
この時、お登美が美味そうに身体を反らしたものだから、私は奴の全身を見る事が出来た。長襦袢の前がはだけ、露になったお登美の裸、その中央、即ち首から乳の合間、更に臍から両腿に至るまで、その真っ白い肌の上には真っ赤な血の川が流れていた。生首の切り口から滴り落ちる血を、裸の儘啜った有様である。
お登美はそれから千次郎の首を持ち上げ、徐に口を吸うと、大口を開け、生首をまるごと呑み込んでしまった。
お主は蛇が獲物を喰らうところを見た事はあるか。あれは凄まじいものだ。蛇の獲物といえば鼠かひよこだが、蟒蛇ともなれば犬や猪や人の子供も喰う事がある。蛇は凡そその痩身に収まり切らない大きさを相手にしても、口を裂ける程に開き、獲物を丸呑みにする。そして、あの細長い身体が獲物の形に膨らむのだ。呑んだものが今何処にあるか一目で判る様になっている。
お登美はまさしく蛇の化物だったのだ。千次郎の生首を頬が裂ける程の大口を開き丸呑みにしたのだ。しかも一度とて咀嚼せぬものだから、頭は頭の形を保った儘にお登美の身体の内を下っていく。口から喉を通り、胸を過ぎ、腹に落ち着くと、丸いものがお登美の腹を膨らませ、まるで孕み女の様であった。
お登美は膨れた腹をいとおしそうに撫でていた。お登美の顔は既に元の公家美人に戻っている。それが却って身体に流れる血の川の異様さを際立たせていた。
人とはおかしなもので、仏の道理から外れた、目を背けるべき陰惨な景色も、惨さの度合いが一線を超えると、寧ろ喰い入る様に見てしまうものだ。食後の溜息、お登美が、ふぅと、一息吐いたのを機に、私はようやく我に返った。
それから足音を殺して廊下を戻った私の胸中たるや、御推察頂ければ有り難い。お登美に悟られたが最後、私も千次郎と同じ道、首をゴロンと畳に転がす羽目になる。経は絶やさず、ジリジリと後退り、やっとお年の座敷に飛び込んだ。
もう一刻も私は彼処にいたくなかった。驚くお年にどんな言い訳をしたかも記憶にない。私は吉原から逃げ出した。浅草寺の本堂に籠り、必死に仏にすがった。
そうして恐ろしい夜が明け、約束だけは守るべし、第一に九兵衛の身が案じられる故、朝、日本橋が黒屋の客間に急いだ。
以上はまるで夢物語である。お登美は蛇だと話したとて九兵衛は容易に信ぜぬだろうと覚悟しておったが、九兵衛も薬屋の所業を目の当たりにしていた由、私が語っている間、時折相槌を打ちはしても、疑問や否定の口を入れる事は一度もしなかった。
互いに全てを話し終えると、既に昼近い。兎に角、もう二度とお登美には逢うなと、私は強く忠告した。女郎屋にも吉原にも近づくなと。死にたくなければ、あんな化物と金輪際係り合いになるなと、言い含めた。九兵衛は虚ろな目であったが、頻りに首をかきながら一つ頷いた。
しかし九兵衛は私の忠告に従わなかった。ものの数日経つと、九兵衛は酷く落ち着かない態度に陥った。昼間も自室の雨戸を閉ざし、闇中をウロウロ歩き回ってはぶつぶつ口の中で呟いておるのだ。よく聞けば、大作がどうだの、実物が見たいだの呟くらしい。
家族も狂人は持て余すとみえ、私に治療を乞うてきた。九兵衛がいかれた原因には心当たりがある。容態を聞き付けた私は、九兵衛の部屋に一人で行き、返事も待たずに襖を開けた。奴は部屋の隅に座り込み、病人めいた窶れ顔で、ひたすらお登美の名を呟いておった。そして、私の顔を見るなりこう宣った。
「考えたんだが、俺はお登美と心中しようと思う」
私は驚き、馬鹿言うな、阿呆を考える暇があるなら先ず身内を安心させる事を考えろと叱った。しかし、聞いているのかいないのか、九兵衛は続けてこう言った。
「大丈夫だ。お登美は死を恐れない筈だ。何しろ毎夜俺の杭に貫かれ殺されていたのだからな。それに、俺とても死を恐れていない。何故なら、もう何度も、お登美の内で果てる毎に死んでいる。そして、お登美は俺の放ったもので蘇り、俺はその傍らで死んだ様に眠る。そうして、観音様に似たお登美の手や声で起こされる朝毎に、俺も蘇っていたのだ」
私は一言もなかった。人はこうも狂えるものかと戦慄した。私は己の恐怖を誤魔化すべく、暗い場所にいるから頭も心も暗くなるのだ、光を通せと言い、雨戸を開けた。
部屋に、九兵衛の頭上に、御天道様が差し込む。私は見た。見たのだ。お登美の毒の正体をこの時見た。九兵衛の首の肌全部が、腐った様な青色に染まっていたのである。
蛇は蛇でも、お登美は毒蛇であった。お登美には噛み癖がある。床入りした男は、必ずやお登美に首を噛まれる。九兵衛の病は明らかにお登美の噛み痕を根にしていた。青色が一番濃い左の首筋に、ぷつ、ぷつと、二つの小さな傷痕が残っていたからである。
危急であると私は察し、決して外に出てはいけないと九兵衛に念押しした。更に、お前はもう素寒貧、遊ぶ金もないのだから、これも改心の機会と諦め、家族と幸せに暮らせ、お前の青い首は私に任せろ、きっと良い医者を探してくるからと、成る丈柔らかく言い、黒屋の父と長男にも九兵衛から目を離さないよう言い付けておいた。
これら全ては徒労であった。無駄な足掻きであった。私の不安が的中するは、舌の根も乾かぬその日の晩。父と兄がしっかり見張っていたにも関わらず、何処をどう抜け出したか、九兵衛は店の金を盗んで吉原へ行き、剃刀で以てお登美の首をかっ裂いたのである。
心中騒ぎが私の許に舞い込んだのは明け方であった。男と女と両方を知る坊主として名が上がったらしい。訃報から間もなく遺体が来る。供養は二人分を支度していたが、豈図らんや遺体はお登美のものしか運ばれてこない。てっきり九兵衛が無理心中したと信じていたものだから、遺体を担いで来た男衆に訳を訊くと、男の方は逃げたという返事。九兵衛はどうも自刃間際に恐れをなしたらしい。与力同心が夜半から方々に網を張ったから、お縄も時間の問題だと言い、男衆は帰って行った。
四畳半にお登美を寝かすも、私は立ったり座ったりを繰り返した。坊主が死人と二人切りになるは慣れたもの、常なら何ら忌むところはないが、此度ばかりは気が滅入った。お登美は真っ白い顔を横たえている。確かに死んでいるが、それでも昨晩見たものが想起され、つい疑ってしまう。こやつは本当に息絶えたか、今に目覚めて襲い掛かって来はせぬか、頭から喰われるのは勘弁願いたい。私は童子が如く怯えた。
湯灌を小僧に任せ、私は寺を出た。怯えている理由がもう一つあったからである。九兵衛が何処へ行ったか気掛かりだったのだ。無論、九兵衛の安否も気遣われたが、何より私は己の身を案じた。九兵衛が岡っ引きの手に落ち、詮議に掛けられ、万が一、白州の蓙の上に私の名が出されたら、破門、悪くすれば打ち首になりはせぬか、そんな想像に駆られ、私は日本橋へ走った。
黒屋を訪ねても九兵衛はいなかった。九兵衛の居所を訊くが、父も兄も、奉公人も皆知らぬと応えた。私は久兵衛の部屋を検めた。手掛かりはないか、必死の家捜しである。何も見付からなかった。見付かったのは書きかけの本と、九兵衛の謹慎中に私が届けたお登美からの手紙だけである。
アテが外れた私は、放心し、何の気なしにお登美の手紙を開いた。そこには一文字も書かれていなかった 。唯、蛇が一匹、描かれておった。
これで私は心底からお登美の本性を学んだ。私はまた走って寺に戻った。危惧した通り、お登美の骸が消えている。坊主曰く、湯を汲みに行っている間に消えたらしい。
もぬけの殻となった布団は冷たく、坊主は死人が動いたと騒ぎ逃げた。私は変に落ち着いていた。お登美が冷たいのは当然である。蛇は冷たくて当然なのだから。
小僧が逃げ、四畳半に私は一人となった。呆然としておったが、何か光る物が布団の上に落ちている。キラキラとした欠片である。拾うとそれは鱗である。蛇ならば当然鱗がある。これはお登美のものか。よくよく探せば、畳の上にも、縁側にも、庭の土にも、点々と鱗が落ちている。全部拾って行く。境内を出ても猶続く鱗の道を辿っていく。お登美は浅草寺から裏路地を使って日本橋へ向かい、其処から再び隠れて西へ、東海道を目指していると、鱗が教えてくれた。
春であった。陽気が人心を浮かれさせ、道行く人々は皆笑顔であった。日本橋は活気に満ち充ちていた。愉快な人混みの中、私だけが幽鬼の様にフラフラ歩いた。さばかり生気の抜け落ちた顔で歩いていたに相違ない。江戸の中心、温かな雑踏の中心にいながら、私は世間から絶縁された心持であった。
私は鱗を頼りにひたすら東海道を西へ向かった。御天道様が傾き沈み、月が上がってもズット歩いた。そうしてある村外れ、寂しい田舎道、神社の石段の麓の樫の木の傍にて、九兵衛とお登美を見付けた。
フラフラ歩きの私が二人に追い付いたのは、恐らく、九兵衛もお登美も人目を憚り、裏道や迂回路を余儀なくされたせいであろう。
満月であった。辺りは仄白い月灯りに浮き上がり、九兵衛とお登美の頭上には、樫の木の影と満開の桜が降り注ぐ。村芝居にしては美しい道具立てが揃っておった。
お登美の身体はヌラヌラと濡れ、死装束を肌にピタリと貼り付けていた。まるで今しがた湯浴みした様な瑞々しい肌である。いや、お登美は蛇であるから、脱皮し終えた様な肌と言う方が正しいか。
対する九兵衛の身なりは卑しかった。着物は汚れ、頬はこけ、首は真っ青、あの人好きのする面影は全く消え去っていた。
お登美がどうやって九兵衛の行方を探り当てたか、それは判らん。九兵衛も驚いた顔で腰を抜かしている。地べたを這う久兵衛に、お登美はゆっくり近付く。私は桜の陰に隠れ、一部始終を眺めた。
お登美が美しい怒り顔で九兵衛を詰る。
「よくも私を殺ってくれたね。昼行灯ごときが。お前のおかげでどれだけ鱗を無駄にしたか」
「悪かった、この通り、許してくれお登美。命だけは勘弁してくれ。もう少しなんだ。もう少し、もう少しで書き終わるんだ」
「おや、この人、こんな時まで戯言だ。書き終わるったって、あんな三文芝居、書き終わったところで世間様は見向きもしないよ。仕様のない」
「勘弁してくれ。あとほんの少しで終わるんだ。書き終われば俺は一廉の作家になれるんだ。そうすりゃ、お登美、お前を嫁に貰えるんだ」
「呆れた。九兵衛さんはほんに馬鹿なお人ですよ。そんなに言うなら代わりを寄越しなさいな。いいえ、一人じゃ足りません。また一から鱗を集め直しですから。私と連れ添う積もりなら、沢山用意して頂かないと。ほら、最初に今夜の分を用立てて下さいな」
「代わり、代わりなら、そうだ、アテがある。延生だ。延生なら俺が呼べば何の疑いもなく来てくれる。坊主のくせに大門を潜った男だからな。延生をお登美にあげる。俺がまた店に誘うから、座敷に入ったところを襲えば良い。なぁ、それで勘弁しておくれよ。なぁ、止してくれ。どうしてこっちに来るんだ。笑っておくれよお登美。なぁ、なぁ、止してくれ、勘弁してくれ。延生、何処にいるんだ、延生」
九兵衛が私の名を叫んでも、私は決して出て行かなかった。
やがてお登美は九兵衛の眼前に佇み、しっかと彼の頭を掴むと、容易く首を引き千切ってしまった。九兵衛の青い首は腐って柔らかくなっていたのだ。
桜吹雪に血飛沫が混じる。倒れ伏した九兵衛の骸は、首の断面からドクドクと血を垂れ流し続けた。頭の方も、目を剥き出し、口を歪めた苦悶の表情で、首から血を滴らせている。
九兵衛の生首、我が友の首を手中にしたお登美は、つまらなさそうに、それをポイと、樫の木の根本へ放ってしまった。
これが彼処に髑髏がある由縁である。随分長々と語ってしまったが、語り足りぬ点があと一つだけある故、今暫くお付き合い願いたい。
何故お登美は九兵衛の首を丸呑みにせず放り投げたか、定めし御不審であろう。それにはこういう訳がある。あれは意趣返しなのだ。
お登美が一度九兵衛に殺され、己の命たる鱗を多量に散らした事はもうお話しした。お登美はそれを酷く恨み、死して猶九兵衛を嫉妬させるべく、彼の首の前で鱗集めを始めたのだ。即ち、生贄となる男を捕まえ、絡め交わり、首に噛み付き毒を入れ、己の身体に充分溺れさせた後、腐った首をもいで頭を呑む、この全部を九兵衛に見せ付けておるのだ。
それは未だに続いている。春が過ぎ、夏も過ぎる頃には、九兵衛の顔の肉も目玉も腐り落ち、今や白い髑髏だけが残って、哀れな男の顛末を晒しているのであった。
これで私の話は終わりだが、不承知がもう一つあると仰言るか。何故、私が此処に居残っているか、寺に戻らぬか。それは最初に申したが、私は此処で人を待っておるのだ。それに、我が首を御覧頂けたならば、一切の事情が呑み込める事であろう。
あぁ、来た来た。私の女主人がやっと来た。えぇ、今夜もキチンと捕まえておきました。




