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髑髏話  作者: 白基支子
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冬の寒さが病人には堪えたらしい、調子の悪さが日に日に増し、咳も激しく、昨晩からは寒い寒いと譫言うわごとを呟きながら額に汗を浮かべ、手は尽くしたが、ついに今朝お迎えが来た、臨終の際、母上は九兵衛の名を何度も呼んでいた、とは、医者の話である。

朝帰りにこれを聞かされた九兵衛の心持ちを察するに忍びない。いわんや、父や長男の落胆具合をや。

通夜は浅草寺にて執り行われた。葬儀も終わり、荼毘だびに付され、初七日も過ぎた後、黒屋家は大いに揉めた。無論、次男の処遇についてである。

九兵衛は針のむしろであった。遊女に逢っていたが為に、親の死に目に会えなかったとなれば当然か。親類ことごとく九兵衛を責め立て、一時は勘当話も出たらしい。しかし、非力な坊々を無一文で放逐したらどうなるか、想像に難くない。九兵衛のタチをかんがみれば、物乞いに落ちる程の度胸もない、そこらで野垂れ死にが関の山、もしそうなったら死んだ母に顔向け出来ん、と、長太郎は考え、九兵衛を庇い立てた。父の甘さである。又甘さに救われた九兵衛はどうにか謹慎で済む事に決まった。

年の暮れ近くであった。唯でさえ日の短い時節だが、九兵衛は家に閉じ込められている間、一日中、暗い部屋の隅の机にじっと向かっていたらしい。ある時、黒屋の主である兄が、何処へか奉公に出ろと、九兵衛に宣ったそうな。しかし九兵衛は頑として聞き入れない。九兵衛は笑いながらこう応えたそうだ。俺ももう二十八、何処に引き取り手がある、それより俺にはやる事がある、一世一代の大作を書いているんだ、世間皆が驚いて見た者皆が涙する芝居だ、待っていろ、今に出来上がるぞ、邪魔してくれるな、と。閉め切った暗い部屋の、行灯に照らされた九兵衛の笑顔は物凄く、目は見開かれ、ニタリと覗いた白い歯が灯に揺らめいたとか。これを見た兄は、こいつは狂ったのだとおののいたらしい。

実際、九兵衛はどうかしていた。年が明けても九兵衛の謹慎は解かれなかった。相変わらず部屋の机で大作とやらを書いているらしい。私は黒屋を訪ね、九兵衛に面会した。久方振りに顔を合わすと酷く痩せ細っている。飯を食うのが面倒なのだと九兵衛は言った。無理にでも食えと私が叱るも笑うばかり。恐ろしい笑みであった。世の何もかもを憎む笑みであった。

これはいかん、愈々いよいよ九兵衛の心根に住み着く悪鬼が暴れ出した。ならば、生臭だが坊主として、友として、何とか悪鬼を祓わねばならん。幸い手立てはある。私は懐から手紙を取り出した。九兵衛にてた、お登美からの手紙である。

実は日本橋に来る前、私はお登美を訪ね、九兵衛の事情を説いておいたのだ。九兵衛はこれこれこういう身の上である故、暫くそなたと逢えん、因果を含みそなたも堪えなさい。私がそう言うと、お登美は涙を、無論嘘の涙だが、涙を流しつつ、一日千秋です、とても耐えられません、せめて一筆したため、九兵衛様への想いをしかと届けてくれませんかと、頼んできた。

という経緯いきさつを話し、私は九兵衛に手紙を渡した。九兵衛は貪る様に文面を読むと、本物の涙を流し、これからは心を改めて働く、母には本当に済まなかったと、何度も繰り返した。

そうして本当に九兵衛は人が変わったように実家を手伝い始めた。父と長男はやっと安堵し、私に感謝を述べた。しかし誰より安堵したのは、他でもない私である。

九兵衛の母が死んだ時、九兵衛が責められたのは最前も述べたが、その裏で私も親類縁者から陰口を囁かれていたのだ。坊主が附いていながらあんまりな体たらく、とんだ不良坊主を掴まされた、無能を送った寺の責も軽くない云々。

私は酷く恐れた。何より住職の耳に私の失態が届く事を恐れた。なので、どうにか危惧が去り、私は心底安堵した。だけでなく、九兵衛の更正を成し遂げた積もりにもなり、気が大きくなってしまった。

九兵衛が店の手伝いをするようになって一月、ようやく謹慎が解かれた。

牢から出た囚人の晴々しい顔は、こうも晴れやかな空に映えるものかと思われたものだ。ちょっと店先に出ただけでも、九兵衛は天を仰いだ。悪鬼は見事退散した様子であった。

待ち詫びた娑婆に放たれた男の手始めとは。己の女に逢いに行く以外ない。釈放後いきなり遊里とは、はなはだ不謹慎だが、私とて一別以来の逢瀬を止める程野暮ではない。私と九兵衛は連れ立って吉原へ赴いた。

初めて吉原を訪ねた日と同じく風の寒さが肌に沁み込む夕方であったが、あれから季節は進み、道々に寒椿が零れ、落ちた紅い花の真上には、沈丁花の細やかな白い花が開き始めていた。九兵衛はたもとをかき合わせ、寒い寒い、早く火鉢に当たりたいと、足早である。火鉢とはお登美の渾名あだなである。お登美の寒がりは有名で、初秋にはもう引っ張り出し、いつでも火鉢から離れない事は誰でも知っている。

見返り柳を過ぎ、大門を潜る。懐かしき茶屋へ入る。いざ座敷へ通される、かと思うたが、私達は座敷に上がれなかった。

店主が頭を下げて曰く、お登美は留守らしい。吉原の内で何が留守かと喉から出かけたが、出直す他ない。いつならいるか、九兵衛がしつこく問うても、店主は返事を濁す。なら毎日来ると言い置き、その日は大人しく、寒い中を温まれずに家へ帰った。

それから次の日も吉原へ行った。お登美は留守だと言われ帰る。次の日も行った。店主の返答は変わらない。その次の日も何ら変わらず、いつまでもお登美は留守である。

流石にこれはおかしい。もしやあの店主、俺達をたばかっているんじゃないか。痺れを切らした九兵衛は、苛立たし気に膝を揺らしていた。目はギラギラと輝き、焦燥が眉間に皺となって表れた。狂人の顔付きに近い。凶兆である。これこそお登美の毒であったのだが、そうと知らない当時の私は、折角退治した悪鬼が、九兵衛の中に舞い戻ろうとしていると心配した。そこで、善は急げ、急がば回れ、私が様子を見に行く、お主は待っておれと提案し、一人、廓へ向かったのだ。

座敷に上がりお年を呼ぶ。なかなかやって来ないお年が、かむろに引っ張られるようにして来る。対面したお年は不機嫌であった。それでも、なだめすかし、訳を語って、お登美が九兵衛を避ける理由を問うと、お年はやっと話し出した。

一月前、年明けくらいだったかしら、お登美姉さんに新しい馴染みが出来ましてね、名前は千次郎せんじろうとか、今はそっちに係り切り、なんたって姉さんの馴染みですから。更にお年はこうも言った。けどねぇ、あのお客は何だか変なんですよ、幾ら姉さんの馴染みは通い詰めになるったって、あの人は見るからに貧乏なのに、毎日来るんです。

お年は首を傾げていた。しかし、お年が変だと指摘した点について私は思慮を重ねず、兎も角事情を九兵衛に明かさねばと気が急いて、夜明けを辛抱、朝一番に黒屋を訪ねた。

仁徳の書幅が掛かった客間にて、お登美の新しい客たる千次郎について私から聞かされた九兵衛は、居ても立ってもいられぬという具合で、よしよし、千次郎だか万次郎だか知らんが、相手が横取りの腹なら俺にも考えがあると、威勢よく部屋へ行き、ありったけの銭を持ち戻って来た。これから春だ、気前よくいかなねばなと宣い、私を連れてお登美を囲う女郎屋まで駆けて行く。嫉妬に駆られるとは、よく言ったものである。

上がりがまちに、ドンと、重たい財布を叩き付け、これで派手にやりたいんだが、お登美はいるかいと、九兵衛がうそぶく。突飛な大金に店主は面喰らったが、へい唯今と、私達は早速座敷に通された。

それからが大騒ぎであった。山海の馳走が並ぶ、芸妓が四人も来る、三味線が鳴く、金屏風を背に舞を踏む、空の徳利の川が流れガチャガチャいう。ここまで御膳立てして、やっとお登美も顔を出す。

「御無沙汰してしまいました。九兵衛さん、御無事で良かった。もう逢えないかと思うと、寂しくてやり切れない宵ばかりでした」

四角な卵と遊女のまこと。こんな愛想に容易く絆されるは惚れた弱味、一言あるぞと意気込んでいた九兵衛も相好を崩してしまう。これぞ花魁の手練手管である。

その夜の大宴会はいつ終わるとも知れず、月が進む間に誰しもが疲れ眠ってしまった。朝、二日酔いに痛む頭を抑えつつも、九兵衛は満足な顔で大門を出た。悪鬼の影も霧散していた。

これで終われば万事丸く収まった。しかしめでたしめでたしとはならん。大宴会はあまりに五月蝿かったのだ。九兵衛が催した酒宴の噂は瞬く間に広がり、ただちに敵方千次郎の耳に入るところとなった。

こうして九兵衛と千次郎の宴会合戦の火蓋が切って落とされたのである。

どれだけ豪勢な宴が開けるか、互いに張り合い一歩も退かず、より金を掛けた方がお登美を手に入れるといった具合で、男二人はズブズブと大金を融かしていった。やれ千次郎が著名な検校けんぎょうを呼んだぞ、やれ九兵衛は落語の名人を呼んで座敷を寄席にしたぞ、やれ珍味、やれ役者、南蛮の奇妙なからくりを贈り、清の香炉を買い付け、純金の簪をこしらえる。

偶々二人が店に居合わした際などは、つまらない口喧嘩からやがて殴り合いの喧嘩に転がり、九兵衛が台所の包丁を失敬して千次郎の右腕を切りつけた。これには流石の店主も憤慨し、危うく二人は出禁になりかけたのだが、もっと金を注ぎ込む約束でやっと勘弁して貰った。

これで金が続く訳がない。九兵衛の母は死んだのだ。甘やかして小遣いをくれる者はもういない。店の手伝い程度ではとても追い付かない。

九兵衛の貯えにも底が見え始めた頃、そろそろ止めろと私は忠告した。これで止まる訳もないと私も知っている。私はこう続けた。お主の資金が崩れているのと同じに、千次郎の懐もかなり痛手を被っている筈、其処のところを私が探って進ぜよう。

この申し出を九兵衛も渋々飲んだ。奴の懐も相当に手痛い状態だったからだろう。真を申せばこれ以上の合戦は財布を圧迫するどころか身を滅ぼすと、己自身でも薄々勘付いていたのであろう。

杏の花が冬の終わりを告げる季節であった。私は大門を打ち、お年に探りを入れに行った。座敷遊びはせず、お年に経典や説法を聞かせ、退屈にお年があくびするのを潮に、宴は好かぬが、九兵衛が催す宴は流石に賑やかである、定めし店も繁盛している事だろう、確かもう一人宴会好きがおったようなと、切り出してみた。

似合いませんねぇとお年は急に笑い出した。お坊さんがあたしらみたいな女に鎌を掛けようたって、いけませんよ、馴れない事はお止しなさいな、どうせ九兵衛さんを心配して、千次郎さんの様子を探りに来たんでしょう。私は驚いた。花魁は人心を見抜く術があるらしい。こうなっては降参する他ない。素直にそうだと頷くと、お年は一層大きな笑い声を上げ、ようございます、可愛らしいから教えてあげましょうと言った後、声音を落とした。

此処だけのお話ですよ、お年がヒソヒソと耳打ちする。お坊さんが敵情視察に来たのなら、九兵衛さんは火の車なんでしょう、でもね、千次郎さんはもっと危ないんですよ、大宴会なんて気前は良いけど、そりゃ建前、だって会計の度に血を抜かれたみたく段々顔が青冷めていくんですもの、ありゃ遠からず丸裸、まったくお登美姉さんは怖いお人だ、骨の髄までってのはああいうのを言うんでしょうね。

お年は、それにねと付け加え、一層小声になった。この間は言いそびれましたけど、先月の中頃、お登美姉さんをあの大男が訪ねに来たんですよ、そう薬屋の大男、それであたしが座敷の前を通った時、つい耳に入ったんですけどねぇ、暗い部屋の中で、姉さんと大男がボソボソ相談してるんですよ、その中身が酷くうろんでね、逃げられたとか、代わりがいるとか、早目に始末を付けたいとか言い合ってるんです、来月又来ると言って大男が立ち上がったもんだから、あたしは急いで退散したんですけど、あれは何を相談してたんですかねぇ。

更に更に、お年は大男が次に来るのは、通例に従えば大体二、三日後くらいだろうと言った。

次の日、お年から聞き出したこの奇妙な話を九兵衛に伝えた。千次郎が干上がりかけている事実については喜んだ九兵衛であったが、薬屋とお登美との間で交わされた相談については意見の仕様がない様子であった。私とて同じである。お年の執念によって得た情報は仔細に欠け、雲を掴む心地であった。全部がお年の嫉妬が生んだ嘘でないとも言い切れない。

どうという思案もない、そも私達の手に余る、いっそ番屋に持ち込むか。私はそう意見した。しかし九兵衛は首を横に振った。いや、詮議には及ばない、先ずは己の目で確かめなければと、九兵衛は勇んだ。

それで九兵衛はどうしたか。単純である。二、三日の内に件の大男が現れるなら、現れるまで女郎屋の前を見張ったのである。

夜通しの見張り番である。未だ寒い宵が続く最中に、男二人、松の陰に潜んで廓の暖簾を見守り続けるのである。しかも相手は来るか来ないか曖昧な上に、来たところで其処から先は何の策もない。思い返すも愚かな案であった。

それでも結果は出たのである。出ない方が良かったのだが、張って二日目、本当に薬屋が現れた。お年は真実を語っていたのだ。時分は廓に来るには早い夕方前である。

私達は慌てた。大男が店に入っても動く事すら出来ず、人入りの始まった店先を唯眺めているだけだった。善後策を考えなかった弊害である。

それだけではない。私達をより慌てさせる出来事が起きた。張り込みを続けていると、暮れ始めに、二引き半纏はんてん姿の千次郎もやって来たのである。

九兵衛は私の顔を見詰めた。予想外が続き、頭が真っ白になった表情である。時ばかりが過ぎ、九兵衛のポカンとした顔色が段々焦れてくる。眼前で敵方が恋人との逢瀬を果たしているのを知りつつ、じっと我慢する九兵衛の胸中たるや、江戸の大火も斯くあらん。目が充血し、今にも店に飛び込まんばかりの気勢であった。

どれだけ待ちぼうけたか、日はとっぷり沈み、廓の盛りを経て、上客が帰り、馴染みが泊まるかどうか悩み出す頃、ようやく大男が店から出て来た。常ならず、大きな薬箱を重た気に下げ、大門の方へ向かっている。

この時、咄嗟に放った九兵衛の策が、私達の命運を分けた。九兵衛はこう言ったのである。

「延生、お前は店に上がってお登美の様子を探ってくれ。俺は薬屋をける。跡を追うのに法衣では目立っていけない。それに、もしも千次郎とお登美の逢瀬を見てしまったら、俺は奴らを殺すやも知れん。朝方、俺の家で落ち合おう。頼んだぞ」

九兵衛は一目散に大男を追い掛けた。騒ぐ吉原の男と女、格子から突き出た煙管きせるの雨を掻き分け、真っ直ぐ大門を目指す九兵衛の背は、間もなく人混みに消えた。

残った私は、九兵衛に言われた通り、お登美と千次郎の座敷を覗きに行った。嗚呼、あれこそ地獄絵図である。私は毎夜あの景色を夢に見るのだ。

そうして翌朝、私と九兵衛は黒屋の客間に集い、昨夜見たものについて、互いに顔を真っ青にして語り合ったのだった。

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