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髑髏話  作者: 白基支子
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遊里ゆうりを訪ねるとは、ろくでもない生臭坊主と定めし侮蔑された筈だ。私とて己の卑しさに鳥肌が立つ。私は罪を重ね過ぎた。今生での解脱はもう諦めている。来世は恐らく畜生道に堕ちるだろう。私は仏の試しに落ちたのだ。

しかし、何もハナから九兵衛の口車に乗った訳ではない。芝居を見、寄席を聞き、成程、道楽の内にも時折深い含蓄が光るものだと納得した私であっても、廓の敷居を跨ぐ程に分別がなくなってはいなかった。

私が遊女の園へ赴くには、こういう訳があったのだ。つまり、又しても九兵衛の駄々である。九兵衛はあっけらかんとこう宣った。曰く、俺を知りたければ共に行こう、なに、坊主が廓に泊まった例は幾らでもある、しかも一休和尚や白隠はくいん禅師などの高名な方々もその中に混じっている、と。

ある意味これは事実であった。そも、黒屋長太郎が相談にやって来たのは、近頃九兵衛が女遊びを覚えたからである。仏の毒矢の逸話もある様に、懸念は先ず引き抜くに限る。九兵衛と共に廓へ行き、入れ込んでいる女共々私が一喝すれば改心するだろうという腹積もりがあったのだ。

とは申せ、流石に初回は大分躊躇した。あれは冬の寒さがそろそろ肌に沁み入る日の夕方であった。空は鼠色、私の足取りを一層重くした。隣では気楽な九兵衛が流行を歌っていた。男一度は伊勢と吉原、人肌恋し寒空に、そういう九兵衛の歌は田に消えた。見返り柳であれ程何編も振り返った男は私だけだろう。大門の手前で立ち止まり帰ろうと試みもした。

しかし私は中へ入った。九兵衛が平気で入って行くのを見逃せなかったのである。

それからのその夜の記憶は曖昧である。九兵衛が馴染みにしている茶屋に上がった事と、一頻り宴があった事と、私が独り寝の床で経を読み明かした事と、お登美の容姿以外の事全てはスッカリ抜け落ちてしまった。

お登美は奇妙な女であった。よわいは二十前後に見えるが、流行りの顔付きとは異なる、少々古風な美人であった。人形の様に整い過ぎた顔立ちであった。加えて、江戸には珍しい気風の弱い女であった。吉原より島原で売れそうな女であった。即ち、源氏絵巻に出て来る様な、公家風の美人であった。故に、坊々ぼんぼんたる九兵衛が入れ込んだのであろう。

お登美の人となりについては、初回にはまるで伺えなかったが、後々解していった事には、大概には楚々として、一見したところ無口なのだが、馴染みには悪戯な性根が現れるらしく、そうすると途端に口数も増え、齢よりもグッと幼い、マセた少女の様になる。しかしこの性格も、底の底に秘匿されたお登美のあやかしとしての本性を偽る為の扮装であった。

お登美は男を堕落させ、虜にする術を身に付けていた。これはおよそ人の術ではない。なればこそ、私はあの女をあやかしと強く呼ぶのである。では、はて、如何な妖術なりや、それは話が進めば追々明かされる由、暫し待たれよ。

兎も角、私の目論見は果たされなかった。九兵衛とお登美を共に一喝し、二人を別れさせる算段は、遊女達の喧騒や三味線や、客達の酔声や囃し立てに紛れてしまった。私は初めての宴にスッカリ目を回してしまったのだ。

しかし、肝心のお登美の姿は見覚えた。一度目を済ましてしまえば、吉原とて何でも無い。私はそういう風に腹を据え、次の日もりずに吉原へ向かう九兵衛に同行した。

昨晩の座敷に通され、九兵衛と待っていると、お登美とその連れが顔を出す。連れられた遊女の名はおとしという。私にあてがわれた遊女である。お年は当世流行りの、気っ風の良い、江戸美人である。当然私は断ったが、一人床では静か過ぎていけませんし、まぁまぁ形だけでもと、お登美に押し切られた。

皆が座に付き、さぁ一杯目という直前、お登美が酌するのを留め、突然に九兵衛が座布団を退き土下座した。延生済まぬ、俺はお前に会ってからも時々お前の目を盗んでお登美のもとに通っていた。九兵衛は頭を畳に付けた儘続けた。だがこれも故あっての事、以前にも言ったが俺は芝居を書きたい、取り分け艶話を書きたい、遊郭に通うのも取材の為、取材第一である、その証拠に先日書き終えた本がここにある、是非読んでくれ、と。

九兵衛は懐から本を取り出し、私に渡した。私は直ぐ開いて読んだ。お登美とお年も気になるらしく、私の左右から覗き込む。ザッと目で追うだけだったが、よく出来た筋であった。「籠釣瓶かごつるべ」に似た、又しても大人数の血を見る話であったが、つい全てを読んでしまう程であった。お登美もお年も面白い面白いとはしゃいでいる。

私は本を閉じ、土下座する九兵衛の頭を見ながら悩んだ。これは確かに一廉ひとかどの作者になるやも知れん。才を伸ばすも仏の道。九兵衛の才を手折るは得策と言えるか。もう少し様子を見守るべきではないか。

「九兵衛、面を上げよ。私は怒っておらん。そういった故があるならば、今暫く猶予を与えよう。しかし私の目の届くところに限るが、構わんな」

私がそう言うと、九兵衛は一層頭を下げ、厚く礼を述べた。左右のお登美お年も粋だねぇとからかった。

それから私達の遊里通いが本格式に始まった。

ある晩、私と九兵衛とお登美とお年の揃った座敷にて、九兵衛が書画の話を出した。流石に趣味とするだけあり、九兵衛の話は立て板に水、他三人は相槌を打つばかり。掛け軸、屏風、襖絵等々、芳年よしとし暁斎きょうさい国貞くにさだ等々、九兵衛はあらゆる絵師について論じた後、今の浮世絵に話題を転じ、更に美人画、そして春画について語り出した。春画の手本といえば遊女だが、お登美はどうだいと、酔った九兵衛が問うと、お登美はコロコロ笑いながらこう応えた。

「春画は構いませんが、あれは殿方が大きく書かれ過ぎております。手本になる時緊張するのか、殿方は大概小さくなっておりますから」

私はギョッとした。対して九兵衛は手を叩いて喜んでいた。

こんな事もあった。

昼からの法事に務めた私が、夕刻、一足遅れに茶屋へ出向くと、座敷は常ならず静けさに沈んでいた。明かりとても行灯の頼りないものが襖の間から漏れるばかり。何事かと思い隙間を覗けば、長火鉢の傍にお登美が座し、その両腿の上に九兵衛が頭を乗せ横臥していた。どうやら耳掻きに興じているらしい。私はガラリと襖を開けた。九兵衛は何とも言わず目だけで挨拶を寄越した。私も黙って隅に座った。冬の静けさであった。近くに炭の爆ぜるパチンパチンという音が、遠くに向こうの座敷の騒ぎが聞こえた。ふと、お登美が息吐く様に笑った。こうするとこの人も黙るんですよ。そう言って、細い簪に似た棒を九兵衛の耳に差し入れ、カサカサと動かしていた。

連日連夜の廓住まい、殆ど通い詰めである。誰しも首を傾げずにはいられまい。私も不思議であった。なので九兵衛に直接に問うた。よく金が続くものだ、と。九兵衛は悪びれずに応えた。実は母から頂戴している小遣いを長く蓄えていたのだ、加えて入り用の際は母から余計に貰える、それでどうにか遣り繰りしている、持つべきは優しき母だな、俺も感謝して母の看病に身が入るというものだ。私は呆れて物が言えなかった。

しかしこれは九兵衛の性根の問題ではなかったのだ。

いつも通りに座敷へ上がり、九兵衛とお登美の仲睦まじいサマを傍目に、私はお年に相談を持ち掛けた。九兵衛の財布事情を打ち明けたのだ。どうにも九兵衛はお登美に入れ込み過ぎている、幾ら取材の為とは申せ、この儘では近い将来身持ちを崩しかねない、少し控えるよう、主からお登美に言って貰えぬか。お年は困った顔で応えた。えぇ、私も同意見ですけど、何しろ相手はお登美姉さんですからねぇ、姉さんの客はそういう事で有名なんですよ、と。そういう事とは何だ、私が問う。お年は益々困り顔になった。へぇ、何と言うか、お登美姉さんのお客は皆、あの旦那とおんなじになっちまうんです、三日と空けず姉さんに逢いに来るんです、姉さんの馴染みはいつも一人か多くて二人なんですが、あんな調子で頻繁に来るし、その馴染みがパタリと来なくなっても直ぐ次の馴染みが出来るってぇ具合で、ウチの店主は大層喜んでますけどねぇ。

けど、と、お年は斜め上を見つつ言い継いだ。そう言えば一人、他のお客さんとは通い方の違う人がいましたっけ、そうそう、見た目も風変わりなお客で、薬売りなんですけどね、そりゃあもう丈もタッパも大きく、山みたいな人なんです、晴れの日にも笠を被ってましてねぇ、顔は一度も見てないんですけど、そのお客さん、一月か二月毎にお登美姉さんに逢いに来るんですよ。

私もその薬売りには見覚えがあった。あれはいつだったか、茶屋の土間ですれ違ったのだ。よく覚えている。お年が言う通り見上げる程の大男で、網代笠あじろがさを目深に被り顔は伺えない。荷物に「薬」の一字が大きく書かれた大箱を背負っていた。挨拶もなく、大男はその儘窮屈そうに暖簾を潜って行った。それだけの事なのだが、あんな大荷物を容易く担ぐものだと、私は感心してよく覚えていたのだ。

そうか、あれはお登美の客であったか。私はてっきり、富山の薬売りよろしく、常備薬を売りに来たものと推察していたのだが、どうも勘違いであったらしい。お登美には妙な客が付いているのだなと、その時はあまり深く考えはしなかった。

しかし、これも私の早合点であったのだ。大男はお登美の買い手でなく、お登美こそ大男の売り手だったのである。

この不可思議な関係もじきに説明しよう。順序として、それよりも先に起きた事件がある。先ずはそちらを説明せねばなるまい。

仏罰であった。因果の返報であった。或いは、お登美の毒牙が早くも効き出したか。私が薬売りの大男の話を聞いた明くる日の朝方である。病に臥せっていた九兵衛の母が死んだ。

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