起
道端に髑髏がコロンと落ちている。ほら、ほら、彼処、神社の石段の麓の傍に植わった樫の木の根本に、月明かりに照らされ、ぼんやりと、白く無垢に光っている。
これの名は黒屋九兵衛。勿論生前の名前である。江戸日本橋に構える大店が次男であった。
九兵衛の享年は二十八。未だ何事も成し得ていない内に、此処にこうして骸を晒す羽目と相成るは、多少易からぬ謂れがある。
今、髑髏の目元にキラリと瞬くものがあった。髑髏が涙を落としたか。己が無念を嘆くのか。いや、涙にしては長い。鱗もある。がらんどうのその目の穴から、ヌルリと、一匹の青大将が滑り出た。
九兵衛が泣く泣く死んだのも、あんな風な、蛇みたく身体も性根もヌラヌラした女が一人、深く関わっている。
しげしげと眺めておいでだが、興味がおありか。髑髏の出自、顛末、易からぬ謂れについて。
秋の夜は長い。此処は誰も通らぬ田舎道。私も人を待っている身分。暇潰しに、九兵衛が身の上話を聞かして進ぜよう。
さて、九兵衛当人の話より先に、語り手、即ち私が誰か、何故九兵衛の経緯を委細承知か、これを説明するのが筋であろう。暫し、私の身の上話にお付き合い願いたい。
なりも落ちぶれ髪も乱れたこの風体では見る影もないが、私も昔は坊主であった。浅草寺の修行僧、法名は延生という。
忘れもしないあの日、今夜と同じ、彼岸花が咲き始めた秋の夜であった。私は住職に呼ばれ、伝法院の客殿に参った。入ってみると、胡麻塩頭の男が住職と何やら話し込んでいる。男は大分困った様子で、住職が頻りに励ましていたのをハッキリ覚えている。
その内、私に気付いた住職が互いを紹介した。男の名は黒屋長太郎、九兵衛の父であった。長太郎は放蕩息子である九兵衛の処遇について、住職に相談をしに来たのだそうだ。
長太郎はこれまでにも度々同じ相談を住職にしていたという。曰く、次男の九兵衛は幼少時代身体が弱く、故につい甘やかし育ててしまった。取り分け母親の溺愛振りは一方ならず、男ながらまるで姫育ち、その結果、九兵衛は丈夫な身体の二十七にもなって昼行灯、稼業は全て長男に任せ切り、自分は毎日遊び歩き、小遣いがなくなれば母親に又甘えるといった始末。
這えば立て立てば歩めの親心。この儘ではいけぬと、父や長男が九兵衛を諭し叱っても柳に風、そんな内に今度は母が病に倒れた。病床に臥せった母が、九兵衛を責めてやらないでくれと、泣いて頼む。病人にせがまれては長太郎も強く出れない。九兵衛は又遊びに行く。ほとほと困ったと、長太郎は訴えた。
これを聞いた私は、よくある話と断じた。商家とて武家とて次男は腐り易い。母親が息子に溺れる事とて世間にありふれている。しかし相手は大店の御隠居、檀家衆の中でも御布施は随一。住職が親身になる由は直ぐ察せた。即ち私も無下に出来ない訳である。
住職は更に長太郎に媚びる様にこう付け加えた。九兵衛は決して悪い人間ではない。優しく、頭も良く、面倒見も良い。人懐っこいところがあり、知人友人も多い。親孝行でもあって、病身の母を屡々助けている。書画や芸事に凝っており、故に教養も深い。これで商売に精を出してさえくれれば、何処に出しても恥ずかしくない息子であろうに。
「九兵衛殿の人となりは充分解しました。して、御二人は私に如何な御用向きで御座いましょう」
なかなか本題に触れない長太郎と住職に業を煮やし、私は直接にこう訊いた。すると、二人は互いの目を見合い、束の間黙った後、先ず住職が口を開いた。
曰く、九兵衛に我ら年寄りの説教は功を奏さない、なお悪い事に、九兵衛は最近女遊びを覚えた、其処で、年の近い延生、お前が九兵衛を説得せよ、最近の江戸は何かと物騒だ、強盗やら火付けやら人殺しやらが跋扈している、番屋もアテにならず下手人が捕まらない場合も多い、取り分け吉原には良くない噂を聞く、とんだ事件に巻き込まれる前に、どうにか九兵衛を真っ当な道に戻してあげなさい、という話。有り体に言えば、私は九兵衛のお目付け役を任じられたのである。
私は困った。何しろ当時の私は修行僧、己が道を拓く前に、人に道を説いてよいものか迷った。しかし長太郎が頭を下げ、この通りと請うものだから、ついに私は我を折った。私が承知すると、長太郎は嬉しそうに月夜の中を帰って行った。
翌朝、私は早速九兵衛を訪ねに向かった。日本橋の黒屋の家に着くと、成る程、これは大店だ。立派な構え、奉公人を十数人は使っている。商売のタネは反物らしく、朝の支度に、美しい絹織物が何本も店の内に運ばれていた。
店先で私が人を呼ぶと、直ぐ中に通された。私が来る事は知れ渡っていたらしい。
仁徳の書幅が床の間に掛かった広い客間で待っていると、始めに精悍な男が現れた。この店の主、九兵衛の兄である。次に長太郎と、痩せ気味の男がやって来た。この痩せ男こそ件の九兵衛である。
黒屋親子三人は揃いの神妙な顔付きで私と相対した。父も長男も実直な性格の表れた顔であったが、件の九兵衛ばかりは少し様子が違った。真面目な顔色なのだが、父や兄の様な堅さがなく、取り分け目元の辺りが柔和であった。私はちょっと意外に思った。昼行灯と聞いていたから、もっと人相の悪い男が出て来ると予期していたが、住職が言う通り、人好きのする青年である。
それから紋切り型の挨拶が始まる。長男がわざわざの御足労をと言うので、私はいやいやと応える。一応の名乗りも済む。この間、九兵衛は一語も口にしなかった。
長男は商売人らしいやり口で、それでウチの放蕩者を立派にして下さるという事ですが、どの様にと、早速せっついてくる。私は、束の間考え、では二人で話してみましょうと申し出た。父と長男は立ち上がり、何かあれば家の者に遠慮なくと言い置いて部屋を出た。客間には私と九兵衛だけとなった。
「俺なんかの為にお越し頂いて、本当に申し訳ない」
九兵衛の第一声がこれであった。私は又しても意外に感じた。頭を下げる九兵衛が礼儀を知る男だったからだ。
「頭を上げなさい。大体の事は既に聞き及んでいる。とにもかくにも、お前さんは自分の将来をどうする積もりなんだ」
私がそう訊くと、九兵衛は相変わらずの真顔で、キチンと考えとります、俺は歌舞伎を書くんです、近松門左衛門になるんですと即答。その為に修行している真っ最中ですとも応えた。
私は又々驚いた。それでは食うにも困るではないかと叱責もした。しかし九兵衛もなかなか頑固であった。それは判っています、けれどそうしたいのですと、まるで退かなかった。
斯様な短い問答の内に、家の奥から九兵衛を呼ぶ弱々しい声が上がった。どうやら病気の母が九兵衛を呼ぶらしい。九兵衛は膝立ちながら私を見、相済みません、ロクにお構いもせずと言った。構いません、早く行ってあげなさいと私は応えた。九兵衛は急いで母の床へ向かった。
一人で居ても仕方ない。私は長太郎と長男に挨拶し、寺へ帰ろうとした。が、店先で九兵衛に呼び止められた。彼は手に持った本を私に渡した。俺の書いたものです、お暇だったら御一読下さい、九兵衛はそう言って家の中へ戻っていった。
これが私と九兵衛の初対面である。
夜、私は寺の自室で渡された本を読んだ。そして再び驚かされた。認められていたものは確かに芝居の筋らしいのだが、どれも恐ろしい、血腥い、人死の出る、不幸な物語であった。全て「三人吉三」と同様の結末と思えば宜しい。読み進める毎に私にはこれを書いた九兵衛という男が判らなくなっていった。人懐っこいと聞いた彼の心には、悪鬼や化物の類いが巣喰っているのではと疑わしくなった。昼に見たあの母想いの九兵衛は仮の姿ではないかと不安になった。これは見極めねばならぬ、悪鬼に支配されているならば、御仏に仕える者として是非なく九兵衛を救わねばならぬ。本を繰りながら決意を固めていると、いつの間にやら夜が明けていた。
その日も私は日本橋に足を運んだ。黒屋に着くと客間に通される。仁徳の掛け軸を眺めていると間もなく九兵衛がやって来る。今日は父も長男も来なかった。
私は最初に母上の体調を案じた。九兵衛は礼を述べながら、今日は大分良いようですと応えた。
それから私は本を返した。九兵衛は感想を聞きたがったが、私は何とも応えなかった。
代わりに私は説教した。書き物も結構だが、こういうものを書くならば、商売の傍らでもいいし、隠居後の趣味でも足りるじゃないか。しかし九兵衛は頑固だった。それじゃあ足りないし遅いんですと応えた。
けど、と九兵衛は続けた。一晩で読んでくれて嬉しいです、と。
私は愕然とした。正直に打ち明けると、私は何かに取り憑かれた様にこの恐ろしい、惨い物語を、熱心に読み明かしたのだ。思い返すも、この時既に私の心にも、九兵衛同様に、彼の物ノ怪の魔手が、スルリと、伸びていたのやも知らん。廓に住まう、あのお登美という女の妖術が。でなければ、その年の冬に私が遊里を訪ねる訳もなかった。
これこそは私の力不足、修行不足が招いた結果であった。まさしく魔の術中であったのだが、当時の私はそうとは露知らず、愚かにも、九兵衛の中に居座る魔を祓う決意を新たに固めたのである。
それから私は足繁く日本橋に通い、九兵衛に説法を聞かせた。経典の読みを説き、帝釈天の兎について話し、二宮尊徳も聞かせた。相変わらず仁徳の掛け軸の掛かった客間にて、九兵衛は私と対峙し、真面目にこれらを聞いていた。しかしそれも書き物の為だった。九兵衛は私の説法から芝居の材料を探していたのだった。
私が黒屋に通う日が募る内に、九兵衛の人懐っこいタチが発揮され、私達は気安い仲となった。というのも、九兵衛は元来かなりの喋り好きで、私の説法の間にもよく質問を挟み、己の意見を述べ、高じた場合には実体験を脚色して話し出した。
更には書画骨董、芝居、果ては絵巻物に至るまで、九兵衛は己が趣味とするものについて熱弁を奮った。その語り口が非常に楽し気であり、尚且つ詳しく判り易いものだから、私もつい聞き入って、九兵衛には及ばずとも、芸事方面に多少明るくなった。
あれは前の秋の終わり頃であったか。その日は小春日和で、私と九兵衛は浅草の賑やかな辺りを散歩していた。客間の談義は飽いたと九兵衛が不平を言うものだから、天気の良い日などは何処ともなく外を歩くのが習わしになり始めた頃であった。
あの時、私は何を話したか。論語を教えていたと思う。九兵衛は私の話をまるで耳に入れず、応挙や井特を見に京へ上りたいと申した。当時、九兵衛は絵に凝っていた。ならば働き上洛の金を貯めよ、私が叱る。しかし九兵衛は話を逸らした。彼処に芝居小屋があるから入ろうじゃないか、こう言うのだ。
とんでもない、私は又叱った。誰の改心の為に説法しているのか、と。それでも九兵衛は頑固である。是非入ろうと言う。段々小屋に近付いて行く。演目の看板が掲げられている。忍逢春雪解だったか。それを見たい見たいと繰り返す。九兵衛は時々子供の様に意固地になった。その上、口が巧かった。九兵衛はこんな詭弁を弄した。論語もひっきょう物語に過ぎず、論語から教えを拾えるならば、物語たる芝居からも少なからず学ぶものがある。経典に記されたものが、義太夫の喉から飛び出さんとも限らない。第一、無知は仏の定める三毒の一ではないか。延生はまさか芝居も知らずに俺に芝居を見るなというのか。此処は是非一度、共に中へ入ろうじゃないか。
こう言い出した九兵衛は、放っておいても一人で小屋に入ったろう。仕様がない奴だと思いながら、私は法衣の儘芝居を見る恥を忍んで、九兵衛と共に小屋に入った。
これが間違いであった。
一度許すと、二度、三度許すハメになる、とは、誠に坊主らしからぬ、まるで町娘の言い草であるが、私はこれをきっかけに、九兵衛にあらゆる遊び場へ付き合わされた。歌舞伎や寄席、射的場、美人茶屋まで。何事も知らずに批判するべきでない、俺を知りたいなら共に行こう、これも勉強勉強と、強引に連れ回されたのである。
そうして冬、私は終に廓へ付き合わされたのである。




