焔の魔女
「火炎魔法使いは近くにいないとか言ったよな。じゃあ、後ろの彼女はどちら様なんだ」
「悪いが、考えたくもない」
王と共に振り向けば、中学生にも満たない少女が両手を掲げていた。目線はまっすぐ、炭化した2頭の馬に刺さっている。どこか不気味な印象を受けた。
「お嬢ちゃん。これは君がやったのかい」
王が弓を構えて言った。少女は我関せずといった表情で夕空を仰いでいた。
王が少し語気を強めると、やっとこちらを向いてくれた。
その瞳に生気はなかった。どこかで見たことがある双眸だった。
「だとしたら?」
私は、彼女の声を聞いた途端に寒気がした。何故だかわからない。機械らしい淡白な声に、あからさまな恐怖心を抱いたことだけは確かだった。
もう疑う余地はなかった。こいつは人間でも、アンデットでもない。
「王、こいつには関わるな」
「どうして? 足を殺されたんだぞ。それもたかがこんな女童に。黙っていられるか」
「血気盛んねえ、そっちの人は。隣の人は、機械みたいに冷たいけど」
「お前と同じにするな」
「誰もそんなこと言ってないわよ」
「もういい。それより目的を教えろ。なぜ馬を殺した? 足止めか」
黒いドレスの童は微笑み、掲げていた両手を向けてきた。見る者が見れば、それはさぞかし可愛げのある物なのだろう。
「半分正解ね」
強烈な嫌悪感が私の胸でひしめいた。ジョンストンと交戦した時、まったく同じことが起こった。
「もう半分は、その機械を破壊するため」
「違う!」
柄にもなく叫んだ。だが、それも意味がなかった。斜陽を隠してしまうほどの岩石が、小麦畑に降りかかったのだ。
私は咄嗟に、真横へ飛んだ。巨大な岩が頭を掠め、背後で弾け飛んだ。細かい岩を砕き、大きな岩を避け続けた。
ひとしきり動き回ると、岩の雨は止んだ。
王は憔悴していたが、傷はなかった。全て躱してしまったのだろう。非凡な身体能力だ。
件の幼女は、大層嬉しそうな表情だった。何故あそこまで嬉々とした笑顔でいられるのか、私にはわからなかった。
「私はエドヴィーナ・カガノーヴィッチ。よく岩雨を生き残ってくれたわ。やっと、ショーの続きができる。心ゆくまで楽しんでいって頂戴」
全身が寒気立った。エドヴィーナの甘い声も、弾けるような笑顔も。彼女の全てから、生気が感じられないのだ。
感情がない訳ではない。異常な外見でもなければ、特異な行動を起こした訳でもない。ただ一つだけ、人を人たらしめる決定的な何かが欠如していた。
彼女は確かに人と同じ外見だ。魅力的なブロンドと、吸い込まれそうな碧眼の持ち主でもある。だが、ジョンストンと同じで、気配を隠せていなかった。全てを奪われ、主人に従うだけの、機械特有の気配である。それが自分に似通っていた。蛇蝎のような嫌悪感はこれが原因なのか。
「デカいのがくるぞ!」
王が声を荒げた。見れば、大木が空を埋め尽くしていた。今度は避けられないかもしれない。
王は相変わらず俊敏で、僅かな溝に身を隠していた。
私もそれに続こうとしたが、できなかった。
「おいどうした! 早く立て、モロに当たるわよ!」
何故だか王がいなかった。彼が隠れたはずの溝には、エドヴィーナがいる。手を掲げて嬉しそうにしているのもエドヴィーナだ。間違いなく、彼女が2人いた。
「あぁ、くそったれ!」
エドヴィーナは叫び、完全に身を隠してしまった。私も彼女の元へ向かいたかったが、大木に阻まれた。
四肢が震えて機能しなかった。視界も安定しない。まともに受け止めるしかなかった。
小さな木が側頭部を抉った。大木に胸を殴られ、肺の空気を吐き切ってしまった。左腕は骨が折れ、皮膚を貫通していた。血がとめどなく流れていた。
やっと大木の雨が止む頃には、随分と遠くまで転がされていた。
満身創痍だった。全身が経験したことのない痛みで震えている。もう動けそうにない。
「ちょっと、大丈夫!?」
エドヴィーナが駆け寄ってきた。私は再起できそうにない。無責任だが、彼女だけでも逃げ延びるべきだ。そう進言しよう。
「ダメだ、逃げろ。俺はもう、動けん」
「なに言ってんの! そんなことないはずよ」
私は、必死に首を振った。
「違う、違う! 血が、止まらない! どうしても、止まらないんだ!」
こうして叫んでいる間にも、傷口は鮮血に染まっていく。とにかく逃げろ。そう言い聞かせたが、彼女は聞き入れなかった。
「血なんて出てないわ。そもそも、貴方はあんな大木なんかで傷つかない。だってあの岩も砕いただろ!」
エドヴィーナは、胸倉を掴んでそう言った。絶叫に等しい声量だった。
私は、はっとなった。ズボンに手を伸ばし、注射を取り出して首に突き刺した。中身を押し出すたびに、全身の痛みが引いていった。
視界もクリアになった。四肢が震えることもない。
そうだ。私は、木で殴られた程度では傷つかない。骨は複合骨だ。戦車砲の直撃にも耐えうる。折れることなどあり得ない。
そうだ。私がこんな攻撃で沈むものか。出血するものか。骨折してたまるか。
「少し、錯乱した。すまない」
「正気か? 諭しといて何だが、異常だったぞ」
王は怪訝な顔をしていた。それでも、会話ができて一先ず安心したらしかった。
しかし、おちおち休んでもいられない。
「次がくるぞ」
「見ればわかる」
空は、またも大木に覆われていた。だが、今度は逃げない。攻めに徹するつもりだった。王も同じ心意気らしい。
「もう大丈夫なんだな?」
「申し分ない。万全だ」
体には傷一つない。なにが来ようと跳ね除けられる。
「それより、あいつには飛び道具が効かないぞ」
「大体わかっていた。理由はあとで聞く。それで、どうすれば良い?」
「飛び道具を使わなければ良い。俺が直接殴り飛ばす」
「また大胆だな」
私は、彼奴らと違う。私の脳は元のままだ。正常な思考ができる。洗脳された機械とは違う。断じて命令に従うだけのモンスターではない。それを実力でもって知らしめなければならなかった。
「大木を投げ返しながらあいつに近づく。お前はどうする?」
「程良い塩梅で援護する。爆薬を括り付けた矢だって、あるにはある」
何とも頼もしい返事だ。王とならば、この戦いも乗り越えられる。そんな気がしてならなかった。
間もなく、大木の降雨が始まった。エドヴィーナがいるのは遥か上空だ。今の私なら手の届く距離でもある。
最初に落ちてきた木に飛び乗った。
今は妙に頭が冴えている。木の落下速度は速いが、完全に見切ることができた。
大木から大木へ飛び移り、隙を見て大樹を投げつけた。エドヴィーナは驚いたような顔をするばかりで、決定打にはならない。やはり飛び道具は逸らされるらしい。
途中で、頭上に木が現れた。地面へ叩き落とされるまで覚悟したが、王の腕は素晴らしかった。地上から正確に木を射て、爆破してくれた。破片が降り注いだが、気にするほどでもなかった。
こうなると、エドヴィーナも焦り始めた。側から見ても明らかだった。
彼女は私の足場である木を発火させたが、意味を成さなかった。炎で止まるつもりなど、毛頭ない。
斜陽を真正面に見据えた頃、エドヴィーナは遂に私を燃やし始めた。それに屈することはなかった。数日前、もっと激しい炎に炙られたのだ。それに比べれば、小火にしかならない。
エドヴィーナは、私を恐れて背を向けた。逃げようとしたのだろう。だが、もう遅い。最後の木を蹴り、彼女の小さな頭を掴んだ。
「やっと捕まえたぞ」
「嘘でしょ……あんた、このまま落ちる気なの?」
エドヴィーナの顔が青褪めた。心苦しくなどなかった。こいつは馬を殺し、さらに我々をも殺そうとした殺人機械だ。生かす道理などなかった。
「やっとショーの続きができるな。心ゆくまで楽しんでいってくれ」
彼女の腕を引き、重力に従った。体勢を変え、彼女が地面と背中合わせになるようにした。
エドヴィーナは抵抗しようとしたが、その暇もなく地面と私に挟まれた。凄まじい衝撃だった。あれほどの砂煙に晒されることは、今生でありはしないだろう。
私はほくそ笑みながら、再び意識を手放した。