炎の馬
遅くなりますた
王の要望通り、昼にギルドへ出向いた。相変わらず紫煙が酷かった。今日はそれに加えて酒臭い。サラは平気な顔だったが、私は早急に帰りたかった。
サラに居場所を尋ね、王を探した。
彼は、3脚の椅子に寝転がり、酔い潰れたままだった。別れた直後から朝まで飲み明かしたのだろう。服装がそのままだ。
無性に腹が立ったので、蹴落としてやった。背中から派手に墜落した。
慈悲はない。昼に来いと言ったのはこいつである。
「おはよう。太陽が南中したぞ」
「あぁ……もうそんな時間か。おはよう」
王はのそのそと起き上がった。あからさまに不機嫌だった。
「昨日の続きを話そう。外で頼む。ここはタバコ臭くて敵わない」
「それはいいんだが、腰が痛むな。床で寝ていたからか」
「椅子で寝ていたからだろ」
「そうなのか。いや、なんでお前が知っているんだよ」
「細かいことはいい」
しつこい王を言い包め、外へ摘み出した。人の往来が激しかったので、裏路地へ入った。
「今日はやけに人が多いな」
「昨日のあれでだいぶ死んだだろ? 多分それで物価が下がったんだ。だからみんな揃って買い出しに出ているんだよ」
王はタバコをふかしながら言った。少量の紫煙が私の鼻腔を刺激した。やはりこの臭いには慣れられない。
これでは外に出てきた意味がない。だが、そう指摘するのも面倒だった。ギルドより少ない量だったので、まだ耐えられた。
「それで、話ってなんだ」
「簡単なことだ。俺とパーティを組んでほしい」
また馴染みのない単語が出てきた。その言葉を聞いたのは、ゲーム機に触れた時以来だ。中学校へ行くずっと前になる。
「要は協力してほしいってことか。何で俺に白羽の矢が立ったんだ」
「最近、一人で解決できない仕事が多くなってきたんだ。それで悩んでたら昨日のあれが起こった。その時のお前を見て、こいつしかいないって思った」
「嬉しい評価だ。しかし、お前が解決できない問題か。よく言うもんだ。昨日も無傷だっただろ」
「あれはまぐれだ。いつもは軽い仕事でも擦り傷さえ避けられない。酷い時には骨折する」
王が骨折する場面を想像したが、いまいち浮かばない。彼は負けることがないように思えた。上手く言い表せないが、王は怪我が似合う男ではなかった。どんな危機的状況であれ、すんでのところで潜り抜けてしまいそうだった。普段の飄々とした振る舞いがそう思わせたのだろうか。
「しかし、パーティか。冒険者の間ではポピュラーなのか」
「まあ、そうだな。大体が協力しながら仕事して、報酬金も山分けにしているよ。一人で行って何かあったら堪らないからな」
王の言う通りだった。我々は、時たま人の手が及ばない場所で戦わなければならない。そこへ一人で出向くとすれば、途中で助けは呼べない。どれだけ叫ぼうが、アンデットを呼び寄せるだけになる。全てが悪手と化すのだ。
もし足でも怪我すれば、食われるのを待つだけになる。どれだけ鍛えた者であれ、躓くこともある。その時の傷から感染症に発展するかもしれない。道に迷ってしまうこともあるだろう。
本当にいつ死ぬかわからないのだ。それは、人の支配域に於いても同じはずだ。
まだ死ぬ気はないが、私に断る理由はなかった。
私はここらの地理にも疎い。だが王は立派な経験者だ。その知恵が必要だった。
「お前がそう言うなら、よろしく頼む。俺はまだルーキーだ。一人でいれば、いつ死ぬかもわからない」
「昨日のことを思い出す限り、そう簡単には死なないと思うがな。まあ、別にいいか。大きなアドバンテージだし。それより、こっこそよろしく頼む」
王はこういう場面のみ律儀だった。私たちは、しっかりと握手を交わした。
その頃には、タバコの火も消えかかっていた。彼はタバコを吐き捨て、踏み潰した。
「それじゃ、パーティとして初仕事に乗り出そう。昨日のだけじゃあ、まだコツは掴めてないだろ? 実戦訓練だと思って、軽く稼ごうぜ」
「いや、悪いが明日にしてくれ。今日こそマットレスを設えるんだ」
「いいから付いて来い。そうやって足を引っ張られたらこっちが困るんだ」
王は強引だった。歩き出した私に足をかけ、そのままギルドまで引きずった。
恐らく私の方が年上だが、なぜこうも遠慮がないのか。親の顔を見たくなった。
しかし、抵抗するのは面倒だった。将来的にはこの仕事で生活することにもなる。そう考えると、王の提案は良い物に思えた。早くに慣れておいて損はない。
ギルドは相変わらずタバコ臭かった。酒の臭いも抜けていない。それでもサラは平気な顔をしていた。強い女性だ。心底そう思う。
仕事の受注は王に一任した。私は何も知らないし、わからない。誤って危険な仕事を選ぶかもしれなかった。
王は、農場に潜むグールの討伐を受注した。持ち主は恐れ、既に退去しているそうだ。
グールは昨日の残党らしい。それならば、私も楽にできそうだ。彼の話を伺いつつ、冒険者について造詣を深めることにした。
出立の前に装備を整えた。私は拳銃と弾倉を確認し、念のため、安物の剣を差すだけだった。
王は弓矢に強いこだわりを持っているらしかった。たった一本の矢と向き合う彼の表情は真摯で、手付きは非常に丁寧だった。物を粗雑に扱わないその姿勢には、素直に感心した。
結局、準備には1時間以上を要した。
「それでは、お気を付けて」
サラは笑顔で見送ってくれた。とても魅力的な笑みだった。王によって荒んだ心身に活力が戻ったくらいだ。
馬に跨り、ギルドの裏口から外へ出た。人の往来は未だに激しかった。轢かないように注力して、多大な時間がかかった。
やっと農場へ着いた頃には、陽も傾いていた。王の表情には焦りが見えた。
「急がなきゃならない」
「どうして?」
「アンデットは夜が最も危険なんだ。昼と比べて凶暴性が段違いだ。目にした物を片っ端から食い尽くすようになる」
「初耳だ」
「また一つ賢くなれたな。わかったらとっとと馬を降りろ」
言われた通りにすると、王が遠くを見据えた。手には弓矢が握られている。無意識の行動なのだろう。
「いたぞ。見た感じ5はいるな」
夕陽に照らさた畑に死体が佇んでいた。確かに5体いる。
私でさえ気づけなかった物を、この男は一瞬で視認した。王は視力が良いらしい。
「どうする? 俺が突貫するか」
「そうしよう。どうせ死なないらしいしな。だが、お前が突撃したら、連中はたぶん隣の森に籠るはずだ。そうなったら面倒だが、俺が阻止する。お前は目の前の敵に集中すればそれで良い」
「わかった」
王の目は見違えるほど鋭かった。こと戦いにおいて、彼の右に出る者はいない。そう思わせるような頼もしい瞳だった。
この麦畑の隣には、広大な森林が広がっていた。その中には未踏域も含まれており、逃げ込まれたら厄介極まりなかった。だが、それは王が防いでくれるらしい。私の役目は、とにかく眼前のグールを殺すことにあった。
夕刻の春風を背中一杯に受けて、私は走り出した。小麦を散らして駆けた。時折、肌が擦り切れたが、気にする暇もなかった。
ちょうど斜陽の重なる先に、グールはいた。首を掴んで手繰り寄せ、左胸に手を突っ込んだ。迷わず心臓を探して握り潰した。名状し難い叫びと共に、腐った血が顔に降りかかった。
拭たくなったが、我慢して隣にいたグールの腕を取った。力を込めて思い切り引っ張っる。毒々しい血潮と左腕が抜け落ちた。グールは夢中で発狂している。隙を逃さず頭を抱え、引き千切って殺した。
小麦畑は血の海になっていた。だが気に留める暇もなかった。
背後に目を向ければ、残った3体のグールが森へ向かって駆けていた。彼らにも一定の知能はあるらしい。自分たちの負けを悟ったのだろう。
追走しようと思ったが、遥か遠くから弓を構える王を見てやめた。
瞬く間に、遅れた2体のグールが首を刎ねられた。彼らは断末魔の叫びさえも上げずに事切れた。
王の澄まし顔も相まって、思わず見惚れるほどの鮮やかな一矢だった。やはり彼には夕陽がよく似合う。
王は弓を構え直した。狙いは最後のグールだ。弦を引き絞る音が今にも聞こえてきそうだった。
満を持して、最後の一矢が放たれた。森へ差し掛かる遥か前に、グールの首は飛ぶはずだった。だが、矢の軌道は逸れ、明後日の方向へ飛んでいった。
ここらの風は強くなかった。弓を射るのに影響はなかったはずだ。私は驚いたが、王もまた驚いていた。
彼はまたもう一射した。しかし、今度も矢が逸れてしまった。私は目を疑った。王は何度も矢を放ったが、結果は全て同じだった。
私は援護のつもりで拳銃を抜いたが、それさえも逸れてしまった。原因はわからない。だが、超常的な事柄であることは理解できた。
打つ手のなくなった私は、剣を抜いて投擲した。私は今度こそ目を疑った。剣が燃え尽きてしまったのだ。
ついぞグールを仕留めることはできず、森に辿り着いてしまった。しかしその瞬間、グールは発火し、そのまま辺りを転げ回って焼死してしまった。
あまりに唐突だったので、理解が追いつかなかった。王と一緒に立ち尽くしてしまったくらいだ。
しばらくして、王が私の隣に来た。釈然としない表情だった。
「これは、帰って大丈夫なのか」
「形としてはな。任務完了で間違いない」
王の受け答えは適当だった。
「こういうことはよくあるのか。たまげたぞ」
「いや、初めてだ。俺もお前も火炎魔法は使えない。火炎魔法使いの第三者もいない」
火炎魔法が何なのかはわからない。だが、王がこれを超自然的な事柄と解釈しているのは理解した。
「とりあえず、今日は引き上げるか。何はともあれ、依頼は完遂したんだ。
いつか真相を知りたいが、俺の頭脳じゃあ考えても理解できそうにない。魔法使いに難癖つけて解決したことにするのが関の山だ」
「よくわからないが、その魔法使いは離れた場所から術を使うとか、できそうじゃないか」
「無理だな。そんな話は聞いたことがない」
「はあ、そうか」
思わずため息が出た。だが、落ち込んでもいられない。既に日は半分ほど顔を隠している。まだアンデットが残っていたらたまらない。早急に立ち去るべきだろう。
馬の残る道へ戻ることにした。王も後ろに続いている。
「結局、報酬はいくらになるんだ」
「2万2千シラーシだ」
「あー……ありがとう、把握した」
1シラーシが2.3円ほどだ。おおよそ5万円といったところだろう。
王と明日の予定について話し合いながら、森を後にした。知識不足の魔法について教義を受けることで決まった。
眼前の馬が燃え尽きたのは、その時だった。