出会いと襲撃
よろしければ、感想と評価をお願いします
昨夜の希望は物の見事にねじ伏せられた。まさか夢の中で一夜を明かすことはあるまい。何より、ここまで思考がはっきりすることはないだろう。これにより、私が何らかの形で夢を見ていたという可能性は消えた。残るは、これが幻覚だという線だ。だが、もう考えるのも億劫になってきた。ここまでくれば、もうこれを現実として受け入れるしかない。
私は、中世の異世界を生きなければならない。改めて、腹をくくった。
暗い覚悟とは裏腹に、空は晴れ渡っていた。雲ひとつない春らしい快晴だ。こういった空の下だと、沈みきった心身も晴れ渡る気がする。
ベッドから起き、顔を洗った。やはり夢からは覚めず、幻覚も終わりそうにない。
タオルで体を拭いてから、兵士に言われた通り、職業支援場へ向かった。
ご近所さんへの挨拶が最優先だったが、誰も部屋に残っていなかった。ここの住民は皆揃って多忙らしい。
扉を開けてすぐに、街の活気に気がついた。昨夜の大通りは出店で溢れ、人でごった返している。その人種も多種多様で、SF映画でしかお目にかかれない蛙のような輩もいた。
道すがら、屋台を眺めてみた。食料を売り出している屋台が大半らしかった。野菜があれば、肉があり、魚もある。果実を売っているところも少なくない。
他にも、怪しげな装飾を商品にしている店があった。大半は、病に効果があるという謳い文句が一緒だった。
じっくり冷やかしてみたが、とてもそうは思えなかった。中央アフリカの市場の方がまだマシなくらいだ。
品定めに飽きた私は、市役場へ寄り、支給金を受け取った。
シラーシというよく分からない通貨だったが、浪費しなければこれで一月は暮らせる、とのことだった。
職業支援場は、確かに役場の隣にあった。石造りの豪勢な建物だった。
中は厳粛な雰囲気に包まれていた。植木の数が多く、人は疎らだった。
入ってすぐに、年若い女性が部屋へ案内してくれた。角のような被り物が印象的だった。この時代らしいファッションだ。
長い廊下を渡り、最終的に奥の一室へ通された。そこにも植木があり、清潔感が溢れていた。
中央には机と、それを挟んで椅子が2脚あった。私は奥の方へ座った。
「本日は、職業支援場へお越しいただき、ありがとうございます。早速ですが、ご希望の職業はお有りでしょうか」
流暢な言葉だった。厳密にはニコラ語というらしいが、ポルトガル語といわれても違和感がない。
「まだありません。ですが冒険者、でしたか。その職業が少し気になっています」
「冒険者で合っていますよ。そちらの職ですと、長い間人手が足りない状態が続いていますね」
「そうなんですか」
「ええ。何せ、常に死と隣り合わせの危険な職業ですから」
彼女は本に視線を落としながら言った。冒険者について詳しく書かれているのだろう。
この職業は、兵士の評判通りらしい。
「なおさら興味が湧いてきました。その職は、具体的にどのような仕事を行うのですか」
「アンデットの退治が主業務です。他にも、未踏域の探索が課せられますね」
「申し訳ない。私、実はこういった者なのです」
彼女の話に付いていけなくなったので、仮の証明書を取り出した。
彼女はそれを見て、目を見開いた。記憶喪失者は珍しい存在なのか。
「これは……大変申し訳ありませんでした。まさか記憶喪失者の方だったとは。では、一から順を追って説明いたします」
アンデットとは、その名の通りらしい。既に死んだはずの存在で、人間の生活を脅かすという。
地上にそれを知らない者はいないそうだ。だがその被害らしきものは、新聞の片隅にも書かれていなかった。原因は、その数が多すぎるからだろう。発展途上国でのテロ行為が報道されないのと同じだ。だから私の耳にも入らなかったのだ。
そして、そのアンデットも多種多様らしい。グールやスケルトンから、ヴァンパイアまでいる。
地球には、彼らの支配する未踏域が数多くある。アンデットの脅威から庶民を守護し、その地の踏破を目指すのが冒険者という訳だ。
民衆から寄せられた依頼をギルドが整理し、冒険者が自由に受注する形式を取っているらしい。人手不足はこれが原因だろう。
また、給料はその人の腕によって変わる。究極の成果主義といって差し支えない。多くの依頼を受け、成功させればそれに見合った額が手に入る。何も受注しなければ、何かを得られることもない。
かつては国家に属する立派な公務員だったが、現在は民営化され、冒険者らは各県に配置されたギルドに属すという。
「以上が冒険者及び、アンデットについての説明になります。何かご不明な点は?」
「いえ、ありません」
他にも様々な仕事を紹介された。倉庫業のような力仕事もある。思い切って自営業を始めるのも一考らしい。
色々と説明を受けたが、冒険者に強く惹かれていた。この身はどうせ死ねない。あえて競争のない場所へ飛び込んだ方が効率的に思えたのだ。紹介された物の中で最も高給という点も魅力的だった。
「やはり、冒険者が私の条件に合っている気がします」
「考えはお決まりですか」
「ええ。何せ、体が丈夫なもので。並大抵のことでは壊れません。それとできるだけ早期に、大量の金が必要なんです」
「承知いたしました。それでは、私の方からコロンブマギルドへお客様を紹介いたします。お客様は、ギルドにて冒険者登録手続きを行ってくださいませ。ギルドは市役場の真正面にございます」
「分かりました。何から何まで、ありがとうございます」
「お役に立てたようで、幸いです。お困りの際は、またいつでもお越しください」
彼女はそう言って、私に微笑みかけた。いつの時代でも、物腰柔らかな女性と過ごすのは心地が良い。
ギルドは市役場と打って変わり、木造の古めかしい建物だった。雰囲気は暗いが、その歴史が長いことは伝わってきた。
中は薄暗く、いくつかの松明が灯るだけだった。
とにかく紫煙が酷い。思わず顔を顰めてしまった。
奥にカウンターがあり、若い女性が本を読んでいた。受付の娘だろうか。
武具屋と鍛冶屋、道具屋が併設されているらしく、中はそれなりの活気があった。時折、鉄を打ち付けるような音が響いている。
見れば、男たちが真っ昼間から酒盛りしていた。皆揃って筋骨隆々で、私より体格の良い者も少なくない。ここではそうまでしないと生き残れないのだろう。
私は、できる限り彼らと距離を置いてから、女性に話しかけた。酒と煙草は昔から大の苦手だ。
「すいません。ヘリントンという者なのですが」
女性は、本を閉じ、顔を上げた。整った目鼻立ちの娘だった。少し童顔に見える。
「確かに、職業支援場から連絡がありましたね。私、受付嬢のサラ・ローリーと申します。冒険者登録をお望みの方で間違いありませんか」
「はい、間違いありません」
彼女はそう言って、碧眼を細めた。
手続きは簡単な物だった。本人確認の後、誓約書にサインするだけだった。
一応、サラから支援場と変わらない説明を受け、全ての事項が終了した。
ギルドとの契約について、少し掘り下げたことも聞いた。要は、身の丈にあった仕事を選べということだった。死ねば元も子もないと再三にわたっても忠告された。その間、10分とかからなかった。
次いで、施設についての話を聞いた。何でも、ギルドの施設には選りすぐりの職人が集まるという。特にこのコロンブマはその腕が高く、わざわざ他県から訪れる冒険者もいるらしい。
熱心な説明を受けたが、値段の低い食料品店しか使えそうになかった。私はどうせ死ねない。武具の購入は無意味に思えた。
そもそも私は膂力に自信がある。元いた場所で失敬した拳銃もある。いくらここの武具が優れているとはいえ、必要性を見出せなかった。
サラに礼を申し、マットレスを新調してから帰宅することにした。初日から仕事に出向けるほど暇ではない。まだまだ買い揃えなければならない物が山ほどある。
「サラちゃん。こいつがさっき言ってた新入りか」
年若い声だった。それは背後から聞こえた。
振り向けば、二十路ほどの青年がいた。明らかに酔っていた。しかも泥酔だ。
私は無視してここを出ることにした。こういう輩には干渉しないに限る。過去の経験からそう学んだ。
「ええ、はい。そうです」
「記憶喪失なんだろ? なら優しくしてやらないとな。俺は王子墨っていうんだ。あんたの名前は?」
彼は、酒瓶を煽りながらそう問うた。意外にも穏やかな口調だった。名前からして中国系の人物なのだろう。目鼻立ちは整っていた。
「ジョージ・ヘリントン」
「一言だけかよ。つれないな。お前も一杯やって行こうぜ」
「気分を害されたらごめんなさい。いつもこんな調子なんですよ、この人」
サラは苦笑していた。酒で人柄が変わらないというのも珍しい。
「昔から酒は苦手なんだ。話だけなら」
「そうこなくちゃ。付いてこい。先輩として奢ってやるよ」
彼には最も重要な語句が聞こえていないらしい。私には聞き流しているようにしか見えなかった。
兎にも角にも、王に付いていくことにした。気が変わったのだ。どれだけ膂力に自信があろうが、私がルーキーであることに変わりはない。彼が若いとはいえ、会話を通して関係を築き、助言を受けることが必要に思えた。
席についたところで、室内に鐘が鳴り響いた。親父どもの騒乱より遥かに大きな音だった。
王の目が一気に冴え渡り、弓を手に取り、ギルドを飛び出したのはその時だった。