目覚め
処女作につき、よろしくお願いします
覚醒の原因はさえずりだった。砂煙に晒された訳でも、太陽に焼かれた訳でもない。
やがて視界が鮮明になった。そこは、鬱蒼とした森林らしかった。熱砂のみの砂漠ではない。
辺りを見回せば、アルオバークがあった。幼い頃に友人とよく登ったものだ。私が最も慣れ親しんだ木といえる。その木には数羽のコウカンチョウがいた。先ほどのさえずりはこいつらの仕業だろう。どうりで親しみが湧くわけだ。彼らにはなんど早朝に起こされたか、数え切れない。
目に映るもの全てが懐かしかった。
私は、体を起こして深く息を吸った。懐かしい故郷の香りがする。もう二度と戻れないと覚悟を決めた、故郷の香りだ。
そこに戻れたのか。私は一瞬、そう考えた。だが、そんなはずはない。ここは間違いなく西アジアのどこかだ。決してアメリカではない。私の監禁されていた地がそうだったのだから。しかし、西アジアにここまで広い森があるかと問われれば、確信を持って頷ける自信はなかった。
私は、それまでの思考を振り払った。今はそれよりも優先すべきことが山のようにあるからだ。
故郷の想起もそこそこに森を進むことにした。今いる場所は間違いなく敵地である。早急に抜け出し、友軍と合流する必要があった。幸いにして、前と比べて体は頑丈になっている。食事や睡眠も少なくていい。器官をそういったものに置き換えられたからだ。事に取りかかるにしても、慌てずに済むだろう。
川のせせらぎを頼りに、まずは水を確保することにした。
どうも森林は春のようで、木々の間から差す陽光が眩しかった。小川の水音と相まって、まるで故郷へ帰ったような気分になれた。
恵まれた環境の中でも、私は周囲の警戒を怠らなかった。
自然に人が潜むと、必ず違和感が現れる。もともと存在する物体に異物が加わるのだから、それは自明だ。裸眼での索敵は、そういった感覚的なことも併せて行う。そうすれば見つけられない敵はいない。例外は自然にいて違和感のない何かのみだ。
この森には、その違和感がまるでなかった。要は人がいないのだ。どこを見渡しても自然しか現れない。それは私にとって有利であり、不利でもあった。敵は近くにいないが、味方も近くにいないことを意味するからだ。
私は少し迷ったが、再び歩き始めた。もう五年も助けを待ったのだ。未だに味方が救助に現れたことはない。待つのは楽だが、それで事態が変化するとは考えられなかった。
暫く歩くと、丘陵の先に小さな小屋が見えた。それが家屋だと分かったのは、近くに寄ってからだった。
人気はなかった。緊急事態だと自分に言い聞かせ、中へ入った。
もう使われていないのか、中は埃だらけだった。狭い部屋だったが、何か役に立つ物がないか必死に探した。
戸棚から、まだ綺麗な装いを見つけた。えらく古風な物で、中世で着られていたプールポワンのようだった。ぴったりとした長袖だ。主に絹やウールで作られていると学んだ記憶がある。私が見つけたのは、灰色の布地に、黒色のボタンが装飾されている物だった。
少し抵抗はあったが、何もないよりはマシだ。私はそれを着ることにした。サイズは問題なかった。ここの家主は大柄だったらしい。
私は次にできる限りの情報を集めた。家の隅々を漁り、雑誌のような情報媒体を探す。
3分もたたないうちに新聞が見つかった。しかし、それはアラブ国家の公用語ではなかった。アルファベットで、見たことのない文法が用いられている。西アジアにあるはずの民家にしては、些か不自然だった。
読んでみると、それはポルトガル語に近い言語らしかった。似ているだけなので、読めない単語が多かったが、おおよその意味は理解できた。
読み進めると、西暦が記されていた。私は、そこで自分の目を疑った。1674年。そこには、確かにそう書かれている。
途端に、動悸が激しくなった。新聞を握る手が震えて止まらない。窓の外に何か大きな黒いものが見える。呼吸ができない。ひどく苦しい。
私は、無意識にズボンから注射器を取り出し、静脈を探して突き刺した。疼痛が走ったが、気にせず中身を投与した。
少しして、痙攣と動悸が治った。窓の外にも長閑な丘陵が広がるだけだ。
動揺によって軽い発作が起こったらしい。監禁されていた間は、ほとんど麻酔で眠らされていた。私が薬物に依存しているのはそのためだ。
私は、注射器をしまって再び新聞を手に取った。やはり西暦は1674年のままだ。
なにか壮大な事柄に巻き込まれた。今のところは、そうとしか考えられなかった。仮にここが現代だとして、300年以上も前の新聞が民家に放置されているはずがない。
さらに読み進めると、奇妙な記述が見られた。裏面に『NUS、エマオカタ大陸の大半を占領』と記されていたのだ。そんな名前の大陸は聞いたことがない。
新聞に描かれていた地図を見た。私の知る地形とは大きく異なる物が描かれていたが、もう驚かなかった。ここは元いた場所と異なる世界の可能性が高い。それか、私の頭がついにおかしくなったか、だ。
結局、最も知りたかったイラク戦争の情報は得られなかった。だが、有益な情報は数多くあった。
私は小屋の中の使えそうな物を布に纏めて背負った。いったん小川へ下り、顔を洗う。目は覚めそうになかった。
小川に沿って、再び歩いた。森林を抜け、草原を走り、山を越えた。
日も暮れる頃になって、ほんの僅かに灯りが見えた。新聞で得た情報と違いなかった。
私は、市街地へ赴くことにした。