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ウェジニールの翼  作者: 木柚 智弥
試験国の思惑
8/16

試験国の誤算


「ルゼット。ルゼット?」

「……っ」

 顔を覗き込まれ、ルゼットはハッと我に返った。

「あ……?」

 一瞬、ここがどこだかわからない。

「どうかしましたか?」

 しかし、気遣わしげに首を傾げる少年の水色の眼差しを認識した途端、現実の感覚が戻ってきた。

 ――ああ、ここはクレシドの領土、北アメリカ大陸のカナダ地区だ。

 おれは今フィルティアの指示で、リンレークにある試験国、リンドフェンリル王国の王都オスティンに降りているんだった。

 目の前には戴冠を目前に控えた王太子フェル・イルス――普段は略してフィルス――と、すぐ後ろには親衛隊長のキレート・ノリクムが控えている。いつのまにか城の裏の森を抜け、正門に辿り着いていたようだ。

「すまない。なんでもない」

 辺りを見回すと、門内の広場には城壁守備の兵士たちがひしめき、討伐隊の面々と歓声を上げているのが、あちこちに掲げられた松明の炎に照らされて見える

 広場の炎が揺れるのを見て、あの日を連想してしまったのだろうか。

「どうでしょうか、ルゼット。兵士たちの士気は衰えてないですが。まだどこかに(よう)()(ちょう)が群れている可能性はありますか?」

 フィルスに訊ねられ、ルゼットは己の物思いを断ち切った。

「ちょっと待て」

 すぐに意識を戻し、周囲状況の検索を試みる。途端、ルゼットの脳内に自分のものよりやや高くて平坦な声が響いた。

〈半径二十キロ以内、該当スル敵影ナシ〉

「大丈夫だ。城下周辺に妖鬼鳥の影はない」

 襟足でひとつに纏めていた髪の紐を解き、軽く息を吐く。すると目の前に立つ少年がホッとした様子で笑顔を浮かべた。

 リンドフェンリル王国は、カナダ地区総責任者、フェリオル・モルラック博士のもと、フィルティア・リンダ教授が進める地上再生計画のために作られた国である。

 建国からおよそ八十年。今、王座に王はなく、今年十六になる王太子フェル・イルス・リンデルが国の支柱だ。そして現在フィルティアの助手であるルゼットは、彼女の指示でフィルスの『助っ人』を勤めている。

 リンドフェンリルの科学文化レベルはβ-4。故郷のタルバ村より2ポイント下、十八世紀後半の北欧あたりの水準に設定されている。もちろん、ここで暮らす国民の殆どはその事実を知らない。王とその直系、神官長と補佐の数名が知るだけだ。

 順調に運営されていた王国はしかし、ここ数年、不運や問題に見舞われている。その問題のひとつ、増えすぎた(よう)(じゅう)の撃退がルゼットの主な仕事だ。

 妖獣とは、放射能による突然変異によって狂暴、かつ魔獣化した野性動物たちのことである。これらは人の数が減って荒廃した土地で増加したため、今や溢れた水が広がるようにして人間の住む地域に侵入しだし、世界各地で厄介の種になっている。

 呼び出しに応じて昼過ぎからフィルスの軍に合流し、特に手強い夜行性の妖鳥、妖鬼鳥の群れを撃退すること丸一日。目的はほぼ達成したようだ。

「これでしばらくは襲撃してこないだろう。あとは大丈夫か」

「はい。ありがとうございました」

「じゃあ、おれは戻る」

「神殿から戻られますか? それとも直接……天空(てんくう)(じょう)へ翔ばれますか?」

 名残惜しげな響きが語尾に漂う。

 彼の言う天空城とは、カナダ地区を統括する主要機関、アルバータ基地のことだ。父と兄たちを失ったあの夜、最初に連れていかれた施設である。

 ルゼットは神妙な眼差しで返事を待つ王太子に言った。

「……疲れた。神殿経由にする」

 途端、水色の瞳がパッと輝いた。

「ではお供します。キレート、あとは頼んだよ」

「かしこまりました」

 キレートが胸に拳を当てて敬礼する。それを横目に見ながら広場へと足を踏み入れると、フィルスがごく自然に斜め後ろに従った。

 ルゼットは、この優しく人懐こい王子と向き合うのが少々苦手だった。

 明るく柔らかな光を宿した水色の瞳や、甘く整った顔立ちが、彼の血筋と立場の複雑さを伝えてくる。さらには失った日々まで思い出され、どうにも心が揺さぶられるのだ。

 おまえはなぜ、そんな風に笑っていられるんだ。

 ついそんなことを考え、そのたびに己の弱さを思い知る。

 苦い気持ちで歩を進めながら、ルゼットは黒い上着の上から右脇腹に触れて電脳モードを解き、広げていた翼を縮めた。

 村をあとにしたあの日から七年。今では地上で起きていることも、自分の体の構造や機能、そして置かれた立場も理解できている。しかし同じく知っていはずのフィルスはそれを気にする様子がなく、好意や尊敬といった分不相応なものを向けてくるのでいたたまれないのだ。

 奥の内門に向けて歩を進めると、気がついた兵士たちが次々に場所を空け、ざわめきとともに人垣の中央に道が開いた。

「おお、使徒(しと)様だ」

「使徒様が城にお入りになるぞ」

 鉄の薄い板と革でできた甲冑姿の兵士たちから、敬意のこもった視線が集中する。

「見ろよ。爪の先が掠っただけでもやられちまう妖鬼鳥相手に、あんな薄っぺらい(ころも)のお姿で立ち向かわれるなんざ、神様のお弟子っちゅうは凄いな」

「バカだな! 使徒様なんだからあたりまえだろうが。聖剣やら光玉やら尊い技をお持ちなんだから、妖鬼鳥の毒なんぞ問題じゃないんだ」

 感謝、尊敬、畏怖。様々な感情のこもった視線が投げかけられる中を、あえて意識を向けないようにして通りすぎる。

 門を抜け、太い石柱の立ち並ぶ回廊に差しかかると、出迎えのために並び立った老齢の大臣や家令、女官、奉公人たちが次々に頭を下げ、あるいは膝を折って礼をとった。

「上々のご戦果、祝着に存じます、使徒様」

「ご助力に感謝を」

「どうぞ、殿下とご一緒に休息をお取りくださいさいまし」

 やめてくれ。おれはそんな風に敬われるような立場じゃない。

 喉元まで出かかった言葉を飲み下し、礼を返しながら足を早める。この国の素朴で善良な人々の態度を咎めるのは筋違いで、自分の身勝手な感情で傷つけたくはない。

 やがて城の奥にある神殿――王と世継ぎ、そして限られた神官しか入れない禁域に入ると、ルゼットは足を緩め、目の前にある重厚な、けれども城の扉にしか見えない樫の木造りの扉を見やった。

 一見、ただの扉に見えながら実はそうではない。取っ手の金属部にはクレシドの科学、個体識別センサーと物質転送装置が組み込まれている。フィルスや神官たちはこの先の小部屋に入る必要があるが、ルゼットは握るだけで転送される。

 この扉の前までがクレシドの夢と理想なら、ここから先は容赦のない現実だ。

「じゃあ」

 僅かに後ろを振り返ると、フィルスがウェジンに似た、けれどもまだ少年のあどけなさ残した目を細めた。

「ありがとうございました。あの、今度はいつお会いできますか?」

「………」

 すぐには来たくない。おまえを見るのは切なすぎる。

 それが偽りのない心情だ。けれども傾げた小首はどこか頼りなげで、普段、けして外に出すことのない彼の不安と重圧が、二人きりのときは容易に読み取れてしまう。

「……困ったらいつでもフィルティアに応援を要請しろ。すぐに翔んでくる」

 いつもの言葉を口にすると、フィルスの表情がパッと明るくなった。それに胸の痛みを覚えながら、ルゼットは扉の取っ手についている物質転送装置に手を触れた。



 カナダ地区を統括するアルバータ基地は、リンレークの試験場から五百キロほど西にあるロッキー山脈の北側、標高二千メートルの山の中腹に築かれている。その昔は寒冷地だったそうだが、環境破壊による温暖化の影響で過ごしやすくなった場所だ。

 地上での距離を一瞬で埋める物質転送装置は便利だが、独特の浮遊感や発着場の人混みが苦手なので、翼に太陽光エネルギーが充電できる日中は絶対に使わない。しかし夜の妖獣退治でプラズマサーベルを使うと、電力が大量消費されてパワー不足になり、自力で五百キロを翔ぶのはしんどすぎる。

 目を閉じ、意識して体から力を抜いて不快感をやり過ごしているうちに、スッと浮游感が消える。基地内の中央にある発着装置の中に着いたのだ。

 足裏に床の感触を得、目に無機質な白壁が映って大きく息を吐くと、頭上から聞き慣れた機械の音声が耳に飛び込んできた。

RUZZT(ルゼット)-1、確認しました。ゲート開きます》

 同時に狭い箱のような発着室の壁の一面が、音もなく左右に開かれる。途端、近代的なガラス張りのフロアが目に飛び込んできた。

「………っ」

 下界ではまず目にすることのない、白色の室内灯が白壁に反射して眩しい。

 手をかざしてやり過ごすと、頭上の声がさらに告げた。

《リンダ教授が研究室でお待ちです》

 それに「了解」と返してから発着場を出ると、背後の扉がシュッと閉まった。

 時刻は夜の十時。九時前のリンレークとは約一時間の時差がある。四台の発着装置はいずれも稼働しておらず、普段、制服姿の職員が闊歩するフロアもまばらな人影しかない。残業の研究員や夜勤の者以外は就業を終えている時間帯だ。

 無機質で清潔な空間を目の当たりにすると、否応なく自分の異質さを自覚する。

(この先もまた、おれにとっては戦場だ)

 ルゼットはことさらに翼を縮め、上着の襟に畳まれていたフードを広げてかけると、白壁のフロアを横切って廊下に向かった。


 階段を抜けて廊下の角を曲がると、突き当たりの研究室の扉が半分開いていた。

「じゃあ、このまま続けるっていうんですか」

 言い争っている気配だ。

 近づいてみると、紺色のシャツの上に白衣を羽織り、開いた扉に手をかけたまま室内を向いているのは、フィルティアの研究室に所属するスタッフの一人、フレデリック・ハースだった。二十代後半のいけすかない男だ。

「そんな説明で本部が納得するとは思えませんね」

「それはおまえの心配することじゃない」

 フィルティアの声も聞こえる。

 ルゼットが扉の前に立つと、フレデリックが気づいてよけた。

「おっと失礼……なんだ、おまえか」

 彼は相手がルゼットだとわかると底意地の悪い笑みを浮かべ、無遠慮な視線でルゼットを眺め回した。

「お勤めご苦労、女神様の使徒君。今日も活躍したのか? ここじゃへたにその黒いモンを広げたら捕まるもんなぁ。存分に暴れられて猿どもに感謝されて。美味しい仕事だよな」

 蔑みを含んだ言葉が鼓膜を打つ。

 無言のまま脇をすり抜けて部屋に入ると、室内にはこちらも白衣のフィルティアと、他にまだ二人のスタッフが自分の机に向かっていた。

「おい待て。アンドロイドの分際でスカしてんな。返事くらい返せよ」

 後ろから肩をつかまれ、ルゼットは足を止めて彼を見上げた。

「放せよ。あんたに報告する義務はない」

「俺もおまえごときにシカトされるような安い立場じゃねーよ」

 すると室内の右端から声がかかった。

「よしなさい、フレド。ルゼットに絡む体力があるならちゃんと教授と話し合うべきよ」

 三十を少し超えたあたりに見える、茶色い巻き毛の女性が奥の席のフィルティアを指し示している。植物の生態系を担当する助教授のジル・コーリーだ。

「そっちはご勘弁。俺の意見は変わらないから。計画が崩れたなら一刻も早くリセットするに限るぜ」

 フレデリックが返事を返すと、左手前の席に座る赤い短髪の男がこちらを向いた。動物学担当のアレックス・テイラーだ。五十代後半になる壮年の男で、今いるフィルティアの助手の中では一番の古株である。

「口を慎め。フィルスはリンダ教授の曾孫。つまりフェリオル博士の遺伝子を持っているんだぞ。そう簡単にリセットできるか」

「………」

 フレデリックがやや乱暴にルゼットの肩から手を離す。すると奥の席からフィルティアが立ち上がった。

「アレックスの心はありがたいが、私がリンドフェンリルの存続を目指すのは玄孫(やしゃご)を守るためじゃない」

 言いながらこちらに歩み寄る姿は、年齢が飛び抜けているせいか見た目の若さにそぐわない威厳がある。

「原因をきちんと把握できない限り、リセットしても繰り返されると踏んでいるからだ」

 フレデリックはまるで気圧されまいとするかのように口調を強くした。

「だから。俺は王が急死しただけでバランスが崩れるような国は失敗だって言ってるんです。リセットして、今度の国には王家なんぞ造らなければいい」

「短絡的だな」

 フィルティアは彼の二歩手前で足を止めた。

 白衣の背中から不穏な空気が醸し出され、ルゼットはそろりと壁際に下がった。

「それは研究者の取るべき態度じゃない。前から気になっていたが、ここ数年、おまえはどうもこの研究に対して平常心じゃないな。くだらない私情を持ち込んではいないか?」

 フレデリックは嫌なところを突かれたように顔を歪めた。

「別に。目指すべき方向から被験体が外れたのなら、迅速かつ効果的に手を打つべきだと考えているだけです」

「この場合は被験者と言え。彼らは実験用小動物ではない。下々の民に至るまで身体的には連邦市民と何ら変わらない人間だ。その侮蔑的な態度が改まらないなら、しかるべき手段を講じるしかなくなるぞ」

「俺は自分が間違ってるとは思いませんね」

 フレデリックはちらとルゼットに鋭い視線を投げた。

「他の職員たちだってみんな言ってる。そこの黒い小僧の処遇を含めて、この研究室のやり方には疑問を覚えるってね」

 彼は言い捨てると踵を返し、フィルティアが引き留める間もなく廊下へと出ていった。

(いっそ清々しいほどあからさまな敵意だな)

 とはいえそれに対して反発するつもりはない。ここでは多くが彼に準じ、よくてジルやアレックスのような中立だ。彼の如き悪意にいちいち反応する気力など、この七年でとうに枯れている。

 無言でコーナーに置かれた椅子に腰かけると、フィルティアが息を吐き、小卓を挟んだ向かいの椅子にドカリと腰を下ろした。

「帰ってくるなり悪かったな。あいつは優秀なんだが柔軟性に欠けるのが(たま)に傷だ」

「いや別に」

 微妙に視線を外して答えると、足を組んだ彼女はこちらを探るように見た。

「下はどうだった。妖獣は排除できたか?」

「ああ」

 フィルティアはホッと口元を綻ばせた。

「そうか。ならこの先一ヶ月は大丈夫だな。収穫期が無事に迎えられそうでよかった」

 ルゼットは首を横に振った。

「それは早計だ。おれが始末したのは夜行性の妖鬼鳥に過ぎない。日中は別のやつが来る。これ以上、増え続けたらあの国の装備では追いつかないだろう」

「ルゼット」

 ジルが割り込んできた。

「何度でも言うわ。リンダ教授への口の利き方に気をつけなさい。そんなだから余計な反感を浴びたりするのよ」

 フィルティアが手を上げてそれを制した。

「彼は私の義理の従弟だ。その必要はない」

「教授。ですが」

「今更だ。それよりルゼット。王国軍を総動員させてもだめか?」

 ルゼットも構わずに続けた。

「範囲が広すぎて他の守りが薄くなる。それに一般兵は平民の徴用だ。収穫期ともなれば出せる手は限られてくる。王城があるオスティンや周辺地域はともかく、地方の農村が無事に収穫できるとは思えない」

「………」

 フィルティアは背もたれに体を預けると、腕を組みつつ天井を仰いだ。

「やはり、フェロデを失ったのは痛いな……」

 言葉を受け、重苦しい空気が室内を漂う。

 今、この研究室の面々の頭を悩ませているのが、国民にフェロデ王と呼ばれて親しまれたフィルスの祖母、フェル・ローデ・リンデルの突然死だ。

 ただでさえ組織の指導者の死は痛いが、フェロデ王の場合はカナダ地区全体、ひいてはクレシドの今後をも左右する重大事であった。



 クレシド――それは総勢二万人を越す、特異能力者とその家族で構成された共同体である。

 中心は、第四次世界大戦後期、連邦軍情報局に所属したガレイル・フォン・ベーゼンドルフ。そして彼が集めた七人の特異能力者たちだ。博士号を持つ研究者でもあるガレイルの影響か、半数以上が研究畑の出身である。

 彼らは特殊能力部隊――特能隊として、大戦争後期から末期にかけて多くの戦闘に貢献した。しかし、成果に対するあまりにも低い評価に反発し、独自の組織を作って特異能力者の立場を向上させようとした。それがクレシド創立の発端である。

 大戦争終結時、彼らは混乱に乗じて宗主連盟から奪取した衛星基地を占拠し、拠点を得ることに成功した。

 そうして立ち上がったクレシドは、力の大小にかかわらず特異能力保持者に門戸を開いて保護し、政治的には中立を保って覇権争いには関わらない方針を貫いた。

 代わりに力を入れたのが、戦争によって汚染され、放置されていた地上の買い取りだ。

 破壊の歴史を繰り返さず、なおかつ特異能力者が安心して暮らすにはどんな形態のコミュニティが一番相応しいのか。

 この命題を探るため、彼らは大学や研究所を設けて様々な技術を開発すると、それらを売って得た資金で汚染地帯を次々に買い取り、特異能力で結界を張って中の土地を浄化、回復させた。そして四つのエリアに別れて『国作り』を進めたのだ。

 連邦も負けてはならじと地上の買い取りと運営を領族に奨励したが、科学技術だけでは外気を遮断できず、浄化や妖獣対策に時間を取られて荘園程度の発展に留まっている。

 それに対し、クレシドが現在有する領土は大戦争前の北アメリカ大陸全土に及び、博士号を持つ四人が各エリアの責任者となってそれぞれ独自の国を形成している。

 その中で、旧カナダ連邦の中西部周辺を任されているのが、大気を操る技に長けた〈風のフェリオル〉ことフェリオル・モルラック博士だ。

 彼の張った結界の中心に築いたのが、自身の一粒種であり、同じ力を受け継ぐフィルティア・リンダ教授の運営するアルバータ基地、彼女が作り上げたのがリンレーク試験国家――すなわちリンドフェンリル王国だ。

 フィルティアがクレシドの命題に添って立てた目標は『特異能力者と一般市民の融和』。この実現に向け、採用した手法が『科学文明のコントロールと信仰の利用』だ。

 他の三ヶ所でも科学知識の取り扱いは慎重だが、結界の維持には内側からの補強が必要になる。

 結界――サイコバリアとも呼ばれる空間閉鎖障壁は、レーダーや超音波、ある程度なら物理的な攻撃も遮断できる。しかしそれを広範囲に張れる者はクレシドでも稀で、創設メンバーを含めた数人がいるだけだ。そのため適度に科学技術を開放し、物理的なバリアを使って国民に結界の補強を担わせている。が、フィルティアは他の三ヶ所とは違うやり方を選んだ。

 彼女はリンレークの奥地に残っていた町や村の住人を集めて国の中心に据えると、科学知識を封印する代わりに、自らが彼らに交わって生活し、結界の補強と病気や災害の排除を、自分の特異能力と研究室のサポートだけで担ったのだ。

 その結果、リンドフェンリルの民はフィルティアを〈風の神〉として信仰し、特異な力を神の御技と崇めるようになった。

 しかしあまり神への依存性が高くなっては発展の妨げになる。

 建国から十年ほど経った頃、フィルティアは民の中から選んだ若者との間に子を成し、〈風の神の血を引く者〉として初代リンドフェンリル王と定めた。

 その後、必要な知識と歴史を十数年かけて伝授、内側の結界の補強をともに担わせた。さらに民の中からも神官という形で担い手を選んで増やし、自身は徐々に手を引いてカナダ基地とリンドフェンリルを行き来した。

 それから約六十年。

 初代の次女に当たる三代目フェル・ローデの御世では、世継ぎの王女フェリシアがともに結界を支え、その長子フィルスも順調に成長し、彼らが神殿と称する城中の通信室でのやり取りのみで、国内の問題が解決できるようになった。

 同じ頃に神の恩恵という形で授けてきた農作物の改良種も豊な実りを結び始め、いよいよ次の発展段階に突入だと研究室の面々は意気込んだ。しかしその矢先に世継ぎのフェリシアが事故死し、さらに三年後、今度はフェロデ王が急死してしまったのだ。

 強力な能力者を二人も失って内側の結界は極端に弱まり、妖獣の侵入を許す事態となってリンドフェンリルは今、危機に瀕している。

 王族への教育が十歳からだったお陰でフィルスはすでに現代の知識を授けられていたが、肝心の特殊能力のはあまり芳しくなかった。どうやらフィルティアの力は直系の女性に限って顕著な遺伝を見せるらしく、フィルスや残った王族たちでは内側の結界を支えるに至らない。

 かくして結界の綻びを敏感に察知した妖獣が餌を求めて殺到し、国土は西と南から徐々に侵食されていった。フィルティアが張っているリンレーク外縁の結界と、リンドフェンリルの防衛力でなんとか食い止めてきたのだが、今や被害は人口増加計画の見直しを迫るレベルにまでなっているのだった――。


「せっかくジルが開発した多量種の小麦が実ったのに、肝心の食べる人々がこんなことで失われるなんてな……」

 フィルティアがぼやくと、机で端末を操作するジルもそれに続いた。

「品種改良の野菜も今年は豊作で、家畜も増えていたのに」

 手前の席のアレックスが椅子ごとこちらを向いた。

「いくら食料が順調で子どもが増えていても、それ以上に大人が次々死んでしまっては国が歪んでしまう。このままでは残されたフィルスの荷が重すぎます」

 本来ならフェリシアが娘を産んで力を伝え、彼は母と妹の補佐に回るべきだったのですからと付け足され、フィルティアの顔が陰った。

「やはり私が介入するしかないか」

 アレックスは首を傾げた。

「いやそれは。下手な介入は逆効果です。ようやく神の存在から自立し始めたところなのに、ここであなたが手を出しては民の意識が逆戻りしてしまう。これを正すには倍の時間がかかりますよ」

「……そうだな…」

 フィルティアが嘆息する。しかし彼らの真剣な討議を聞けば聞くほどルゼットの心は冷めていった。

 所詮、あんたらの関心はプロジェクトの成功と分析にあるんだ。

 それが狭い考えであることはわかっている。けれども感情で割り切れるものではない。

 ルゼットは鬱屈から逃れるように立ち上がった。

「他に質問がなければ帰らせてもらう」

「え、ちょっと待ちなさいよ」

 ジルが画面から顔を上げた。

「もうちょっとこう、現地の様子を聞かせてよ。村人たちの声とか、城内の雰囲気とか」

「神殿から報告があるだろう。様子を見たいなら、あとであんたの端末におれの電脳から映像のバックアップを送る」

「そういうんじゃなくて」

 ジルがもどかしげな顔をし、渋い表情のアレックスがこちらを向いた。

「ジルは現地に降り立った者としての、直接の意見を聞きたいと言っているんだ。わかっているくせにはぐらかすのはよせ。こっちは真剣なんだぞ」

「説教なら明日聞く。夜にサーベルなんぞ使ったからエネルギー切れで頭が働かないんだ。ポンコツで悪いな」

「ルゼット」

「いい、アレックス。私たちも今日は終わりにしよう。ルゼット、ご苦労だった」

 椅子から立ち上がったフィルティアをルゼットは横目で見た。

「珍しいな。いつもなら『おまえも突っかかるな』とか言うくせに」

「失礼なやつだな。私だって労うときはある」

 言いながら彼女はルゼットの肩を戸口へと押し出し、自らも後ろについて部屋を出た。

 廊下を少し進んだところでフィルティアが言った。

「衛星基地のガレイルから連絡が来た」

「―――」

 ルゼットが足を止めると、フィルティアも横で止まった。前を向いたまま次の言葉を待っていると、小さく息を吐く気配がした。

「リグレとカイルのことだ」

 ――とうとう来たか。

 弟たちとは、もう長いこと会っていない。

「……なんて?」

「最終検査をして、二人とも問題はないそうだ。明後日、ガレイルが責任を持って行うとのことだった」

 一瞬、目の前が暗くなる。

 くずおれそうな足をルゼットは辛うじて踏みこたえた。

(何を今更。自分が取り決めたくせに。この春が期限だと覚悟していたはずだ)

「わかった」

 どうにか平静を装って横を見ると、こちらを窺う切れ長の瞳が色を深くしていた。

 ああ、だからか。

 ルゼットは少し可笑(おか)しくなった。

「なんだ」

 フィルティアが訝しげに銀色の頭を傾けた。

「あんた、普段がサバけてるわりには意外と繊細だよな。そんなに心配しなくていい」

 言った途端、ルゼットの周囲で風が渦を巻いた。背を覆う黒髪が乱れ、小さな風の塊が体を揺らす。フィルティアの起こした風の力――(かま)(いたち)だ。

「ちょっ、やめろよ」

 いくら自分の皮膚が人より頑丈でも、彼女の鎌鼬が相手では洒落にならない。

「ちゃかすからだ」

 フィルティアは片手で払うようにして鎌鼬を収めた。

「おまえの態度は表裏がなくて気持ちいいが、無神経なのはいただけない」

「お仕置きに鎌鼬か。あんたも大概おれには容赦なしだな」

 再び歩き出すとフィルティアも続いた。

「それこそ今更だろう。おまえに遠慮する理由はない」

 キッパリと言われ、心の奥が疼く。

 あんたにその台詞が出せるのは、おれを恐れる必要がないからだ。

 弟たちを手放した理由にも絡むその事実は、ゼットの支えであり、最後の砦なのだった。




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