ガレイル
7・ガレイル
「誰だ!」
コーエンが立ち上がりざまに銃を構える。
つられて振り返ると、まだ朝靄の漂う草地に、不思議な成りをした人影が三人ほど立っていた。
真ん中の、癖のある金髪をふわふわと肩にまとわりつかせた大柄な男が、銀色のまっすぐな髪を胸下まで垂らした二人を左右に従えているように見える。三人とも同じ装束――昔語りに出てくる神殿の神官のような、丈長の白いローブを纏っていた。
……神様?
幻想的な姿に目を奪われていると、真ん中の男が音もなく歩を進め、草の上に身を寄せるルゼットたちの二歩ほど手前で止まった。
彫りの深い、男らしく鋭い面立ちの中で、不思議な金色の眼差しがコーエンを見据えている。けして低くないはずのコーエンより、目の前の男は確実に頭ひとつ分、背が高かった。
後ろの二人が両脇に追いついたところで男は口を開いた。
「先にウェジニールを裏切ったのは、連邦軍のほうだろうに」
(えっ?)
驚いて彼に目を合わせると、銃を構えたコーエンがスイッチを持った右手をかざした。
「おおっと。もう少し離れていただけませんかね。どなたかは存じませんが、近づかないようお願いします」
警告するにしては丁寧な言い方だが、それも納得してしまえるほど、金の髪と目をした男には周囲を圧倒するような威厳があった。
すると金髪の男は長い袖に包まれた腕を軽く上げ、指先をコーエンに向けた。
パシッ。
途端、右手に握られていたスイッチが破裂音をたてて砕け散った。
「あっ……!」
続いてルゼットの両脇からもパンッパンッ、と音が弾ける。慌てて左右を見やると、リグレとカイルが首を押さえていて、そこに嵌められていた黒い輪がなくなっていた。
「………っ!」
驚いたコーエンが金色の男に銃を向けたとき、奥からつかつかと足音が響いた。
「出発だ、コーエン。そいつらを右の連絡挺に連れていけ」
「ユリウス様!」
コーエンが叫ぶ。直後、金色の男が声を発した。
「久しいな、ユリウス・カトー」
ユリウスはハッとこちらを向き、次いで絶句したように足を止めた。
「ガレイル……!」
(ガレイル……?)
どこかで聞いた気がして男を見上げると、彼は口の端を僅かに上げていた。
「この者たちは我らクレシドが引き取る。手を引け」
「バカな。……早すぎる!」
ユリウスが眉を吊り上げると、ガレイルと呼ばれた男は金色の目を少し陰らせた。
「ウェジニールも覚悟はしていたということだ。……できればこうなる前に連れ戻したかったが」
彼が目線を動かした先には、横たえられた三人の姿があった。
するとガレイルの後ろにいたうちの一人がフラフラとそちらに寄っていった。
「ウェジニール……」
言いながら、ウルクとウェジンの間を割るようにしてしゃがんだ顔が目に映り、ルゼットは思わず声を上げそうになった。
(父さんにそっくりだ!)
髪こそ癖のあるウェジンと違って絹糸のようにまっすぐだが、甘く整った顔立ちはまさに瓜二つだ。
弟たちも気づいたか、「あっ」と小さく叫んだあと、腰にギュッと抱きついてきた。
父に似たその人は、こちらの驚きなど目に入らぬ様子でウェジンの頭に触れると、そのまま首の後ろに腕を入れ、上体を起こして胸に抱きしめた。
その間にもユリウスとガレイルのやり取りが続く。
「元連邦軍少佐、ウェジニール・モルラック逃亡事件の報告に関し、そのバイオロイドには事情聴取する必要がある。引き取りたければ連邦軍の許可を取ってからにするがいい」
「勘違いされては困る。今この瞬間も彼らの身柄が我々の管理下にあることは、連邦政府も承認済みだ」
「ハッタリだな。ウェジニールは貴様たちからも姿を隠していた。彼が発見されたのは昨日の夕方。結界が解かれたあとだ。こいつらは新しい個体だろう。そんなに早く手続きが済むものか」
「言っただろう、ウェジニールは覚悟していたと。自分に万が一のことが起きたとき、子どもらが私の庇護下に置かれるように、彼はあらかじめ対策を済ませていたのだ。彼から届いたメッセージに従って連邦の登録システムにアクセスした結果、新しい個体は我々のものになった」
「なんだと……!」
淡々と説明され、ユリウスは憤りも顕わに、右手首に巻かれた腕時計のようなものを指先で操作した。そして何かを確認すると、驚いたように目を見張りながら舌打ちをした。
「早すぎる! 正規のアクセスじゃない。明らかな不正操作だ!」
「さあ? 証拠はどこにもない」
冷ややかに言い返され、ユリウスの白い頬が紅潮した。
「だがデータの記録時間が不自然なのは一目瞭然だ。追求してやる!」
「いくら抗議しても無駄だぞ。すでに連邦元首と八人委員会のメンバーには話をつけた。おまえの一族では決定を覆せまい」
「……くっ」
ユリウスは顔を歪め、唇を噛んだ。
「ユリウス様……」
コーエンが控え目に声をかけると、彼は一瞬こちらを睨み、そして背筋を伸ばした。
「……撤収する!」
コーエンはチラリとルゼットを見、少しだけ口角を上げて「了解です」と答えた。そして二人はくるりと踵を返し、こちらを振り返ることなく去っていった。
(よくわからないけど、ひとまず助かったみたいだ)
我知らず深いため息が漏れたとき、頭上のやり取りが耳に入ってきた。
「ガレイル。我々も長居は無用です」
低く落ち着いているが女性の声だ。
「そうだな。安全な場所まで移動しておくか」
「ここからだと、カナダにある私のアルバータ基地が近いですが」
「それがいいだろう」
顔を上げると、もう一人の人物がこちらに歩を進めてきた。だいぶ明るんできた空の光に顔が映し出され、ルゼットはこの女性も父に似ていることに気がついた。
滑らかな色白の肌の端正な面立ち。光を反射して輝く長い銀の髪。ゆったりとした衣装の神秘的な立ち姿。
彼女はしかし、どちらかというと男勝りな物言いで話しかけてきた。
「おまえたち。体に不具合などはないか」
こちらを覗き込む表情も切れ長の目をしているせいか、どこか冷めた印象だ。ルゼットはリグレとカイルの肩を抱き寄せて答えた。
「今は……特には困ってない」
すると彼女は少し目を見張った。
「滑らかな声だな。さすがウェジニール。まるで普通の少年のようだ。おまえの識別番号は? 呼び名はあるのか?」
その言葉はルゼットをいたく傷つけた。
「あんたたちは、父の仲間だった人たちか」
自然、返す口調がきつくなる。彼女は驚いたように眉を上げた。
「父とはウェジニールのことか」
ルゼットが頷くと、彼女は眉を元に戻した。
「いかにも。だが過去形で話すのはいただけない。彼が私たちと血の絆で繋がっているのは今も変わらない事実だ」
血の絆と聞いてやはりと思いながらルゼットは声を高めた。
「父さんは、最後までおれたちを息子だと言って死んだ。人に名前を尋ねるときは、まず自分から名乗るのが礼儀だろう。今も父さんと繋がってるっていうなら機械人形扱いはやめてくれ!」
こんな言い方をしたら危険なのかもしれない。わかってはいてもこれ以上、我慢はできなかった。
彼女は目を見開くと、戸惑った表情を浮かべてガレイルを見やった。すると彼は二歩の距離を詰め、少し屈んで頭を傾けた。
「すまなかったな。私はクレシドのガレイル・フォン・ベーゼンドルフ。ウェジニールの友人にして身元保証人だった者だ」
思いのほか丁寧な挨拶をされ、ルゼットは弟たちから腕を離して立ち上がった。
「おれはルゼット・モルラック。右がリグレ、左がカイル」
言いながら、二人にも立つよう促す。三人で並んでから改めて見上げると、ガレイルは姿勢を戻し、彼よりは頭ひとつ分低い女性の肩に手を置いた。
「これはフィルティア・リンダ。あちらにいるフェリオル・モルラックの娘だ。フェリオルはウェジニールの双子の弟、おまえたちの叔父と従姉、ということになるか」
「父さんが双子?」
ルゼットが目を見張ると、フィルティアと紹介された女性も驚いた様子でガレイルを見上げた。
「ガレイル。何の話です?」
「ウェジニールからのメッセージファイルにあったのだ」
ガレイルはこちらに金の瞳を向けたまま言った。
「この三人は作ったのではなく『生まれた』のだそうだ。だからウェジニールの正式な養子になっている。彼の死をもって、親権は私に委ねられた」
「『生まれた』ですって……?」
「まだファイルのすべてに目を通したわけではないが、おそらくはクローン技術を応用したのだと思う。ルゼットは、そのあたりの話は何か聞いているか」
クローン?
聞き慣れない言葉に首を傾げながらルゼットは答えた。
「おれはウルク兄さんから、弟たちはジェトリ兄さんから生まれたと聞いたけど……」
「URK-8とJETL-2か。なるほど……不可能ではないな。二人ともウェジニールに忠実な者たちだった」
記号のよう呼び方が気になりつつも、二人を労う口調に少しだけ心が慰められる。
「でもそれを知ったのはつい昨日のことなんだ。おれの翼が生え揃ったのがきっかけで…」
「おまえは成体になったばかりなのか」
金の目が見開かれ、ルゼットは頷いた。
「今まではウルク兄さんを一番上、ジェトリ兄さんを二番目の兄と思って暮らしてた。父さんは医者で、翼のある種族の奥さんに先立たれた、五人子持ちのやもめ男って村では思われてたんだ」
「翼ある種族……放射能による突然変異種か。うまい説明を考えたな。どおりで噂を聞かなかったわけだ」
彫りの深い面立ちに苦笑が浮かぶ。すると。
「なにが翼ある種族だ。ふざけるな!」
突如、石畳でウェジンを抱き抱えていた人が叫んだ。
「なんでウェジニールがこんな目に遭わなきゃならないんだ。誰よりも連邦に貢献した彼が、なんでバイオロイドごときのために!」
彼は父と同じ顔を歪ませると、ルゼットたちを睨みつけた。
「……っ!」
心臓がひと突きされたような衝撃が来る。
「フェリオル」
ガレイルが宥めるように呼びかけたが、彼はなおも叩きつけるように叫んだ。
「養子なんて絶対認めない。これ以上、バイオロイドに関わるのなんて真っ平だ!」
そして彼はウェジンを膝の上に抱え直すと一瞬、体から光を発し、唐突に消えた。
「あっ!」
「お父さんがっ!」
三人が駆け寄ったときには、ウルクとジェトリの間にあった姿はどこにもなかった。
「お父さぁんっっ!」
リグレとカイルが泣き出した。するとガレイルが二人のそばに歩み寄り、「大丈夫だ」とそれぞれの肩を抱いた。
ルゼットは横から彼に詰め寄った。
「何が大丈夫だ! 父さんを返してくれ!」
「すまないな。瞬間移動されてしまった。落ち着くまで待とう」
「瞬間移動……っ」
彼らにとって、それはごく当たり前に使う力なのだと知れた。
(この人たちは、本当に父さんの仲間なんだ)
そばに来たフィルティアが二人の前にしゃがんだ。
「どこに飛ぼうともガレイルの千里眼は見透す。父もそれはわかってるから、気が済んだらちゃんと返すだろう。それまでの辛抱だ」
言い聞かせるような口振りにルゼットはカッとなった。
「そんなひどい話あるか! こいつらはまだろくに対面してないんだぞ。おれだって」
フィルティアがこちらを見上げてきた。
「この二人はいつも一緒だろう?」
「だったらなんだ」
「父とウェジニールだって同じだった」
「……っ」
「双子には特別な絆がある。彼が出奔してから父はずっと離ればなれ、しかも連絡を取れたのは二回きりだ。おまえたちは生まれてからずっとウェジニールを独占してきたんだろう? 長い間会えないでいた片割れに、ほんの数日くらいあげてもいいじゃないか」
「独占って」
「そうだろう。彼はおまえや〈翼〉たちのために、仲間や兄弟、それまで培ったものすべてをなげうったんだから」
「………」
(生まれる前の話なんて、おれたちの知ったことか!)
とは思うものの、さすがに口には出せない。
唇を噛んで俯くとガレイルの声がした。
「よせ。ルゼットはどうやらウェジニールを取り巻く事情を知らずに育ったようだ。先ほどもユリウスの部下から色々聞いていたようだが、話が多すぎて消化できまい」
思いのほか優しい声音に顔を上げると、ガレイルの金色の双眸が細められた。
「詳しい話は落ち着いた場所で正しく伝えるべきだ。いつまでも連邦軍のそばにいるのはいただけない。UR……ウルクとジェトリも葬ってやらねば」
彼は弟たちをフィルティアのほうに軽く押し出すと、横たわる兄たちに向き直り、二人の間に片膝をついた。
「ではアルバータ基地に。先にこの二人を連れていく。子どもらを頼むぞ」
言いながらガレイルが両手を左右に伸ばし、兄たちの胴にそれぞれ触れる。瞬間、発光とともに三人の姿がその場から消えた。
「あっ……」
心拍が僅かに早まる。しかし動揺する暇もなく、立ち上がったフィルティアが弟たちの肩を抱いてルゼットの横に並んだ。
「私の腕をつかんでいろ。移動は一瞬だ。怖いなら目を瞑っていればいい」
ウェジンに似て非なる水色の眼差しに、幼子を宥めるような色が混じる。
「……っ」
怯みそうな心を封じ込め、無言でカイルの肩を抱く腕につかまると、彼女は眉を少し上げたものの、口を開くことなく切れ長の双眸を夜空へと向けた。ルゼットはあえて横を向き、もはや二度と見ることはないだろう村の最後の光景――薄靄に明滅する戦闘機に埋められた広場を、それらが視界から消える瞬間まで目に映していた。