契約
3・契約
「時間がありません。冷静になってください」
ウルクが涼やかな眼差しで周囲を見渡すと、ざわめいていた人々は気圧されたように徐々に口を閉じ、やがておとなしくなった。
ルゼットは密かにひとりごちた。
(ジェト兄もすごいけど、やっぱウルク兄さんはその上をいくんだよな)
けして威圧的ではないし、背もウェジンに届かない。すらりと優雅な佇まいなのに、ウルクにはどこか人を惹き付けて従わせるような力があった。
彼は周囲が静まったことを確認すると、まずはダローシュに向けて一礼し、次いでウェジンに向き直った。
「ウェジン。村長がおいでです。この先の段取りを伝えてください」
ダローシュが驚いて入り口に顔を向ける。つられて見やると、廊下の人だかりが左右に割れ、奥から痩身の老人が室内に足を踏み入れるところだった。
タルバ村の長、クロヴ・ベルデルだ。
ダローシュやウェジン、ジェトリが頭を下げると、彼は皺深い顔を向けて鷹揚に頷いた。
「子細は廊下で聞いた。ウッドリーの息子が裏切ったとな」
「村長」
ウッドリーが苦痛を受けたように顔を歪ませる。ウェジンが顔を上げると、村長は白髭に縁取られた口の端を曲げた。
「しかしながら、その原因があんたら一家を受け入れたことにあったとの意見、あながち外れているとも思えん」
(………っ)
村長の言葉に村人たちは一瞬ざわめき、そして声を落としてヒソヒソと話しだした。
ここにきて、ルゼットは自分たち家族が置かれていた立場をようやく悟った。
(おれたちは村の住人として認められていたわけじゃなくて、村の安全に大きな貢献をすることを条件に、住み家を保証されただけだったんだ)
むろん父の医者としての腕や、兄たちの活躍などに感謝してくれた人は大勢いるはずだ。現にルゼットは今まで蔑まれたり嫌な目に遭わされたりしたことはなかった。しかしそれは実のところ、『外からは絶対に見つからない結界』なるものを提供した上での感謝だったのだ。
「この上はあんたが昔、約束したとおり、命懸けで村とオアシスを守ってもらおうか」
横柄な村長の言葉に、しかしウェジンはすぐに返事を返した。
「もちろん全力をもって当たらせていただきます。そのために、村の皆さんには東の防壁前の空き地に退去していただきたいのです」
「防壁のそばなんて危ないじゃないか」
ダローシュが声を上げた。
「敵に囲まれたらどうするんだ」
「敵は西から来ています」
ウェジンはダローシュに言い、次いで村長に顔を戻した。
「けして東側には被害が及ばないようにしてみせますのでご安心を」
「ずいぶんな自信だな」
村長は探るように目を細めた。
「何か手立てがあるのか」
「はい。それに際しまして二つほどお願いがあります」
「なんだ」
「オアシスの水を一時、半分に減らすことをお許しください」
「半分? どうしてだ」
「私どもが使う迎撃の技に必要だからです」
村長は顎に手をやってしばらく黙考し、ひとつ頷いて顔を上げた。
「いいだろう。この時期なら、半分残るのであれば問題はない。あとひとつは?」
「敵を一人たりとも逃したくないので西門の結界を解いて誘い込みます。皆さんは空き地から絶対に動かれませんようお願いします」
「なんと」
村長が驚き、周囲の人々からも「ええっ!」との声が上がった。
「武装集団なんか入れたら村が破壊されるじゃないか」
「畑や家が壊される!」
ウェジンが声を大きくした。
「もちろん中央のオアシス広場より東には入らせません。けれど一人でも逃したらまた次が来てしまう。素早く完璧な勝利のためには餌が必要です」
周囲が再び騒然とする。村長はウェジンを睨んだ。
「今、芽吹いている作物は諦めるにしても、農地が爆弾やら戦闘車やらで汚染されてしまってはその後が生きていけん」
「大丈夫です。戦いの爪痕は残しません」
「なんだと?」
「武装集団すべて、きれいさっぱり分解殲滅してご覧に入れましょう」
ウェジンの口元に見たこともないような不敵な笑みが浮かぶ。ルゼットは我知らず身震いした。
(もしかして、父さんにはこういった戦いの経験がある……?)
見れば村の大人たちがウェジンを見やりながらざわめく中、ウルクやジェトリには動じる気配もない。
(そうか。きっと『外』で暮らす間に何度か体験したんだ)
同じことを考えたか、村長は腹をくくったようにひとつ息を吐いた。
「いいだろう。どのみち我々に選択肢はない。村の東側に皆を集めればいいわけだな?」
「ありがとうございます」
ウェジンが頭を下げ、ウルクが倣う。それを一瞥した村長は後ろを振り返った。
「さあ、皆の衆。聞いていただろう。早く帰って近所の者たちに知らせてくれ。身支度をして、東の防壁前に集まるようにとな」
人々がざわめきながら村長に従って移動する。最後尾のダローシュが出ていったところで、ルゼットはカイルをリグレに預けてウェジンの前に立った。
「父さん、あの」
「ああ、ごめんよ。色々と驚かせただろうね」
ウェジンは申し訳なさそうに表情を曇らせた。ルゼットは首を横に振った。
「それはいいんだ。そりゃ、あんな風に責められるなんてちょっと……ショックだったけど。それよりも父さん。殲滅なんてこと、本当にできるのか?」
経験があるらしいとわかっても、たった三人で二百五十人もの集団を迎え撃ち、すべて片付けるなど到底可能なこととは思えない。
ウェジンは一瞬、顎を引き、次いで困ったように笑った。
「できるよ」
「………」
じゃあ、なんでそんな顔するんだよ。
言葉が喉まで出かかったとき、横から声がかかった。
「ルゼット」
見上げると、静かな気配を纏ったウルクが、やはりどこか切なげな眼差しでルゼットを見ていた。
「おまえにカイルとリグレを任せる。二人を連れて、村の皆さんと一緒に避難しなさい」
ルゼットは咄嗟に言い返した。
「嫌だ。ここに残る」
「ルゼット」
ウルクの涼やかな目元が咎めるように眇められる。いつもならその表情だけで諦めるところだが、ルゼットは食い下がった。
「村長さんのあんな態度を見ちゃったあとで、村の人と一緒になんていられないよ。リグレやカイルだって」
後ろを振り向くと、身を寄せた二人は強張った顔で首を縦に振った。
(そりゃそうだ。あんなやり取りを聞かされて、村の人たちの中に置いていかれたらたまらないに決まってる)
「邪魔しないように気をつけるし、できることは手伝うから一緒にいさせてくれよ」
腕をつかんで必死に言い募ると、ウルクはルゼットの肩をあやすように抱き、困った顔でウェジンを見た。ウェジンも迷いを浮かべた顔で手前の机に寄りかかるジェトリを見、ジェトリは考えるように腕を組んでからこう言った。
「いいんじゃねぇ? こいつらにも現実を知る権利はあるし」
「でも……まだカイルとリグレは小さい。あんなものを見てしまったら……」
ウルクが眉根を寄せるとジェトリは肩を竦めた。
「心配ならウェジンに判断を任せろよ」
二人がウェジンを見る。彼は心を決めたように「よし」と頷いた。
「家に待機させよう。広場より西寄りだけど、門からの距離はそこそこある。今は家族が離れないほうがいい」
「父さん……」
その言葉にホッとし、同時に疑問が再び頭をもたげる。
(もし本当に父さんが義理の親なら、なにも苦労しておれたちを育てる義務はなかったんじゃないのか?)
さっきの会話が真実なら、ウェジンは幼かった双子を救うために、自分の命を賭けるような取引をしたことになるのだ。
「どうしたの?」
言葉を詰まらせたルゼットを不審に思ったか、ウェジンが顔を覗いてきた。
「あの、父さんは、本当は……っ」
思い切って聞こうとし、ハッと後ろにいる弟たちを意識する。
(バカ。そんな質問、こいつらの前で答えられるわけないじゃんか)
するとジェトリが苦笑を混じりに言った。
「聞きたいことがあるなら聞けよ。今なら何でも答えてくれるかもしれないぜ。なあ、ウェジン」
「そうだね。気になって、段取りに専念できなくなるから言って?」
途中まで口にしたせいだろう。見透かされたように促され、ルゼットは腹を決めてウルクの腕を離し、ウェジンへと向き直った。
「あのさ、父さんとおれたち、実の親子じゃないって聞いたんだ」
言った途端、後ろの二人の息を呑む音が聞こえ、ウェジンの肩が僅かに揺れた。
「なのに、おれたちを養うためにその……村を守る約束なんてして」
「あのね」
遮るようにウェジンはルゼットの肩をつかみ、自分のほうへと引き寄せた。
「確かに、生物学上の定義を持ち出せば、僕は君らの遺伝子提供者じゃないよ。でも、そういう枠を越えて君たちを形作ったのは僕だ。だから僕は養父じゃない」
医者らしく難解な表現だ。でも……。
「遺伝子で繋がってるのが親と子じゃないのか?」
バール先生は確か『父親と母親の遺伝子を半分ずつもらって一人の子どもができる』と言っていた。遺伝子を提供してないのなら、紛れもなく養い親ではないのか。
「うーん。そう言われちゃうと困るんだけど。君たちは、だからええと、遺伝子の構造が他の人とは違って」
どう説明したものかと悩むウェジンに、ジェトリが笑いながら助け船を出した。
「そんな小難しい説明じゃなくていいさ。ルゼットはつまり、ウェジンは再婚で、妻が残した連れ子のために、命を懸ける羽目になったんじゃないかと心配なんだ」
図星だ。
「ええっ? 違うよ!」
驚きの顔で見つめられ、ルゼットの顔に血が上る。ジェトリが悪戯を思いついたような顔でこちらを見た。
「いい機会だから教えてやるよ。俺たち兄弟はそもそも普通の人間とは造りが違う。それはわかるよな?」
ウェジンがなぜか焦った様子になったが、ルゼットは素直に頷いた。
「それはホーシャノーによるナンタラ種族だってことだろ?」
「そうそう。似たようなもんだ。だから当然、生まれ方も違うんだよ」
「そうなの? どう違うの?」
勢いよく聞いてきたのは、後ろにいたリグレだ。
「僕たち、どうやって生まれてきたの?」
おとなしいカイルにまで突っ込まれ、すでに学校でそのあたりの教育を受けていたルゼットは赤面した。
(おい。おれはそういうことを聞きたいんじゃねーんだよ)
「おまえらは黙ってろ」
「えーっ、だって」
食い下がる双子を目力で黙らせると、ジェトリがペラッと凄いことを言った。
「ルゼット流に言うなら、おまえら三人の遺伝子提供者、つまり父ちゃんと母ちゃんはウルクと俺だ」
「ええぇ――っっっ!」
三人の叫びがハモる。ルゼットは混乱した。
「でも、ウルク兄さんもジェト兄も男……!」
「それは人の場合だろ? 俺らは違うって」
違うと言われても、背中の翼さえなければ自分の体はタジールと変わらない気がするのだが。
(まさか、翼が完成したら体に変化が起こるとか? け、けど見た目、アニキたちとおれは同じだぞ。第一、兄弟は子ども作っちゃいけないんじゃないのか? いや、フツーは作りたくてもデキねーよ。まて、それじゃそもそもおれたちとアニキたち、兄弟じゃなくて親子じゃん!)
「えっと! あ、あのっ、どっちがお父さんでお母さん?」
パニクったまま質問を続けると、ジェトリはチッチッと目の前で人指し指を振った。
「だからそういうのじゃないんだって。でもまぁ、強いて言えばルゼットはウルクが産んで、双子を産んだのは俺だな」
(二人でお母さんっっ?)
「そんで、俺たちに家族を増やしてくれたのがウェジンなんだ。だからやっぱりウェジンが俺たちの家長、つまり父親さ」
(父さんは旦那さんっっ⁈)
「………………えーっと」
謎は深まるばかりである。しかし穏やかで優しく、ときに厳しいウルクから生まれたと聞かされて、あの世話焼き甘やかしは母性から来てたのか、などと納得もしてしまう。
(いや、でもジェトリには母性のカケラも感じないんだケド)
なおもぐるぐると想像を巡らせていると、ウルクがくるりと体を返してジェトリの頭をペチッと叩いた。
「この時間のないときにそんな中途半端な説明されたら、かえって混乱するだけだよ」
「俺、ウソはひとっコトも言ってないぜ」
「そうだけど。もっと違う言い方があるでしょう?」
(あ、否定しないんだ)
そこに軽くショックを受けていると、ジェトリが笑い混じりに続けた。
「ようするに俺たちは全員、ウェジンの意志のもとに生まれた子どもで、ウェジンにはしっかりメンドー見る義務があって、おまえらは父ちゃんが命張るだけの価値があるから安心しろって言いたいわけ。そうだよな?」
最後のセリフを向けられたウェジンは破顔した。
「そうだよ。君たちはみんな、僕のかけがえのない子どもだよ」
迷いのない笑顔に何も言えなくなる。
彼は両手を広げると、ルゼットと弟たちを包むようにして抱き寄せた。
「特に君たち三人は苦労して手にした子だよ。何があっても、たとえどんな手段を使っても、絶対に守りたいんだ」
そうして彼はこちらを向いて並ぶウルクとジェトリを振り返った。
「いいよね?」
ウルクが微笑んだ。
「もちろん。覚悟はできています」
ジェトリはニヤリと笑った。
「ああ。任せろよ」
ウェジンはルゼットたちに向き直った。
「これから僕とウルクとジェトリで迎撃の準備をする。君たちは屋根裏部屋に避難するんだ。いいね」
「屋根裏部屋に? どうして」
「ちょっと大がかりな……雷のようなものを使うから、広場とかは危ないんだ」
「雷って、屋根に落ちるんじゃ」
「それは大丈夫。むしろ開けた地面のほうが危ない。だから絶対に下には降りないで」
「逃げるなら、窓から屋根づたいに逃げろ」
ジェトリが手招きしながら言った。
「もし予想外の危険が迫ったら、そのときはルゼット、おまえが頼りだぞ」
ルゼットがジェトリの前に立つと、ウルクがウェジンに言った。
「ウェジン。その子らを先にお願いします」
「わかった。じゃ、まずは家に帰ろうか」
ウェジンが両手を差しのべてリグレとカイルの手を握る。その様子から、この先の話は二人に聞かせたくないのだと知れた。
彼らが部屋を出ていくと、ジェトリの手が右脇腹の肋骨付近を探った。
「ちょっ、くすぐった……あれ?」
「あった。これだ」
違和感を覚え、ジェトリの指が触っている場所に自分の指を添わせると、そこには今までなかった硬いものができていた。
(なんだこれ)
大豆くらいのできものが、肋骨から飛び出ている。
痛くはないなぁ、と指で探っていると、「おっと」とジェトリに指先をつかまれた。
「ここでそれを強く押しちゃダメだぜ」
「なにこれ?」
「それこそが成体の印。おまえが一人前になった証だ」
「これが?」
するとウルクが腰を屈め、ルゼットの脇を指で探ってそれに触れた。
「ああ……」
そして吐息の混じった呟きを漏らし、なぜかルゼットを胸に抱きしめた。
「……ウルク兄さん?」
久しく抱かれることなどなかったのでこっぱずかしいが、なんとなく腕を振りほどく気になれない。
あ、兄さんじゃくて母さんなのか。いやいや、このまっ平らな胸でそれはムリ。やっぱ兄さん。
「ルゼット」
「いやっ? あ、なに?」
ハッと現実に立ち返って見上げると、ウルクは目を細めて腕を解き、両肩をつかんだ。
「もし万が一、命に関わるような危険を感じたら、それを肋骨に向けて押しなさい」
「あ、押していいのか?」
「生死に関わるなら」
真剣な顔で告げられ、不安が首をもたげる。
「押すと、どうなるんだ?」
「それは……」
ウルクが言葉に詰まると、ジェトリがすぐに引き継いだ。
「翼が変化する」
「えっ、また?」
昨夜を思い出してつい怯むと、ジェトリは宥めるような表情になった。
「それが最終形態だ。他にも幾つか変わるところがあるが、それはおまえの中の……本能が教えてくれるはずだ。翼がおまえたちを守る役に立つだろう」
「自然にできるってことか?」
翼を広げたり縮めたりできたように、と付け足すと、ジェトリとウルクは頷いた。
「翼は私たちの生命線。これを守るために、父さんは多くを犠牲にしてきた。だから今度は彼の思うようにしてあげたいと思う。美しい自然の残るこの村で、おまえたちにのびのび育ってほしいというのが彼の望み」
「………」
それは村長の態度を見る限り、もはや心情的には難しいのではないだろうか。
そんな思いが透けて見えたか、ウルクは言葉を重ねた。
「この危機を乗り越えることで村での居場所を勝ち取り、おまえたちの成長を楽しみにして生きる。その望みを叶えるために私たちも全力を尽くす。だからルゼット。おまえはその翼でリグレとカイルを守ってやってくれ」
「……ウルク兄さん」
ジェトリが横から脇腹をポンポンと叩いた。
「惜しいな。あと一週間後だったら、何が襲ってきたって三人で楽勝なんだが」
ルゼットはハッとジェトリを見た。
「おれも一緒に戦ったほうがいいのか?」
「あ、いや、まあ」
己の言動を恥じるようにジェトリは苦笑した。
「『外』の武装集団なんてウルクと二人で十分だがな。問題は別の奴らに嗅ぎ付けられることだ」
「別の」
確かに次々来られては大変だ。
「ま、一気にカタをつけてやるさ」
ジェトリの態度には屈託がなく、だからそのときのルゼットは引っかかりを覚えながらも、それをはっきり突き止めることはしなかった。それが深い傷痕となって自分の身に刻まれるとも知らずに。