餓狼の影
一週間後、再びリンドフェンリルから要請がきた。
「王都オスティンの西側に広がるフレシ湖の奥、アンセルの森に妖獣が出た。今度は餓狼だ」
ガラス窓のブラインド越しに朝日が降り注ぐ中、執務机の通信画面を睨むフィルティアは浮かない顔で言った。
「西側の結界のどこかに大穴が開いたようだ。そこから複数頭が侵入して居着いたらしい」
餓狼とは、その名のとおり野生の狼が魔獣化したものである。狂暴で体も大きく、一般の住民が一人で遭遇したらまず助からない。
「あの森の中はただでさえ厄介だったな。状況は?」
「今はまだ群れてはいないようだが、早々に叩かないとこの先が危うい。王都の守備軍を動かすとのことだから昼までに行ってやってくれ。神殿に降りるなら通信で知らせておく」
「いい。直接向かう。これもらうぞ」
ルゼットは棚に補充されていた閃光弾を幾つか手に取り、ベランダに向かった。そこから真上に翔ぶと、基地に勤める一般職員たちに出会わなくて済むのだ。
ジルとアレックスが声をかけてきた。
「ルゼット。手が空いたらフレシ湖の水質データを送ってちょうだい」
「湖岸の地質も頼む」
それに「了解」と答えてからベランダに出ると、フィルティアがあとを追ってきた。
「大丈夫か」
「え?」
振り返ると、同じ高さの目線の先にある眉根が寄っていた。
「このところ、少し調子が悪そうだ」
ルゼットはベランダの欄干へと移動した。
弟たちの手術を終えた日から体にわだかまる脱力感。それをどうやら感じ取られていたらしい。
「問題ない。フィルスに伝言はあるか?」
受け流して返すと彼女は渋面を浮かべた。が、すぐに表情を戻し、欄干の角に寄りかかった。自然、向かい合う形になる。
「駄目だと思ったらすぐに私を頼れと伝えてくれ」
「甘々な女神様だな。そうそう手を貸してちゃ、またフレデリックあたりに突っ込まれるんじゃないのか?」
「別に。今のリンドフェンリルの状態が想定外なんだから、非常時に『女神さまの奇跡』が起こるのは間違いじゃない」
「まあ、それはそうだ」
生活水準の低い地上の自治都市では庶民の寿命が短い。リンドフェンリルでもそれは同じで、農民や下層民はおよそ四十歳平均だ。
それに対し、不老遺伝子の影響を受けたリンデル王家の者たちの寿命は長い。だから彼女の計画では、知識を身につけた王が長く国を治めることで、文化レベルの低さを補い、穏やかな発展に繋げるはずだった。
だが不老は不死ではない。老化が遅いだけで病気も怪我もする。病気はこちらで内々に手を打てる場合もあるが、怪我は命取りだ。現に初代も二代目も享年は三十前後。死因は転落事故で、治癒も間に合わなかったという。
「おれは前王のときは討伐軍への参加が中心で、城にはあまり立ち寄らなかったからよくは知らないが、確かフェロデ王はあんたに準じる力の持ち主だったんだよな? 自分で自分を治癒することはできなかったのか」
ルゼットの体は自己修復機能により、骨折程度の怪我なら一夜で治る。
「自分に力を振り向けられるならな」
フィルティアは苦い顔で答えた。
「結界の維持に多くを費やすから、治癒力があっても満足に使えない。フェロデの前まではそれなりに力のある王族が複数いたから問題なかったんだが……」
彼女の場合、治癒力を持つ王族のフェリシアが先に死んでしまっていたわけだ。
「今のフィルスにそこまでの力はない。しかしフェロデが助からなかったのは、事態を想定できなかった私の落ち度であって、フィルスが負うべきものではない」
フィルティアの言いたいことはよくわかる。
あの心優しい少年は、自分が母たちのような力を持たないことを恥じている。しかしそれを内に収め、前を向く胆力も具えている。王たる資質に不足はなく、だから余計な引け目を感じてほしくないのだ。
「譲れるものなら譲ってやりたいのにな」
百年越えの耐用年数も、自己修復能力も、自分のような志のない者には過ぎた力だ。
「そんなことを言うくらいなら、フィルスにもっと顔を見せてやってくれ。おまえが姿を見せると王子が元気になるとの報告が神殿から上がっている。『もう少しお留まり願えれば幸い』とあったぞ。たまには城で歓待を受けてきたらどうだ」
「あんたはおれをあの国に封じたいのか」
「それもありだとは思っている」
ルゼットの働きを評価しているフィルティアは、あの国の民がルゼットを敬うのは当然の成り行きだと考えている。しかしこの基地で、クレシドの組織員たちの厳しい視線を浴びながら暮らしてきたルゼットは、そんな風に楽観する気にはなれない。
「長居すればいずれ神殿の神官あたりから不安の声が上がる。なにしろ主神フェリオルの不興を買う身だからな。フィルスに余計な気は使わせたくない」
「父の存在は名目上のものだ。もし仮にそんな声が上がったとしても、あの者は喜んで知恵を絞ると思うぞ」
「おれの寿命もあんたと同じで長いんだぞ」
「心配するな。フィルスの寿命も長い」
「犠牲を出すかもしれないのに」
「そのために私がいるんだろうが。……自治都市に下るよりはましなはずだ」
どうやら弟たちの決着がついたため、ここを出ていくのではと勘ぐっているようだ。
(そうするつもりだった……けど)
脳裏に浮かぶのは、国難を背負って立つ細身の少年の姿。
「一度引き受けた役目を放り出すようなことはしないさ。ここには兄たちも眠ってるし」
半ば自分に言い聞かせるように呟くと、フィルティアの肩が一瞬、揺れた。
「すまない。ウェジニールの遺骨、父からはまだ……」
「………」
「あの人のことでは、おまえには辛い思いをさせたままだ」
「あんたのせいじゃない」
ルゼットは話を切り上げた。
「じゃあ、もう行くから」
サッと脇腹に手でなぞりながら肩甲骨に力を入れる。直後、痺れを伴った緊張がルゼットを支配した。
翼が背中から伸び、隅々まで広がる。翼の中心にあった神経が、伸びた骨の先まで到達する。行き渡った感覚で風を捉えると、ルゼットはグッと翼をしなわせてベランダの床を蹴った。
「ルゼット!」
フィルティアの呼び声が耳に届く。しかしそのときには、ルゼットの視界はすでに山並みを眺められる位置まで来ていた。
眼下に見える白い建物のシルエットがぐんぐん遠ざかり、瞬く間にスピードが百キロを越える。
アルバータ基地から首都オスティンにあるフレシ湖まではおよそ五百キロ。成層圏に出れば音速が出せる。現地時間の十時半頃までには余裕で着くだろう。
さらに速度を上げようと意識すると、思考の隅に潜んでいた電脳が働き出した。
〈オスティン上空ニ雷雲ガアリマス。フレシ湖西岸地点ヘノ最短コース算定〉
電脳は、ルゼットの脳に融合した人工脳だ。
人間の能力を越える機能の補助と管理、そして攻撃と防御を司る。脇腹の突起に触れると電脳モードとしてプログラムが起動し、その後は自動的に働く。
以前、突起を強く押すよう教えられたのは、慣れないうちは混乱するだろうとの気遣いから突起のガードが最強に設定してあったためで、慣れれば強弱は自由に選べ、押したままの状態で固定もできる。兄たちはそうしていたらしい。しかしルゼットは固定せず、ガードを最低にして毎回脇腹をなぞっている。そうしないと、自分が別ものになったきり戻れない気がするからだ。
視界の右下に、宙に浮いた小窓のような四角が現れ、そこに赤いラインが点滅する。それは左上から右下にカーブし、やがて青く光りだした。左に迂回しながら下っていけということだ。
(了解)
心で返事を返すと画面は消えた。
〈飛行モード、音速ニ移リマスカ?〉
それに心で頷くと、翼がピンと張った。黒い表面に青白い帯電光が走り始める。
〈到着予定時刻、現地時間午前十時十五分〉
グンッと体が加速し、空気の壁を突き抜けていく。
(まてよ。へたに加速するとまた服が破れる)
今、身に付けている黒いアンダーシャツと細身のズボンは基地から配布された強化繊維だが、その上に羽織ったチュニックコートはフィルスから贈られたものだ。
全面に刺繍が施された華やかな造りでありながら、生地も刺繍もすべて濃い紫なのでシンプルに映る。ちゃんと翼用の切れ込みも施された気に入りの品なのだが、いかんせん生地は天然の絹、縫製も手作業なので耐久性に欠ける。そもそも音速に耐える天然繊維など存在しない。
(これは二着目だから、少しは用心しないと)
ルゼットは電脳に対音速バリアを指示した。少し速度が鈍るが、摩擦はだいぶ減らせる。
〈目的地到着ガ十時二十六分ニ変ワリマシタ。ヨロシイデスカ?〉
それに「ああ」と答えると、抗議するような気配を残して電脳が沈黙した。目まぐるしく何かを考えているようだ。
(こんな気遣い、電脳じゃ理解できないよな)
ルゼットは可笑しくなり、そしてふいに泣けてきた。
(この感覚を共有できる存在を、おれは永遠に失ってしまった)
この世に同じ種族が一人もいないことへの怖さ、心許なさ。それを今更ながらルゼットは噛みしめていた。
♢♢♢
案内役の兵士に導かれ、湖畔に張られたたくさんの天幕からは少し離れた、やや大振りの天幕に近寄ると、白い軍装に紫のマントを羽織ったフィルスが入り口の垂れ幕から出てきたところだった。
「ルゼット。そろそろおいでになる頃かと思っていました」
大勢の兵士たちが遠巻きに見守る中、彼は少しホッとした様子で微笑んだ。
ルゼットは案内役の兵士が去るのを待ってから声をかけた。
「ずいぶん早い襲撃だったな。次々で大変だったろう。餓狼が居着いたのはあの辺りか」
対岸の湖畔端をぐるりと囲む灌木の向こうには、鬱蒼とした森が広がっている。
「はい。フレシ湖の周辺は、オスティンの人々に愛される憩いの場所だったのですけれど……」
俯くフィルスの顔色は悪い。餓狼による犠牲者がそれだけ多いのだろう。
「被害はどの程度だ。確か向こう側にも町があったよな」
「森の裏側に町と農村が続いていて、森に沿うように街道が整備されています。でも今は危険で商人たちも南に迂回せざるを得ず、王都周辺の品物が滞り始めています」
「品物が」
それは国全体の経済を傾けかねない大事である。
「まずいな。被害が出始めてから今日で何日経つんだ」
フィルスの声がやや小さくなった。
「最初の報告を受けたのはひと月前頃で…」
ルゼットは目を見張った。
「じゃあ、この前妖鬼鳥を退治したときにはすでに被害が出ていたってことか」
「はい、あの……」
「なんで言わなかった。そうしたら妖鬼鳥のあと、すぐにここを調べたのに」
軍装に包まれていてもなお細いフィルスの肩が縮む。しかし背後から「お待ちください」との声がかかった。
「お許しください。理由があるのです」
聞き覚えのある男の声に後ろを振り向くと、鍛え上がった長身を銀灰色の軍服に包んだ、金髪碧眼の若い男がキレートを従えて立っていた。
「ロウル! 久しぶりだ」
「はい。ルゼット様もお変わりなく」
ロウル・アクィタス。王国軍の要、アクィタス将軍の長子である。以前、参加していた討伐軍で世話になった騎士だ。
二十代半ばの風采のよい男で、フィルスには親しい外戚の従兄であり、ルゼットに対しても臆さない貴重な相手である。キレートが親衛隊を示す赤のマントを着けているのに対し、ロウルの背中を覆っているのは紺色――二つある王国軍の片方、西軍の色だ。
「そうか。西部地区の管轄内だから出張ってきてたのか」
「ええ。父から派遣され、ここを担当していました」
キレートの実家、ノリクム家とアクィタス家は王家の親戚に当たる。
二人には多少、フィルティアの血が伝わっているので風を動かす力を持ち、この世界の成り立ちに対しても若干の知識がある。
むろんフィルスのように深く学んでいるわけではないが、フィルティアが別世界で生きていることや、ルゼットが彼女の信者というわけではないことは知っている。だから二人には自分を『使徒様』とは呼ばせない。もっとも、彼らに言わせるとフィルティアは人を超越した力を持つ創始者、ルゼットは彼女から遣わされてくる助力者なのだから「女神と使徒そのものじゃないですか」なのだそうだが。
「で。理由がなんだって?」
ルゼットが話を戻すと、ロウルは鮮やかな青い目をやや伏せた。
「殿下はあなたの負担を気遣ったのです」
「負担?」
ルゼットは眉尻を上げてフィルスを見た。
「なんだそれは。おまえよりおれのほうが頑丈なんだから、危険があるならちゃんと呼べ」
それでなくても本来あり得ないような負担がフィルスにかかっている。けれども自己判断で動くことが憚られる身としては、どんなに気がかりでも勝手に来るわけにはいかないのだ。
だからちゃんと依頼してくれないと困るんだよ。
そんな気持ちが表情に顕れたか、フィルスは上目遣になっておずおずと言った。
「あの、お身内の方に異変があったと伺って……」
「―――」
ルゼットの表情を見たフィルスは慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません。この前のあなたの様子が気になったので、通信のとき、フィルティア様にお体の具合を尋ねてしまいました」
(先週の、あの夜のことか)
妖鬼鳥襲撃の日、戦いの最中に心を過去へと飛ばしてしまい、気遣わしげに訊ねられたあの夜。
(情けない。フィルスに遠慮させたんじゃ、本末転倒だ)
ルゼットはひとつ息を吐くと、声が尖らないよう気をつけて言った。
「気を使わせて悪かったな。顔を上げてくれ」
フィルスはそれでも迷うように頭を揺らしていたが、ルゼットが顎に手を添えると導かれるままに顔を上げた。
「身内のことはカタがついたんだ。だから遠慮はいらない」
「はい。申し訳ありません」
「それよりも餓狼のことだ。連中の数はわかってるのか?」
調査中なら電脳を稼働させて調べようと考えつつ顎から手を外すと、キレートが横から答えた。
「それが少し奇妙なのです」
「奇妙?」
「いつもと勝手が違いまして」
隣のロウルも困惑顔で頷く。
「餓狼は狼の行動に準じるので、基本的には単独で行動します。群れるのは冬場の厳しい時期だけです」
「春から秋にかけては家族単位で動くよな」
「はい。ですからあの森に餓狼が出たとの報告を受けたとき、まだ妖鬼鳥の退治に手を取られていた私どもは兵士を派遣し、近隣の住民とともに自警団を立ち上げ、巡回して様子を調べるよう指示を出しました」
「適格な判断だ」
「ところが自警団は、見回りの出だしから餓狼の集団に襲われてしまいました」
「えっ?」
「それも、十頭程の小さな群れがあちこちに出没して、まるで自警団の人数に合わせるように数を変えてきたというのです」
こちらが八人に増やせば餓狼は十頭になっているというようにと聞かされてルゼットは驚いた。
「バカな。確かに餓狼は頭がいいほうだが限度がある。春に集団というのもおかしいが、人の数に合わせて数を変えるなんて聞いたことがない」
「まったくです。ですが実際に自警団はそのせいで太刀打ちできず、森周辺の村の者たちがかなりやられてしまいました」
餓狼は猪よりも大きく、そして妖鬼鳥の三倍は被害が出る。
「その後、住民はどうした」
「森には近づかないよう布令を出し、西軍の大隊を駐屯させましたので人的被害は減りました。村と町が孤立気味ですが、まだしばらくは大丈夫です」
ロウルの瞳がそこで陰った。
「これで餓狼さえ退治できたなら、あなたにお出まし願うことはなかったのですが……」
「できなかったんだな?」
それにはキレートが答えた。
「退治する以上に増えているのです」
「増えて? まだ侵入路が開いているのか」
だとしたら事態は楽観できないレベルだということだ。
リンドフェンリルには三重の結界が張られている。外郭はフェリオル博士が張り巡らすカナダ地区全土、その内側にフィルティアの張るリンレーク一帯、さらに内側が王族の維持するリンドフェンリル全体である。
国境をぐるりと囲む結界は、今現在、力が前王の半分ほどのフィルスと、さらに微弱な親族数人で支えているために極めて脆い状態だ。ちょっと空気抵抗を感じ、何となくそこを通りづらい程度の抑止力しかない。
けれどもフェリオル博士の結界は強く、フィルティアのものもそれに準じる。彼らの結界は大型獣の体当たりをも余裕で撥ね返す強度がある。
しかしどのような結界も、自然現象と共鳴して揺らぐことがある。そのときは結界に僅かな隙間ができる。妖獣にはこの隙間を嗅ぎ付ける能力を持つものが多い。かつて父のウェジンもタルバ村全体に結界を張り巡らし、世間の目から村を完全に隠していたわけだが、妖獣の侵入までは防げなかった。
隙間は数十分から数時間ほど経つと消え、次にいつどこに開くかはわからない。そのため妖獣が姿を現すのは一時のことで、連続して見かけることは今までなかった。ましてフェリオル、フィルティア双方の結界の揺らぎがいつまでも同じタイミングで起こるとは考えられない。ルゼットは顎に手を当てて黙考した。
(何か、今までとは違うことが起きているのかもしれない)
ルゼットの役目は主に戦力の底上げだ。神殿から上げられた報告の中で、王家の手に余るとフィルティアが判断したとき、神からの恩寵という形で軍に加勢し、王の威光を保たせるのであって、原因究明や対策は研究室の管轄になる。
フィルティアに判断を仰ぐべきか。
「はっきりした数はわからないのか」
顎から手を外してフィルスに向き直ると、彼は緊張の面持ちで顔を上げた。
「具体的にはまだ。ですが僕が感知できる範囲では、今も森の中心から西側にかけてのあちこちに気配があります」
「一日の排除頭数は?」
これにはロウルが答えた。
「だいたい五頭前後かと」
「五頭」
一度の揺らぎで三十頭ほどが入り込むのだが、一日五頭退治していながら一週間で森を支配する勢いだというのなら、明らかに別の場所からも侵入していることになる。
「………」
研究の主旨からいけば、これは報告して然るべき特異事態だ。しかし今、このタイミングで異常が疑われる報告を上げて、またフレデリックあたりに突っ込まれるのもどうか。
(まずは退治してから考えるか)
餓狼は血の臭いに敏感だ。これ以上、犠牲者を増やさないよう素早く手を打つことも重要だろう。
「わかった。とにかく餓狼の数を減らす。森の西側に展開している軍隊に連絡して、首尾位置を下げるよう伝えてくれ」
「雷撃をお使いになりますか」
ロウルの彫りの深い顔が喜色を帯びる。ルゼットはやや目線を逸らして答えた。
「他に手がないからな。出力は絞る。攻撃後は森から飛び出す餓狼もいるだろうから警戒してくれ。始める前に合図する」
「承知しました。ご助力に感謝を」
「あの」
ふいにフィルスがルゼットの腕を取った。
「もう一度、周辺の気配を確認しますから、天幕でひと休みなさってください。来たばかりですぐに雷撃なんて、その」
「―――」
読まれたか。
ロウルをはじめリンドフェンリルの人々は、あの忌まわしい雷撃を『神の雷』と呼んで崇めている。嫌われるよりはましだが、喜んで振るう気にもなれない。そのあたりの心境をフィルスは敏感に感じ取っているのだ。――けれど。
これは今の、おれの役目。
「一刻も早く犠牲者を減らすことのほうが重要だ。おれに気を使っている場合じゃないだろう」
いささか語尾に力が入り、フィルスはしょげた顔になった。ルゼットはバツが悪くなって付け足した。
「仕事を終えたらここで休むことにする。天幕で待っていてくれ」
フィルスはハッと顔を上げて頷いた。
「わかりました。くつろげるようにご用意してお待ちしています」
嬉しそうな顔にしばらく目を留めたあと、ルゼットは翼を広げて大地を蹴った。