吸血鬼と聖女の輪舞曲
「今回も――ダメだったな、聖女よ」
満月が照らす深夜の森の中。半ばから折られた樹木、抉り裂かれた地面といった戦場跡に、二つの人影があった。
一人は女。黒い修道服に身を包み、両手には女の手には大きい自動拳銃が二丁。目に戦意こそあれど、左脚が半ばで折れ、全身に大小の傷……満身創痍の状態だった。
一人は男。赤い外套を纏う、銀髪の青年だった。その肌はおぞ気を覚えるほどに白く――その唇からは一対の牙が覗いていた。
「――黙れ、吸血鬼。私は、まだ……!」
女は気丈にも吼え、両手の二丁拳銃を男へと向け、放つ。静寂が支配していた森に、銃声が六度響く。
拳銃から発射された銃弾は、男の肉体を破壊せんと秒速500メートルの速度で瞬く間に"吸血鬼"と呼ばれた男に叩き込まれる。
しかし――
「破れかぶれで私に届くわけが無いだろう」
吸血鬼の身体には何も起きなかった。ただ一度、手を振っただけだ。
振った手が開かれ――六発の銃弾がパラパラと落ちる。
この男は銃弾を受け止めたのだ。それも六度。
「――この、化け物……!」
聖女と呼ばれた女は、悔し気な声を上げる。両手の拳銃こそ吸血鬼へと向けているが――引き金を何度も引いても、銃弾は出ない。弾切れだった。
「では、報酬の時間だ。聖女の血、味わうとしよう」
吸血鬼はふわりと倒れた聖女の元に近寄ると、その首元に顔を近づける。
聖女の首には、二つの穴のような傷跡があった。まるで何かに穿たれたような。
その傷跡をなぞる様に――吸血鬼は牙を聖女の首へと突き刺し、噛みつく。
聖女の首から赤い血が流れ――それは吸血鬼の口内へと溜まり、彼はそれを嚥下した。
「ぐ、う、うううぅぅぅ……!」
血を吸われている。聖女にとってそれは苦痛があるのか――ぎゅっと目をつぶり、痛みか、あるいは他の何かを耐えていた。
そんな聖女の様子を、吸血鬼は冷たい目で見降ろしている。
――聖女とは難儀なモノだな。
吸血鬼は聖女の血を味わいながら――胸中でそんなことをごちていた。
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――暗闇森には吸血鬼が棲んでいる。
――彼の吸血鬼は森の周りに住む人々に、触れを出した。
――年に一人、処女を差し出すべし。さすれば我が領地に住むこと許可しよう。
――暗闇森近辺の村に伝わる吸血鬼伝説より
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数百年前に吸血鬼が出した一つの約束。
村の生存と引き換えに、年に一人の処女を。
吸血鬼本人としては戯れのつもりだった。人間などどうでもいいが――たまに美味い血が飲めるなら、こういうのもありか――そう考えた気まぐれだった。
人間どもは律義にその約束を守り、毎年処女を差し出してきた。処女の血は確かに美味かった。美味かったが――数百年。毎年のように飲んでいては、さすがに飽いてきた。
どうしたものか――と吸血鬼が悩んでいた時の事だった。彼女――聖女が現れたのは。
聖女は十年前、突然村に現れた。
聖法庁だか教会だか――とにかく聖なる何かしらから派遣されたのだという彼女は、この地に巣くう邪悪――吸血鬼を狩る為にやってきたのだという。
吸血鬼を狩る為、聖女は生贄の少女となった。
暗闇森の吸血鬼は、一年に一度、生贄の少女が捧げられた森の祭壇にしか現れないからだ。
そして、聖女は吸血鬼と邂逅し――戦った。祝福された銀の銃弾、十字架、退魔術式に祈り――持てる全てを駆使して、聖女は吸血鬼と戦い、そして――敗北した。
敗北し、ボロボロの満身創痍となった聖女は、吸血鬼によって血を吸われ――そのまま、朝日と共に村へと帰された。
何故、殺されなかったのか。聖女はその想いと、首に残った牙の傷跡を抱えて村へと戻り――そのまま村に逗留した。聖女にとって吸血鬼を狩る事こそが仕事なのだから。
そうして聖女はそれからも年に一度の生贄の女となった。
毎年生贄となり、毎年吸血鬼に戦いを挑み、そして――敗北し、血を吸われる。
そんなサイクルが出来てしまったのだ。
●●●
――馬鹿な女だ。
聖女の血を味わいながら、吸血鬼は思う。
聖なる何かしらに選ばれたとかで聖女となった女。なるほど確かに人間にしては強い。
だが吸血鬼である自分に届くほどではない。
その事はこの十年の敗北で身に染みるほどに分かっているだろうに。
それでも、聖女は毎年のように吸血鬼に挑み続ける。その存在を抹消するために。それは彼女に与えられた使命だからか。それとも、何度も負かされた屈辱を晴らすためか。吸血鬼には分からない。
――まぁ、分からんのは自分の事もだが
十年前。聖女の血を飲んだ時、その格別な味に感動し――ふと思ってしまった。ここで殺すのは惜しい、と。
そんな気まぐれから聖女を生かして帰した。それがまさかこんなサイクルになるとは思わなかったが。
何故、彼女を生かしたのだろう。血の味は確かに良い。処女の血は美味いが、聖女の血がこれほどとは思わなかった。何より――毎年飲んでも、まったく飽きない。
――素晴らしい生贄だよ、お前は。
そんなことを思う吸血鬼は、ふと聖女の目に光るモノに気づく。
涙。
彼女は、ぎゅっと目をつぶり、こらえながらも――その頬に、僅かな涙が流れていた。
――十年。吸血鬼に襲われ、血を吸われるという行為を十年繰り返しながら――なお涙を流すか、お前は!
その涙に、吸血鬼は見た。聖女の懊悩。嘆き。慟哭を。
十年間、吸血鬼の生贄となるしか無い自分。どれだけ誇りを汚されても、その役目から逃げることは出来ない。自分がこの役目を放棄すれば、他の誰かが犠牲になるから。
ただそれだけのために、彼女はこのサイクルの歯車の一つとなる。村の平穏と、吸血鬼の悦楽――その二つの歯車を合わせる歯車に。
――お前は――どこまで聖女なのだ、お前は!
吸血鬼はそこに美しさを感じた。自分では無い名も無き村人達の平穏のため、吸血鬼に身を捧げ続ける聖女。それでもなお、誇りを持ち続ける聖女。
嗚呼――なんと健気な。なんとおぞましい。どこまで聖女なのだ、お前は!
――ガリッ
聖女に噛みつく吸血鬼の牙が、より一層深く刺さる。深く、深く吸血鬼が聖女に喰らい付く。
――吸いたい。その血を余すところ無く味わいたい。お前の命を味わいたい!!
「ああ……! ガッ……! グゥ……!」
吸血鬼の沸騰した思考を冷ましたのは、聖女の苦痛の声だった。
――いけないいけない。このまま吸い殺すには、まだ惜しい。
吸血鬼は期待を抱く。この十年でここまで芳醇な味わいとなった血。この先、この血は――聖女はどうなるだろうか。
このまま変わることなく誇りを保ち続けるのか。それとも腐ってしまうのか。
どちらにせよ――それは不老にして不死たる吸血鬼の、確かな楽しみだった。
その楽しみを終わらせるなんてもったいない。
「――今宵はここまでだ、聖女よ」
聖女の首から口を離し、吸血鬼は音もなく空へと飛んだ。その顔に隠しようもないほどの笑みを浮かべて。
聖女はそれを、悔し気ににらみつける。
「――また会おう」
ただそれだけを残し、吸血鬼が消える。
その場には満月と、戦場跡と――聖女だけが残った。
ギリリ、と聖女が拳銃の銃把を握りしめる。きつくきつく、血がにじむほどに。
聖女は分かっていた。吸血鬼が、彼自身の楽しみのために、自分を殺さずにいることを。
自分が吸血鬼の玩具であることを。
彼女は逃げるわけにはいかなかった。彼女は聖女であり――彼女が逃げれば、また誰かがあの吸血鬼に捧げられる生贄となるのだから。
「――――ッッッ!!!」
それでも、聖女は慟哭する。
声にならない声で、哭いた。
それは自身の境遇にか。運命にか。それとも他の何かにか。
彼女は、誰にも届かない声で、哭いていた。
その嘆きがどのような未来に届くのか。それはまだ、誰にも分からない。
堕ち逝く惰性・君の総てを飲み干したい・泣き声は届かない
こんな三題噺から書いてみた短編です。
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