あるパン屋
かつて、家の近くに商店街と呼ぶのもためらうような、店が並んでいる通りがあった。牛乳配達所、肉屋、床屋、魚屋、和菓子店、お菓子屋、小さな呑み屋。端には交番があり、向かいにはたばこ屋、反対側の端には銭湯があった。
幼稚園児だった私にとって、そこは特別な場所だった。揚げたてのコロッケの匂う肉屋の前を通る度に、和菓子屋の蜜がたっぷりかかった団子が置かれたケースを横切る度に、お菓子屋のアイスケースから微かな冷気を感じる度に、何か買ってくれないかなと期待を込めて横の母を見たものだ。買ってくれたことはまずなかったが。
それらもいまや肉屋を除いて閉店してしまった。銭湯は建物自体残っていない。
今回のエッセイのテーマはその商店街から少し外れたところにある、夫婦でやっているパン屋である。
店の名は……ごめん、ナイショだ。理由は後で記す。
私が物心ついた時にはすでにあり、よく母と一緒にそこへパンを買いに行った。子供の頃の私にとって、パンとはその店のコッペパンのことだった。たっぷりとバターやピーナツバターを塗った柔らかなコッペパンは、私が母におねだりをした時に一番成功率の高い食べ物だったように思う。
パンの他に焼き菓子があったり、誕生日のケーキを買ったり、幼い私にとって一番楽しみな店だった。
パン関係の初体験はほとんどその店だった。
初めて食べたメロンパン。その店のメロンパンはあんこが入っており、おかげで私は高校生になるまでメロンパンというのはあんパンのバリエーションの一つと信じていた。
当時最高のごちそうだったバナナボート。これはバナナを1本まるごとクリームとスポンジケーキでくるんだもので、いまは「まるごとバナナ」という名前の方が馴染だろう。だが、まるごとバナナが発売されるよりもずっと前からその店にはあった。おかげで未だに私はまるごとバナナという名前に抵抗がある。
胡椒をふったハムを小さく切ってパンに練り込み、グリーンピースを散らしたパン。正式名称は知らないが私は豆パンと呼んでいた。このパンで私はグリーンピースの存在を知った。
だが、その店も私が中学校に上がる頃から足が遠のき、存在自体忘れるようになった。
そんな私が再びこの店に目を向け始めたのは「駅からパンキング」である。私がなろうに書いた最初のエッセイ。JR東日本のイベント「駅からハイキング」に乗じて行く先々のパン屋を食べ歩く楽しさに目覚めたあれだ。
おかげさまでパンキングも2年目に入り、去年とは違うパンを買ったり、わざとコースを1本ずらして歩いたり、スタート時刻の30分前に行ってはスタートの駅前付近を歩き回るなどをするようになった。新たなパンとの出会いもあり、今のところ満足である。
話を戻そう。パンキングの影響か、今まですっかり足が遠のいたその店が気になるようになった。
正直気後れもした。何というか、今までろくに訪れたことのない地元の観光地を観光目当てで訪れるような奇妙な感覚、気心の知れた相手に他人行儀で話すような……。
しかし、離れたところのパンを食べ歩くのを楽しみにしておいて、地元の、それも子供の頃から親しんだパン屋を敬遠するなど許されるものではない。
ある日、思い切ってパンを買いに行った。買うものは決めてある。私の記憶に一番鮮明に残っているコッペパンだ。中身はピーナツバター。
20年以上ぶりになるであろうか、記憶ではそのコッペパンはとても大きく、柔らかだった。しかし、何しろ幼児の頃、大きく見積もっても小学校低学年の記憶だ。大きいと感じたのは、私の手が小さかっただけなのかも知れない。当時は大きかったが、その後大きさを変えたかもしれない。味だって、思い出補正がかなりかかっているだろう。
久しぶりに入った店は、一回り小さく感じた。これは私が大きくなったからだろう。応対に出てきた奥さんは動きがゆっくりに見えた。当然だ、年齢は知らないが、70才を超えているだろう。奥ではやはり年を取った主人が焼きたてのパンを釜から出していた。年を取り精悍さは薄れたが、その横顔は記憶の通りだった。
ケースに並ぶパンは、記憶にない惣菜パンが増えていた。その代わり昔あったアイスのケースやお菓子の棚がなくなっている。焼き菓子もない。脇にパックの飲み物が入った冷蔵ケースがあるだけだ。
150円払って買ったコッペパンは、記憶通りの大きさだった。焼きたてで暖かいそれは、ちょっと力を込めれば潰れてしまいそうなほど柔らかで、手にするだけで妙に心がむずがゆくなった。
冷めないうちにと、手近な公園のベンチに腰を下ろしてかぶりつく。
口の中で微かなパンの外皮の感触、それに歯を食い込ませた途端、パンの甘みがぶわっと広がった。一瞬後にピーナツバターの濃厚な、パンとは違う甘みが時間差で続く。
二つの甘みが口の中の時間を、子供の頃へと巻き戻す。
舌に記憶し続けていたそのままの味だった。
よくグルメ漫画で、昔の味を追い求める人が、ついにそれにたどり着いた時感涙にむせぶ描写がある。私はそれを漫画の大げさな表現と思っていたがとんでもない。それは現実の感覚だった。さすがに涙こそ流さなかったが、流してもちっともおかしくない思い。
気がつくと、手の中のコッペパンは消えていた。あっという間に食べ終えたのだ。
その日から、私はそのパン屋へ足を運ぶようになった。
何でもっと早くこうしなかったのだろう。家から歩いて1分未満のパン屋、焼きたてが買える。こんな贅沢な環境はない。さすがに開店/閉店時間の関係で平日は難しいが、休みの日、パンキングのない日の朝は、その店でパンを買うようになった。
週に一回、食パン+惣菜パン一つ。惣菜パンはその時の気分で変える。ラインアップにあの豆パンが消えているのが残念だ。
焼きたてパンの贅沢さをつくづく感じるのは、揚げ物系の惣菜パンを買うときだ。何しろタイミングがバッチリ、揚げたて作りたてが買える時は
「熱いですよ」
とパンを渡してくれる。あまりパンを買ってかけられる言葉ではない。
実際熱いのだ。勢いのままかじってしまえば、口の中が揚げたてコロッケの中身でなで回され、口の中の皮がベロベロに剥がれてしまう。カレーパンをかじれば、中のカレーの熱さに口の中の皮が以下同文。
例外は焼きそばパン。できたてだと焼きそばのソースが少しべたついて食べにくい。
食パンも注文すれば、焼きたての食パンを電動ノコギリのような機械で切ってくれる。端の時は、薄く切られたパンの耳(平面部分)が一緒に付いてくる。なんとなく得した気分だ。
ちなみに私は食パン4枚切り派だ。厚切りトーストにしたいからだが、焼きたての食パンにトーストは無用である。いや、バターやジャムすら無用である。
ほかほかの4枚切り食パンにそのままかぶりつき、まるで蚕が桑の葉をかじっていくようにむしむしむっしと食べていく。これがうまいのだ。さすがに翌日からはトーストするが、それでも焼きたての熱気がないだけで、パンの甘みともっちりむしむししたもぐもぐ感は健在である。
正直言って、ここの食パンは私が今まで食べた中で一番うまい。
しかし、ひとつ残念なことがある。
この店には跡継ぎがいない。
夫婦には息子がいて、彼はパン屋の修行をしてこの店で一緒にパンを焼いていた時期があった。
今、その息子の姿はない。
……死んだのだ。
それを知った時、私は店の夫婦をすごいと思った。
店を継ぐべく勉強して、直接店で働き、味を学び、経験値を上げていく。その姿を目の当たりにして、親はどんなに幸せだったろう。
その息子が自分たちよりも先に死んでしまう。親はどんな気持ちになっただろう。
気力を失い、店をそのままたたんでもおかしくない。しかし、彼らは店を続けている。跡継ぎのいなくなったパン屋を開け、パンを焼いている。
さすがにいままで通りとは行かない。既に隠居してもおかしくない歳なのだ。
幸いにも店を続けて数十年、ほとんどが常連のおかげで、1日どれぐらいのパンが売れるのか見当がつく。パンのロスはかなり小さく出来るだろう。実際、何度か閉店近い時間に入ったことがあるが、ほとんど売れ残りがない。いまの自分たちに見合う営業をしているわけだ。
ちょっと残念なのは、新商品にお目にかかる可能性がほとんど0に近いということだ。それでも私は不満を感じることなく、週に一度の割合で馴染の味を堪能している。
ちなみにこの店、ネットで検索しても出てこない。食べログ、ぐるなびはもちろん、パン屋のまとめサイトもいくつか見たが、どこもこのパン屋の名前はない。ネットの世界では、このパン屋は存在しない店なのか?
グーグルマップでは店名が表示されるのに。
寂しく思う反面、これでいいとも思う。先に書いたように、この店に拡張を望むのは酷である。主人夫婦の年齢からして現状維持が精一杯だろう。
長年の常連さんと一緒に、残された体力が続く限りの時間をいつものように過ごす。案外、それが店の主人夫婦の望みなのかも知れない。
だから私はこの店の名前を記さない。近所の人達が知っていればそれで良い。そういう店で良い。
ひとつ私が嬉しく思うのは、もしかしたら私もその近所の常連の一人になれるかも知れないということだ。
私はまた日曜の朝、サンダルを突っ掛けてその店に行く。
「食パンください。4枚切りで」
「すみません。もう全部6枚切りで切っちゃって」
……たまには、こんな日もある。