谷川先生のミヤビな夜
登場人物の1人、ミヤビさんによる「ナオさんとの出会い」語りです。
本編内容の捕捉程度に。
1人暮らしをするマンションのワンルーム。枕元に置いた目覚まし時計の秒針を動かす音がどうにも気に食わなくて眠れない。
第一志望の仕事に就きたいがために試験に励んだ半年前。苦労はしなかったが合格してからの連絡が一切なく、最悪の場合は大学の教授でも突っついて仕事をせびってやろうかと思っていたら、3月の中ごろになってようやく電話が来た。
「今年度の予定が空いておりましたら、是非」
なんて電話口の声に、思わず「遅えよ」と言いそうになったが、「もちろん」という返答で我慢した。
この業界は人材不足で引手数多だって話じゃなかったのかとか、そんなにも老いぼれ共が現役から退くのを嫌がってんのかとか、そういう感情さえ湧いてくる。もっと社会はロケット鉛筆みたいに循環するべきだろう?
そんな皮肉ばっかり思いつくもんだから、初出勤に関してももっとドライなもんだと思っていた。が、緊張だかなんだか知らないが前夜に眠れなくなるなどと……存外ナイーブな自分がいたことに驚かされる。
そうだ。もう少し自分自身の意外な面を探ってみるとしよう。例えば、柄にもなく自分語りをしてみるか?……よし、今日は私のツレについて話をするとしよう。どうせ眠れない理由の一端くらいはそいつに起因するし。
○ ○ ○
そいつの名前は川名央美。元々は高校生の時分、同じクラスになっただけの顔見知り程度でしかなかった。
1年生から一緒だったから自己紹介の言葉みたいなもんを聞いた事もある。確か、第一印象は「凡庸」。その一言に尽きた。
「川名央美です。西中学校出身です。よろしくお願いします」
みたいな、個性もへったくれもない自己紹介。ただ見た目の素材は良く、可愛いと言うよりは綺麗と言える顔つきはしていた。校則をバカ真面目に守っていたらしい央美は当然化粧などしておらず、年齢相応の瑞々しさを欲しいままにしていた。
しかし学校生活の過ごし方は凡庸を通り越して金魚のフンだった。
例えば、休み時間になれば女友達のグループで群がり、トイレに行くにも教室移動をするにも、挙げ句の果てにはすぐ近くの廊下に置かれたロッカーまで教科書を取りに行くのでさえも連れ立って歩くような、そういう典型的な女子だった。
きっと最初に出来たツレがそういう奴だったか、もしくは多に背いて虐められている奴でも見たのか。そう言っても良いくらいに“人に合わせること”に拘ったヤツだった。
せいぜい不良グループの一員に染まらなかっただけ良かったのかも知れない。もしそうなら学生時代のうちから身体の外も中も真っ黒になってたか、体中に穴が空いていた可能性もあったんじゃないかね。
ちなみに当の私はと言うと、ここでこういうことを書いてしまうくらいには当時から周りの人間に対してドライだったし、むしろ馬鹿にしていた。
人と一緒じゃなきゃダメなんて馬鹿らしい。同調しないと不安だとかカッコ悪い。そんなことばかり考えていた。たぶん端から見たら典型的な不良女子だったんだろうね。
ただ、自分の中で決めた正義は守っていたし、今でも守っているつもりはある。自己中心的なものだけど。
人間15年も生きていれば自分の世界や、社会の身分としての立ち位置というのが出来てくる。この頃の私らにはスクールカーストってヤツがあった。それを意識して私は軽音部に入り、周りより少しだけ派手な奴らとつるんだ。制服の下にチェーンを隠すようなこともあったかもしれない。付け爪に真っ黒のマニキュアを塗ったこともあったかもしれない。まあ今はそんなことはどうでも良い。
その頃央美は、クラスの明るい女子グループに入っていた。休み時間にはスマホでお互いの写真を撮りあったり、リップがどうだの他校の彼氏がどうだのとくっちゃべってるような、どこの学校にでもいそうなアナログJK集団。央美はなんか違ったけど。
どっちのグループも、クラス内のカースト順で言えば別の意味で他人に影響を与えるような存在で、上層のグループだったんじゃないか。
とは言っても他の部員が同じクラスに全くおらず、教室でつるむ相手がいなかった私はとことん教室風景を俯瞰することにした。パンク気取ってるヤバそうなヤツに自分から話しかける人間もいなかったしな。
2か月もクラスを眺めていると、大まかな分別ができた。馬鹿な男の下ネタ合戦、オタク同士の語り合い、女子の下世話な話、だいたいこの3つ。音も流れてないヘッドホンを頭に付けてそれを眺めては「つまんねぇな」って、唇を動かさずに腹で呟いてた。
あれは9月くらいだったか。夏休み明けの頃合いに、央美のグループで1番可愛いと持て囃されてた化粧こてこての奴に大学生の彼氏が出来たらしく、その流れでパタパタと彼氏持ちアピールをする奴が増えていった。
その中で、央美は様子が変わらなかった。
「次は央美も行けたら良いねー」
なんでもグループ内の奴らで大学生との合コン(笑)が開催されていたらしい。リーダーを気取ってる奴がへらへら笑って言ってるのを見たことがあるが、おそらく意図的に仲間外れにされてたんだろう。
もしかしたら央美が自分から断ったという可能性も無くは無いが、周りに合わせてついていくようなヤツだったし可能性は低いだろう。ただ、当時も今も、見た目だけで女子を選べと言われたら私は迷わず央美を選ぶ。それくらいに素材は良かったのだ。いやぁ妬みってのは怖いもんだね。
その後、央美のグループでの会話は彼氏(笑)の話題ばかりになっていく。一見、愚痴っぽく聞こえる話題でも最終的には惚気だったり、「それ聞いて何の実があるんだよ」って聞きたいくらいにつまらない話。
央美はそれについて行こうとするけれど、やはりついて行けない。人間関係についての話なら交際経験なんてのは別に関係無いはずなんだが、周りのバカどもが決めつける訳だ。「央美は彼氏いないからねー」などと。
そしてその日、リーダーは笑いながらほざいた。
「そうだ! このクラスで彼女がいない男と付き合えば? 央美には初彼だから、付き合ったことない奴の方が良いっしょ?」
リーダーが出したバカな一声に、女子グループがキャッキャと猿のように笑う。その中で央美は表情が固まった。
「わ、私はまだ、良いかな」
そして作り笑いを浮かべて遠慮の言葉を出すのがようやくという所だ。周りに合わせて話せれば良い、話し相手がいないのは嫌だ、そんなこと考えてるだけのヤツだったんだ。そいつが望んでもない交際相手の工面など、嬉しいはずもないだろう。
「えーっ、まだって言ってたら腐っちゃうよぉー」
「え、えー……?」
ようやく返した言葉も猿には真意が伝わらず、意味のわからない理論で押し切られそうになる。
央美に足りていないのは男との交際なんかじゃあなく、正直な気持ちのぶつけ合いだろう。だから、自分の気持ちも上手く伝えられない。
ちなみに、女子の下世話な話の中には誰が誰と付き合っただのフラれただのなんて話もあった。猿のリーダーは頻繁にその話題を出して、情報収集をしようとしていたように思う。例えば猿がでかい声で話すと、それを遠巻きに聞いていた男連中が事実確認に肯定や否定の言葉を投げ合う。そして男連中にはリーダーからの差し金がいて、全ての情報が筒抜けになっている。そんなバカなことをするのかと思うかもしれないが、事実このリーダーはそういう話が好きな猿だし、野球部員が意中の女子生徒が写された盗撮写真で買収されている現場も見かけてしまえば疑う余地がない。
で、その頃恋愛絡みの話題に出ていないのはクラスカースト底辺と呼ばれる奴らだけ。教室の隅っこでアニメなんかの話をしている、所謂オタク連中。
要するに、リーダーは意図して“交際経験があるという噂の無い人間”を作り上げたかったわけだ。あとは想像が易いだろう。グループのメンバーがクラスの中でも「制服が臭くて不潔だ」とか言われている男を引っ張ってきて、央美と手を繋がせる。
「初彼おめでとー! そうだキスしたら?」
表情が固まったままの央美を放って、周りのメンバー達はいらぬ世話を焼いた上に好き勝手に口づけせよと囃す。そうか。こいつらは猿じゃなくて虫だったのか。モノローグも訂正をしておこうな、ゴミ虫。
もはやイジリを通り越してイジメの域に達しているにも関わらず、思ってもみない良イベントだと言わんばかりに満更でもない顔をしているキモオタ、そしてこれまで同じグループとして行動してきた央美に対して嫌がる行為を強要してはしゃぐメンバー達に腹が立ち、私は飲んでいたジュースの紙パックをリーダーの顔面目掛けて投げつけてやる。内容量が残っていたからかバクリ、と変な音を立ててヒットした。
「ったー。何よこれー……」
思わぬ攻撃に情けない声を出してしゃがみこむリーダー。そしてそれに注目を集める軍勢に後ろから近付く。
そして更に不意打ち。央美以外の首根っこを手当たり次第に掴んでは、リーダー同様に頭部を足元へと押し下げ、上履き……は足跡が付くと流石にマズイから靴下で踏む。
「川名の顔よりもこっちの方が甘い樹液が垂れてるな。舐めてやれよ」
私が言葉を発した後に阿鼻叫喚が響いた。クラスのヤンキー女に攻撃されていると気付いたらしく、自分勝手に行為の中断を要求してくる。
でも、聞かない。なんせお前らは嫌がってる行為を他人に無理強いしたんだからな。仕方ない。特に、リーダーとキモオタは2人がしっかり密着できるよう、念入りに踏んでやった。特別に選んでくるくらいにお気に入りらしいもんな。いやぁ優しいな私は。
「川名はこれから私のグループで引き取るから。文句無いな?」
まさに“虫の息”である足元の軍勢に対して宣誓した言葉だった。今後変なことをしないように、考えないように、念押しのつもりで言った。
しかし、1番に首を縦に振って怯えていたのは央美だったということはよく覚えてる。
そこから先は長かった。
央美には「無理に他人に合わせなくて良いこと」「自分がやって欲しいこと、欲しくないことを相手に伝えること」を教えこんだ。私と交わした最初の会話があまりにも酷かったせいで、始めは私のことを怖がってた。けど、私は央美が本当に嫌がるようなことはしないとわかったのか、徐々に変化を見せた。
――とは言え、15年生きてきた人間1人の考え方をほとんど変えるってんだから、私のやり方はかなり無理矢理だった訳だけど。ちょっと口出しして「はいさよなら」ってつもりはもちろんなく、最後まで責任は取ってやるかって気持ちで。
その結果、央美は自分のやりたいことに私を巻き込むことを覚えたし、必要としない時には助けを拒むことも覚えた。
そして今では5年前にオンラインゲームで知り合った中学生――この春から高校生2年生の坊主との2人きりの結婚生活まで築いている。まあ、厳密に言えば“結婚”ってのもゲーム上のシステムであって、現実ではただのお友達……いや、姉弟みたいなもんだけど。毎日のように央美の家に集まっては2人で遊んでいるのだと、夜中にチャットを送ってきて鬱陶しいことこの上ない。
私がこの仕事が決まるまでは、もとい大学での他のツレたちに仕事が決まるまでは、もっと大人数で遊んでいたのだ。それが事前研修だとかで1人抜け、卒論が危ないとかで1人抜け……としているうちに3人になっていた。そしてついに、この春休みからは私が抜けて2人きりになってしまった。
未成年とは言え男を自宅に呼び込む社会人候補の成人女性、ってのもかなり危ない気もするが、当人たちののほほんとした性格を信じて、高校生坊主に「央美を傷付けたら転がす」という言葉、央美に「流石に犯罪者の友達にはなれんな」という言葉を投げかけることで済ませた。
本当はもっと近くで見てやりたかった気持ちもあったけども、私が坊主の通う学校に国語教師として赴任が決まったとなれば手を引かざるを得なくなったって話なんだけど。流石に教科担当するかもしれない生徒とプライベートな時間にプライベートな場所で一緒にゲームしてるなんてのはマズイだろ。
ただ、他にも心配事はまだあって。
「同じ仕事をしてる限り、央美にも可能性はあるんだからな」
央美も今年から数学教師としての赴任が決まっていた。幸い、私や坊主とは違う学校だったけど。
「いやいや。卒業まであと2年なんだから、なんとかなるよー」
私の釘刺しも聞かず、あっけらかんとしている央美にはどうかと思う。実際問題、常勤講師になったとしても1年で勤務校が変わることもあると聞く。
「あんまり不安にさせないでよねー。こういう話しすぎてフラグが立つのも嫌なんだから」
こっちがしつこいと、今度は央美が膨れてこんなことを言い出す。まあ、考えすぎも毒、か。
「ま、変なことになったらいつでも言いな?」
まあなんだ。これだけ難癖付けながらも、ツレの対人関係を応援してやりたい気持ちはあるのだ。流石に冗談だろうが央美の話す“嫁自慢”は、呆れはするものの当人の心からの楽しさがにじみ出ている。
「ん。でも、なるべく私1人でやってみる」
学校帰りに餌をやった雛が自分の力で羽ばたこうとしているような、そんな姿を見ている感覚に陥る。まあ、坊主の方は明日から監視をすることもできるし。当分は生暖かく見守ってやるとするか……。
よし、眠気も来たし寝ることにしよう。