3 今まで、これからのこと。……と、最重要問題
「さてと。日も暮れて来たし、晩御飯作らないとね。レーナも食べる?」
『あ、いただきます。…そういえば』
どれだけの間一人で洞窟にいたのか分からないけど、少なくとも数日は経っているはず。
それなのに、私はただの一度も空腹を感じた覚えがない。
これはどういう事なんだろう?
「それはあなたが竜だからよ、レーナ」
『んー?』
「少し長くなるから、準備しながら話すわね」
台所の棚から大小の瓶を取り出しながら、エルフィリアさんは教えてくれた。
「世界には、魔素と呼ばれる、目に見えない力が常に漂っているのよ」
曰く、魔素は 基本的にどこにでも存在する。例えるなら原子のような物で、空気中、水の中、物質の中に量の差はあれど含まれているのだそうで。
そしてそれは生物も同じこと。個体ごとに差が出たりするが、だいたい種族ごとに含まれる魔素の量は決まっている、と。
「よく知られてるところだと、多い順に精霊、エルフ、光精ってところかしら。人間は個体ごとに差が大きいわ。獣人も同じで」
『ちょっと待った、色々聞き慣れない言葉が…』
「うーん、話すと長くなるから後でね。…で、前も言ったと思うけど、古代竜って出会うことがほとんどないから正確な情報がほとんどないの。でも、大昔に一頭のドラゴンを怒らせた人たちの住む街が半日で壊滅したって伝説があるから…保有量はそれこそ莫大なものなんじゃないか、と私は思うわ」
『うへぇ』
「それでね。体内の魔素が多ければ多いほど、身体の頑丈さや寿命の長さに変化が現れるの。例えば寿命なら、エルフは平均で400年くらい生きるわね。精霊はほぼ無限に近いと言われてるし、食事を摂らずに生きていけるそうよ」
『食事が要らないって、私もそうだと?』
「多分ね」
『へぇ〜………ってストップ!』
「え?何?」
『そ、それ!それ何ですか!?』
たった今、エルフィリアさんが水を注いだ鍋に入れようとしたもの。
細かい粒は白く、サラサラと音がする。
それに一瞬だけ捉えられたその粒の形は!
慌てて長机から飛び上がり、近くでじっと見る。
間違いない。
「何って、水麦だけど…。そっちにはないの?」
『カイファ!?こっちじゃカイファって言うのかー!あります!けどあるなんて思ってなくて!』
お米だ!日本の魂の糧!
『米だーヤッター!!』
「う、うん?喜んで貰えたのなら、よかったわ…」
エルフィリアさんが目を白黒させてる横で、空中バク転する小竜。
なかなかシュールな光景だった。
*
「はい、出来たわよ」
『わー!いただきます!』
シチュー皿には、ほかほかと湯気を上げる異世界版お米…もとい、水麦のリゾット。
竜の身体のせいで手が使えないことも気にせず、顔を突っ込んでぱくつく。
『……………』
「どう?美味しい?」
ぷるぷる。
『エルフィリアさん…』
「ん?」
『味が…分からない……』
「……………」
「私は普通に感じるんだけど…」
『あったかいのは分かるんです、食感もあります。けど…』
味が、しない。
重湯を飲んでる感覚に近い。
『……体内の魔素が多い種族は、食べずに長寿…なんでしたっけ……』
「…えっと、つまり、味覚が鈍い…もしくは、無い…と……」
・・・。
『うおおおおおおおおぉぉぉッ!?何故だッ!!せっかくお米があるのにぃぃぃ!』
「なるほど、身体がより多くの魔素を受け入れるために変化する途中で、味覚が退化したのね!面白いわ!」
『ほんっとうにブレねぇなアンタは!?』
「こうしちゃいられないわ、やっぱり調べましょう!古代竜は一体どれほどの魔素を蓄えているのか!!」
『やめろぉ!こっちは真面目にショックなんです傷に塩をすり込まないでぇぇーー!!』
その後、夕食もそこそこに彼女の研究室に引っ張り込まれたのは言うまでもない。
*
『ああ…お米…わたしの……おこめぇ…』
「測定器が壊れる、もしくは計測不能…これとこれは改良が要るかしら……うーん」
嗚呼、人間になりたい。
お母さんのお味噌汁が飲みたい。
『味がしないって…こんなに堪えることだったなんて……』
うず高く積まれている本の上でぐったりしていると、なんだか瞼が重くなってきた。
散々騒いだからな…もうこのまま寝るかぁ。
私は抵抗せず、眠気に身を任せる。
それほど経たないうちに、意識は夢の中へ溶けていった。
*
「…な、…いな、鈴奈」
「うにゅ〜…。あと2時間45分…」
「長い!細かい!そんなに待ってられるか!」
そんな声と共に布団を引き剥がされ、微かな冷気が身体を包んだ。
「ぶえくしょ!さむっ!」
「ほらほら、起きて!今日入学式なんだから!間に合わないよ」
「ふにゅぅ、あと5分…」
懐かしい声が聞こえる。でも眠くて、眠くて、どうしても目が開けられない。
いつも発作が激しくて辛い春なのに、なぜか今年は調子が良くて。
入学式行けるかも、なんて、2人ではしゃいで、アイツは呆れてて、でもアイツも嬉しそうに見えて。
「ほーら!れーいーなー!拓海も外で待ってるよ!」
「分かったよ〜…」
ベッドの中で、う〜んと伸びをして、
目を、開ければ。
『あ………』
部屋は、暗かった。
朝じゃない。夜だ。真夜中。
この身体は、暗くても見えるらしい。机に突っ伏して、寝息を立てている女の人がいた。
綺麗な金髪を、わずかに空いた窓から吹き込む風がさらさらと揺らしている。
『…………………』
そっと窓の隙間を広げて、外に出た。
夜風が森の木々を揺らす音以外、何も聞こえない。
昼間はとは打って変わって、景色は海の底のような深い蒼に染まっている。夜空には月だけが、丸く切り取ったように浮かんでいた。
月が明るすぎるせいだろうか、星が見えない。
…こっちでも星座ってあるんだろうか。
足の裏に触れる地面が思ったよりひんやりとしている。
向こうではやっと残暑が過ぎた頃だったけど、もうこっちは秋なのかな。
遠くで葉と葉が擦れる音がした。人のものじゃない足音も。
そっちに目を向けると、木立の隙間を小さな影が横切るのが一瞬だけ見えた。
『……ここ、どこだろ』
エルフィリアさんの家の近く、森の中。
そうじゃなくて、
『……………どこ、だろ』
掠れた声が冷たい風に攫われて、森の音に紛れて消えた。
ここはどこで、なぜここにいるのか。
私はなんでこの身体なのか。
…もしかして、もしかすると、この記憶は『私』の物じゃなくて、
私は、『綾月鈴奈』という人間の記憶を持った誰かさんなのか……。
『……………はは、やめよ』
こんな事考えるのは、もうやめよう。
胸のあたりに溜まる嫌な感覚に気付かないふりをして、私は部屋に戻った。
一際冷たい風が木の間を通り過ぎ、不気味に高く鳴いた。
後半分かりにくかったかもしれないので、修正入れようか検討中。
それでは、良いお年を。