垣間見える子供らしさ
がららら、と自動ドアの開く音と、店内に誰かが入ってくる音がした。
珈琲豆が煎られ、香ばしい匂いに満ちる店内。早朝5時半。
「いらっしゃいませー」と、眠たい顔を上げれば、僕の思考は一瞬止まった。
厳ついサングラス越し、冷たい眼差しと目が合ったからだ。
彼はスーツの中に派手なシャツを着ており、そのボタンを二つ三つ外して着崩している。
服越しでも見て取れる、逞しい体付き。金髪に染めた、ワックスでカチカチのオールバック、タバコと酒と血の匂い(…血の匂いは気のせいかもしれない)が漂う全身。
一瞬で「そっちの人だ」と知覚した。…して、背筋が震え上がったまま氷漬けられてしまった。
「あ、ぁぅぁ……いら…しゃせ……」などと、思考を停止した脳は、二度目になる来店の挨拶を吐き出させた。
「熱いコーヒー。」と、その厳つい男。
「えっあっ、ブレンドですね、かしこまりました…サイズは…」口が上手く回らない僕。
「一番小さいやつでいい。」
メニューも見ずに言い放った後、彼は財布の中を指で探った。
「お会計が280円でございます……。」男と話す事で、少し耐性がついたらしい。震え声だが、やっとまともに接客出来るようになってきた。
男が手に握りしめた小銭をトレーに落とした時、僕はまた驚かされてしまった。
10円、10円、10円、10円…50円…50円、1円、1円、1円1円1円1円1円1円1円………
な、なんだこの…ボリューミーな支払いは……!?
とんでもない小銭の量に度肝を抜かされたが、狼狽えている暇はない。
僕はトレーの上を人差し指で突きながら、「10円…20円…これで50円…100円…」と勘定し始める。
幸いな事に、相手は文句を言うこともなく、じっと待っている。
「…ありがとうございます、280円丁度いただきました。」
レジに打ち込めばレシートが流れ出る。
僕が男にレシートを渡すのと、もう一人の店員がトレーに乗せたコーヒーを渡すのはほぼ同時だった。
男は一礼したのち、すぐ側の席に腰掛けた。
備え付けの角砂糖を何個もコーヒーに入れながら、彼は出入り口をただただ見つめていた。
それから少し経った時、小柄な女の子が来店した。
明るい栗色の髪を高く盛り、桃色のドレスの上に黒いファー付きコートを羽織っている。
「いらっしゃいませー」と僕。しかしその声は素通りされてしまった。
「凛ちゃん。」
「あっ、チーフさん!お疲れ様ですー!」
男は女の子に話しかけ、女の子は笑顔で彼に近寄った。
それから、何か言葉を交わしたあと、女の子はレジの前に来た。
つられて、男もだ。
「何食いたいんだ?」
「えっ、いいんですかぁ!えっと、それじゃあー…」
どうやら男が奢るらしい。
彼は財布を片手に、メニューを撫でる彼女の指先を見つめていた。
「かしこまりました、クラブハウスサンドと、イチゴのミルフィーユと、豆乳ラテですね?」
「あ、あとこれもお願いしますー」
「…と、ココナッツクッキーも一つ…ええっと、お会計が1480円でございます。」
すんごい量を頼むなこの子。と思いながら金額を打ち込んでいく。
「ん。」
ずいっと、手渡される一万円札。
「…えっ?」
また拍子抜けしてしまった。この人、さっきの会計小銭ばかりだったのに。
「一万円からで。」
「あ、ありがとうございます。」
……なんでこいつ…さっきあんな小銭支払いをしたんだ…最初っからこれで払えよ……。
彼の要領の悪さだとか、お釣りの札束を数える面倒さに、少し怒りを覚えたその刹那、
「チーフ!ありがとうございます!ご馳走様です!」
と、女の子が彼に向けて満面の笑みを向けているのが目に入った。
ああ。なんだ。そういう事か。
満足気に笑い返す彼に、少し子供と似た何かが見えた。
「(見栄っ張りだなぁ、まったく。)」
札束と小銭を受け取りながら、彼は僕に軽く頭を下げて、口元を緩めた。本当に、軽くの、一礼だ。
それは、女の子に悟られまいとした、それでも何か僕に感謝を述べようとした、頷きにも満たない一礼だった。
彼らが席に着いてから、僕達従業員は注文の品を作ろうとしたが、
女の子は「ここで食べずに持ち帰りをしたい」という追加注文をしてきた。
その時の、厳つい彼の顔と言ったら…。そんなにあからさまに寂しげな顔をしないでくれ。こっちまで辛くなるだろう。
……あ、そうだ。
思い付いて、僕はゆっくりとサンドイッチを作り始めた。文句の言われない程度のゆっくりで。
彼と彼女の時間を少しでも増やしてあげよう。見栄っ張りな彼への、せめてもの餞だ。
だからどうか、少しだけでも、ここでゆっくりしていってください。
「チーフ、ブラック飲んでるんですね!すごいです…!私苦いのダメで…。」
「俺が砂糖を入れるわけないだろ…。…凛もいずれ飲めるようになるさ。」
「へええー、じゃあ!その!いずれを待ちます!!」
ははは、と笑う彼を見る。
見栄っ張りだなぁ。と、僕の口元は緩んだ。
あそこの席の角砂糖、あのお客様がいなくなったら補充しなきゃな。
「垣間見える子供らしさ」について。カフェにて隣席した、彼の体験談に感謝。
盗み聞きしてしまって、書き起こしてしまってすみません。良い話だな、と。