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駆逐艦『雪風』 ~小さき不沈艦~  作者: 伊東椋
昭和十九年~二十年
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第五十六話 海上特攻隊、抜錨ス

 昭和二十年四月六日

 徳山沖


 ここに戦艦『大和』、軽巡『矢矧』、そして『雪風』を含む駆逐艦八隻の海上特攻隊は粛々と出航を始めた。

 各駆逐艦の煙突には、菊水のマークが描かれていた。それは討ち死に覚悟で湊川に出陣した楠木正成の故事に習い、特攻隊乗員たちが描いたものだった。

 しかし『雪風』の煙突だけは菊水は無く、いつも通りであった。実は『雪風』でも航海科の者たちが菊水を描こうとしたのだが、これを寺内艦長に叱られ止めさせられたのだった。都倉はそれを聞いた時、一人も死なさずに連れて帰るという寺内の信念を感じた。

 見送る者もなく、日本の陸を離れる艦隊は、一面に咲く桜の木々を眺めた。

 雪風も、陸地に咲き誇る桜の光景を見渡した。


 「桜が、私達を見送ってくれている……」


 今は正に桜の季節なので、桜が咲き誇っているのは当たり前なのだが、今の自分達から見ると普段より特別に見えてしまうのは仕方のない事だった。

 散る桜、残る桜も散る桜。

 こんな言葉がある。桜が儚く散っていく様を、散華しゆく人の命と掛け合わせ、それを美徳としたこの国の思想にピッタリの言葉ではないだろうか。

 桜は確かに美しい。だが、自分達が散る時は、果たして本当に美しいのだろうか?

 これまでに見た仲間たちの散り様は、どれも血生臭く、恐ろしいものだった。炎に包まれ、醜く、血に濡れた時津風や武蔵、信濃たちを見てきた雪風にとって、その死が桜が散るように「美しい」ものであるのか疑問に思った。

 私達は本当に桜になれるのか?

 これまで仲間の死を目の前にした時はどうだったかを思い出す。

 彼女たちの散り様を、自分は美しいと思った事は一度もない。

 ただ、彼女たちの死を悲しいと思った事は、涙を流した事は何度もあった。

 それだけは、確かだった。







 この日、『大和』以下の海上特攻隊は徳山沖を抜錨、豊後水道から九州東方海域に向かった。

 旗艦『大和』に座乗した伊藤長官から、艦隊全軍に次の訓示が信号で送られた。


 「神機将ニ動カントス。皇国ノ隆替繋リテ此ノ一挙ニ存ス。各員奮戦激闘会敵ヲ必滅シ以テ海上特攻隊ノ本領ヲ発揮セヨ」


 夜、艦隊は第一警戒航行序列を形成し、九州沖を進んだ。『大和』の左前方六キロに『磯風』、その右に『浜風』と『雪風』、左に『朝霜』『霞』、『大和』の右前方には『冬月』、側方に『涼月』、左に『矢矧』、側方に『初霜』が占位した。

 午後七時半過ぎ、艦隊は豊後水道を出た。そこを出れば制空権・制海権がない。日本の領海内と言えど、もはや敵地であった。艦隊は警戒航行序列を維持したまま、航路を辿る。

 警戒一時間後、第二配備となる。この頃、『大和』の通信指揮室が敵潜水艦の通信を傍受した。


 「『大和』以下十隻、豊後水道ヲ南下。地点二一七五、速力二十ノット。全軍警戒セヨ」


 尚、これは平文で発信され、暗号文ではなかった。

 艦隊の状況は、どこかで見張っている潜水艦が、逐一司令部に報告している様子だった。

 『大和』以下第二艦隊は行先を秘匿するために大隅海峡を抜けた後、西に針路を取り、第三警戒航行序列を形成して四月七日の朝を迎えた。

 これは敵の空襲に備えた緊縮陣形で、『大和』を中心に前方を『矢矧』が、右方に『磯風』『浜風』『雪風』『冬月』、左方に『朝霜』『霞』『初霜』『涼月』が四十度の開角で、円陣を作っていた。

 この陣形の中で、『雪風』は『大和』の右やや後方千五百メートルに占位し、前方に『浜風』、左後方に41駆逐隊司令艦の『冬月』が走っていた。






 午前七時、『朝霜』が機関故障を訴える旗流信号を掲げた。十六ノットを維持する艦隊速力に対し、『朝霜』は十二ノットと後落していき、艦隊から離脱する事が決定された。

 彼女は台湾で敵機の爆撃を受けて損傷しており、その時から機関の調子が悪かったのである。

 旗艦『大和』の甲板では、艦隊から離脱する事になった朝霜を見送るため、第二艦隊の艦魂たちが集まっていた。


 「ごほっ。 皆様、ごめんなさい。共に往くことが出来なくて……ごほ、ごほっ!」


 苦しそうに咳き込む朝霜。機関故障という、その症状が艦魂としての彼女にも表れている。

 そんな朝霜の背を、霞が優しく撫でていた。


 「謝らないでください。朝霜さんの分まで、私たち頑張りますから」

 「霞さん……。ごほッ! ごほッ!」


 本当に辛そうな色を浮かべる朝霜に、雪風たちも心配そうに見守る。朝霜の背を撫で続ける霞。初霜もその無機質な表情に不安と心配の色を浮かばせていた。


 「心配するな、朝霜。我々は必ず成し遂げてみせる」


 前に出た大和が、ぽん、と朝霜の肩に手を置いた。朝霜は咳き込みながら、潤んだ瞳で大和を見上げた。


 「大和様……」

 「朝霜、君が無事に日本へ帰還する事、この海から祈ってるぞ」

 「第二水雷戦隊旗艦として、貴艦のこれまでの働きに深く感謝すると共に、帰還途中の無事を願う」


 第二水雷戦隊旗艦の矢矧が言葉を紡ぐと、他の護衛駆逐艦の艦魂たちも朝霜に視線を送った。朝霜はそんな彼女たちを見て、瞳を潤ませながら、言葉を返した。


 「私、朝霜も、第二艦隊―――皆様のご武運を心よりお祈りしておりますわ」


 霞に支えられながら、ピシッと敬礼する朝霜に対し、大和を始めとした第二艦隊の艦魂たちも踵を揃えて見事な敬礼を見せた。

 朝霜の瞳から、頬を伝って一筋の涙が零れ落ちた。





 『朝霜』が離脱し、艦隊の駆逐艦は七隻となった。

 一時間後、『雪風』の艦橋にて当直に立っていた都倉は、高松宮殿下が天皇陛下の名代として伊勢神宮に参拝して、自分達特攻部隊に武運長久を祈られたと耳にした。


 「(これは、何が何でも突入せねば。せめて、『大和』を守り切らんとな……)」


 そう考えていた都倉だったが、既に駆逐艦が七隻に減った上、こちらの状況は逐一敵に知れ渡っている有様だった。

 更に九州東方海域に出た辺りから、艦隊を追随する敵潜水艦のグアム基地との交信が『矢矧』で傍受されるようになり、いよいよ敵が来る頃だと、寺内が予言した。

 その寺内は艦橋天蓋の下に椅子を置き、腰を下ろしていた。敵機来襲となれば、例の如く天蓋から頭を突き出して指揮を執るつもりらしい。







 艦隊の右前方に小さな船隊が現れた。輸送船一隻、駆潜艇二隻の輸送隊であった。その内の一隻の輸送船が、艦隊に向かって発光信号を送ってきた。


 「ゴ成功ヲ祈ル」


 艦隊の特攻任務は秘匿されているため、輸送隊がその任務を知っているはずがない。故に儀礼的に送ってきたものなのだろう。しかしその信号は、艦隊の将兵、そして彼女たちの胸にジンと染みたのだった。

 直ちに、『大和』から輸送船に向けて返信の信号が送られた。


 「有難ウ、ワレ期待ニ応エントス」


 すれ違う輸送船たちを、雪風は己の艦首から眺めていた。

 雪風も、彼女たちに向かって敬礼を掲げる。遠望ではあるが、彼女たちも自分達に向かって敬礼してくれているように見えた。

 射撃指揮所からその光景を見ていた都倉は、横から見張りの水兵の呟きが聞こえた。


 「あの船たちは、無事に日本へ辿り着けるでしょうか」

 「そのためにも、俺達がここで敵を食い止めなきゃな」


 水兵の心配は、艦隊を離脱した『朝霜』の事が関係していた。この時既に、『朝霜』からの通信が途絶していた。恐らく、敵機の襲撃を受けたのだろう。

 艦隊も輸送隊と出会う直前、敵哨戒機二機に発見され、空襲は間近だと誰もが察していた。都倉もこうして射撃指揮所に上がっているのは、敵機来襲に備えての動きである。甲板を見下ろすと、巫女服を着た少女の頭が見えた。


 「あの姿を見ると、本当に俺達は幸運の女神に守られているように思えてしまうな……」

 「大尉?」

 「……何でもない。全員、見張りを怠るなよ。そろそろ敵が来る頃だ」


 都倉は射撃指揮所に備え付けられた双眼鏡にしがみ付いて、自らも敵機の見張りに着くのだった。





 敵哨戒機に発見された事で、『大和』以下第二艦隊は航路の偽造を取り止め、真っ直ぐ沖縄に向かう針路に変更した。

 この日、徳之島の東方にはミッチャー中将隷下の第58機動部隊が行動していた。その兵力は空母五、戦艦八、重巡四、軽巡十一隻で、空母の艦載機は三百八十六機が攻撃隊として待機していた。

 やがて、第二艦隊を出迎える役目は、この第58機動部隊が担う事となった。攻撃隊が発進し、沖縄を目指す第二艦隊へと向かっていった。





 午後十二時三十二分、『大和』の百三十度五十キロ方向に、二百機を越える敵機の大編隊が現れた。既に一時間以上前から『大和』のレーダーが遠方より接近する敵機を捉えており、各艦には既に対空戦闘用意が為されていた。


 「対空戦闘!」


 各艦でラッパが高々と鳴り響く。『雪風』でも、各員が戦闘配置に就き、敵機の攻撃に備えていた。

 艦隊は速度を二十四ノットから、最大戦速として回避行動を開始し、対空戦闘を始める。

 八分後、来襲した第一波の二百機が、艦隊の中央にいる『大和』と、先行する『矢矧』に向かって、四方から攻撃を開始した。

 『大和』の右舷側を航行していた『雪風』は、『大和』に群がる敵機に対し、砲塔を旋回させた。


 「撃ちー方、始め!」


 すっかり大声で下令するのも慣れた都倉が、射撃指揮所から命令を飛ばし、四門の12.7cm砲から三式弾が発射された。

 三式弾は対空用の砲弾で、砲弾の中には直径二十五ミリ、長さ七十ミリの鉄管を多数内臓し、その中には特殊焼夷剤を充填。時限信管作動と同時にこれが点火され、周囲に飛散、敵機に被害を与え得る。

 この三式弾は『大和』の46cm砲から駆逐艦の12.7cm砲に至る多くの砲に装填され、これまでの戦場でも大きな戦果を挙げていた。

 二十九門ある25mm機銃も、一斉に火を噴き出した。機銃の方はそれぞれの機銃群指揮官に任せているので、都倉は前後部にある12.7cm主砲の指揮に集中していた。

 激しい対空砲火が撃ち上げられるが、敵機の攻撃隊形も鮮やかなものであった。彼らはレイテ沖で『武蔵』を沈めた戦訓を活かし、『大和』に襲い掛かる時は「左舷から」とあらかじめ戦法を決めているようだった。

 敵機は雲を利用し、雲の中で攻撃隊形を作ると、一斉に『大和』や『矢矧』に襲い掛かった。まず先に急降下爆撃があり、『大和』の左舷側に幾つもの爆弾が投下された。

 

 「私に対してこんなにも敵の大群が押し寄せるとは。私の最後にふさわしい戦いだ」


 自分に殺到する敵機を見上げ、大和は口端を吊り上げた。

 その手には、鞘から抜いた刀が煌めいている。


 「――参るッ!」


 一歩、前に足を踏み入れた大和が、刀を振り下ろした。



 その時、『大和』の左舷上空にSB2Cヘルダイバーの編隊が雲の下から飛び出してきた。『大和』の激しい対空砲火が一機を火だるまにしたが、他のヘルダイバーが急降下し、『大和』の左舷部に爆弾の雨を降らせた。

 数発の爆弾が水柱とほぼ同時に、『大和』の左舷部に火柱を生み出した。この爆弾命中で、『大和』の後部射撃指揮所、二番副砲などが破壊された。

 更に爆撃とほぼ同時に、雷撃隊が『大和』の左舷方向から魚雷を次々と投下。一本が左舷艦首付近に炸裂した。

 『大和』が敵機の猛烈な攻撃を浴びる中、敵機は『大和』『矢矧』だけでなく、周りにいた駆逐艦にも襲ってくるようになった。



 突っ込んでくる敵機に対し、『雪風』は主砲、機銃など、全ての武装を以てこれを迎え撃った。主砲から放たれた三式弾が炸裂し、その破片が火の玉となって敵機に襲い掛かる。機銃の曳光弾はオレンジ色の火線を彩り、これも低空で迫る敵機に吸い込まれていった。


 「負ける、もんか……!」


 艦首に立っていた雪風は、巫女服の長い袖を揺らしながら、その場に踏みとどまっていた。

 落ちてくる爆弾が海面に突き刺さり、水柱が立ち昇る。頭上から降り注いだ海水の雨が、雪風のふわふわした髪や服を濡らした。

 敵機はこちらの十字砲火にもめげず、果敢に攻めてくる。

 一機の敵機ヘルダイバーが、右前方から突っ込んでくるのが見えた。雪風がそれを認めた瞬間、敵機は両翼の20mm機銃を乱射しながら降下してくる。

 雪風はその弾が、自分の目の前に撃ちこまれる錯覚を覚えた。

 いや、実際に敵機は『雪風』の目と頭を狙ってきた。

 射撃指揮所にいた都倉は、機銃を撃ちながら接近する敵機が正面から見えていた。機銃から放たれる火炎、その光もよく見える。数発が、指揮所の各所に火花を散らせた。


 「来るぞ! 目標、右上方から突っ込んでくる敵爆撃機!」


 声を上げる都倉の目の前。敵機がどんどん大きくなって迫ってくる。思わず息を呑んだ直後、敵機の腹の下から黒々とした爆弾が切り離された。

 放たれた爆弾は、真っ直ぐにこちらへと向かってくる。誰もが息詰まる一瞬の間に、敵機は金属的な響きを残して頭上を飛び去っていく。

 爆弾が突っ込まんとする艦橋から、寺内の声が響いた。


 「面舵! 急げ!」


 急速的に『雪風』は右に転舵し、左舷側に大きな白波を靡かせた。そして『雪風』の左舷側に迫っていた爆弾が落水し、大きな水柱を奔騰させた。大きな衝撃が、艦を揺らした。


 「ぐううう……ッッ!」


 振動に耐える乗員たち。都倉も指揮所にしがみ付き、ぐっと堪えた。

 身を堪えながら、都倉はうっすらと目を開け、左に大きく立ち昇った水柱を一瞥する。まるで壁のような水柱が高々と海面から突き出しており、艦をぐらぐらと長く揺らしていた。

 水浸しになった艦首で、雪風は顔を下に下げ、ジッと耐えるように立っていた。


 「う……」


 小さく呻き声を洩らす雪風。

 この至近弾で、『雪風』の左舷側には多くの小破孔が生じていた。もしまともに喰らっていたら、ひとたまりもなかっただろう。

 何とか危機を回避した『雪風』だったが、嵐のような敵の攻撃は弱まる気配を見せなかった。

 この時点で、『大和』を始めとした各艦に被害が生じていた。

 艦隊の先頭にいた『矢矧』が爆弾と魚雷を受け、航行不能に陥り、『雪風』の左後方に走っていた『冬月』にはロケット弾二発が命中した(いずれも不発)。

 そしてまた『雪風』にも容赦のない猛撃が被さる。四方八方から押し寄せる敵機に対処するため、事あるごとに命令を飛ばしていた都倉は、自分達に迫る敵機を認めた。

 敵機は射撃指揮所に向かって機銃掃射を浴びせ、都倉の周囲にも機銃弾が飛び込んできた。直後、都倉は肩にボタボタと生暖かいものが落ちてくるのを感じた。視線を向け、手で触れてみると、それは血であった。

 敵機の機銃弾が、都倉の後ろにいた三メートル測距儀の測手に命中していた。彼は眼に弾を浴びて、赤黒い血を流していた。


 「おい、しっかりしろ! 誰か、こいつを治療所に!」


 眼をやられた測手に声を掛けていると、前方から何かが爆発したような音が響き伝ってきた。

 視線を向けると、前方にいた『浜風』がその身から火柱を生み出していた。

 

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