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駆逐艦『雪風』 ~小さき不沈艦~  作者: 伊東椋
昭和十九年~二十年
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第五十五話 出撃命令

 この日、連合艦隊司令部から参謀長の草鹿龍之介中将と、水上艦艇担当参謀の三上作夫中佐が『大和』に来艦した。

 第五航空艦隊との作戦会合のために鹿屋基地へと出張していた二人は、真っ直ぐに『大和』に居る伊藤の下へと説得のために出向いたのだった。

 長官公室に草鹿と三上が訪れるや、伊藤は二人に対し、率直に訊ねた。


 「誰がこの作戦を提案したのか」

 「………………」

 「……君達ではない事はわかっている。気楽に答えよ」


 訊ねられた二人は戸惑うような表情を見せたが、おおよそ察していた伊藤がそれを伝えると、草鹿が安心したように「神先任参謀です」と答えてくれた。

 神重徳大佐。連合艦隊司令部先任参謀を務める海軍軍人である。

 神はマリアナ沖海戦や、サイパンの戦いなどで常に戦艦による突入を主張していた。輸送船団が壊滅し、多くの駆逐艦も失った八十一号作戦を立案したのも彼である。聞く所によると、神が直に豊田連合艦隊司令長官の下に私案を持ち出したらしい。しかし神だけの独断で、今回の特攻作戦が決まるわけがない。

 伊藤がその旨を問いかけると、草鹿が声を落としながら答えた。


 「航空機による総攻撃を行うと奏上したところ、陛下がお訊ねになられたのです。海軍にはもう軍艦はないのかと……」

 「陛下の御下問によって、豊田長官は『大和』を含め、特攻やむなしと判断されたようです」



 その答えを聞いて、伊藤は納得がいかなかった。航空総攻撃を行うと聞いた陛下が、そこから浮かんだ「水上部隊の有無」が気に懸かり、ただご質問をされただけである。我が艦隊は確かに陛下の御為にあるが、ご機嫌とりや見栄で特攻に使うためにあるのではない。

 

 「しかし航空機の援護もなしに、こんな作戦が成功するとは思えない」

 「それは私共も承知の上です」

 「私は七千名の命を預かっている。ただの一人の兵も無駄に死なせるわけにはいかない」


 伊藤は思いの丈を込めて伝えた。しかし草鹿たちも曇るように渋い表情であった。


 「『大和』を敵機動部隊を誘き出す陽動に使うのならまだわかるが、むざむざ自殺させるような事はできない」


 草鹿は目を伏せ、黙り込んだ。

 その時だった。


 「――長官!」


 隣にいた三上がたまりかねないといった風に口を開いた。


 「本作戦は、陸軍の総反撃に呼応して敵の上陸地点に自ら艦を座礁させてのし上げ、乗員は陸戦隊として戦うところまで考えられております」


 一艦隊の司令長官に、中佐の参謀が自分の意見主張の言葉を掛ける場面ではない。しかし伊藤は咎めずに三上の言葉を聴いた。


 「陸にのし上げた艦は砲台として活用、乗員は陸戦隊として敵兵と交えます。海軍本懐の作戦でもあります」

 「何が言いたい?」


 伊藤の問いに、今度は草鹿がはっきりと答えた。


 「要するに、死んで頂きたいという事です。一億総特攻の先駆けとして、その模範となるように、立派に散ってもらいたいのです」


 この海上特攻作戦は謂わば一億玉砕の先駆けであるから、潔く突入してもらいたいという草鹿の言葉に、伊藤はようやく頷く気になった。

 今まで煮えたぎらせていた怒りや様々な思いが、草鹿の言葉を聞いた瞬間にすっかりと消え失せたようであった。


 「そうか、わかった」


 二人の前で、伊藤は遂に了解した。

 驚き、そして了承を得た事で安堵するような表情を見せた二人に、伊藤は続けて念を押すように言葉を紡いだ。


 「これだけは言っておこう」

 「何でありましょう」

 「本作戦の途中で、艦の被害が甚大で作戦続行は不可能と判断した時は、現場の判断で即座に中止とするが、よろしいだろうか?」

 「それは長官がお決めになる事でしょう。連合艦隊司令部としても時に励んで適切に処理をしましょう」

 「ありがとう。よくわかった。安心してくれ」


 伊藤の心の中のわだかみは消え、清々しい気分だった。緊張した面持ちを張り詰めていた草鹿や三上も表情を緩めた。

 これで、全てが決まった。

 後は、実行あるのみだった。



 その後、『大和』で開かれた第二艦隊司令部作戦会議では、伊藤を始め第二水雷戦隊司令官の古村や各駆逐隊司令、各艦長が参集し、海上特攻隊の発動に関する主旨の命令が伝えられた。

 特攻命令受領の話に、第二水雷戦隊各駆逐艦艦長は一様に驚きを隠せなかった。「何故、豊田連合艦隊司令長官は日吉の防空壕から出て、陣頭指揮を執ろうとしないのか」と疑問を呈する艦長も居た。


 「これはとりもなおさず、今が国家存亡の危機を賭けた分かれ目にあることの証左であり、最後を飾るべく、各員奮戦健闘されんことを望む」


 会議に同席した草鹿の訓示に対しても、返ってきたのは黙殺に近い沈黙であった。

 明らかに不満を露にする各司令官や艦長に対し、伊藤は次の言葉をはっきりと告げた。


 「我々は死に場所を与えられた」


 このたった一言で場は一極に決着し、第二水雷戦隊各艦は出撃準備に着手した。

 だが、その中で尚も納得できない者が一人いた。




 会議から『雪風』に帰ってきた寺内は、怒りを露にしていた。彼は最初からこの時に至るまで、特攻作戦に対して反対の意志を貫いていたのである。伊藤長官からの直々の命令に応じても、寺内はこの作戦を無謀な自殺行為である事を端から理解していた。


 「司令部の連中、ふざけやがって。この『雪風』を、特攻に往かせるだと!?」


 艦に帰ってきた寺内は、都倉たちの前で盛んに憤懣を洩らしていた。


 「死にに行く特攻には絶対に不賛成だ。明日はアメちゃんの空襲があるだろうが、この『雪風』を沈めてたまるものか」

 「艦長……」

 「お前達、遺書は書かなくても良いぞ。遺品も必要ない。とにかく、わしはお前達を死なせるような事はしないぞ」


 寺内は煮えたぎるような思いに駆られていたが、しかし軍人、命令には従わなくてはならない。寺内はそれ以降腹の虫は抑え、乗員たちに出撃準備を命じたのだった。





 出撃を控えた夜、『雪風』艦内で「酒保開け」がかかった。艦内にある食糧や酒など、その在庫を全て放出し、まことに賑やかな宴となった。

 今生で最後の酒宴とあって、皆が一様に笑い、飲めや歌えの大騒ぎとなった。

 都倉も他の士官と同じく、水兵たちと肩を組み、一緒に「同期の桜」を合唱した。都倉と肩を組んだ福森も、弾けるような笑顔で歌っていた。

 長い夜は続き、ようやく最後の宴が閉幕しても、都倉は一升瓶を片手に甲板へと出ていた。

 その向かう先には、当然、彼女が居た。


 「気分はどうだ、雪風」

 「……不思議と、晴れやかなものです」


 隣に腰を下ろした都倉は、雪風の切なそうな微笑みを見た。彼女にも先程の宴の騒がしさは聞こえていただろう。いや、この艦は彼女自身なのだから、その身にヒシヒシと感じたはずだ。

 雪風がそう答えた一方で、都倉もまた自分でも意外だと思う程、冷静な気持ちであった。

 この作戦は無意味な自殺に等しい特攻作戦である。寺内艦長も怒りを露に反対していた程だ。だが、戦って死ぬだけだと考えると、胸の内があっさりと落ち着いたのだった。

 この自分の命は、既に君国に捧げたものである。だが、疑問が無いわけではなかった。

 それは、最近乗艦してきた学徒出身の予備士官たちを見た時に抱いたものだった。彼らは一般大学から学徒出陣してきた若きエリートたちである。

 伊藤長官の配慮もあって、『大和』『矢矧』に乗艦した士官候補生たちは既に退艦していたが、少尉、中尉として任官した者たちは既に配置もあって、退艦の話は出ていない。『雪風』にも電測士や航海士にそれぞれ学徒出身の士官が乗り組んでいる。

 だが、彼らは本来、自分の専攻した学問によって将来、国家に奉仕する可能性を秘めた若人たちである。

 自分は海兵に入った時から、戦って死ぬ覚悟は持っている。当然である。しかし学徒出身者たちは特攻をするために海軍に入ったわけではない。

 これが飛行機なら一応は志願制であり、一人息子や長男となると考慮されると言うが、軍艦となると全員もろともだ。個人の事情などは許されない。

 しかし先程の酒宴では――学徒出身の彼らも、都倉たちと肩を組み、にこやかに酒を飲んでいた。

 彼らを見て、都倉は第17駆逐隊が相手を務めた回天隊の訓練の時、自分の同期が『回天』で訓練に勤しんでいたのを見て、深い感動を覚えたのを思い出した。

 江田島で猛訓練を積み、御国の為に生きる事を日夜考え己に課してきた自分達と、大学を出て一年そこそこの若者が、同じ死地に赴くとはどういう事なのか。

 そして、そんな者たちを死に追いやり、国は未来に必ず生じるであろう損害を、どうやって償おうと言うのか。

 

 「……大尉は、まだ思う所がありそうですね」

 「――!」


 都倉はハッと、雪風の顔を見た。

 考え込んでいたのを見透かされたようである。都倉は思わず笑みを浮かべた。


 「情けない話だよな。『回天』の同期たちを見て感動していた奴が、いざ自分が特攻に向かうとなると考え込んでしまうなんて」

 「仕方ないですよ。それに、私達の場合はまた特別ですから。志願したわけではなくて、命令ですから」


 戦って死ぬ覚悟はある。特攻が嫌というわけではない。ただ疑問が沸いて、深く深く考えてしまっただけだ。

 などという子供のような言い訳は、都倉は口にしようとは思わなかった。

 それよりも、雪風の様子が都倉には意外だった。『回天』を目の前にしたあの時の雪風は、特攻に関して明らかに悪い印象しか持っていなかった。


 「私も大尉と同じですよ」


 都倉の考えを見透かしたように、雪風は答えた。


 「いざ自分が特攻するって考えると、あっさりと受け入れちゃってる自分がいるのです。やはり、私も生粋の軍艦だからでしょうか。それとも……」


 その先の言葉を、雪風は紡がなかった。彼女の心境を察し、都倉は盃を取り出す。

 一升瓶の口から盃に満たすと、それを雪風に差し出した。


 「俺達はこれまで通りに、敵機が来たら撃ちまくって、敵艦を見たら撃ちまくって、最後まで戦うだけだ。最後に死ぬかもしれないのは、今までと変わらない」


 戦って死ぬだけだ。それは今までと変わらない。

 都倉は雪風と約束を交わした日の記憶を思い起こした。目の前で盃を受け取り、微笑んでいるのは年端もいかない少女であるが、自分にとっては大事な戦友だった。一緒に戦おうと約束し、これまでに幾多の戦場を共に潜り抜けてきた。

 彼女と共に戦えるのなら――後悔はない。それはこれまでも、そしてこれからも変わらない事実。


 「武運長久を」


 盃を手にした雪風の表情は、まるで雪の結晶のように美しかった。



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