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駆逐艦『雪風』 ~小さき不沈艦~  作者: 伊東椋
昭和十九年~二十年
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第五十三話 呉大空襲

 この頃、サイパンから飛来するB29による日本本土への空襲が頻発していた。

 昭和十九年末までは東京を始め、各都市の軍需工場などが主体的に狙われていたが、昭和二十年に入ると、市街地への爆撃が目立つようになっていた。

 三月十日未明、三百機を超えるB29の大編隊が東京に来襲。焼夷弾の雨を降らせ、東京の下町が火の海と化した。犠牲者は約十万人に及び、二十七万戸もの家屋が焼き尽くされた。

 その後、名古屋、大阪、神戸も敵の大規模な空襲に晒され、市街地が大きな被害を受けたのだった。


 しかし東洋一の軍港と名高い呉には、敵の襲撃は未だ無かった。


 呉、そして近郊の広島市もまた地方都市として人口も多いが、東京、名古屋、大阪、神戸などに空襲が続く中、中国地方最大の都市・広島には飛来せず、市街地への直接的被害は今のところ皆無だったのである。

 不気味とも言える平和が続く呉では、訓練を終えた三隻の姉妹艦たちが束の間の休息をとっていた。

 浜風が突拍子の無い事を言いだしたのはその時だった。


 「雪風お姉ちゃんって、都倉大尉の事、好きなの?」

 「………………」


 ぽかんと呆けた顔を晒すのは、当人の雪風であった。


 「……浜風。突然、何?」


 代弁者のように、磯風が訊ねる。


 「だって、雪風お姉ちゃんっていつも都倉大尉と一緒に居るじゃない? だから大尉の事が好きなのかなーって」

 「………………」


 素直に語る浜風の様子に、呆れるのは磯風だ。しかしそんな姉妹の反応に、浜風は首を傾げるだけだ。

 浜風自身、自分達が見える人間と交流を持った経験はほとんど無かった。なので、雪風と都倉の関係は浜風にとって不思議なものに映り、先程口にしたような推測に至るきっかけとなったのだろう。


 「どうなの? お姉ちゃん」


 浜風、そして磯風の視線すら集め、雪風はどう答えて良いものか困る。

 何だか懐かしい。

 今、雪風の頭の中では、第16駆逐隊での記憶が甦っていた。初風、時津風、天津風。都倉の事で自分に問いかける彼女たちの顔が思い浮かぶ。

 何かを期待しているかのような瞳を向ける浜風と、何だかんだ気になっているような意識を垣間見せる磯風の視線を受け止め、そんな妹たちに雪風は優しく微笑んだ。


 「……そうだね。私は大尉の事、好きですよ?」


 雪風がそう断言した途端、二人がそれぞれ驚いたような反応を表す。

 はっきりと答えた雪風の姿に、さすがの妹たちも驚きを隠し切れない様子だった。


 「私は大尉の事は、……ちょっと意地悪な所もありますけど、嫌いではありません。大尉とは、もう短くない付き合いですし」

 「お姉ちゃん……」

 「勿論、浜風や磯風の事も大好きですよ」

 「――! わ、私も雪風お姉ちゃんの事大好き!」


 雪風の胸に飛び込む浜風。その傍で、磯風も少し照れ臭そうにしながら、雪風の方へと寄り添っていた。

 姉妹たちに指摘され、改めて心中に浮かぶ彼の顔。

 いい加減、彼に対するこの気持ちが何なのか、理解していた。

 自分が言ったように、短くない付き合いだ。彼と過ごした時間の中で、雪風はその気持ちの意味をとっくに知り得ていた。

 だが、それをそれ以上の意味に昇華させる。あるいは行動に移す等の事をするつもりはなかった。

 彼と自分の関係は、既に決まっている。あの約束を交わした時から。

 それよりも、今は目の前にいる姉妹たち。そして戦友たちをこの世の中でどう守り通すかの方が大事だ。

 己は軍艦いくさぶねである。その存在を忘れるような真似は決して犯さなかった。



 そんな彼女の意志を試すかのように、呉に敵が来襲した。太平洋に現れた敵機動部隊が、呉軍港に対して艦載機による空襲を仕掛けてきたのである。

 狙われたのは呉に停泊する艦艇群、軍港、工廠などの施設であった。三百五十機もの敵機が、呉の上空に現れた。

 この時、川原石の海岸近くでブイに繋留されていた『雪風』は、そのまま対空戦闘を行った。

 艦橋にいた都倉は、敵機が来る方角に視線を向けた。江田島の古鷹山の方角から、敵機が大挙して押し寄せてくる。

 数百機にも及ぶ敵機が呉の上空を埋め尽くし、爆撃機、戦闘機などが急降下し、襲い掛かってきた。都倉は砲術長として初めての実戦に挑む事となった。


 「対空戦闘! 主砲、撃ち方始めー!」


 その場に居座ったまま、『雪風』は自慢の12.7cm砲を回し、その砲門を開いた。更に二十九門の25mm機銃が一斉に火を噴き出し、霰のような弾丸を上空に撃ち上げた。

 敵機は呉港内に居る『榛名』『日向』『葛城』などといった戦艦、空母などを主目標に狙ってくるが、その数は相当数だけあって、『雪風』の方にもかなりの数の敵機がやって来た。急降下爆撃機ヘルダイバーが頭上から降って、爆弾を落としていくし、ヘルキャットやコルセアなどの戦闘機が高空から低空まであらゆる高度、方角から襲い掛かってきた。


 「ぐ……! 負ける、もんかぁーッ!!」


 ブイに繋がれ動けない状態の『雪風』だったが、八方から襲い掛かる敵機に対し、彼女は果敢に応戦した。

 二門の主砲と、二十九門の機銃が対空陣を張り、自身に敵機を近付けまいとしている。それが砲術科に指示を飛ばしている彼の意志でもある事を、雪風は知っていた。


 「――! そこだぁ!」


 雪風はこちらに近付きすぎた敵機を見逃さなかった。雪風に捉えられた敵機は、そのまま機銃の餌食となり、その小太りの胴体から火を噴かせた。敵機は『雪風』の近くの海へと落ちていった。


 「どうだ、見たかーっ!」


 拳を突き上げ、雪風は威勢を放った。

 雪風が見上げた呉の上空には大多数の敵機が飛び交い、港に碇泊する艦艇や陸上の高角砲陣地から撃ち上がる対空砲火は凄まじく、空は炸裂する砲煙で暗くなっていた。



 この日、敵機動部隊の空母から飛び立った敵機が五波に渡って来襲し、呉の軍港や市街地が大きな被害を受けた。

 陸上の高角砲陣地や艦艇の対空射撃、そして航空部隊の迎撃により、数十機の敵機を撃墜するも、軍港内に碇泊していたほぼ全ての艦が着底、航行不能などの被害を受けた。

 だが、『雪風』には被害は皆無だった。

 この戦いで、『雪風』は身動きが取れない状況にも関わらず、敵機を二、三機ほど撃墜する戦果を挙げていた。

 しかし戦いが終わってみて、都倉は呉の惨状を目の当たりにし、思わず涙を零した。


 ――無敵と謂われた連合艦隊も、このような無様な姿を晒すようになってしまった。


 かつては威容を誇った連合艦隊も、その拠点である柱島を攻撃され、避難した『大和』や水雷戦隊を除き、残されていたほぼ全ての艦がこの空襲でやられてしまった。遠望には敵機が去った後、火の手を上げる戦艦たちの姿も見える。最早、目の前にあるものは艦隊とは言えない。

 しかも敵機は、江田島の母校で毎日見慣れた古鷹山から降ってきた。その事実に悔しい思いを馳せる。


 「俺達はこの先、本当に敵と戦えるのか……?」


 都倉は思わず、そんな事を呟いてしまっていた。





 遂に敵の猛爆を浴びた呉軍港は、その母港としての機能を完全に消失するのも時間の問題だった。何故ならこの先も敵による空襲がある事は簡単に予想できるし、機雷封鎖を受けるような事があれば、艦艇は港の外に出る事も出来なくなる。このまま呉港内に座したままでは『大和』などの残存部隊も朽ちてしまうのは明白であった。

 ――連合艦隊司令部は決断を迫られた。

 そして、遂に虎の子の『大和』以下残存部隊を出撃させるため、『天一号作戦』を発動する事になるのである。


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