第五話 雪風の趣味
都倉は常々気になっている事があった。それを尋ねる事は憚られ、答えを得る機会を自ら逃していた。
だが、都倉は決断した。聞いてしまえ、と。
そうすれば楽になる。都倉は思い切って、目の前で不思議そうに自分を眺めている少女に問いかけた。
「君はどうして、巫女服を着ているんだ?」
次の瞬間、都倉が見たものは「何を言っているんだこいつは」と顔に書いているかのような雪風の表情であった。
そう、駆逐艦『雪風』の艦魂である彼女は――巫女のような恰好をしている。
雪のような純白の白装束に、旭日のように赤い袴は彼女自身に見事調和を果たしている。雲のようにふわっとした長髪を揺らしながら、雪風は呆れたように首を振った。
「やれやれ。何を言っているのですか、少尉」
そんな反応は限りなく心外だが、長い間気になっていた答えを得るためなのでここは耐え忍ぶ。
「私が巫女好きだから――に、決まっているじゃありませんか」
知らねえよ。都倉はぐっと堪えた。
最初、都倉は自分なりに推理していた。
何故彼女は巫女服を着ているのか。艦魂は人間の姿をしているように、当然衣服を着ている。改めて言わずとも当然だ。寧ろそうでないと困ると言うものだ。
練習艦の艦魂は二隻とも教官と同じ軍服を着ていた。他の艦魂もまた、海軍の艦なのだから当然軍服を着ているものかと思っていた。
しかし実際は違った。『雪風』の艦魂である彼女は巫女の姿だった。
何故巫女!?
実は、雪風を見た瞬間に浮かんだ言葉がこれであった。
しかし平静を装い、初めての顔合わせを演じ通した。
正直、気になって仕方がなかった。
艦魂と存在が似ている船霊は女の神とされ、元来は巫女が宿ったものと考えられている。船霊信仰と関係が深い艦魂の存在故に、彼女は巫女の姿をしているのではないのかと。
それらしい都倉の推理は、見事にこの瞬間、粉々に打ち砕かれてしまったが。
雪風の説明では、艦魂たちは自由気侭な恰好をしているらしい。
彼女たちには各々の個性があるように、服装も性格を表しながら着ているそうだ。海軍の艦なので大半は軍服姿だが、中には和服だったり道着などを着ている者もいるらしい。
雪風の場合、彼女の恰好はその特殊な趣向故のもののようだが。
「良いですか、少尉。巫女さんとは神に仕える女性として、古くから日本の歴史と共に歩んできたのです。古事記や日本書紀からその原型は見られ――」
都倉は直感した。長い話になると。
この展開は非常に面倒くさい。
「わかった、君が巫女を敬愛している事とそれを端に自身もその姿をしている事。重々承知した。だから取り敢えずは落ち着き給え」
「何故ちょっと言葉遣いが変になっているのですか? それにまだ語り足りていな……」
「良いから。君の恰好に、俺はこれ以上追及しない事を約束するから」
明らかに不満げな雪風を置いて、都倉は逃げるようにその場を立ち去った。
なんとか窮地を脱したように、都倉は安堵の溜息を吐いた。巫女の話題を口にした瞬間、雪風の目が変わったのを都倉は見逃さなかった。
「今後、彼女の前で巫女服に関する話を上げるのはやめよう……」
都倉は密かに、淡い決意を抱くのであった。
「……ん?」
ふと、都倉は雪風に似た気配を感じて視線を向けた。
その瞬間だった。突然、都倉の目の前が眩い光に包まれた。
「な、なんだ?」
今、自分の目の前で何が起こっているのか理解できない都倉。
正体不明の光はすぐに治まった。
代わりに、新たに現れた存在が、都倉を更に驚かせた。
そこには先程までいなかったはずの少女が一人、光が出現した場所に立っていた。突然現れた少女を、都倉は冷静に観察する。
一瞬、年少兵と見間違うような様相をした少女。帝国海軍の水兵服を着たその少女は、都倉の存在を認め目を丸くすると、水兵帽を取ってそのおかっぱ頭を披露した。
「わ、わわっ。わ、私が見えているのですか?」
「あ、ああ」
動揺する少女につられて、思わず都倉も声を詰まらせかける。
都倉に答えられた少女は、更に慌てながら頭を下げた。
「もしかして君も、艦魂か?」
「わ、私、陽炎型駆逐艦十番艦『時津風』艦魂、時津風と申します!」
「そうか、君が……」
先程都倉が見た、頭の上に乗っていた水兵帽に刺繍されたリボンには、『時津風』と云う艦名が刻まれていた。
彼女の言葉に確信を得た都倉は、快く彼女を歓迎した。
「よろしく、俺は『雪風』の航海士を務める都倉賢二少尉だ」
握手を求められた手を、少女――時津風は即座に手を握り返す。
「よ、よよ、よろしくお願いします!」
雪風とは異なるタイプの元気な娘だった。握り返された手が痛い程だった。
強く握り締めていた事に気付いたのか、ハッとした顔で、時津風は万歳をするように手を上げた。
「す、すみません!」
「いや、構わない。 人間に触れる事は、あまりないのかな?」
時津風の様子を見れば自ずと察する事はできた。おそらく艦魂が見えるようなおかしな人間はそうそういないのだろう。人間と交流する事に不慣れな様子を見せる彼女を、都倉は優しく諭した。
「緊張しなくて良い。俺は君の姉の事も知っている」
「ゆ、雪風のお姉ちゃんをですか……」
「ああ。彼女は気兼ねなく俺と話してくれているぞ」
その言葉に安心したのか、幾分かその顔は穏やかになった。
「そうですか……。やっぱりお姉ちゃんとも」
姉の知人という事実は効果は絶大のようで、最初は動揺を露にしていた彼女も、今はすっかり落ち着きを取り戻していた。
「ここに居ると言う事は、雪風に用があって来たのかな?」
「はい。雪風お姉ちゃんは」
「今、丁度君の姉から逃げてきた所なんだ。だから雪風の所に行くのなら、俺の事は放っておいてくれ」
「何かあったんですか?」
都倉は今までの事情を時津風に打ち明けた。時津風はあはは、と同情するような苦笑を浮かべる。
「相変わらずですね、お姉ちゃんは」
やはり巫女は彼女にとって地雷だったようだ。危険を察知して退散して正解だったと都倉は改めて自分の行動を評価する。
「それじゃあ、俺はこれで。雪風によろしく」
「はい、またお会いしましょう。少尉」
別れ際に見せた無垢な笑顔は、姉にそっくりであった。