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駆逐艦『雪風』 ~小さき不沈艦~  作者: 伊東椋
昭和十九年~二十年
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第四十三話 あ号作戦にて

 昭和十九年六月十五日、フィリピン中部のギマラス泊地に集結していた小沢機動部隊は、午前八時に西太平洋に向けて出撃した。

 この日、米軍がサイパン島に上陸。二日前には米大艦隊がマリアナ沖に姿を現した。

 来襲した米艦隊は、レイモンド・スプルーアンス大将率いる第五艦隊であり、空母七、軽空母八、護衛空母八、戦艦七隻を中心とする膨大な兵力を揃えた大艦隊であった。

 正にマリアナ沖は米海軍の艦船で、鉛色に埋め尽くされていた。

 更に艦載機述べ九百機を蓄え、容赦のない艦砲射撃は島の地形を変える程の砲弾を撃ちこんだ。

 連合艦隊司令部は遂に「あ号作戦」を発動。総力を以て米軍を叩くつもりであった。

 日本海軍機動部隊の生みの親――小沢次三郎中将の指揮下にある機動部隊が、その役目を背負い、スプルーアンス大将の第五艦隊に挑まんと、新鋭空母『大鳳』も揃えて出陣したのである。

 『雪風』が護衛する第二補給部隊は、その後方に続いた。


 

 推進器が壊れたために艦隊決戦に参加できなかったために、都倉は申し訳ない気持ちを一杯にしながら艦橋に立っていた。寺内や乗員たちは、都倉に気を遣い、不満も何も言わないために、それがまた余計に苦しかった。

 しかしいつまでも落ち込んでいるわけにもいかない。それは都倉も理解していた。

 前線に出られないとは言え、司令官が言っていたように、補給部隊の仕事も立派な任務である。

 そんな都倉の意志を読んだように、雪風が人知れず口元を緩ませていた。




 昭和十九年六月十九日


 この日の早朝、友軍の索敵機がサイパン島の西方海域で空母を含む敵艦隊を発見していた。

 これを受け、午前七時半ごろから、機動部隊の各空母から攻撃隊が発艦。第一次攻撃隊の二百四十三機が飛び立ち、その三時間後には第二次攻撃隊八十三機が発進した。

 対して敵側の索敵機は確認できておらず、こちらが敵に発見された気配もない。

 報告を聞いた『雪風』の艦橋では、敵味方の位置が描かれた海図上を、寺内が見下ろした。


 「敵と味方の位置はどんなもんかな?」

 「このようになります、艦長」

 「うん、理想的なアウトレンジだ。これなら大戦果は間違いなかんべ」


 そう言いながら、寺内は八の字の髭を撫でながら満足そうに頷いた。

 あ号作戦要領には、敵空母の攻撃圏外から大兵力を以て航空攻撃を実施する――つまり、アウトレンジ戦法を採用し、遠距離から艦載機を発進させ、真昼の先制攻撃を行うという作戦であった。

 『大鳳』や『翔鶴』に搭載された新鋭機、艦爆の彗星や艦攻の天山は米機より航続距離が長い。敵の届かない所から第一撃を加え、第二波が敵と相打ちを狙うという戦法だ。

 後は大戦果の一報を待つだけ――と誰もが構える中、思いがけない報告が『雪風』に届いた。


 「旗艦を『羽黒』へ移す、だと……?」


 艦隊司令部から打電された報告は、旗艦を『大鳳』から重巡『羽黒』に移譲するという内容であった。

 その報告に誰もが不審を抱いた。


 「『大鳳』はどうしたんだ?」

 「………………」


 寺内の疑問に、誰も口を開く事ができなかった。

 重苦しい空気が、艦橋を包んだ。





 小沢艦隊は先に敵を発見し、アウトレンジ戦法を用いて攻撃隊を発進させたが、逸早くレーダーで日本機の接近を察知していた米艦隊は最新鋭機のF6Fヘルキャット戦闘機を大量に上空へ上げ、飛来する日本機を待ち伏せしていた。

 日本機は後に米軍から「七面鳥狩り」と揶揄される程、ばたばたと撃ち落とされた。その原因はF6Fの性能が勝っていただけでなく、日本側の搭乗員の練度が低かった事も含まれていた。ミッドウェーでの大敗から続く熟練搭乗員の消耗により、この戦闘に参加した日本海軍の搭乗員は、練度が低い者が大半を占めていたのだ。

 その上、米艦船から放たれる近接信管を用いた対空砲火は、魚雷を抱えた攻撃機に対しても絶大な威力を発揮した。ようやく艦隊に辿り着いても、機体の近くで炸裂する対空砲火により、ほとんどの攻撃機が撃墜された。

 更なる悲劇が、小沢艦隊を襲う。

 小沢艦隊はアウトレンジ戦法を採用したために、米機の攻撃は受けずに済んでいた。だが、思わぬ伏兵が彼らを襲った。午前八時十分、新鋭の空母『大鳳』が米潜水艦の雷撃を受け損傷。格納庫内に溜まったガスが爆発、午後四時二十八分に沈没してしまった。

 それだけではない。『大鳳』が沈没する前、空母『翔鶴』も米潜の雷撃により、致命的な損傷を受けた。午後二時十分に沈没した。

 虎の子の正規空母を二隻失い、送り出した攻撃隊の大半が未帰還となった事から、小沢中将は兵力の立て直しを図るために北上を命じた。機動部隊はそれまでに六次に渡る攻撃隊を送ったが、その全てが部隊の大半を失う致命的な損害を喫していた。



 昭和十九年六月二十日


 後方の『雪風』艦橋では、小沢中将からの電報が寺内、都倉などといった艦橋の「長」が付く者たちが読み上げ、戦況の推移を心配していた。


 「『大鳳』『翔鶴』が沈んだ。これで我が機動部隊は、航空戦を一時的に中断せざるを得なくなったか」

 「小沢中将は全艦隊に、サイパンの西六百五十マイルに集合を命じられました。本艦も、艦隊の再度決戦を考え、補給に向かった方が良いと考えます」

 「そうだな。我々も、集合地点に向かおう」


 タンカーを抱える補給部隊の一員として、『雪風』もまた前線にいる艦隊に燃料を届けるため、朝、集合地点に向けて行動を開始した。

 正午、『雪風』含む第二補給部隊は本隊と合流。燃料の補給を開始した。だが、この時既に艦隊の旗艦は『羽黒』から『瑞鶴』に移されており、度重なる旗艦の移り変わりに、都倉たちも不安を感じていた。

 午後三時ごろ、敵空母艦隊が東方から接近中との情報を掴んだ小沢司令部は、艦隊に残された機数が足りずアウトレンジによる反撃はできないと判断し、残存空母を率いて夜戦でこの敵艦隊を撃破しようと考え、急速的に避退する事を決めた。

 だが、機動部隊本隊が避退した事で、低速のタンカーを含む補給部隊とこれを護衛する駆逐艦隊は置き去りにされる形となってしまった。西方に避退を命じられた第一、第二補給部隊は西へと避退するも、夕焼けの空から、二百機を数える敵の大編隊が襲い掛かって来た。



 西へと向かう『雪風』の艦上で、「配置に就け」を意味するラッパが鳴り響く。

 都倉が艦橋から、夕焼けの空にくっきりと浮かぶシルエットを見つけたのは、ほぼ同時だった。


 「敵機約五十! 左前方水平線上!」


 この時日本艦隊に来襲した敵機は二百機。その内の約五十機に満たない数の敵機が、『雪風』などの補給部隊に襲い掛かった。

 水平線よりやや上、茜色に染まりつつある空に、虻のような黒々としたシルエットが点々と浮かぶ。


 「対空戦闘!」


 艦橋から対空射撃指揮所へと上がっていた砲術長の号令により、『雪風』の主砲や機銃が用意を整える。


 「さて、いっちょやるか」


 艦橋天蓋にある丸い窓から、大きな頭を突き出した寺内艦長が、敵機を睨んだ。

 その八の字の髭を周囲に蓄えた口が開く。

 上方にいる砲術長の大きな声とピッタリと合ったのは、その瞬間だった。


 「砲撃始め!」

 「撃ちー方、始め!」


 意気が合った艦長と砲術長の下令により、『雪風』が遂に火を噴かせる。

 12.7cm主砲が、ダン、ダンと音を奏でながら連射を始める。茜色に浮かび上がった虻のようなシルエットが、キラキラと翼端を光らせながら、左から右へ移動していく。

 雪風はその集団を目で追った。それと並行するように、『雪風』の主砲も右に旋回、ゆっくりとその集団を追う。

 輸送部隊は面舵を切り、回頭。敵機の集団は左後方となり、追いすがる形となる。

 だんだんと近付いてきた敵機は、四つの編隊に分裂した。二個編隊は左の船団へ。後の二個は『雪風』などの駆逐艦へと向かってくる。

 タンカーたちは一生懸命走っている。『雪風』の方には、『卯月』もいた。第一補給部隊には『響』がいる。


 「ーッ!」


 『雪風』が撃ち始めると、『卯月』『響』も射撃を開始した。

 二十機ほどの敵機が『雪風』たちに迫る。敵機はミツバチのように、ぶんぶんと飛び回りながら襲ってくる。

 『雪風』のハリネズミのように敷き詰められた対空機銃が一斉に火を噴いた。無数の曳光弾がミツバチの大群へと吸い込まれていく。

 補給部隊に襲い掛かるのは、SB2Cヘルダイバー急降下爆撃機である。共に付いているのはマリアナ沖の上空で散々日本機を食い荒らしたF6Fヘルキャットだ。

 艦橋天蓋から頭を出した寺内が、叫ぶ。


 「右から来たぞ! 面舵一杯!」

 「面舵一杯、急げ!」


 その声を聞くや、都倉は航海長として、舵を握る操舵員に命令を飛ばす。

 全速力が出せない『雪風』は、必死に身を震わせながら、艦全体を左に傾けて右へと回頭する。

 その拍子に、都倉は隣で奮戦する『卯月』の姿を目撃した。

 『卯月』は盛んに、銃撃を仕掛けてくるF6Fに向かって撃ちまくっている。その間に、爆撃機のSB2Cがタンカーの方へと向かった。

 敵の狙いは油槽船であり、戦闘機は自分達駆逐艦を牽制しているつもりか。都倉は唇を噛み締めた。

 ――させるか。

 その思いは、都倉だけでなく、乗員たち、そして彼女自身も同じだった。

 タンカーの一隻、『玄洋丸』が少ない機銃で必死に応戦している。『雪風』も接近して、弾幕を張った。

 だが、その隙間を縫って、一つ、二つと、爆弾が降り注ぎ、『玄洋丸』に火の手が上がった。

 これを認めた敵機は、続けて『雪風』へと向かってくる。F6F戦闘機が四機。『雪風』に接近する。

 寺内から意表をつく命令が飛び出したのはその時だった。


 「探照灯照射!」


 この命令に驚いたのは都倉だけではなかった。

 あらかじめ待機していた管制器長によって、探照灯が敵機群に向けて照射された。戦闘前、夜が近かったため、探照灯にも配置が為されていたのだ。

 そしてこれに一番驚いたのは敵機の方だろう。探照灯の光を当てられた敵機群――急降下中だった一機は目が眩んだのか、爆弾を投下せず、反転してそのまま急上昇した。

 続けて二番機。こちらも急上昇に転換する。だが、その機体に対空機銃弾が命中する。火を噴いて、海中へと落下した。

 各機銃台から歓声が沸く。どこも「ウチが落とした」と思っているようだった。

 その中には、弾倉を抱えた福森も含まれていた。彼は海に落ちていく敵機を見て、先輩達と一緒になって両手を上げていた。

 寺内が発した号令はかなり異例のものではあったが、それが功を成した。

 この探照灯の照射により、敵搭乗員の目を潰しただけでなく、敵機の注意をタンカーから逸らす事にも貢献した。

 『雪風』の対空砲火はこの後も敵機を二機撃墜した。

 

 この戦闘で『雪風』は三機の敵機を撃墜するが、全ての敵機を撃退できたわけではなく、補給部隊は二隻のタンカーを失う結果となった。


 敵編隊が去った後、『雪風』は『清洋丸』の乗員を収容後、自らの魚雷を以て処分・撃沈。

 彼女は再び、戦友への介錯という経験を重ねてしまった。



 

 ――あ号作戦は終わった。

 機動部隊の総力を結集し臨んだ本作戦は、アウトレンジ戦法という戦略もあり、大いに期待されていたが、その結果は惨憺たるものだった。

 新鋭を含む空母三隻(『大鳳』『翔鶴』『飛鷹』)が沈没。他の全ての空母も被害を受けた。航空機は艦載機、水上、基地航空隊などを含め、四百七十機以上を喪失。日本海軍に残存していた航空兵力がほとんど消滅した。

 小沢機動部隊の敗北により、日本海軍の機動部隊は壊滅的打撃を被った。

 日本海軍がこの海戦に敗北した事で、サイパンを含むマリアナ諸島の大半は米軍の侵攻に晒され、ほとんどの島が占領される事となった。この海戦の結果により、西太平洋の制海権と制空権は完全に米軍の手に渡った。

 マリアナ諸島の占領は、米軍が日本本土への前線基地を獲得した事を意味していた。それだけでもこの戦争の勝敗は決したようなものであったが、終戦という運びには至らず、寧ろ熾烈さを増し、日本は一億総決起への道を更に突き進む事となる。


 ――この戦いを生き延びた駆逐艦『雪風』もまた、例外ではなかった。



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