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駆逐艦『雪風』 ~小さき不沈艦~  作者: 伊東椋
昭和十四年~十六年
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第四話 艦魂、雪風


 昭和十六年の桜が咲き誇る季節。都倉賢二は少尉任官、同時に駆逐艦『雪風』の航海士として乗り組みを命じられた。


 都倉は六十八期生として昭和十五年八月に海軍兵学校を卒業、少尉候補生として練習艦『香取』に乗り組み、練習艦隊で実務訓練を受けたが、国外の情勢などの影響で短縮された日程を終え、『雪風』へと配属となった。

 同期クラスは戦艦や巡洋艦など様々な進路であったが、都倉は『雪風』に配属された事を素直に喜んでいた。何故なら本艦は一年前に竣工した新鋭艦である。『金剛』に配属された同期もいたが、『金剛』は大正時代に作られた古い戦艦だ。古い戦艦よりは、新しい駆逐艦の方が、都倉は良いと思っていた。

 それに新鋭である『雪風』を含む陽炎型駆逐艦は、今後連合艦隊の主力として戦艦に負けない威力を発揮すると確信していた。帝国海軍は戦艦同士による艦隊決戦を主流としているが、最後まで戦艦同士だけが撃ち合い決着を着ける事は多くない。むしろ戦艦の砲撃で弱り切った敵艦に、小柄な駆逐艦がその俊足で懐に入り込み、そのどてっ腹に魚雷を撃ちこみ止めを刺す。特に陽炎型駆逐艦はその戦術の先鋒として艦隊随伴用に設計され、敵の主力艦隊を大いに悩ます水雷戦隊の主力として期待されている。


 都倉が乗り組む『雪風』は第16駆逐隊に所属していた。更にその第16駆の司令駆逐艦として配され、同型艦である『時津風』『初風 』『天津風』を含み四隻で構成されていた。

 『雪風』『時津風』が第一小隊。

 『天津風』『初風』が第二小隊という編制である。

 佐伯湾及び宿毛湾を基地とし、都倉の乗艦前後から、既に猛訓練に明け暮れる日々をおくっていた。

 『雪風』が率いる第16駆逐隊は、同じ第二水雷戦隊に所属する第8駆逐隊、第15駆逐隊、第18駆逐隊と共に沖に出ては砲雷撃訓練を繰り返した。


 「本日の訓練は、二水戦の旗艦である『神通』が標的となり、我が艦隊の肉薄攻撃を受ける事になっている」


 艦長の訓示を聞いた都倉は、気を引き締めた。

 駆逐隊は昼戦だけでなく夜戦の訓練も行っていた。今回のように第二水雷戦隊の旗艦『神通』が自ら標的となって訓練を実施する事も珍しくなかった。

 この時の日本を取り囲む世界情勢は決して安泰というわけではなかった。泥沼化した大陸での戦争。中国との関係を端に帯びる米英等の圧力や態度。開戦近しと叫ぶが如く、帝国海軍の各艦艇は猛訓練に明け暮れていた。所謂、月月火水木金金である。

 しかしどんなに訓練がキツくても、休みたい、苦しいなどと弱音を吐く者は誰一人としていなかった。都倉も『雪風』の艦上で滾る自らの血を日々感じ取っていた。


 「左舷ひだりげん、雷撃準備――」


 佐伯湾の沖合で白波を立てる『雪風』は、『時津風』と共に前進。面舵を切った。


 「左舷、敵艦補足!」

 「雷撃戦、準備ヨシッ!」


 機敏な早さで乗員たちが態勢を整えた結果、二隻は標的を睨みながらその矢を構える。


 「撃ち方始め!」

 「-ッ!」


 舷側の発射管から射出された魚雷が、海面に飛び込むとそのまま海面下を進んだ。魚雷は標的の下を通過し、その様子を観測していた別の艦が結果を報告してきた。


 「敵艦、撃沈!」


 その報告を聞いた艦橋では喜色の声が漏れた。航海士である都倉もその輪の中に居た。指揮を執っていた『雪風』艦長・飛田健二郎中佐は何度も頷いていた。


 「うん、この調子ならいつ戦が起こっても大丈夫だな」


 飛田艦長の評価に、都倉たち士官たちも安堵する。

 だが、気を緩めない。

 飛田艦長のすぐ傍には、第16駆逐隊を直率する司令・渋谷紫郎大佐が立っていた。渋谷は都倉たち第16駆の将兵たちの信頼を集めた大人物であった。飛田艦長と共に訓練で動き回る各艦を見守り、時には部下たちを激励しその人心を掌握している。

 飛田艦長もまた生粋の駆逐艦乗りで、初めて駆逐艦に乗り組んできた都倉を懇切に接してきた。都倉は飛田艦長の傍に仕え、その姿勢を常に学んでいた。

 渋谷や飛田を交えた『雪風』の艦橋は緊張した空気が張り詰めていても、和気藹々とした雰囲気にも満ちていた。

 この乗員たちの雰囲気こそが、彼女の人格でもあるのかもしれない。

 そう考えながら、都倉はすぐ傍で微笑む少女を一瞥した。




 訓練を終えた後、佐伯湾に入港した『雪風』は岸壁に着岸。自由時間に入ると、都倉は誰もいない舷側へと出た。

 暫く夜風で頭を冷やしていると、ふと、背後から気配が生まれた。


 「御疲れ様です、少尉」


 振り返った先には、あどけなさを残す少女が立っていた。


 「お前もご苦労だったな。疲れただろう」

 「いいえ、これくらい。こんな程度でへこたれる程、『雪風』はヤワではありません」

 「さすがだな」


 胸を張る彼女に、都倉は微笑ましそうに笑う。

 夜闇の下、岸壁に繋留した駆逐艦の艦上で、一人の軍人と少女が談笑している姿は正に異様な光景であった。だが、二人にとってそれは珍しいものではなかった。

 都倉は、今と同じように風が気持ち良かったあの日の夜を思い出した――




 少尉任官と同時に航海士として『雪風』に乗艦した都倉は、新人の航海士少尉として慣熟訓練に入っていた。この時既に海軍内では米海軍との戦闘を想定し、どの艦艇も猛訓練に明け暮れていた。着任早々、都倉もまたその荒波に揉まれる事となった。

 その最中、都倉は度々、彼女の姿を見かけていた。

 そして彼女自身が自分の存在に気付くまで、都倉は粛々と訓練に集中するのであった。

 結果的に、彼女と言葉を交えたのは、都倉が着任して二週間も経ってからの事だった。

 この日、都倉は訓練の疲労で熱を帯びた頭を冷やすため、舷側に出て風を浴びていた。

 一人でいたそんな彼に、声を掛ける存在が現れた。


 「あの、すみません……」

 「………………」

 「……もしもーし?」


 反応を示さない都倉の様子に、声の持ち主はあれっ?と不思議がる。おかしいな、と聞こえた小さな呟きが、さっきより近付いていた。


 「あのぉ、聞こえてます? あれぇ?」


 一向に呼びかけに応じない都倉に、その気配はおそるおそる近付いてくる。


 「私の事、見える人だと思ったのに。勘違いだったのかな?」

 「聞こえてるよ」

 「うひゃぁっ!?」


 突然都倉が振り返ると、飛び上がったような声が艦上に響く。

 都倉の目の前には、ひどく驚いたように丸い瞳を大きく見開かせる少女が居た。

 都倉はそんな少女を、微笑ましく歓迎した。


 「ついでに、見えてる」

 「お、驚かさないでください。やっぱり、私が見える人だったのですね」


 ふぅ、と息を吐いた少女は、今度は責めるような視線を都倉に投げかけてきた。


 「どうして反応してくれなかったんです?」

 「すまんな。ちょっと驚かせたくなってな」

 「意地悪な人ですね、貴方は」


 怒っているというよりは、呆れているような表情を浮かべる少女。


 「初めまして、と言えば良いのかな。俺は都倉賢二少尉だ。驚かせて悪かったな」


 挨拶と詫びを兼ねて敬礼をする都倉に、少女は笑顔で応える。


 「初めまして、都倉少尉。私は貴方を歓迎いたします。意地悪ですけど」

 「悪かったって。噂に聞いていた君を、ちょっと試したかっただけなんだ」

 「噂、ですか?」


 少女は首を傾げる。その仕草がまた、色濃く残っているあどけなさを強調させる。


 「ああ。帝国海軍新鋭の駆逐艦の艦魂は、どんな子供っぽい娘だと思ってね」

 「わ、私! 子供じゃありません!」


 その言葉を聞いた少女は、初めて怒りを露にした。


 「確かに生まれてまだ二年ほどしか経っていませんが……、私は立派な駆逐艦ですよ!」


 頬を林檎のように膨らませながら抗議する姿は、まるで子供のようだと都倉は思った。

 しかし、彼女自身が言ったように、子供のように見えても彼女は確かに『立派な駆逐艦』なのだ。


 ――艦魂。


 という存在がある。

 文字通り、それは艦の魂である。

 長い間、船乗りの間で語り継がれる伝説のようなものだ。艦の一隻一隻には魂がそれぞれ宿っていて、それらは人間のように各々の個性、人格を持っているという。

 古来より海の民が航海の安全を願う神『船霊ふなだま』の類であるとも言われている。艦魂は皆例外なく、うら若き乙女の姿を形容しているという点は、女の神とされる船霊にも共通している。

 若しくは単に幽霊、西洋の考えから拝借するなら精霊や妖精の類なのかもしれない。

 何はともあれ艦魂の正体は明確ではないが、都倉の目の前に居る少女が主張するように、それは事実として現に存在している。


 「香取から話は聞いてる。君が優れた艦である事も、元気で真面目な娘であるという事もね」


 都倉は少尉候補生時代、練習航海で乗艦した練習艦の艦魂と出会っている。都倉が初めて出会った艦魂が彼女だった。短い間ではあったが、彼女との交流も、都倉には厳しかった実習と同じ程に貴重な思い出だ。

 都倉に言われた艦魂の少女は、羞恥心を露にするように顔を赤くする。


 「……やっぱり貴方は意地悪な人ですね」


 初対面から少しやり過ぎたかと、都倉は一瞬不安を過らせる。

 しかしその思いは杞憂であると、彼女の笑顔がすぐに教えてくれた。


 「初めまして。私は陽炎型駆逐艦八番艦『雪風』の艦魂――雪風。どうぞよろしくお願いします、都倉少尉」


 それが、彼女――雪風との出会いだった。


 

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