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駆逐艦『雪風』 ~小さき不沈艦~  作者: 伊東椋
昭和十七年~十八年
37/64

第三十七話 ダンピールの悲劇

今回は第16駆逐隊に降りかかる最初の悲劇……。

 三次に渡る撤収作戦により、日本軍はガタルカナル島から兵を引き揚げさせ、全面的に撤退した。

 日本軍の撤退によりガタルカナル島での戦いが終わった事で、戦線は北上し、ニューギニア方面、ソロモン諸島北西部への海空戦へと移行していった。

 同時期に連合国軍はニューギニア島方面でも攻勢に出ており、一月二日にはニューギニア東部の要衝ブナが陥落し、陸軍は東北部のラエ方面に後退した。そこで日本軍は連合軍の次の攻撃目標と予測されるパプアニューギニア(ニューギニア島東部)各拠点に増援部隊を送り、侵攻に備える事を決めた。


 『雪風』はラエ輸送作戦に参加する事となり、この作戦を『第八十一号作戦』と呼称された。


 第八十一号作戦は三段階の作戦で構成されていた。陸軍の第四十一師団をニューギニア中部北岸ウェワクへ輸送する『丙三号作戦』と、第五十一師団をラエに輸送する『八十一号作戦ラエ輸送』、第二十師団をニューギニア島北岸マダンへ輸送する作戦である。


この八十一号作戦ラエ輸送のために、第三水雷戦隊司令官・木村昌福少将を護衛部隊指揮官とする駆逐艦八隻(第11駆逐隊『白雪』、第19駆逐隊『浦波』『敷波』、第8駆逐隊『朝潮』『荒潮』、第9駆逐隊『朝雲』、第16駆逐隊『雪風』『時津風』)に、陸軍の輸送船七隻、海軍運送艦一隻(『野島』)の船団が編成された。

 しかしこの作戦について当初、海軍側は敵の制空権下で危険だと判断し、反対の意志を示していた。

 同船団上空警戒には陸海軍の直掩機が付くとはいえ、船団が向かう先は敵の勢力下である。船団を守り切れる保証などどこにもなかった。

 結局、作戦の主体は陸軍であったため、海軍が折れ、ラエ輸送が決まった。

 出撃を夜に控えた夕刻、都倉は珍しい人物と顔を合せる事となった。


 「おい、時津風」

 「あっ。都倉中尉」

 「どうしたんだ? お姉さんに会いに来たのか」


 上甲板に風を浴びに出ていた都倉は、偶然にもおかっぱ頭の少女を発見し、声を掛けた。その少女は『雪風』の妹艦である『時津風』の艦魂だった。

 もうすぐ出撃なので、姉の顔を見に来たのだろうか。


 「雪風お姉ちゃんとはさっきまで一緒に」

 「そうなのか?」


 時津風の答えに、都倉は少し不思議に思った。

 では何故、こんな所に留まっていたのか。

 都倉の疑問を解消するように、時津風が照れ臭そうに口を開いた。


 「……実は、中尉を待っていたんです」

 「俺を?」

 「はい。ここで待っていれば、中尉が来るだろうってお姉ちゃんが……」

 「はは。俺がここによく来る事は、雪風はやはり承知しているのだな」

 「ごめんなさい……」

 「謝る必要はない。それで、俺に何の用だ?」


 時津風はおずおずと手元を絡ませながら、都倉を何度もチラチラと見る。

 彼女は初対面の時から人と話す事をあまり得意としていない事は察していたが、今回はそれとはまた違うような感覚だった。

 

 「……その、都倉中尉にお尋ねしたい事があって」

 「何だ?」

 「あの……、中尉って、好きな人はいるのですか……?」

 「唐突だな」


 想定外の質問に、都倉は面を喰らったような顔をする。

 そんな都倉の反応を見た時津風が、慌てて手を振った。


 「ご、ごめんなさい! 変な事を聞いてしまって!」


 いや。軍艦の化身とは言え、その見た目は少女そのものだ。

 きっとそういう話が好きなのか、もしくは気になる所があるのだろう。

 それにこういう話を恥ずかしく感じる歳でもない。都倉は正直に答える事にした。


 「……ああ、そうだな。いないと言えば、嘘になる」

 「……では、やっぱりあの写真の人」

 「何だ、知ってたのか。……って、雪風から聞いたんだな?」

 「ご、ごめんなさ……」

 「だから謝る必要はない。そうだな、彼女は俺の婚約者だ。彼女も俺を好いてくれている……と思う」


 都倉の発言に、時津風は頬を火照らせる。

 いつの間にか時津風にまで知られている加代の写真。おそらく初風たちも知っているのだろうが、それは別に構わなかった。いずれ知れ渡る事だ。そう言えば、呉へ泊りに行った日。彼女たちの様子がおかしかったのはそういう事か、と都倉はようやく納得する。


 「勿論、俺もあいつの事は好きだがね。しかしそれがどうかしたか?」

 「ふぁ~……ハッ! あっ、その! 実は……」

 「もしかして、好きな人でもできたか?」

 「ふぁうっ!?」


 冗談半分の質問に、時津風がビクリと震えた。その顔はトマトのように真っ赤だ。

 まさか、と都倉は思った。しかし時津風は全力で否定した。


 「ち、違うよ! でも、あの……愛って、どんなものなんだろうって……興味を持って……」

 「……ふふ、そういう事か」


 愛、か。何故だろう。その一言だけは、都倉でさえ少し恥ずかしさを覚える。

 そもそも愛を口にする事など、日本人はあまりしない事だ。大昔はわざわざ「月が綺麗ですね」という表現を使った程まで、日本人の慎ましさが受け継がれている。西洋のように直球で投げかけたり、囁く行為は稀である。

 だが――


 「俺にもよくわからん。ただ、好きだと思えるだけだ。それだけの事なのだ」

 「そういうもの、ですか……」

 「ああ。きっと、時津風にもわかる時が来るさ」

 「私にも……?」


 きょとんとした顔を浮かべた時津風に、都倉は優しく言葉を掛ける。


 「ああ。そういうものなのさ」

 「やっぱりそういうもの、ですか……」

 

 そっか……。と一人呟く時津風の表情は、どこか嬉しそうであった。

 しかし何故、そんな事に興味を抱いたのか。都倉の好奇心が沸いた。


 「しかし何故、そんなものに興味を持ったんだ?」

 「そ、それは……!」


 その瞬間、時津風の脳裏に浮かんだのは一人の少女。彼の傍にいつも居る、彼の事をいつも見ている大好きな姉の事が、頭に浮かんだ。


 「な、何でもない! 何でもないよ~? 答えてくれてありがとございます、それでは!」

 「あ、おいっ?」


 あっという間に光に包まれて立ち去ってしまった時津風に、都倉は首を傾げる。


 「何なんだ……?」


 その背後で、構造物の陰から一つの人影も立ち去ったのを、都倉は知らなかった。




 二月二十八日午後十一時三十分、旗艦『白雪』を先頭に護衛駆逐艦隊が先行、その後に輸送船団が続いてラバウルを出航した。

 ニューブリテン島の北方を迂回し、ダンピール海峡を抜ける航路を取る。

 しかし輸送船団の船速はノロかった。そして護衛の駆逐艦隊もその速度に合わせて進まなければならないから、亀のように遅くてたまらない。これでは敵飛行機にとっては良い的だ。

 事前に敵航空戦力を空爆により弱体化させるつもりで、夜間爆撃がラビ及びポートモレスビーに対して行われたが、元より航空戦力の過少と天候不良により、その戦果は不十分であった。

 三月一日、早くも不吉な前兆が起こった。

 午後二時頃、先頭の『白雪』が敵潜水艦を発見。その十五分後には哨戒機が現れた。

 船団が完全に発見されたのだ。

 更にこの夜、船団の上空に吊光投弾が点火され、八隻の駆逐艦と輸送船団が真昼間のような明るさに照らされた。いよいよ明日はモレスピー辺りから敵機が来るだろうと乗員の誰もが覚悟した。

 翌二日の午前七時二十分、ニューブリテン島の西北端にさしかかった船団に、B17爆撃機とP38戦闘機の編隊が来襲した。その数は四十。

 これに直掩の零戦三十三機が迎撃に入った。零戦との空中戦の間隙を縫って、B17編隊が上空に達し、高度二千から爆弾を投下した。

 その爆弾は輸送船『旭盛丸』に被弾、沈没。他三隻の輸送船が至近弾を受けたが、航行に支障はなかった。

 『雪風』と『朝雲』が沈没した『旭盛丸』の乗員を救助。二隻はこの内、九百十八名の生存者を収容したので、『雪風』の甲板は救助者で満載になった。

 この日、『雪風』と『朝雲』は揚陸作戦を指揮するため、一足先にラエに急行し、日没後にラエへ入って陸兵を揚陸させ、全速でまた引き返して、翌朝三時にダンビール海峡付近で船団と合流した。

 いつも無傷なだけに、『雪風』はこき使われ、多忙を極めているように見えた。

 そしてこの日が訪れる――




 昭和十八年三月三日

 ダンピール海峡


 波穏やかなダンピール海峡を、七隻の輸送船を守るように八隻の駆逐艦隊が前へ進んでいた。

 祖国日本では、雛祭りの日である。

 しかし彼女たちに与えられたのは、惨劇という無残な二文字だった。

 午前八時頃、日が昇り切った時間帯に敵機の大編隊が水平線の彼方から現れた。轟々と唸りながら、翼を煌めかせた敵機の大編隊が、船団に向かってくる。

 これを迎え撃つのは、船団の上空を飛んでいた零戦四十機。

 『雪風』の上空を、次々と零戦が飛び去っていく。

 しかし零戦との空中戦をすり抜け、一部の編隊が船団のすぐ近くまで接近した。輸送船が回避運動を取り、駆逐艦たちが対空機銃を撃ちまくるが、敵機は輸送船の手前六十メートル辺りで爆弾を投下した。

 これを目撃した雪風が、戦闘の最中だと言うのに首を傾げる。


 「どうして、あんな所で爆弾を……?」


 普通、船団の上空に達してから爆弾を落とすものだ。

 しかし敵機は手前、何もいない海に爆弾を落としている。

 何らかのトラブルだろうかと思った矢先、雪風は目の前で咲き誇った火焔と黒煙を目撃した。


 「――なッ!?」


 突如、船団の輸送船が爆発した。いや、敵機が落とした爆弾が命中したのだ。

 敵機は船団の上空から爆弾を落としていない。

 なのに、何故――?

 その答えは、敵が編み出した特殊な戦術によるものだった。


 この不可思議な光景は、『雪風』の艦橋でも目撃されていた。敵機が手前で爆弾を落としたと思ったら、その直後、輸送船が炎に包まれた。


 「敵機がまた海に爆弾を落としています!」

 「魚雷じゃないのか!?」

 「いえ、爆弾です。 また命中しました!」


 見張り兵の報告に、菅間や都倉たちが苦渋の色を浮かべる。

 また一隻、輸送船が被弾した。爆発炎上し、黒煙に包まれている。

 都倉が確認のため、艦橋から外へと飛び出した。

 そして、都倉は見た。海面スレスレに降下した敵の中型爆撃機が、腹に抱えていた爆弾を輸送船の手前五、六十メートル辺りに落とす。爆弾は海面を跳ねて、輸送船の横腹――船の急所である喫水線辺りに当たった。

 都倉は子供の頃に川で遊んだ水切りを思い出した。敵の攻撃は、川辺で小石を水面スレスレに投げると、小石が水面を跳ねて飛ぶ、その原理と同じだった。

 この米空軍による反跳爆撃スキップ・ボミングは、高い命中率を誇った。

 輸送船は次々と被弾し、爆発炎上した。中には一瞬で轟沈する船もあった。

 

 「はぁ……はぁ……」


 すぐ傍で燃え盛る炎に包まれ、その半身を海水に浸からせている輸送船の傍を通過した『時津風』は、生存者の救助活動を始めた。艦魂の時津風もその熱に当てられ、回避運動の疲労も重なり大量の汗を流していた。

 既に船尾から半分が沈んでいる輸送船には、多くの乗員が取り残されていた。傾いた甲板を滑り落ちる者、マストに掴まっていたが力尽きて海にポロポロと落ちる者たち。炎が乗員たちを襲い、海上へと追い出す。正に地獄のような光景であった。

 時津風はその炎の隙間から、小さな人影を見つけてしまった。それは火傷に覆われ、苦しそうな瞳でこちらを見ていた。沈みかかっている輸送船の船魂である事はすぐに知れた。


 「……ッ!」


 時津風は思わず目を逸らした。瞬間、謝罪の念が駆け巡る。

 だが、そんな時津風にも容赦のない魔の手が襲い掛かった。

 時津風は自分に近付く敵機を発見した。瞬時に対空機銃を撃ち放つが、間に合わない。敵機は海面スレスレで爆弾を落とすと、そのまま機首を上げた。


 「あ……っ」


 時津風は黒い物体が海面を跳ねて自分に突っ込んでくる光景を目撃した。そして次の瞬間、横腹がハンマーで殴られたかのような衝撃に襲われる。


 「ぐは……ッッ!!?」


 『時津風』、爆発。その横腹に飛び込んできた爆弾を受け、炎上した。

 艦魂である時津風もその身に被弾の様相を表した。横腹が破け、大量の血が噴出した。弾け飛ぶように倒れた時津風は、自分の体が火に包まれたかのような熱さに苛まれた。


 「あ……、ぐ……ッ」


 ゴホッと、固形に近い血が口から吐き出される。右の横腹を中心に、血まみれになった己の体を見下ろす。血が溢れるだけ溢れ、熱くてたまらない体はどうやっても動かなかった。

 その瞳からは涙が零れる。しかし口からは血と呻き声が漏れるだけで、熱い、痛い、などという言葉すら発する事ができなかった。

 この時、『時津風』は機械室右舷に爆弾が命中し、浸水。航行不能に陥っていた。

 炎に包まれた『時津風』は、悲鳴が交わる海の上を漂流する。



 『時津風』が被弾した光景を、同じ16駆である『雪風』が目撃していた。

 炎上する『時津風』の周囲には、炎に包まれた乗員が海に飛び込む姿も見られた。そんな光景に、『雪風』の乗員たちは愕然とした。

 都倉は彼女を思い、息を呑んだ。


 「時津風……」


 そして実の姉もまた、その光景に悲鳴を上げる。

 崩れ落ち、漂流する妹に向かって手を伸ばした。


 「そんな。時津風……」


 しかしその手は虚空を掴むだけだった。雪風は愕然と、燃える妹の姿を眺めていた。



 一方、他の駆逐艦にも被害が及んでいた。

 既に第三水雷戦隊の旗艦であった『白雪』が敵機の反跳爆撃を浴びて沈没。座乗していた木村司令官は機銃掃射により重傷を負い、『敷波』に移乗して旗艦を変更した。他の駆逐艦は沈没した輸送船などの生存者の救助活動を実施した。

 しかし敵機再来襲の報告があり、救助活動は一時中断の命が下る。

 ところが無傷であった第8駆逐隊司令駆逐艦『朝潮』が、単艦で漂流していた給炭艦『野島』の救助に向かった。


 「待ってて、今行くから……!」


 『朝潮』の艦魂が、意を決したような面持ちで、前方にいる『野島』を見据える。

 『朝潮』が『野島』に接近すると、そのすぐ近くに航行不能となった僚艦『荒潮』も発見した。


 「陸軍の兵隊さんたちと怪我人は私が収容するから、貴女は頑張って避退しなさい!」

 「は、はい……。頼みます、朝潮姉さん……」


 『朝潮』は『荒潮』の陸軍兵と負傷者を収容すると、ようやく避退に移った。

 よし、これで……と思った朝潮が矢先。船団に空襲警報が発令された。

 

 「糞! まだ来るの……!?」


 再び来襲した敵機大編隊に対し、『朝潮』が対空射撃を行うが、またしても周囲にいた輸送船が次々と被弾、沈没していった。

 朝潮はただ、守り切れず、沈みゆく彼女たちの悲鳴を聞くばかりだった。

 そして目の前にいた『野島』も遂にやられ、沈没した。

 残ったのは朝潮だけだった。


 「私だけ……。そんな……」


 愕然とする彼女に、敵機が蜂のように一斉に群がった。

 健在だった『朝潮』は、付近を行動していた艦船の中で唯一行動可能だったため集中攻撃を受け、遂に航行不能となり、総員退去に追い込まれた。

 乗員たちが自分から離れていくのを見守った朝潮は、火の粉が舞い散る空を見上げた。


 「……嗚呼、もっと生きたかったなぁ」


 その後、『朝潮』は敵機の猛爆を受け、撃沈。他の船と同じように、ダンビール海峡に沈んだ――



 

 戦闘が終わってみると、船団は全滅していた。輸送船団全八隻が沈没。駆逐艦『白雪』『朝潮』沈没。『荒潮』も乗員を『雪風』に移乗された後その船体を放棄され、海の底に沈んだ。

 そして第16駆逐隊の一員、『時津風』もまた、その命は風前の灯火であった――


 「嫌、嫌です……! どうして、どうして……ッ」


 駆逐艦『時津風』の艦上で、雪風は泣き崩れていた。目の前には、虫の息と化している時津風の姿があった。

 そして雪風と一緒に来艦した都倉が、雪風の傍に寄り添っていた。

 

 「雪風、いい加減にしないか」

 「嫌です……! どうして、時津風を……。時津風はまだ生きているんです……!」


 都倉の戒める声に、雪風は首を横に振る。

 都倉は悲痛な思いで、時津風の方を見た。時津風は、その身をほとんど血に溺れさせながら、二人をジッと見詰めていた。

 だが、その瞳に生気はほとんど残されていない。今すぐにでも暗闇に支配されそうだ。

 口元からはヒュー、ヒューと、小さな呼吸が繰り返されるだけだ。言葉も発せられない状態だった。

 小さなおかっぱ頭は、血だらけで見るに堪えない。

 しかし都倉は、目を逸らすわけにはいかなかった。

 

 「彼女は曳航できないし、ここに残したとしても敵に沈められるか拿捕されるだけだ。しかも艦内には我が軍の暗号書がある。それが敵の手に渡る事も許されない」

 「だからって……! 何故、時津風を……」


 雪風は、叫んだ。


 「――私が時津風を沈めなくちゃいけないんですかぁッ!」


 都倉はその言葉に、耳が痛かった。

 そう。『雪風』には、『時津風』の雷撃処分を実行する旨の命令が発せられていた。

 同型艦として、同じ16駆に所属する仲間として介錯の役目を持たせたつもりなのだろうか、それでも彼女は第16駆逐隊の僚艦として長く行動を共にしてきた艦である。都倉を含む乗員たちにとっても、彼女に対する哀惜の念は深かった。

 既に『時津風』の乗員と陸軍司令官は『雪風』に収容された。後は雷撃処分のみである。


 「雪風、お前はそれでも軍艦か! 彼女を早く楽にさせてやる事も、お前の仕事なんだぞ!」

 「わ、私は……」

 「時津風を、いつまでも苦しめても良いと言うのか……?」

 「――ッ!」


 大粒の涙をボロボロと零しながら、雪風は時津風の顔を見る。

 時津風は、その血の化粧を塗った顔を、口元を、ゆっくりと緩ませた。

 そして最後の力を振り絞るように。


 「……お、姉……ちゃ……」


 瞬間、雪風は堪え切れないと言わんばかりに、時津風の傍に寄り添った。


 「……時津風。あ、あぁ……ッッ!」


 あまり許されない時間の限り、雪風は泣いた。そして愛する妹に、別れの言葉を捧げるのだった。



 その後、『雪風』が放った魚雷により、『時津風』は沈没した。

 艦上では海ゆかばが演奏され、海の底に沈みゆく16駆の仲間に、『雪風』乗員一同が敬礼を捧げる。

 都倉は、隣に立つ目を赤く腫れさせた雪風を一瞥した。

 彼女はいつまでも、妹が沈んだダンビール海峡の水平線を、夕日に染められるその海を見詰めていた。







 ――海中へと沈む。その感覚が、ある。

 姉の介錯を受けた艦体からだが、バラバラになって、海底へと落ちていく。

 時津風は自分という存在が、天空を主張する海面に向かっていく気泡と共に、分離していくのを実感する。

 嗚呼、死ぬのだな。

 時津風はそう思った。

 最期に、大好きな姉に看取られた事が救いであった。

 自分の存在が消えていく中、最後に残された思考の一片に、彼との思い出が浮かび上がる。


 ――愛って、どんなものなんだろうって――

 ――きっと、時津風にもわかる時が来るさ――


 ……理解わかりたかったなぁ。

 でも、姉妹たちだけは――自分がわからなかったものを、得てほしいな。

 時津風は最後の瞬間まで姉妹の事を想い、終に、海色に溶けていった――


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