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駆逐艦『雪風』 ~小さき不沈艦~  作者: 伊東椋
昭和十七年~十八年
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第三十五話 幻の声

 第二次撤収は二月四日、予定通りに行われた。

 その間、陸攻隊が敵飛行場に対し、敵の注意を引き付けるために夜間爆撃を繰り返していた。

 昼間もツラギ南東で敵艦隊を発見し、攻撃を加えて陽動を行った。米軍はこの攻撃を、日本軍の反撃の前兆だと思い込み、兵力を増強させていた。

 しかしその思い込みは間違いである事に、米軍が気付く事は未だ無かった。

 第二次撤収では『朝雲』『五月雨』が参加し、部隊は前回と同じく駆逐艦二十隻の規模となった。四日朝にショートランド基地を出発。途中、敵の空襲を受けて『舞風』が航行不能となり、『長月』に曳航されてショートランドへ帰還した。『黒潮』が三番砲塔に被弾。『白雪』が機関故障のため引き返し、『江風かわかぜ』も若干の被害は受けたが航行に支障はなかった。

 『雪風』は相変わらず無傷であった。

 第二次撤収も無事に終了した。エスペランスでの収容作業には遅れが出たようで約三百名を積み残していたが、この撤収で陸軍兵四千四百五十八名、海軍兵五百十九名を収容。五日午前、エレベンタに帰還した。



 いよいよ最後となる第三次撤収が行われようとしていたが、その前に、第八艦隊司令部は駆逐艦の出撃を渋った。

 これまでに二回の撤収を行った事で、米軍にも作戦の中身が気付かれている懸念に加え、連合艦隊司令部は駆逐艦の喪失激減に悩んでおり、第三次撤収は方式を変更して、駆逐艦ではなく大発などの舟艇により島伝いに脱出させようとの意見が出された。

 これに対し陸軍側は、田沼参謀次長、第17軍の宮崎参謀長らが海軍の作戦会議に出席し、舟艇による脱出は成功の可能性が下がるとして駆逐艦の出撃を要請。議論が平行線を辿った時、『雪風』の菅間艦長と『浜風』の上井艦長から「予定通り駆逐艦でやるべき」との発言があり、臨席していた駆逐艦長全員もこれに賛同し、第三次撤収作戦も駆逐艦隊で行う事が決定した。


 最後の撤収は、二月七日に行われた。


 部隊は駆逐艦十八隻で七日の朝、ショートランド基地を出発した。

 既に二回も往復し、見慣れてしまったガタルカナル島までの航路を進みながら、雪風は艦首の上甲板から、自身の艦首から分断される白波を眺めていた。

 雪風は頭上からブゥゥンと鳴るプロペラの回る音を聞いた。

 青空が広がる部隊の上空には、直掩の零戦隊が付いていた。銀翼に日の丸を煌めかせながら、頼もしい零戦の姿が、雪風の水面のような瞳に映った。


 「やっぱり、飛行機の護衛は有難いですね……」


 今や戦艦から時代の主役を奪いつつある航空機。雪風が知る大艦巨砲主義者の中には、空母と一緒に航空機を極端に嫌う者もいなくはない。だが、確かに航空機の優位性は存在し、艦隊の護衛として頼もしい存在である事は、雪風も理解していた。


 「このまま、今回も最後までやり遂げられたら良いのだけれど……」


 しかし何事もなく済ませるとは、雪風も思っていなかった。

 何故なら、部隊はこれまでの二回全て、敵の空襲に晒されてきたからだ。

 雪風自身は無傷だが、これまでに一隻が沈没、被害を受けている艦も数隻いる。

 三回目となる今回も、敵の襲撃を受ける事は明白だった。


 「……来ましたね」


 やがて、零戦隊とは別の轟音が遠くから聞こえてきた。ゴゥン、ゴゥンと天空を響かせるのは、雲の狭間から現れた米軍機の大編隊だ。直掩の零戦隊が増槽を切り離し、一斉に迎撃に舞い上がった。

 雪風もまた、対空戦闘に入ると同時に、周囲の駆逐艦に目を配った。

 その内に含まれた姉妹艦たちの姿。彼女たちも『雪風』と同じように、迎撃態勢に入っている。

 前方にいた『時津風』、すぐ近くにいた『磯風』が雪風の視界に入った。

 その時だった。二隻が突然、体を捻じ曲げるように回避運動に入った。

 雪風がハッと頭上を見上げると、キラリと光った翼があった。


 「敵、急降下!」


 見張り兵の叫び。菅間艦長の操艦により、『雪風』は回避運動に移る。

 『雪風』の右前方に爆弾が落ちてきた。

 しかしそれは『雪風』に当たらず、大きな水柱を作るだけだった。

 雪風は機首を上げ、背を向けて飛び去っていく敵爆撃機を見据える。

 次の瞬間、飛び去ろうとした敵爆撃機がオレンジ色の曳光弾を浴びて、その胴体から火を噴かせた。火焔のマントを靡かせながら、敵爆撃機は一直線に海面へと落ちていった。

 『雪風』の上空に、零戦が通り過ぎていった。彼が敵機を撃墜したようだ。

 雪風は飛び去る零戦に微笑むと、再び敵味方が入れ混じる戦場の空を睨んだ。


 『雪風』は主砲や機銃を打ちあげ、他の駆逐艦たちも続き、何重にも重なる弾幕を作り出す。

 だが、零戦から振り切った敵機がその弾幕も巧みにすり抜け、次々と急降下に移り、太陽に反射させた翼をキラリ、キラリと輝かせる。

 都倉は艦橋からそれらの光景を目撃した。来たぞ。来た。都倉は思わず息を呑んだ。

 

 「敵機、突っ込んできます――!」

 「突っ込んでくる!」


 見張り兵たちが繰り返し叫ぶように報告し、今まで距離が縮まるのを待っていた機銃群が、その砲身を遂に上げた。

 各機銃の指揮官が、目と鼻の先まで接近する敵機に向かって、指揮棒で指し示す。

 

 「撃ちー方始めッ! 撃て、撃てぇーッ!」


 25mm、7mmの機銃が火を噴き、バリバリと音を奏でて、敵機を襲う。

 しかし敵機も勇敢に突っ込み、爆弾を次々と落としていく。

 凄まじい戦闘であった。敵機との距離は余りに近く、中にはコクピットから敵搭乗員の顔が見える程だった。右から左から次々と爆弾が降り注ぎ、大きな水柱を何本も生み、時々下から艦が持ち上げられるかのような震動が伝わってくる。

 『雪風』と、そして他の駆逐艦たちも、高速で回避運動を行い、白い航跡を曳きながら旋回する。

 その時だった。


 ズズゥン、と。大きな爆発音が聞こえた。


 「何だ!?」


 都倉は思わず外を見る。海の上に燃え盛る炎が見えた。

 雪風もその爆発と炎上に気付いていた。その炎がある方角を見た時、雪風は愕然とした。


 「そんな……」


 炎上しているのは、妹艦の『磯風』だった。一本の水柱が立ち昇り、一時的にその姿が見えなくなった。

 その光景を目撃した雪風は、悲鳴を上げる。


 「嫌ぁぁ! 磯風ぇぇ……ッッ!!」


 雪風の悲痛の叫びが木霊する。

 あわや轟沈かと『雪風』の乗員一同が息を呑んだ後、爆炎の中から、主砲から火を噴かせながら姿を現す『磯風』の姿を目撃した。その姿を見た瞬間、乗員たちはホッとするが、『磯風』が大炎上している事は変わらない事実だった。

 炎に包まれながらも、果敢に砲火を発している妹の姿に、雪風は安堵というよりは衝撃に打たれた。

 燃えながらも戦い続けている妹の姿に触発され、雪風も気合を入れる。

 やがて、この激しい交戦は敵機にとっても中々苦しいものだったようで、零戦隊に追い立てられた敵機群は逃げるように遁走していった。




 敵の爆弾を浴び、炎上した『磯風』だったが、火災は鎮火したとはいえ舵が故障していたので、基地に引き返す事となった。

 

 「……ごめんなさい、姉さん。後は……よろしく、頼みます……」


 体中が火傷に覆われ、変わり果てた磯風が、雪風に囁くように言葉を紡ぐ。

 涙が流れそうになるのを堪えながら、雪風はその妹の手を優しく握った。


 「……うん。後は任せて。だから、絶対に無事基地に帰るんだよ……」

 「……はい、姉さん」


 常に無表情だった磯風の口元が、微かに緩んだ。




 被弾した『磯風』が基地に引き返し、月が輝く夜、部隊はガタルカナル島のカミンボ海岸に到着した。

 今回は最後というので、収容する人員の数は膨大だった。その中にあっても、既に収容する陸軍兵たちは皆、大発や小発に乗って準備は整えていたので、収容作業は順調に進んだ。

 だが、やはり体力が残されていない者は多く、あと一息の所で力尽き、海に落ちる者が何人もいた。しかしそれらを助ける余裕はなかった。雪風が不安げに見守る中、都倉もまた必死に収容作業を手伝った。

 全員を収容し終えた後、兵の撤収に使用された大発や小発は処分される事となった。これらを曳航しては、敵に襲われた時に回避運動の邪魔になるし、速力も出ないからだった。

 次々と沈められる大発たちを、雪風は悲しげに見詰めていた。


 「……有難う」


 雪風は呟く。無数の星が瞬く夜空の下、海面に反射した光に浮かび上がった人影に、雪風は敬礼を捧げた。

 雪風の目の前にいた大発も、爆発と共に海へと沈む。その人影も共に消えていった。

 処分を終え、静寂が戻った海岸から、部隊は微速で動き出す。敵機も来ず、静かな夜に戻った海を、部隊は収容した兵士たちを満載し基地への帰路に出る。

 その時、上甲板で兵たちの整理をしていた都倉たちは、ある声を聴いた。


 「……おい、今の聞こえたか?」


 下士官の一人が呟き、他の作業していた水兵たちと一緒になって、都倉も耳を澄ませてみる。

 すると、オーイ、オーイ、と。人の声が海岸の方から聞こえてきた。


 「まだ人が残っているのか!?」

 「しかし中尉。兵は全て、収容したはずです!」


 そうだ。現場の指揮官にも確認を取ってもらい、予定通り全ての兵を収容したはずだった。

 しかし確かに、都倉たちの耳には、自分たちを呼ぶ人の声が聞こえたのだ。

 だが海岸に目を見張っても、人影は一人もいなかった。

 気が付けば、その声も聞こえなくなっていた。


 「(今のはもしかして、島で戦死した兵士の霊なのか、それとも本当に……)」


 しかし島から離れつつある部隊には、もうどうしようもなかった。

 幻聴なのか、島で死んだ兵士の霊の声なのか、それともまだ生き残っていた兵士がいたのかもしれない。


 「……ごめんなさい。どうか、許して……」


 雪風は涙を浮かべながら、島に向かって頭を垂れた。

 ここまで何も出来なかった自分に、彼らを助けてあげられなかった事に、雪風は悔しがり、悲しんだのであった。

 後ろ髪が引かれるような思いで、『雪風』は、部隊は基地への帰路に向かった。

 



 第三次撤収は途中で敵の空襲に遭ったものの無事、終了した。

 三次に渡る撤収作戦は遂に完遂された。作戦上最も困難とされる敵前撤収をこれ程見事に成功させた例は、世界史上稀にみる出来事だった。

 第三次撤収後、島の海岸に取り残されていた大発などの残骸を見つけた米軍が、そこで初めて日本軍の撤収作戦に気付いたぐらいである。

 駆逐艦という小型艦が連ねる艦隊で、敵の制空権の下、約一万三千人の将兵を救ったのは正に奇跡的であり、これこそが日本海軍の練度の高さと勇気の賜物であった。

 第三次撤収から帰還した夜、ケ号作戦部隊司令官は大本営に打電した。


 「英霊二万ノ加護ニヨッテブジ撤収ス」


 


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