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駆逐艦『雪風』 ~小さき不沈艦~  作者: 伊東椋
昭和十七年~十八年
33/64

第三十三話 複雑な年越し

 昭和十七年十二月三十一日

 呉港


 大晦日の呉の夜。掃除を済ませ、餅付き用の米をある者は闇市から仕入れ、正月の準備を各々の家が万全に整えた頃。

 呉港内に停泊した『雪風』もまた、呉で年を越そうとしていた。ドックで整備を受けた身はピカピカで、外観は正に年越しの用意は万端と言った風貌だ。

 しかし一方で時局はその安泰を許さなかった。

 ガタルカナル島での戦況は悪化の一途を辿っていた。陸兵力を三万送り込んだが、その被害は実に二万に及び、戦局は日に日に悪化し、更に敵も飛行場などを強化する一方だったので、戦局好転は最早望めるものではなくなっていた。

 遂にこの日、大晦日の御前会議で、陛下たって御心により「ガ島撤退」が決定された。軍各部隊にその命令を発令するのは翌年の四日ごろであった。

 まだ発令はされていないが、ガ島での状況を知る将兵の誰もが明るい気持ちで年を越せるものではなかった。

 ――の、はずなのだが。


 「……これは一体、どういうつもりですか。都倉中尉」


 艦首甲板に、雪風は都倉と二人っきりであった。

 都倉は『雪風』の12.7cm主砲に背を預け、腰を休めている。

 対して、雪風は都倉の催促も無視し、立ち続けていた。

 それはまるで抗議の意思を示すかのようであった。


 「今日は何の日か忘れたのか? もうすぐ年越しだぞ」

 「だから、お酒を飲んでいるのですか」

 「色々とあった一年が終わり、また新年を迎えるめでたい日だ。飲まないわけにもいくまい」

 「………………」


 雪風は納得していないような、不満そうな、というよりは悲しそうな表情を浮かべながら、酒を注ぐ都倉を見ていた。

 都倉の前には二杯の盃が用意されていた。その一つにも酒は満たされているが、未だ手が付けられていない。


 「……戦局は努めど好転せずというこのご時世に、よくお酒なんて飲んでいられますね。こんな時の年越しがめでたいだなんて……」


 『雪風』も参加したソロモンでの一連の戦いに敗れた日本軍は、ガタルカナル島を未だ奪還できずにいた。寧ろ被害は膨らむばかりで、状況は全く好転しない。そのような情勢下に迎える年越しに、雪風は晴れやかな気持ちでいられないのが正直な思いだった。

 

 「こうしている間にも、島では多くの兵士が戦っています。なのに、私達だけ安全な内地で年を越すなんて……」

 「………………」


 盃を手にする都倉もまた、その視線を雪風に向けた。


 「……な、何ですか」

 「………………」


 雪風が見た都倉の表情は、自分を気圧すようなものがあった。

 しかしそれは雪風の思い込みであり、都倉にはそんな気はなかった。


 「雪風、こんな時だからこそ祝える時に祝った方が良いんだ。この時世だからこそ、やれる事はやるべきなんだよ」


 都倉の言葉は、雪風には信じ難いものであった。

 どうしてそんな事を言うのか、雪風には理解し難かった。

 都倉自身も、自分がこんな事を他人に言っていると考えると、笑えてくるようだった。今まで自分はその真逆の事をしてきたはずなのに。

 もう大切な存在を傷つけさせたくはない。都倉の思考にあるのはそんな決意であった。

 あの泣き声も、何度も聞きたいものではない。


 「………………」


 都倉は雪風の表情から、心境の変化が見て取れた。


 「――!」


 突然、都倉の方に近付いてきた雪風の行動に、都倉は一瞬だけ驚く。

 だが、雪風が手を伸ばした先は、都倉の目の前だった。

 もう一つの満たされた盃を取り、雪風はそれを思い切り呷るように飲んだ。

 盃を飲み干した雪風のテカッとした唇と、ほのかに朱色を帯びた頬は、どことなく色っぽい。

 そして、一息吐くように雪風は呟いた。


 「……美味しい」

 「……だろう?」


 空になった盃を手に、雪風は都倉の正面に座り込んだ。

 そして都倉が一升瓶を捧げ、雪風も自然な動作で盃を差し出した。再び盃に酒が満たされ、都倉もまた自分の盃を満たす。


 「さぁ、飲もう。今日はどんどん飲もうじゃないか」

 「……駄目ですよ、中尉。明日に響く程は飲まないでくださいね」

 「わかっているさ」


 盃を口にする雪風を前に、都倉は不思議な感覚に囚われる。

 出会った時は雪風の事を子供のようだ、とからかっていた都倉だったが、今はこうしてサシで酒を呑み交わすようになるとは、当時は予想もしていなかった。

 しかし都倉はこれまで雪風と短くない時を過ごしていく内に、彼女が決して子供ではない事はとっくの昔に熟知していた。彼女は立派な駆逐艦であり、自分と同じ帝国軍人なのだ。

 雪風が何かに気付いたように、顔を赤くする。それはお酒で赤くなったものではなかった。その時、都倉は知らず知らずの内に、雪風に微笑んだ表情を向けていた。


 「……今年も有難う、雪風。来年もよろしくな」

 「……はい、中尉。こちらこそ、よろしくお願いします」


 さざ波だけが聞こえる静かな呉の港で、二人は酒を呑み交わしながら、昭和十八年の新年を迎えた――


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