第三十話 大混戦!第三次ソロモン海戦
昭和十七年十一月九日、挺身部隊はトラック環礁を出撃した。砲撃開始は三日後の十一月十二日の午後十一時十分と決まっていた。
前衛として『夕立』『朝雲』など駆逐艦五隻が先頭に立ち、その後を『比叡』が続く。その左前方を直衛として『雪風』が進み、その後方を『天津風』『照月』、『比叡』の右を『暁』『雷』『電』が縦列を形成していた。
飛行場砲撃予定日の十二日午後四時ごろ、挺身部隊はサボ島の南を回り、米軍が「鉄底海峡」と呼ぶ海峡に突入した。
この戦争で日米両軍の艦船が多く沈んでいるこの海峡は、謂わば、船の墓場であった。そしてその不気味さを示すように、この日の早朝にはガ島の陸軍部隊から次の報告が伝わっていた。
「〇三三〇、敵戦艦三、巡洋艦三、輸送船五、駆逐艦十一、ルンガニ入港シツツアリ」
この無電を受信した戦艦『比叡』にいた阿部司令官は、ある決断を迫られた。
飛行場砲撃を担当する戦艦『比叡』と『霧島』の36cm主砲には三式弾が装填されていた。三式弾は焼夷性が強く、施設などの攻撃に最適のため、予めその砲に用意されていた。
しかし敵艦を砲撃するとなると、三式弾より鋼板を貫通する徹甲弾の方が威力を発揮する。
――ガ島砲撃を優先するか。
――敵艦との艦隊決戦に備えるか。
その選択を迫られたという事である。
ミッドウェーでは魚雷か爆弾か……と、兵装の転換を戸惑っている間に、致命的な敗因を生んでしまった。
同じ過ちを繰り返してはならない。しかしこの選択は、あの悪夢の再来でもあった。
悩んだ阿部司令官は、いよいよ決断した。徹甲弾への転換を具申した砲術長に対し、阿部は断固告げた。
「三式弾でよろしい」
阿部司令官は決断を下した。あくまでガ島の飛行場砲撃が主任務であると、阿部は判断したのだ。結論が下った挺身部隊は一路、飛行場があるガ島へと向かった。
夜から激しい雷雨が襲ってきた。前が見えない程の黒い雷雨で、波も荒れ始めた。嵐の中、挺身部隊はガ島への針路を維持したまま前進した。
だがここで目印のサボ島も見えなくなってしまったので、ガ島に到達する事は無理だと判断し、挺身部隊は北東へと反転した。
暫くして晴れ間が覗き、視界が回復した事から、挺身部隊は再び反転。飛行場砲撃を決行する事を決断した。
しかし二度に渡る反転を繰り返したため、艦隊の隊列は乱れ、前衛の駆逐艦五隻の内三隻が後方へと下がってしまった。主隊を先行しているのは、『夕立』と『春雨』の二隻だけになってしまった。
「ワレ今ヨリ進入ス、先行セヨ」
阿部司令官は二隻だけの前衛部隊に打電。主隊はガ島方面へと直進していった。
この時、『雪風』は『比叡』の左前方にぴったりと付いて進んでいた。
豪雨によって一時的に『比叡』が見えない程であったが、今や空は晴れ、勇ましい戦艦『比叡』の雄姿がすぐ近くで眺められる。
これを守るのが『雪風』の使命だった。艦橋から『比叡』の方を見詰めていた雪風に、都倉が声を掛けた。
「勇ましいものだな。老巧艦とは言え、日本を長らく守ってきた戦艦だけある」
「当然です。金剛型戦艦の皆様は、大日本帝国の誇りでもあるのですから」
戦艦が国家の力である事を示す時代の始まり。金剛型戦艦は日本に君臨した。彼女たちはこれまで数十年、日本という国を守り続けてきた。その雄姿が後光に満ちたものであるのは当然とも言えた。
晴天であるはずの空は暗く、周囲は夜闇に包まれていた。その中でも悠然と存在を主張する『比叡』の姿は『雪風』にしても頼もしい限りだった。
「島の周辺には敵艦隊がいるらしいから、いつ夜戦が起こるかわからない。気を引き締めていこう」
「はい。私は絶対に負けません。何故なら……」
雪風は出撃前夜の宴で聞いた比叡の発言を思い出していた。
心強い仲間たちと共に。
雪風は、例え目の前が暗闇であろうと、恐れるものはなかった。
雪風が次の言葉を紡ごうとした時。その言葉を、都倉は聞く事ができなかった。
突然、艦橋に目が眩むような光が射し込んだ。艦橋内はまるで真昼のような明るさになった。
「――照明弾だ!」
誰かがそう叫んだのを、都倉は聞いた。
この時、照明弾を打ち上げたのは日本艦隊を発見した米艦隊であったが、両軍はほぼ同時に互いを発見していた。
挺身部隊が飛行場を急いでいた頃、連合軍はスコット少将の艦隊(軽巡一、駆逐艦四隻)とカラガン少将の艦隊(重巡二、軽巡二、駆逐艦四隻)が中心となり、輸送船団を護送してルンガ湾に入港していた。
補給物資の揚陸中、ヘンダーソン飛行場の哨戒機が日本艦隊を発見したため、両提督の艦隊はこれを迎撃するため船団を残し、ルンガ湾を出たのだった。
カラガン少将総指揮の下、米艦隊はガ島の海岸線を沿って、北東へと進み。
一方、日本艦隊の挺身部隊はサボ島の沖合を南東へと下っており、正しく両軍艦隊が正面衝突する勢いで高速接近していた。
先に敵方を見つけたのは、新型のレーダーを備えた米艦隊の軽巡『ヘレナ』だった。米軍はこの時、新兵器であるレーダーを実用化し、日本軍を手痛く苦しめていた。
この一ヶ月前の十月十一の深夜、それは起こった。ガ島砲撃に向かっていた第6戦隊が、サボ島沖で突然、夜闇の中から砲撃を受けた。これはレーダーで日本艦隊を発見した米艦隊が、レーダー射撃を駆使して日本艦隊を攻撃したものだった。
何も知らないまま、重巡『古鷹』と駆逐艦『吹雪』が沈没し、旗艦の重巡『青葉』が大破、司令官も戦死するという事態に陥った。
この日の夜も危うくその悲劇の二の舞になる所だったが、幸運にもそれは起こらなかった。何故なら重巡『サウスダコタ』が搭載していたレーダーが旧式だったため日本艦隊を上手く発見できず、敵との方位確認のため『ヘレナ』との交信に手間取ってしまい、そのため米側は決定的な先制攻撃の機会を逃してしまったのである。
一方、日本側も先頭にいた『夕立』が敵艦隊を発見していた。しかしその報告の内容は自信がなさげで、確証を得るのが少し遅かった。
だが、『雪風』からも敵影が確認でき、確かに敵艦隊の存在を発見した。
正に、出会い頭の衝突のような出会いであった。
同じ頃、照明弾を打ち上げた敵艦隊に対し、『比叡』もほとんど同時に探照灯を照射した。
両側から光が降り注ぎ、次いで三日月が浮かぶ夜空の下で、多くの光が生まれたために一帯は真昼のような明るさとなった。
『雪風』の艦橋も緊張感に包まれた。そんな中、都倉は外から轟いた砲撃音を聞いた。
火山が噴火したかのような轟音が鳴り響き、『比叡』の36cm主砲から初弾が遂に放たれた。
午後十一時五十一分、両軍とも近距離(六千)だったため、ほとんど水平の状態での砲撃戦となった。
『比叡』が放った初弾が、いきなり敵艦のど真ん中に命中した。
都倉は前方で火の手が上がったのをしかと目撃した。敵艦は鼻血を噴き出すように、中央から火を噴き出している。
おお、と歓声が沸いた。『比叡』がいきなりやってくれたのだ。
『比叡』の初弾を浴びたのは、軽巡『アトランタ』だった。飛行場砲撃を優先していたため、『比叡』の主砲から放たれたのは、予め装填されていた三式弾だった。三式弾の威力は凄まじく、『アトランタ』の艦橋などの上部構造物を薙ぎ払い、座乗していたスコット少将を始めとした幕僚のほとんどが戦死した。
だが、もし徹甲弾であれば轟沈できたであろう命中弾だった。艦上を炎上させた『アトランタ』はそのまま漂うように機関を動かしていた。
夜闇に初めて炎が上がったが、辺りを照らすのは何度も繰り返して打ち上げられる照明弾と、両軍の各艦が照射する探照灯の灯りだった。光が無数に交叉する中、両軍は互いに砲や機銃で乱射し合った。
「右砲戦用意!」
「目標、右前方の敵一番艦! 一斉撃ち方始め!」
『雪風』の主砲、そして全機銃が射撃を開始した。艦隊の目の前を、敵の駆逐艦隊と巡洋艦隊が二列を成して進んでいた。
『雪風』のすぐ近くには、駆逐艦隊の先頭を走る『カッシン』の姿があった。『雪風』はその『カッシン』目掛けて、主砲や機銃を乱射した。
開戦前から猛訓練で鍛え上げた腕が発揮される。これ程の近距離で外すわけもなかった。『カッシン』の艦体にたちまち砲弾や機銃弾が吸い込まれ、その艦影に赤い火を噴かす事に成功した。
「命中ッ!」
「続けてどんどん撃て!」
『雪風』の12.7cm砲弾と25mm機銃弾を浴びた『カッシン』は、更に『夕立』『春雨』からも砲撃を受けて炎上した。集中砲火を浴びた『カッシン』はまるで松明のように赤々と燃え上がり、周囲の米艦を照らし出した。
そして遂にその艦影が消える。弾薬庫に命中したのか、『カッシン』は壮大な火柱を上げて、海底へと急行していった。その光景を見た都倉が、よし、と拳を握った。
だが、その直後。『カッシン』がいた位置の後方から砲弾が飛んできた。それは『雪風』の右前方に着水し、水柱を作る。
沈没した『カッシン』が海面に残した炎によって、その後方にいた駆逐艦たちの姿が照らし出されていた。『雪風』の目の前に現れたのは、砲口をこちらに向けた『ラフェイ』であった。
「続いて目標、敵二番艦! 撃ち方始め!」
『カッシン』の後方にいた敵駆逐艦三隻と、『雪風』『天津風』『照月』の駆逐艦同士の壮絶な砲撃戦が始まった。しかもその時点で、既に互いの距離は千メートルを切っていた。つまり、ゼロ距離射撃の応酬である。
「魚雷発射始め!」
この頃、『雪風』の艦橋では砲術長だけでなく、水雷長も声を上げていた。
『雪風』から九三式酸素魚雷が放たれ、三隻の駆逐艦へと向かっていく。
後に『夕立』『春雨』も加勢に加わり、ルンガ沖に無数の砲弾が飛び交った。二番艦『ラフェイ』が火炎の尾を曳いて随所に炸裂、火柱を夜空に向かって昇らせた。そこに『雪風』が放った魚雷二本が命中し、『ラフェイ』は爆発、そのまま沈没した。
「次! 撃ち方始めッ!」
今度は三番艦『スターレット』であった。『雪風』の砲撃が、容赦なく『スターレット』の舵を奪い、レーダーも停止させた。戦闘不能となった『スターレット』を置き、次いで四番艦『オバノン』に目標を移しこれにも損害を与えた。
「水平だから、撃てば当たる! 味方には当てるなよ!」
誰もかれもが休む事なく乱射しながら動き続けるこの砲撃戦に、都倉が航海士として細心の注意を払っていたのは、味方への誤射や衝突であった。敵や味方、両方との距離がどちらもかなり近い以上、敵のみを絞って攻撃を行う事は難しかった。
砲弾だけでなく、機銃弾も光の束となって夜闇に瞬くサボ島沖。小破した『オバノン』は『雪風』の砲撃、機銃掃射を浴びながら、逃げるように距離を取った。
新たな敵艦を見つけては砲撃や機銃の射撃を繰り返す『雪風』の艦橋に、機銃弾が飛び込んできた。その直後、上方から報告が降りてきた。
「加藤定水兵長が戦死されました!」
艦橋天蓋の上にも飛び込んできた敵の機銃弾が、測距手の加藤定水兵長の目を射抜いたと言う。砲撃戦の最中においても、彼は持ち場の航海用測距儀の前を離れなかった。敵の機銃弾を受けた彼は『雪風』における最初の戦死者となった。
戦闘での初の犠牲者を出した『雪風』は、更に前進して敵艦を捜す。その時、都倉たちは艦橋から、左前方で火の手を上げる駆逐艦『夕立』の姿を目撃した。
「艦長、どうされますか?」
尋ねたのは、航海長だ。しかし菅間艦長は無言で首を横に振った。
菅間の判断を、都倉は理解していた。この砲撃戦の最中、救助をしている場合などない。
酷な話かもしれないが、勝負を決する事こそが優先すべき事項だ。それは『夕立』もわかっているはずだった。
「……夕立さん」
雪風は、燃える『夕立』の艦影を悲しげに見詰めた。
一方、乗員たちが必死に消火作業を行っている『夕立』の艦上からは、『雪風』が通過していくのをただ見送っていた。
周囲を赤々と燃える炎に囲まれながら、夕立は頭から血を流しながら、その光景を眺めていた。片足が潰れ、立ち上がる事もできない。体中が火傷に覆われ、最早満身創痍の状態であった。
「……頼んだよ、雪風」
その後、彼女は二度と目を覚ます事はない深い闇の底へと落ちていった。
――駆逐艦『夕立』はこの砲撃戦において、先に敵艦隊を発見した後、魚雷によって『アトランタ』に被害を与え千メートル以下のゼロ距離射撃を行いながら敵陣に突入。重巡一隻を大破させ、自らも損害を生じながらも敵の重巡、駆逐艦と交戦しつつ北上。その途中、射撃指揮所や機械室などに命中弾を受け炎上。十三日の午後零時二十六分、サボ島の沖合、九マイルの地点で航行不能。その後、沈没した。
炎上する『夕立』の横を通り過ぎた『雪風』は、そのまま乱戦の中に殴り込みを行った。敵重巡と交戦中だった『長良』の助太刀を行い、敵重巡の上部構造物に砲弾を撃ちこみ、炎上させた。
この頃になると敵味方が入れ混じる乱戦状態となり、相手の艦型を判別する事すら難しくなっていた。実際に米側の旗艦『サンフランシスコ』が、友軍の艦を日本軍と誤って砲撃してしまう事態も発生していた。
「ちょっと! 私は友軍よ!」
既に日本軍の猛撃を受けて、血だらけの『アトランタ』の艦魂が叫ぶ。
『サンフランシスコ』の艦魂が、慌てて辺りを見渡す。
「ご、ごめん! 糞、敵はどこ――ッ!?」
その直後、日本軍だと勘違いした友軍を危うく撃沈してしまう所だった『サンフランシスコ』は、その艦橋に火炎の花を咲かせた。艦橋などが炎と共に崩れ落ちる。それは『霧島』の砲撃であった。
「……ッッ!?」
艦橋を破壊された『サンフランシスコ』の艦魂が、赤い血に染まった頭を覆いながらのたうち回る。その周囲に瓦礫と共に火の雨が降り注いだ。
この『霧島』による砲撃で、『サンフランシスコ』に座乗していたカラガン少将と幕僚のほとんどが戦死した。これで、米側は二つあった艦隊の両方の指揮官を喪ったのだった。
己の命中弾を見届けた霧島は、ぎゅっと拳を握った。
「……やった。私、遂にこの手で敵艦を……」
でも、と。霧島は悔しがった。
もし砲弾が徹甲弾だったなら――今の砲撃で、確実に敵艦を沈められただろう。
だが、敵艦は上部構造物を廃墟にしながらも、その機関はまだ動いていた。まるで頭を失った動物のように、フラフラと艦首を反転させる。最早、戦う力は残っていなかった。
霧島は夜闇に消えていく敵艦の後ろ姿を、ただ見送る事しかできなかった。
昭和十七年十一月十三日
午前零時三十分
約一時間に及ぶ壮絶な殴り合いを終えて、傷だらけになった両軍艦隊は、南北へと離れていった。
敵艦隊がいなくなったのを確認し、『雪風』は一息吐くように身を落ち着かせた。
その艦体は無傷であったが、艦上では遂に開戦以来最初の犠牲者が出ていた。
轟音と硝煙が辺りを覆い尽くしていた海は明るくなり、『雪風』の周囲も大分視界が効くようになった。
ふと、『雪風』は自分の傍にゆらりと近付いた山影を見た。それは見覚えのある戦艦『比叡』の艦影であった。
雪風が晴れやかな笑顔でその旗艦殿を迎えようとした、その時だった。
「――!」
雪風は思わず、絶句して口元を手で覆った。
艦橋にいた都倉も、その光景に目を見張る。
帝国の誇りとして雪風も憧れていた戦艦『比叡』が、その艦橋を無残に破壊され、随所に火の手を燻らせた姿を晒していた。




