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駆逐艦『雪風』 ~小さき不沈艦~  作者: 伊東椋
昭和十七年~十八年
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第二十九話 誇り高き金剛型戦艦

 先の海戦の結果、太平洋から米空母は消え去ったが、代わりにガ島周辺の米空軍の基地戦力はますます強化されていた。

 日本海軍がガ島海域から撤退した事で、島の米軍基地は補給を受けられるようになり、その守りは更に強固なものとなったのだ。

 ガ島の基地――ヘンダーソン飛行場には、様々な米軍機が活発に離着陸を繰り返しており、おかげでその地域の制空権は米軍のものとなっていた。

 従ってこの米軍基地を叩かなければ、ガ島の制空権奪取は叶わない。米空軍の戦力が健在である以上、ガ島の戦況も改善される見込みがなかった。

 米軍がガ島周辺を我が物としている頃、『雪風』はトラック泊地にて新たに編成された部隊に加えられたのだった。


 「我々は翌九日に泊地を出撃、敵基地を艦砲射撃を以て叩く!」


 普段は穏やかな性格を振りまく戦艦『比叡』の艦魂が、まるで別人のような勇ましさで声を上げていた。

 彼女の目の前には、次の作戦のために編成された艦魂たちが整列していた。

 その中に含まれた雪風も、直立不動を以て戦艦参謀たちの言葉を聞いた。


 「我々の任務は、敵基地をもう一度火の海にしてやる事。今回は総攻撃を再び試みる陸軍の輸送、揚陸を確実に成功させるため、一番艦『金剛』及び『榛名』が先に行った事を、今度は我々の手で実施する」


 陸軍はこれまで第三次に渡る総攻撃を実施し、その全てが失敗に終わっていた。陸軍は今度こそ飛行場を奪還しようと、師団の総力を以て第四次総攻撃を企図。そのための大船団を編成中であった。

 連合艦隊司令部はこの船団の輸送と揚陸を成功させるためには、敵飛行場を無力化させる事が前提になければならないと考えていた。実は南太平洋海戦前の十月十三日に、既に戦艦『金剛』と『榛名』が当飛行場に対して艦砲射撃を実施し、千発の砲弾を撃ち込んだ。それをもう一度やろうというのが今回の作戦だった。

 そして此度編成されたのが、ガ島砲撃を主任務とする『挺身攻撃隊』であった。

 戦艦二隻(『比叡』『霧島』)、軽巡洋艦一隻(『長良』)、駆逐艦十四隻(『雪風』『天津風』『いかづち』『いなづま』『あかつき』『照月』『朝雲』『村雨』『五月雨』『夕立』『春雨』『時雨』『白露』『夕暮』)という高速艦揃いの艦隊だった。

 高速で目標に近付き、急襲し、さっと引き揚げる。簡単には言えるが、その実は困難な作戦だった。

 張り詰めた緊張感に包まれる彼女たちを見て、比叡の表情がふっと和らいだ。


 「……大丈夫。私達は高速艦隊。かつ、打撃力がある。必ず全員帰ってこれるわ!」

 「比叡姉さんの言う通りです。それに私達は、心強い仲間たちと共に在ります」


 日本軍艦の中では古株とも言える金剛型戦艦二隻に加え、これまでに数々の戦場を駆け巡った駆逐艦たち。更にその内の一隻、『雪風』は先の南太平洋海戦では三次に渡る敵の盲爆を受けながらも無傷で過ごし、海に落水した飛行隊の搭乗員たちを何人も救った功績から、司令長官から感状を頂いている。これ程の幸運艦が艦隊に加わっているのだから、彼女たちの士気も高揚するには十分な要素だった。


 「よって今夜は、明日の作戦に備え親睦を深めたいと思います。全員、盃は行き渡りましたか?」


 比叡の呼びかけに、艦魂たちが手に持った盃を掲げる。

 その光景を目の前にした比叡は、霧島と目を合わせると、得意げな笑みで頷いた。


 「では、各艦の武運を祈り。乾杯!」

 「乾杯!」


 少女たちの唇に、熱い盃が満たされる。

 美味な、命が正に満たされるような水であった。

 全員が盃を空にし、今度は万歳三唱が響き渡る。長い夜の始まりであった。





 「ねえねえ、雪風に乗ってる僕達が見える人ってどんな人?」


 そう雪風に尋ねてきたのは、涼しそうな頭をした短髪の少女。水兵服を着ており、背がスラッと高いので男と見間違いそうになる。かくて親しげに雪風に話しかけるのは、吹雪型二十一番艦にして特Ⅲ型駆逐艦一番艦『暁』の艦魂であった。


 「暁さん。都倉中尉の事ですか?」

 「そうそう、そのトクラっていう人。僕の所にはそういう人間はいないから、興味があってさ」

 「私も気になるな」


 新たに会話に加わったのは、吹雪型二十四番艦(特Ⅲ型四番艦)『電』の艦魂だ。おかっぱ頭で背が小さいせいで、これはこれで少年兵のように見えなくもない様相をしていた。

 

 「ねえ、雷。君も気になるだろ?」

 「私は……」


 そしてその後ろで雪風たちの方を遠くから観察していたのが、吹雪型二十三番艦(特Ⅲ型三番艦)『雷』の艦魂であった。暁ほどではないが平均より背は高く、凛とした姿勢もあって武士のような風格を有しているが、短めに縛ったポニーテールに存在を主張した桃色のリボンは、姉妹たちの中で一番女の子っぽい印象を宿している。

 

 「雷の艦長も艦魂が見える人間なんだ。体は大きいけど、とても優しい人だよ」

 「へぇ、そうなんですか」

 「雷のお姉ちゃんはそんな艦長の事が大好きなんだよね」

 「んな……ッ!」


 電の発言に、三人の輪の外から声を上げたのは雷本人であった。その顔はまるでトマトのように真っ赤だった。


 「い、電! 貴様、何を言って……!」

 「好きじゃないの?」

 「うぐ……! ご、誤解するような言い方をするな! 私は艦長を、武士を目指す者として、武士道の精神を持った人として尊敬しているだけで……」

 「でも雷のお姉ちゃんが大好きな工藤艦長は、本当に素晴らしい人なんだよ。この前の海戦でも、敵兵をたくさん救助したし……」

 「話を聞けぇッ!」


 雷の話をしているのに雷の存在を無視するかのような電の態度に、雷は顔を真っ赤にしながら声を上げる。雪風はそんな姉妹たちを前にして、アハハ……と笑うだけだった。


 「で、どうなの? 雪風」

 「うーん、そうですね。都倉中尉は……一言で言うのなら、意地悪な人ですね」

 「あはは! 何それ!」


 面白そうに笑う暁を端に発し、周りにいた他の艦魂たちもなんだなんだと集まって来た。いつの間にか、ほぼ全員が雪風の話を聞いていた。


 「ちょっと、暁。そんなに笑うなんて失礼……ぷくくっ」

 「夕立も笑ってるじゃないか! あはは!」


 暁を戒めたと思ったらすぐに自分も噴き出したのは駆逐艦『夕立』の艦魂。彼女は暁と一緒になって笑った。


 「本当に意地悪な人なんですよ。この前なんて……」


 都倉がどれだけ意地悪な性格で、自分が困らされたのか。雪風は都倉の話というよりは都倉の悪行の数々と、その行為にやられた自分の体験談、そして愚痴を話題の大半に費やしていた。

 都倉が何をしたのかを話す度に、話を聞く艦魂たちが笑い声を上げる。いつしか、その聴衆に比叡や霧島まで加わっていた。


 「面白い人だね、都倉中尉って」


 目の縁に涙まで浮かべた暁が、まだ絶えない笑いを漏らしたまま、雪風に言う。

 暁の意見に、周りの少女たちもうんうんと頷く。

 しかし当の雪風はかぶりを振った。


 「やられる身としては、勘弁してもらいたいですよ。中尉には本当に困ったものです」

 「でもそこまでやられていると、やられる側も問題があるように思えてしまうな」


 雷の発言に、雪風は幽霊を見たかのような顔になる。


 「何を言ってるのですか、雷さん!」

 「でも、きっと中尉がそういう事をするのは雪風だけなんでしょうねぇ」

 「時雨さんまで!」


 第27駆逐隊の駆逐艦『時雨』の艦魂が、可愛らしい笑顔を向ける。長い前髪が左目を隠し、背の方にまで伸びた黒髪はクセがあって先端が少し跳ねていた。他の艦魂と比べ特徴的な髪型をしているが、その笑顔は一番、子供のような無垢さに満ち、雪風がドキリとする程だった。

 彼女はこれまでに何度も最前線を戦い抜いてきた駆逐艦であった。後に『雪風』と並んで「呉の雪風、佐世保の時雨」と呼ばれる程の幸運艦として語られる事となる艦だった。

 時雨はまるで姉妹のように雪風に親しく接してきた。その肩を抱き、頬をくっつける。


 「羨ましいな。愛されてるって事じゃない、雪風」

 「あ、愛……ッ!?」


 時雨は密着した頬から熱が一気に帯びるのを感じた。顔を離して見ると、雪風の頬が燃えるように赤くなっていた(そしてすぐ近くでは天津風が何かを言いたげに歯ぎしりを立てていた)。


 「あれ~? ごめんね、変な事言っちゃったかな」

 「ほ、本当ですよ時雨さん! からかわないでください!」

 「からかってるのは私だけじゃないよぉ」


 やっぱりからかってるのか、と。雪風はツッコミを入れたい衝動に駆られたが、そこをぐっと堪えた。

 雪風以外の全員が、どっと笑いを零す。

 雪風は恥ずかしさの余り、顔がまるでボイラーだと思う程に熱を感じていた。


 「でも、雪風。貴女は本当に恵まれてるね」


 その発言に、雪風はドキリとした。

 時雨が、優しげな笑みを向けていた。


 「だって、それ」


 時雨が指を指し示したのは、雪風の左手の親指にはめられた真珠の指輪だった。それに気付いていない者はいなかった。雪風自身もまた、ある想いを抱いて、その指輪をはめているのだ。


 「それは中尉からの贈り物だよね?」

 「……はい、そうです。これは中尉から頂いた、私の大切なものです」

 「……そっか」


 その指輪は、呉の上陸から帰ってきた都倉が雪風にプレゼントしてくれたものだった。それ以来、雪風は常にその左手の親指に付けている。それはある意志と、願いをこめて、自分の身に装着した特別なものだった。


 「――ハッ!」


 雪風はしまったと言わんばかりの顔を上げるが、時既に遅かった。

 雪風の目の前には、誰もがニマニマとさせた微笑ましそうな顔を雪風に向けている。

 まるでヤカンが沸騰するかのように、顎下から一気に顔を赤くする雪風。


 「……雪風」

 「な、何ですか……比叡さ……比叡殿」


 聞き手に参加していたが初めて口を開いた比叡に、雪風は子犬のようにぷるぷると震えながら、涙目で訊ねた。

 比叡の、とてつもなく優しい笑顔がそこにあった。


 「……お幸せにね」

 「いやあああああああッッ!!」


 とうとう耐え切れず、羞恥心の塊と化した雪風はその場から逃げるように走り去った。




 日が変わろうとする深夜の時間帯に、比叡と霧島はある場所にいた。

 そこは同じトラック泊地に停泊している戦艦『金剛』の艦内、その一室だった。大正時代に建造され、近代化改修を受けた身はそれ程古さを感じさせない。

 だが、その化身である彼女は確かに日本軍艦の古株としての誇りを持ち、誰よりもまた戦に対する情熱を持ち合わせていた。外観はイギリス人そのものだが、心は生粋の日本人である彼女は、日本で建造された妹、明日の出撃を控えた比叡と霧島を呼び出したのだった。

 

 「二番艦、比叡。参りました」

 「同じく四番艦、霧島。参りました」

 「ああ」


 長い金髪が揺れ、サファイアの宝石のように蒼い瞳が振り向かれる。引き締めた表情の霧島を、その瞳がジッと見据えていた。


 「楽にしてくれ。嗚呼、紅茶でも飲むか?」

 「……頂きます」


 英国生まれの性か、金剛は唯一欧米的な嗜好として紅茶を好んでいた。西洋風のティーカップに紅茶を注ぎ、それらを二人の妹に手渡していく。紅茶が入ったカップを受け取った二人の妹は、同じく金剛が自分の分を入れて口に運ぶのを見計らい、自分たちも姉が淹れた紅茶を唇に湿らせた。


 「やはり、姉さんが淹れてくださった紅茶は美味しいです」

 「同感です」


 舌に紅茶を嗜めながら、比叡と霧島はほっと息衝く。体の芯まで温まるようだった。

 妹たちの感想に、金剛は口元を微かに緩ませた。


 「ところで、榛名姉さんは?」


 丸い瞳を浮かばせながら、金剛に尋ねるのは末っ子の霧島だ。黒い長髪が揺れながら、もう一人の姉の存在を捜している。

 榛名を捜す霧島に、金剛が答える。


 「榛名なら、今頃は木刀でも振り回しているのだろう。大和長官殿が手合わせをしている」


 霧島は疑問に思わず「そうですか」と受け入れたが、比叡は小耳に挟んだある話を知っていた。挺身部隊の編成が決まった日、榛名は比叡と霧島の名を見つけ激昂し、それを大和が諫めたと言う。

 榛名が何故怒りを露にしたのか。それは比叡の察する通りであり、金剛もまた知っている通りでもあった。

 現在、この日本海軍の最前線基地として機能しているトラック泊地には古い金剛型戦艦だけでなく、新鋭の大和型戦艦も停泊していた。大和型の砲門の方が効果的なのではないか、大和型が行けないにしても前回と同じメンバー(『金剛』『榛名』)で行けば良いではないか、という事だった。

 経験がある二隻の方が、今回も成功する確率は高くなる。姉や妹を危険に晒したくない気持ちもあるのだろうが、榛名の意見主張は、はっきり言ってそれ以上は過ぎる事は絶対になく、意味もない行為だった。何故なら作戦を決めるのは連合艦隊司令部であり、艦魂の自分達がどうこうできるはずもないのだから。


 「長官殿には手間を掛けさせてしまっている。だが、おかげでこうして貴様らと話す時間は作れた」


 金剛は連合艦隊旗艦である大和の事を長官、と呼んでいた。これは従来より、旗艦に対する呼び名として一部に定着しているものだった。

 総旗艦である彼女に、榛名が思わず身を乗り出してしまうのは、それだけ今回の作戦に懸念を抱いているという事なのだろう。比叡は思った。榛名らしい、と。


 「……榛名姉さんが心配してくださっているのは理解しています。そして姉さんが心配だけじゃなくて、純粋に作戦の効率を考えて発言している事も。ですが、私はこの作戦に参加する事ができて嬉しく思っています」

 「比叡姉さん……」


 だが、比叡にも意思がある。そしてその意思は、榛名とは正反対のものだった。

 金剛たちに続き、ようやく自分たちも再び奉公する機会を得られたのだ。姉たちが成功させた敵飛行場の砲撃を、今度は自分たちが行うという事に比叡は至上の喜びを感じていたのだった。


 「わ、私もそうです……! 私、金剛、榛名姉さんたちみたいに戦いたい!」


 霧島が必死に声を上げる。金剛は黙って、二人の妹たちを見据えた。


 「金剛姉さん、私達はきっと戦い抜いてみせますよ。だから見ていてください。私達の、勇姿を」

 「……ああ。頑張れ。……頑張ってこい」


 金剛は笑みを浮かべ、何度も頷いた。

 比叡と霧島が並んで、敬礼を掲げる。時刻は丁度、出撃当日に達していた。

 あと数時間で出撃する。比叡と霧島は姉に背を向け、金剛はそんな妹たちの勇ましい背中を最後まで見届け、二人は一度も振り返らずその場から光に包まれて、消えた――

作中にチラッと出た雷の救出劇に関しては、個人の艦魂シリーズにある「駆逐艦『雷』 ~武士道を志す戦乙女~」をぜひご覧ください。

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